004
返事が返ってきたことに驚きつつも、部屋に入る許可が得られたので中に入らせてもらう。
ドアを開けると、彼女、多凪突咲ーーーーたなぎつざくーーーーは、部屋の隅に壁に向かうような形で設置されている、学習机の回転椅子にすわっていた。
僕からは回転椅子に座っている突咲の後ろ姿しか見えないけれど、ぴょこぴょこといたる方向に、自由奔放に弧を描きながらはねている彼女の髪の毛先は、つい先ほどまで幸せな時間を過ごしていたことを物語っている。
「起きてたのか。いや別に起きてて良かったけど。キスで起こしてあげようかなとか考えていたわけじゃないから、別に悲しいとかそんなことないし。むしろ起こす手間が省けて良かったし。」
話しかけると、突咲は座ったままで椅子を回転させてこちらに向いた。
彼女は数時間前まで学校で着ていた制服を脱ぎ、青いジャージに着替えていた。
多凪突咲、茶髪のショートカット。
といっても、その長さは肩にかかるかかからないかという具合だ。
その見とれるほど綺麗な茶色の髪の毛は、決して人工的につくりだせるものではないだろう。
それほどまでに、美しい天然的な髪色だ。
まぁかわいい顔に、お前女かと言いたくなるほどの胸の持ち主。
幼い頃から僕たちは一緒にいたし、現在だって四六時中ほとんど一緒に時を過ごしているため、周りには僕と突咲は付き合っているように見えるらしく、突咲に本命の人ができて告白をしても相手に間に受けてもらえない、かわいそうな少女。
迷惑かけますね、僕。
でもお前可愛いから結構モテてるんだぜ?
僕なんかと付き合ってるって周りに勘違いされていて、一週間で死んでしまうセミよりかわいそうな少女。
そしておばさんの娘であり、親が親なら子も子という言葉のごとく、おばさんの口の悪さをそのまま受け継いでいる娘でもある。
リトルおばさんだ。
その口の悪さは、思わず舌を引っこ抜いてやりたくなるほど。
そのことを突咲に指摘すると、
「いやお前に言われたかぁ、ないね。え?お前鏡見てみ?舌を引っこ抜くだけじゃ足りず、歯をも抜き取りさってやりたくなるような奴が鏡に写るから、さぁ!」
と、普通の女の子なら口に出さない『舌を引っこ抜く』『歯を抜き取りさる』というような言葉を平然と言ってしまえる。
それが多凪突咲だ。
「え、きっも。チューであたしを起こそうとか思ってたのかよぉ、うっわー。何、あたしとチューがしたかったの?気持ち悪い。この上なく気持ち悪い。っつか、オメェのピンポンであたし気持ちの良い眠りから覚めたんだよ。文句なら自分に言え、このキス魔。」
「おい、僕がお前とキスがしたかったみたいな言い方やめてくれないか。僕達は付き合ってるわけでもないし、ましてや君は僕の恋愛対象外だ。僕がお前にキスをしてやらんこともないとしぶしぶも思ってやったのは、お前を起こすという理由があってのものだからな。お前を起こさなきゃいけないという目標のために、しかたなく、本当にしかたなく、キスして起こすという手段があっただけの話だ。それを考えれば、何も僕はお前とキスがしたいわけじゃないと思うんだけどなぁ。というか、お前は僕とキスするにも値しないな。」
「いや違うんだよなぁ。なんか無駄に長く否定をしてくれたけど、そもそも恋愛対象外の、つきあってもねぇ異性の最上の時間を一瞬で最下にしようとか考えてた最低で最悪な奴はただキスしたかっただけだとあたしは思うけどなぁ。」
「やだなぁ、言い方を変えるよ。僕がキスをしてやろうと思ったのはお前を最愛してるからだよ。」
「やだどうしよう、こんな奴に最愛されるほどにあたしは最底辺に堕ちてたのか。」
「最高峰にツンデレだなお前。」
「無駄に『最』って字がつく言葉いれるんじゃねぇよ。最高峰にツンデレってンな言葉ないでしょーが。」
「お前から『最』を入れだしたんだろうが。しかもちょっと楽しんでただろう、お前。」
「お前ほどじゃないけどな。」
「やっぱ最高峰にツンデレだな。」
「………………………まぁ、最底辺に堕ちた者同士仲良くやろうか。」
と、無理矢理彼女は会話を終わらせた。
今の会話の通り、僕達は付き合ってなどいない。
幼なじみで、家が隣で、異性同士で、同い年で、親同士も仲が良くて、キスしようとしても本気で嫌がられはしないような関係というのにも関わらずに、だ。
おいそれ少女漫画でよく見る設定じゃねぇか、つかキス嫌がられねぇのかよもうそれ付き合ってんだろ、しかも絶対将来結婚するかんじだろと僕は自分でも思うけれど、突咲に対して恋愛感情は驚くほど皆無なのだ。
そう、付き合いたいと思わない。
これ以上の関係を望まない。
実際のところキスは何回かだけならしたことがあるもののの、性交なんてとんでもない。
想像さえしたくない。
今までも。
多分、これからも。
でも嫌いってわけじゃあない。
むしろ好きだ。
というか超超超超超超超超超超超超超超超超大好きだ。
でも付き合いたいと思うことはない。
その気持ちは突咲も一緒だろう。
