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しかし僕はこのまま家の中に入れない、というわけではない。
外に出される前に見た時計では、短い針が7を指していた。
9時には僕の姉、宛良方流ーーーーさながらかたるーーーーがバイトから帰って来るため、姉が持っている鍵と共に家に入ってしまえばいいわけだ。
僕には、2つ歳の離れた、同じお腹から生まれてきたとは思えないできた姉がいる。
姉と僕を、周りの人はこう表現する。
『矛利の姉ちゃんって、美人だし運動もできるし勉強もできる、ってすごいっつーか、あれもうチートだよな。お前の姉ちゃん、今カラオケでバイトしてんだろ?あの人目当てでくる客が多いって聞いた。家の中でもあんなキラキラした存在なのか?だとしたらすげぇお前がうらやましいし、でもあんなできた人間、姉弟関係だったら比べられてちょっとキツくないか?……………………………あぁでも、お前もチート属性だったな。なんだよ、姉弟揃って。お前らどんな存在だよ。っつかどこ目指してんだよ、何になりたいんだよ、なんでお前ら姉弟からしたら『人生詰みますわーwww』みたいなこんな高校に進学したんだよ、いい加減にしろ。』
僕がチート属性なのかはとりあえず聞かなかったことにして、姉は完全なる、生まれながらにしてチートというチートスキルを持って生まれてきた、ある意味人間国宝のような人間である。
また、僕と僕の姉が現在進行形で通っている笠楽高校は、偏差値65ほどの高校で、一般人的考えではなかなかの上々な高校ではないだろうか。
人生詰んだわー、みたいは学校では、きっとないだろう。
意識高い系ならばこの高校を『偏差値70超えないとかw』などと馬鹿にしてきそうだが、残念ながら僕はそんな厳しい世界に生きているわけではないし、大体この高校を選択したのは、姉弟共々、家から近いからという将来性を無視した末にたたき出した結果だった。
話は戻るが。
姉に貼られたレッテル。
容姿端麗、有智高才、秀外恵中、文武両道、英俊豪傑、才色兼備、天資英邁。
簡単に、簡潔に、わかりやすくまとめると『天才』。
それが周りからつけられた、姉への評価だ。
実際、大幅に間違っているわけではないのだが、いやまてよと僕は否定したい部分がある。
というか、こんな綺麗な言葉をつらつらとならべて姉に押し付けていいもんじゃないだろ。
頑張っても、お世辞で使うような言葉だろう、本気で人に向けて使うんじゃねぇよ。
そもそも姉は天才ではない。
皆が言うように、姉が天才ならば何と素晴らしい、できた人間がいたものだろう。
やはり、神は平等ではなかった、と弟の僕は弟として言えば良いのだろうか。
これが本当ならば、10年後の歴史の教科書の年表にはこんなことが記されているかもしれない。
___『1998年 宛良方流、隆黙病院にて誕生』
笑止。
片腹痛い。
チャンチャラおかしい。
馬鹿馬鹿しい。
なんと清々しく笑うことができる話だろうか。
もはや偉人、宗教じみている。
僕の姉だって同じ人間なのだ、そう簡単に、努力なしに『天才』だなんだと人間離れさせないでいただきたい。
一体皆は姉のどこを見てそう言うのだろうか。
ちなみに今高校3年の姉は、どうやら笠楽高校で成績は学年一位らしい。
それだから何なのだろう。
僕だって笠楽高校一年生の中で、一位の成績だ。
多分、そういう血が流れているんだろう。
まぁ、僕達の両親が頭が良かったなんて話は聞いたことがないけれど。
「とんびが鷹を二匹産んだのよ。」
なんて、楽しげに笑う母に僕はいつもつられて笑ってしまう。
そして思う。
僕の母がこのような人で良かった、と。
この人の血が、遺伝子が、細胞が、僕のなかにあることを誇りに思う。
で、姉の話だ。
いや確かに、姉が美人であることは認めましょう。
実際あの何物にも染まらない黒髪に、小さいがぷっくりとした、噛み付きたくなるような唇。
浮き世離れしているほどに綺麗な鎖骨に目は吸い寄せられ、指先でなぞりたくなり、その唇から吐息を漏らしてくれれば、と考えるケダモノ君は多いことでしょう。
ええ、認めます。
特に、あの透き通っている白い肌。
あの白い肌に噛み付き血を伝わせてあげれば、雪のように真っ白な肌というキャンバスに真っ赤な鮮血はさぞかし映え、官能的なことでしょう。
女子は皆さん羨む肌なのでしょう。
皆あの白い肌を綺麗、と褒めるんですが。
あれ、ただ引きこもりで陽の光を浴びないだけだから。
その上ちょっと焼けにくいだけだから。
生まれながらにすべてが整った外見をしているわけではないと、ここに確実に断言しておかなければ。
しかしながら顔立ちや体つきは十分すぎるほどに整っている。
プラス、引きこもりという現象が育てた白い肌、というわけである。
引きこもりとは言っても、学校にはきちんと通学している。
祝日は自室から出てこないけれど。
そんな引きこもりである姉は、当然のごとく引きこもり特有のコミュニケーション障害を患っており、友達となかなか話さないため、流行を知らないどころか常識さえ知らない。
本当に、常識を一切知らない。
というか、本人はどこから仕入れてきたのか全くわからない妙なことを常識だと思い込んでいる。
つまり、間違ったことを常識だと思い込み、実行している。
証拠に、姉は季節を問わず外界へ足をのばす際にはべったべたに日焼け止めを塗りまくる。
「皆こうしてるんじゃないの?」としたった顔で一抹の疑問も持たず、それが社会のルールなのだと偽りの常識を身にまとっているあの馬鹿者をどう更正すればよいのか、僕にはもうわからない。
常軌を逸しているあのお方は学校以外にろくに行く場所もないというのに一週間に一度、日焼け止め一本を消費する。
もちろん、季節を問わずだ。
姉は勉強だけでなく運動もできるだって?
