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003

 

 避難場所、などとちょっと興味をひくような言い方をしたけれど、なんてことはない。

 というのも、避難場所とは、宛良家の隣の家だからである。

 家から歩いて30秒。

 場所は、多凪家。


 多凪というのは、僕の幼稚園からの幼なじみの女の子の名字である。

 先ほどからちょくちょく話に登場してくる、奴のことだ。

 その幼なじみ、奴というのは性格に難があり、スクランブルエッグのようにぐっちゃぐちゃな己の大義を背負っている。

 そんな奴のことを僕は目標にしていたことがあったし、自分が在るべき生き方だとも思ったことがある。

 詳しくは奴に会ったときに説明するが、僕は奴が嫌いではない。

 奴だけに限らず、僕は多凪家の人間を嫌いになどなれない。

 まぁ、多凪家の人間と言っても、奴の父は単身赴任の身であるらしく、僕は一度もあったことはないのだが。

 奴の母のことを僕はおばさんと呼ばせてもらっているが、おばさんは他家の者である僕にも優しいし、口は悪いが十分に話しやすい。

 口が悪いこととは反比例に性格は悪くなく、むしろ豪快で面白い人だと言えよう。

 ただただ本当に、おばさんは口が悪いことだけが欠点だ。

 いや、欠点なんて言い方はよしておこう、それさえも個性なのだから。

 僕は幼き頃から人の個性を大事にするよう心掛けている。

 それは、多凪のおばさんの教訓のようなもので言葉さえよくわからないような頃から教えこまれていたし、なにより多凪家の娘である奴が大切にすることであるから。

 


 

 多凪、とかいてある表札を横目に、さらに中に入っていく。

 玄関前に立ち、インターホンを一度、軽く鳴らす。

 ピンポーンと聞き慣れた音に、不思議と安堵したのも束の間、多凪のおばさんのはーい、という声が家の中から聞こえてきた。

 5秒もすると、玄関ドアの硝子部分ごしに、玄関ホールの電気がつけられたのがわかった。

 早い、早すぎる、待ち伏せでもされていたのか。

 ドアの向こうで黒い影が揺れており、おばさんがそこにいるのだということに安心感があった。

 ここ最近家から出されるということが珍しいことではなくなっていたから、普通に家のドアを開けてもらえるというだけで安心できるほど感覚がおかしくなっていたらしい。


 と、ドアが開けられた。


 「あ、おかえり、矛利君。今日は何?おつかい?……………それか、またおばあちゃんになんかされた?」

 長い髪を高い位置で結い、肩の少し下で毛先が揺れている。

 髪色は、10人に聞いたら5人は黒、残り5人は茶色と言うようなどっちつかずの色をしている。

 一重のくせに大きい目は、睨まれたら飛び上がるほどに恐ろしい。

 だがその凛とした顔立ちは日本人離れしているようで、男の僕から見ても、おばさんはかっこいい。

 多凪のおばさんのにこやかな顔と、「おかえり」という言葉に、此処が自分の第二の家なのだと実感させられる。

 それと同時に、違和感。

 先ほど述べた通り、おばさんは口が悪い。

 だが今は華のような笑顔と合わない言葉遣い。

 「はは、またばあちゃんに追い出されちゃったもんで。9時まで、ちょっとお邪魔してもいいですかね?」

 「えぇぇぇぇ、別に泊まったってよかとに。夕ご飯は?もう食べたん?」

 「いや、今日はみんな仕事で。ばあちゃんと俺以外今家にいないから、ご飯つくれる人がいないもんで、それぞれなんか外で食べようぜ、ってことになって。でもほら、ご飯用意されてないなら別に食べたいわけでもないし、今日は夕飯なくてもいいかなって思ってところで。」


