謎の幕引きと非日常的日常のはじまり
楓は最初、何を言われたのか理解出来ずにいた。驚くことすら忘れて柊を凝視する楓を見て何を思ったのか、柊は得意気に続ける。
「きっと君は僕の推理を見て感動したのだろう。名探偵の推理に感銘する気持ちはよくわかるよ。かく言う僕も過去の名探偵達に感銘を受けた人間の1人だからね。そしてその探偵の助手になりたいと思う気持ちも存分に理解できる。
生憎僕はこれまで助手の必要性を感じたことは無かったんだけどね。君がそう思うなら――」
「ま、待って下さい!!あたし、別にそういう訳じゃ……」
柊の長弁を聞き、ようやく彼の言っている事を理解した楓が慌てて否定する。
「いやいや、取り繕わなくてもいい。名探偵である僕にはお見通しなのだからね。」
「本当に違うんですって!!」
「それにしても、助手か……。見たところ君は学生のようだから、親御さんには許可を取った方が良いだろうね。それに、今日の事も説明が必要だろうし――」
「だから待って下さい!違うんですってば!!」
意味の無い押し問答を続けながら、楓はようやく柊の真の人間性を理解しつつあった。柊冬哉は我が道を行く、という言葉を体現したような人間だった。そして厄介なことに、自分の考えに絶対的な自信を持っているが故、人の話を聞かないこともある人間であったのだ。
自分の先程までの行動を心の底から後悔し、必死に否定を続けながら、楓は先程柊が聞き捨てならない事を言っていた事に気が付いた。
「あの、少し待って下さい柊さん。さっき、両親に許可を取るって――。」
「ああ、言ったよ。どっちみち、今日の話はしておくべきなのではないかと思ってね。」
「それって、あたしの両親に会いに行くってことですよね?」
「まあそうなるね。」
サッと楓の顔が青ざめた。脳内で警鐘が鳴り始める。
「駄目です駄目です駄目です!!今日の事件の事とバイトを辞めたことはあたし1人でも話せますし!助手をもし仮にやることになったとしてもあたしからその話もするので!!」
もちろん楓には探偵の助手をする気は一切ないのだが。
とにかくこの男と両親を会わせる訳にはいけない。その一心で楓は説得を試みるが必死の叫びも柊には届かなかった。
「それに、もう随分と遅い時間だしね。第三者の僕からも話があった方がスムーズに進むだろう。」
「遅いと言っても普段のバイトと大して変わりませんのでお気遣いなく!」
「とにかく、いつまでも店にいる訳にもいかないし、そろそろ行こうか。」
「ていうかあたしまだ制服に着替えてないので待って下さい!!」
自棄になって叫んだ言葉が遠回りに彼の提案を了承してしまっていることに楓が気が付いたのは、従業員用のスペースに戻った時のことだった。
「それで、君の家はどの辺りにあるんだい?」
「ここからすぐ近くですよ。」
「随分対応が適当になってないかい?」
夕暮れのバス停に2人並んでバスを待つ。ここまで柊のペースに流された腹いせに素っ気ない対応をとったことを見透かされ、楓は少しバツの悪そうな顔をした。
「それにしてもさっきは随分と派手に拒否していたけど、ひょっとして楓君と親御さんは仲があまり良くなかったりするのかな?」
「別に、家族仲は至って良好です……って、楓君!?」
「助手に対してあんまり他人行儀に接するのもどうかと思って……」
それにしても君付けってなんだ、君付けって。楓は思わず抗議しようとしたが、少し思い直して黙り込む。下手なこと言ってちゃん付けやら恥ずかしいあだ名やら付けられるよりはマシだろう。
その後、たわいもない会話をぽつりぽつりと続けていると、程なくして2人の目の前にバスが停まった。
バスに乗ったからと言って2人の態度は対して変わらない。楓は相変わらず今後の展開を予想して憂鬱な気分に耽っていたし、柊はそんな楓をどこか面白そうに眺めながら気まぐれに話題を振ったり、窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めたりしていた。