足が速い?
持久力がある?
腹筋に腕力に背筋力?
そりゃあそうでしょうね。
あの人、テレビショッピングで買った運動マシンで部屋がいっぱいいっぱいですからね。
「勉強は運動しながらするものじゃないの?」
と言う僕の姉。
一体誰からそんなことを聞いたんでしょうかね。
勉強と運動の同時進行を、毎日2時間以上。
よくもまぁ、そんな器用なことができるものだと僕は脱帽です。
これも先ほどと同じく世間の常識だと思っているらしく、頭、体を両方同時につかっていれば、まぁ、文武両道、ということにはなるらしいですよ。
あれですね、体を使って暗記するのも立派な勉強法だとはいえるけれども、毎日姉の部屋から妙なうめき声がするのはちょっと弟の僕でも引きますね。
で、他はなんですか、クールでかっこいい、かわいさとかっこよさを兼ね備えてる、だって?
違うんですよね。
なんでわかんないんですかね。
あれはコミュ障をクールでカバーしてるだけではありませんか。
人と接するのが苦手だから顔に変な力が入って、クールというより強張っているではありませんか。
プラス、女子にしては少し高めの166cmという身長で、「あっ、格好いい。クール。」と直感で思っているだけではございませんでしょうか。
ふぅ。
ここらでやっと一息。
まぁ元から顔はかわいいというより美人だから、そこは認める。
さらに少食な為ほっそりとした姿は、男からすると守ってやらねばという使命感も出てくるといえば出てくる。
弟の僕にもそれは言えないわけではない。
だからそんなコミュ障という重荷を背負っている姉が、脱・コミュ障の為、バイトをしたいと言い出したとき、僕は全力でとめた。
否。
僕は、ではない。
僕も、だ。
何より姉を一番かわいがっている父が全力なんてもんじゃない、粉骨砕身に、骨を粉にし、身を砕き、さらに鼻からスイカを2、3個を出さんばかりの勢いで止せ止せと熱願した。
その姿は一息子として、なかなか目を背けたいものだった。
大分僕の姉について熱弁してしまったが、メタい話、今回の話に関して、姉が何か特別大きな役割を負っているわけではないし、実は未来人だった、などの突拍子もない展開が今から繰り広げられるわけではない。
いっちゃえば、村人Aみたいな。
読み終わった後、「あぁいたね、そんなやつ。」みたいな。
だから、こんな長ったらしくマイシスターの説明などする必要は一切なかったのだけれど、なんというか、その…………まぁ、文系の血が騒いじゃったといいますか。
(笑)
だがしかし、僕がいったい何を伝えたかったのかと言うと。
それは。
才人であり万能人である姉は、変人にすぎない。
光があるから影がある、または、影があるから光がある、なんて言葉はだれしも聞いたことがあるだろうけれど、まさか鬼才が光ならば影は奇人になるとはね。
いやしかしこの表現は誤りがあるな。
奇人によって鬼才が成り立っているのだから、太陽に照らされる月、生徒によって成り立つ学校、熱によって蒸発する水の関係だといった方が正確だろうか。
突拍子もない馬鹿げた行動で生まれた、人間離れした『天才』。
変人の上で万能人になれるのだから、皮肉な話である。
神様が遊び感覚でつくった人間のようにも思う。
だけれども、僕の経験上、頭がいい奴ほど常識がないため、僕が繰り広げた見解君たちはあながち間違いではないと思う。
これは姉の話ではないのだが、僕が今まで出会ってきた頭がいい奴は、本当に常識を持ち合わせてない奴ばっかりだった。
普通に消しゴム食うし。
胃の中で水素つくろうとしだすし。
眼鏡のフレームかじるし。
しかしながら、こんなことを言ってはなんだが、僕は姉が嫌いだ。
嫌いも嫌い、大嫌いだ。
あぁ言っちゃった、言ってしまった、誰にもこんなことを告げたことなんてなかったのに。
僕は周りからはお姉ちゃん大好きっ子だと思われているようだから、こんな感情を口に出してしまえば今世紀最大の暴露事件になるだろう。