 そう。今は家に両親がいない。今日学校から帰ってくると、

『マミーもパピーも今日の仕事あがりは10時以降になっちゃうんだゾ。だからご飯は適当に弁当でも買って食べてくれると嬉しいんだゾ。ばあちゃんの分もシクヨロでーす』

 などという、もう50代に突入しそうな母からの置き手紙があった。

 なんて茶目っ気のある40代後半なんだ。


 「え?」

 「え?」

 「…………………」

 「…………………」

 おばさんの目がすっと細くなる。

 多凪のおばさん、通常モードにスイッチをON。

 「おい矛利ぃ、飯食ってくよなぁ?えぇ?高校一年で育ち盛りだもんねぇ。まさか飯食わないとか言わないよねぇぇ?」

 出たよぉ、人格変わったよぉ、口調も声色もさっきと全然ちげーよぉ。

 さっきまで穏やかだったから今日は機嫌良い感じかなと思ったんだけどなぁぁぁ。

 「え……………や、でも、このあいだもこんな感じでお世話になっちゃったし、迷惑かけるわけには。」

 「おい、ガキが変に大人に気ぃつかってんじゃねーよ。大人舐めんな。」

 いや、舐めてはないよ。

 っつかなんでこの流れで舐めてることになるんだよ。


 多凪家は僕にとって、第二の家だと言っても過言ではないが、だからといって迷惑をかけてもいいということではない。

 多凪のおばさんは、僕一人が多凪家の食卓にお邪魔することくらい何の迷惑でもないと言うが、もし僕が逆の立場だったらやはり気を遣う。

 まぁ、おばさんは人に気を遣うような人間ではないけれど。

 だからこそ、今日こそ僕は迷惑をかけない!

 いつもいつも多凪家にはお世話になっている!

 これ以上の迷惑は失礼というもの!

 遠慮は日本人の美徳だぞ、矛利!

 「いや、今日ぐらいは別に気をつかわなk」

 「矛利」

 「ごちになりまぁす!!!」

 僕の意思は弱かった。

 おばさんに一度睨まれただけで折れちゃうくらいには。


 「よっし、あがって~。ちょうど今味噌汁よそってたんだよ。良かったな、なかなかいいタイミングに来たな、お前。でもあたし今日お前がうちに来るような気がしてたんだわ。なんとなく、感覚で。だから今日料理多めに作ってるし、ご飯もいつもより多く炊いたんだぜ?何合炊いたと思う?当ててみ、当ててみ?」

 おばさんは女性で、一人称も『あたし』なのに相手を『お前』と呼んだり、語尾が『ぜ』のときもあって、男っぽさがある。

 「いや、家庭感のない僕にそんなクイズしないでくれ。1合がどれくらいかもわからないというのに。ってか、だからか、インターホン押しておばさんが出てくるまでが異常なまでに早かったのは。僕が来る気がした、ってすごいな。気がしたってだけで料理多く作っちゃって、もし僕が来なかったらどうするつもりだったんだ?」

 「あたしの勘がはずれるわけ、ないだろうが。でももし来なかったら、多分お前んとこにもっていくことになったんだと思う。いやぁ、お前マジで来たんだな。自分ながらにすげぇわ。あたし実は予知能力あったのかもな。」

 「はいはいすごいすごい。いやー、驚きだわー。おばさんその道で食っていけるんじゃないのー?尊敬に値するなー。」

 「言葉とは反比例してるお前の表情のがすげーわ。顔から何の感情も読みとれねぇ。……話変わるけどさ、わが娘がさ、今熟睡中なわけ。ちょっと起こしてきてくんない?」

 「また寝てるのか。あいついっつも寝てるよなぁ。なんかもう……………………………………なんかって感じっすね。」

 「急に舎弟っぽくなるんじゃねぇよ。あと言葉続かねぇなら無理になんか言うなや。」

 「承知。」

 「なんだそのふざけた返事は。」

 やっぱりこの人にはこのちょっと刺のある喋り方が合っている。

 口調も、この方が僕には話しやすい。

 靴を脱ぎつつそんなことを思った。

 「なんとなく、どんな返事がかえってくるのか予想できるけれど、一つおばさんに質問をさせてくれない。」

 「いいよ。でもあんたの思うような返答はしてあげないぜ。予想の斜め上の答えをぶちかましてやんよ。」

 僕は15分ほど前に自分の家の前で考えていたことを再び掘り起こす。

 「不思議なことに、僕にはおばさんが世界を最初から見てきた人間のように思うわけ。もちろんそんなのは戯言ってことは十分に知っているさ。あくまで僕の主観的な考えだし、現実的に考えても有り得ないからね。だから、ちょっとしたママゴトだと思って気楽に答えてほしい。じゃあ質問いくよ?おばさんはさ、人間がどう生きていくべきか知ってるんじゃないの?知らないにしてもさ、なんとなく、感覚的な感じでもいいから、何かわかっているんじゃないの?」