「あの、柊さん?1つ聞いてもいいですか?」
「ん、どうしたんだい?」
「黒崎さんの事なんですけど……」
それは、楓を憂鬱な気分にさせている原因の一つだった。もっともその他のことと比べると微々たるものだったけれど。
「黒崎さんは、最初からあたしの事が邪魔で、辞めさせてやろうと思ってたんでしょうか。」
「何故?」
「だって、黒崎さんはあたしがバイトを始めたばかりの頃からずっとああやってケーキクーラーを使ってました。あのトリックは黒崎さんが提案してくれたあの方法を使わないとできないものですよね?」
「なるほどね。」
柊は楓の言葉を受けて頷くと、これは僕の考えでしかないのだけど、と前置きをして続けた。
「恐らく彼女は最初から君のことが邪魔だった訳ではないと思うよ。その方法も純粋な親切心からだろう。
これは、優しさから生まれたトリックなのではないかな。皮肉なことにね。」
「根拠はあるんですか?」
「そうだな……名探偵の勘、ということにしておいてもらおうか。」
「そうですか。
あ、そろそろ着きますよ。」
「ん、もう着くのかい?」
「はい。」
「そうか。随分と近いんだね。」
「だからさっきそう言ったでしょう……。」
慣れ親しんだバス停で下車した楓の横に柊が並ぶ。そのまま特に会話もなく住宅街を進んだ2人はやがてどこにでもありそうな二階建ての一軒家の前に辿り着いた。楓はドアの前で鍵を取り出し、深いため息を吐く。
「本当に来るんですか?」
「うん、事件の事と今後の事とを説明しなくてはいけないからね。」
往生際悪く足掻いて見たが、柊の決心と思い込みは変わりそうにはなかった。意を決した様子で鍵穴に鍵を差し込み、ドアを開ける。ドアはいつもより随分と重く感じた。
「ただいま、お母さん、悪いんだけどちょっと玄関まで来てくれる?」
玄関に立って声を張り上げると、少しの間があってからバタバタとこちらへ向かってくる足音が聞こえた。
「どうしたのよ楓……って、あら?そちらの方は?」
怪訝そうな表情で現れた楓の母親、秋沢杏子は楓の後ろに立つ柊の存在に気付くといよいよ訝しげな色を濃くして首を傾げた。その様子に答えて、柊が1歩前に進み出て礼をする。
「突然すみません。私はK町で探偵業を営んでおります、柊冬哉と申します。実は今日楓さんがバイト先でとある事件に巻き込まれまして……」
事件と聞いた杏子の表情に驚きの色が広がる。しかし、その少し前、探偵業と聞いた時、キラリと彼女の目が光ったのを楓は見逃さなかった。
「探偵さん……?それに事件って……。もしかして、あなたが楓を助けて下さったの?」
「助けた、だなんてとんでもございません。私は謎を解いただけ。それにその謎が解けたのも楓さんのご協力があってこそです。」
柊の謙遜するような言葉を聞いた杏子は、一瞬目を見開き、そして少女のように無邪気に笑った。
「まあ素敵!あなた、本当に探偵さんなのね!よかったら上がっていって下さい!!その話、私に、そして主人に聞かせて下さるかしら?もしかしたら作品を書く上でいい資料になるかも……。」
「作品とは?」
「あら、楓から聞いてなかった?うちの主人は推理小説作家なのよ。『秋 香季』って言うペンネームで書いているのだけど、ご存知かしら?」
「秋香季!?小説、全て持っていますよ。彼の書くトリックは美しい。
楓君、何故教えてくれなかったんだい?」
予想していた最悪の流れを目にした楓は今日何度目になるか知れないため息を吐いた。
そう、楓の母親は生粋の推理小説マニアで、楓の父親は今をときめく人気推理小説作家なのである。
そんな推理小説やミステリーに囲まれた環境で楓が一切そういうものに興味を示さなかったのは、三歳年上の姉が楓の分まで重度の探偵マニアに育った為か、はたまた幼い頃に読まされた怪奇的な推理小説がトラウマとなったのか、真相は定かではない。とにかくこの瞬間、楓の運命は決まったようなものだ。
こうして、名探偵柊冬哉と半ば強引に助手任命された女子高生秋沢楓の奇妙な関係は始まった。