核爆弾的発言だ。
それも、大々的に新聞に取り上げられるかも。
笑止。
冗談だ。
おふざけは置いておいて、僕は本当に、心の底から、性根から骨の髄まで姉が嫌いなのである。
特に、生まれながらのあの性格が。
あの天然な性格が。
あのへらへらした性格が。
あのまともに人に口を開けない性格が。
あの腹を割れない性格が。
あの謙遜しかできない性格が。
あの努力ができる性格が。
嫌いで嫌いで嫌いな上で嫌いなのにさらに嫌いでそれを塗りたくるように嫌いでそれも嫌いでもう嫌いでいいはずなのに嫌いでそれしかないのに嫌いでいてそれにも関わらず嫌いであるくせして嫌いだというのに嫌いでまた嫌いでそれを知っていても嫌いでわかっていても嫌いで腐りそうなほどに嫌いで逆にもうそれしかないほどに嫌いで痛いほどに嫌いで死んでも僕はきっと嫌いだ。
どれだけの量僕が涙を流してもこの嫌いだけは流しきることなんて出来ないだろう。
おっと失礼、とても感情的に語ってしまった。
これでは宛ら親に何かをねだる我が儘で傲慢で惨めな餓鬼ではないか。
僕は子供が嫌いだ。
小煩く、小汚く、醜いから。
そう、醜い。
だが人によっては子供というのは可愛らしい生き物に見えるようだ。
まぁ、何かに対する考え方なんて人それぞれだ。
だから僕は自分の意見を押し付けたりしないし、人に押し付けられたりすると物凄く不愉快だ。
僕は宛良方流が嫌いだ。
生まれながらにして、天才的なまでに天然だから。
それも、天然の中でも一番うざったらしいやつだから。
生まれた時から天然で何を考えているかわからないし、狙っていなくても笑いがとれ、悪気がなく人を傷つけることができるから。
褒められても天然を理由に「何も考えずにやったことだから。」と謙遜をするし、怒られても「何が悪いのかわからない。」と悪びれた様子を見せないし、悪口を言われても「天然だからしょうがない。」と全く悲しそうではないから。
さらに異常なほどの過剰反応。
姉自身でもそんな自分が嫌いなのか、小学6年生のあたりから人と距離をおきだした。
だが姉は天然のおかげで妙な常識を持ち、雪と同化するほど美しい白い肌をつくりあげ、異性だけでなく同性の目を惹きつけだした。
天然のおかげで妙な常識を持ち勉強があまり苦ではないようで優秀な成績を叩きだし始めた。
天然のおかげで運動さえも妙な常識を持ち苦ではないようで勉強と合わせて文武両道だと言われだした。
天然のおかげで何をするのかわからない行動は人に興味をもたせた。
そしてだんだん人に好かれていった。
にも関わらず好かれている自覚がなく、話しかけられても過剰反応で目を白黒させる姿はとても苛立ちを覚える。
理由はそう、「天然」だから。
だが人によっては宛良方流というのは面白い生き物に見えるようだ。
まぁ、何かに対する考え方なんて人それぞれだ。
だから僕は自分の意見を押し付けたりしないし、人に押し付けられたりすると物凄く不愉快だ。
じゃあそんな変人を姉に持ち血の繋がった僕も変人なのかって?
いや、僕も一応成績はトップなんだけれど、さすがに常識ぐらいある。
しかし、そんなことを言っては、僕の幼なじみである例のショートカットの女の子は
「あんたみたいな奴ほど、自分を常人だと思い込むモンよ。その目ン玉くり抜いてあげようか?盲目の身になれば、ちったぁマシな世界が見えてくるかもよ。」
と、物騒な事を言い出すので、僕は常人であるにも関わらず、己を常人だと豪語することは許されていない。
ともかく、結局家族の反対を押し切りバイトを始めることになった大嫌いな変人の帰りを、僕は今から2時間待たねば家に入れないのである。
この寒さの中を2時間。
きっついな。
2時間はなかなかきっついな。
玄関口をじっと睨みつけるが、ドアが開くわけではない。
僕は溜息をつくと、僕専用の避難場所へ足を進めはじめた。