友達なんて言葉じゃ僕達の関係は表せなくて。
もちろん親友なんて言葉でも全然足りなくて。
だからといって恋人なんて甘いつながりを持っているわけでもない。
突咲のことを、「好きか」と問われればあかべこよろしく首を振って「もちろんだ」と答えるだろう。
「愛しているのか」と問われれば目を閉じ静かに首肯するだろう。
「ではなぜ付き合わないのか」と問われれば目を閉じた状態で肩をすくめるだろう。
「突咲の為に死ねるか」と問われれば目を開け、笑って「あたりまえだ」と言うだろう。
そしてそれは、突咲も一緒のはずだ。
付き合ってはいないが、互いに好き合っている仲だと、僕は思っている。
「…………だよな?」
「いや何が。」
「……………………………………………………………。」
「……………………………………………………………。」
「好きだよ。」
「あたしもだぜまぃだーりん。」
「あぁ、知ってる。」
「なんかムカつくんだが。」
「ところで突咲よ、お前何時から寝てたんだ?学校でもガッツリ寝てたじゃねぇか。なんだ?あんなに授業中怒られるまで寝ておいて、まだ寝足りないってか?ふざけろ、この馬鹿眠り姫。」
「うるさいよ、あたしは一日14時間睡眠が基本なんだから仕方がないと言っても許されるよ。今更そんなこと聞かなくてもあたしとあんたの仲なんだから、あたしの一日14時間睡眠はもはや常識みたいなモンでしょうが。あぁ、馬鹿者矛利にはわかんないか、脳容量300ccにも満たないもんな。」
「300ccって僕の脳容量少なすぎだろ!そんなのまともに喋れない状態じゃねぇか!ホモサピエンスの方がよっぽど進んだ人類に見えるわ!」
確か一般的に知られている話では新人で脳容量は1500ccほどだったはずだ。
僕はちょっとそういう方面の知識には乏しいから、具体的なことはわからないけれど。
「馬鹿者矛利にはそれくらいの脳容量でも嬉しいだろ、ほらほらもっと喜べよ。」
一体今日はなんなのだ。
おばさんに愚か者と言われたり、突咲に馬鹿者と呼ばれたり。
「と、言うより今おばさんがご飯の準備をしてくれてるぜ。一階に降りよう。僕、今日も家に入れない状況に立たされているから、多凪家の食卓にお邪魔させてもらうことになったんで。このにおいから察するに、今日はから揚げだろうな。」
「おぉ、やった!今日も一緒に食えるのか!もう矛利さ、うちに養子として来いよ。矛利がいるといっつも食卓が賑わって楽しいから好きなんだよなぁ。だってさ、矛利、考えたことある?夜あたしとマミーが向かい合わせで沈黙の中、もそもそ飯食ってるシーン。糞と劣らないぐらい楽しくないからね?」
「へぃガール!糞とはなんだ糞とは!そんな言葉遣いじゃあ、嫁に行けないぜ。あと、養子にはならねぇよ。僕は腐っても宛良家の息子なんだからな。」
「いいんだよ、あたし嫁にはいかないから。あたしにはあたしの将来計画が既にあるんですー。馬鹿者矛利には一切教えないけどね。」
そう言って座っている突咲はすぐ前に立っている僕に上目遣いでにやりと笑ったかと思うと、とうっ、と声をあげながら椅子から勢いよく降りた。
「じゃあ飯食いに行こーぜ。」
そう言って両腕を上にあげ、伸びをし浮かび上がる彼女のシルエットの不変の胸を横目で見、そしておや、と気づいた。
彼女は164cmで僕の姉と同じく女性では高い方の身長だが、身につけている青ジャージは彼女より一回りも二回りも大きくダボダボで、その袖は萌え袖になっていた。
「そういえばそのジャージ見たことないな。持ってたっけ?」
「え?ジャージ?………………………………あああああああああ!!!」
突咲は自分の格好を確認すると、元から大きい目を見開き、顔に驚愕を表す。
おい、やめろやめろまじで眼球こぼれそうだよお前。
瞬きしろ、目がカサカサになりますよ。
「うるさ!何、聞いちゃダメだった?」
「なんであたしこの服着てんの!?」
「待ってろ突咲、今医者を呼んできてやるからな。あぁでもお前の場合おばさんの正義の鉄槌を下された方がすぐ正気に戻るはずだよな。というか、むしろおばさんじゃないとお前駄目だもんな。精神科医の手に負えないよ、多分お前は。でもどうせ医者呼ぼうがおばさんからゲンコツもらおうがお前って奴は生まれてきた時点でもう手遅れだからどうにもならないよな。」
「とりあえず3回死ね。そしてあたしも死ね。というか、あたしが死ね。」
「おいおい、今の発言はさすがの僕でも引くぜ。」
突咲は自分自身で自分の頭をぽかぽかと軽くこずくと、僕に近づき、零距離で、未だ瞬きもせず、僕にこう言った。
「いやこのジャージ、来週のあんたの誕生日プレゼントとして買ったものなんだけど!!なんか寝ぼけてあたしが着ちゃってるんだけど!!」
急に近づけられた顔に、こいつ髪だけじゃなく瞳もなかなかに茶色だな、キャラメルもびっくりだわ、などと思い耽っていた僕は、その一言に、突咲に呆れて一度深く二酸化炭素を体内から排出した。