 目を閉じ腕を組んで聞いていたおばさんは、僕の質問が終わると徐に目を開けた。

 「愚問だね。答えたくないな、くだらない。」

 おばさんは露骨に目を細めて、顔に不機嫌を貼付けた。

 なるほど、確かにこんな嫌がられるとは予想していなかった。

 予想の斜め上の反応だ。

 「矛利、あんた今ばあちゃんに色々された影響でシリアスなネガティブモードになってるだけだろう?それにあたしを巻き込まないでくれないか。悪いけど、それは一人でやってほしい。質問に答えられないのは、ちょっと個人的にもいい気分はしないけれど、その話は割りと、あたしの地雷なんだ。」

 相も変わらず不機嫌を撒き散らしているおばさんを見るに、本当に地雷だったらしい。

 「そんなこと、考えるだけ無駄なんだよ。上手く生きたいと思うのなら、そんなの、考えない方がいい。だから人間は愚か者なんだよ、わかるか?愚か者なんだよ、結局、皆。仮に、お前が言った通りあたしが世界を0から見てきたとしてもさ、あたしは今と同じことを言うと思うぜ。お前に向かって、『愚か者』ってな。」

 僕の中で体温が急速に冷えていくのを感じた。

 地雷を踏んでしまった、これは悪いことをしてしまったか。

 「それは、悪かっ」

 「なんてな。」

 僕が顔を下げ言おうとした謝罪の言葉を遮って、おばさんの余裕めいた声が妙に耳に響いた。

 「え………?」

 驚いて顔を上げ瞠目する僕に、おばさんは意地が悪くも口角をつり上げる。

 「どうよ?予想の斜め上の返答だっただろう?あたしの迫真の演技だったんだから、絶対騙されただろう?あっはっは、愉快じゃぁぁwwww」

 シリアスなムードをぶち壊すおばさんの豪快な笑い声に、僕もどこかへ追いやってしまっていた平常心を取り戻した。

 「なんっだよ、本当に機嫌をそこねさせてしまったかと思ったじゃねぇか!僕の良心を返しやがれ!全く、年相応の事をやれよ!」

 ちなみに、この人は僕の母と同じ歳だ。

 もう50手前。

 「なんだ?ガキっぽいってか?いやまぁ、否定はせんぞ。」

 餓鬼をガキって言うところが餓鬼っぽい。

 「じゃああたし用意してくるから。あいつは部屋で寝てる。部屋には勝手に入っていいと思うよ。あいつが寝てるのが悪いし。」

 言うが早くもさっさと僕を置いて家の中へと入っていってしまった。

 靴をそろえて僕も家の中へとあがらせてもらう。

 そうか、さっきのは演技だったのか。

 ……………………………………………………………でも、あれは、いや、まさか。

 あの反応は。

 あの態度は。

 本当にあれは、演技だったのだろうか。

 僕にはそうは思えない。

 「くだらない」と吐き捨てたあのときの、ゆるやかな口の動き。

 「愚か者」と言葉にしたときの、一瞬光った目と、その直後の冷えきった目。

 あの反応を、地雷を踏まれたとき以外にするのだとしたら、一体いつするのだろうか。

 そんな場面があるのだとしたら、一体どんな修羅場なのだろうか。



 ごみやほこり、染みの目立たない床や壁に、口調はあんなでも内面は家庭的な主婦だというのが表されている。

 居間の手前にある階段を上り、2階へと僕は向かう。

 例の、僕の幼なじみのショートカット女である眠り姫を起こす為である。

 2階に上がるとすぐ横に彼女の部屋がある。

 おばさんは勝手に入っていいとは言ったけれど、親しき仲にも礼儀あり、である。

 軽くノックさせてもらった。

 コンコンココンコン

 ノックの時リズムを刻んでしまうのは、もはや人間の真理である。

 常人の僕もその暗黙のルールを守らせてもらった。

 常人だからな。

 常人らしく。

 すると、意外にも

 「はいはーい。矛利でしょー?入れー。」

 と返事が返ってきた。

 


どうやら眠り姫はキス無しでも起きれたらしい。

  

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