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柊探偵の事件録  作者: 丹路和
1章「マーブルにミルクを溶かして」
4/5

柊探偵の推理劇

「まず結論から言いましょうか。当初の私の見立て通り、彼女は犯人では無いでしょう。まあ100%無いとは言い切れませんが…その可能性は極めて薄い、とは言えると思います。それから、被害者の自作自演である可能性もひとまず除外して考えます。こちらも可能性が0とは言えませんが、100%の事象を推理によって導くことは難しい。それが完璧に出来たら私は今頃神になっているでしょうからね。

これから私が提示する説はあくまでその二つ…誰もが考えつくであろう考えを除外した場合の一つの可能性として捉えて頂けると幸いです。」


 柊の言葉に、ひとまず楓は胸を撫で下ろした。それも束の間、その胸には疑問が湧き上がる。


「じゃあ、誰が…?」

「まあまあ、そう急がずとも平気だよ。この事件、冷静に考えれば実に単純なものだ。

この金属球を仕込んだのは、あなたですね?」


 すっと伸ばされた長い指の先にいたのは、何が起きているのかわからないとでもいいたげな表情をした黒髪の麗人、黒崎千恵子だった。


「ちょっと待って下さい!どうして黒崎さんがそんなことを?いえ、まず、黒崎さんには仕込む暇なんてなかったはずじゃ…」


 混乱した様子で勢い良くまくし立てる楓とは対照的に、黒崎は無言で柊を見つめている。表情に変化はない。


「でははじめから説明しましょう。まず、君も被害者も犯人ではないと仮定すると、あとに残る犯行に及んだ可能性のある人は黒崎さんかマスターしかいない。そして、マスターはこの料理には一切関わっていない。仮に元々材料に仕込んでいたのだとしても、調理している過程で気付かれてしまう可能性が非常に高い。その為、マスターが入れたという線はないでしょう。そもそも、店で異物混入事件が起きて何よりも損害を受けるのは店主である彼だからね。

そうなると、残るのは彼女だけだ。だから私はひとまず彼女が犯人であるという仮説の上で考えてみることにしました。」


 探偵の声が静かな店内に響く。


「では、彼女が犯人であるとして、調理の過程で気付かれずに金属球を仕込むことは可能なのか?私は考え、一つの可能性に辿り着きました。

君は黒崎さんがパンに触れたのは炙る時だけだったと言ったね?その時以外は彼女はパンには触れてないだろう、と。

それはその通りだった。彼女は紛れもなく、パンを炙ってから君に渡すまでの間にそれを仕込んだんだ。」

「はぁ!?」

「それは一体……?」

「突然何を言い出すのかと思い聞いていたらまさかそんな……。私がどうやってパンにその金属球を仕込んだと仰るのですか?」


 突然犯人扱いされても今まで沈黙を貫いてきた黒崎がようやく口を開いて尋ねる。


「単純なことですよ。あなたはサンドイッチの上のパンに、金属球を貼り付けていたのです。」

「金属球を…貼り付ける?」

「そう。手順は実に簡単だよ。

 上に載せるパンの片面に金属球を貼り付ける。これは恐らく耐熱性の接着剤を使ったのでは?接着剤には毒性がないものが多いですし。そして、金属球を貼り付けた面を下にしてケーキクーラーに乗せる。この時、網目に金属球を通すようにする。これなら上から見たら何の違和感もありません。それに下に使うパンを皿の上に乗せておけば彼女が金属球を仕込んだパンを下に使おうとすることもなくなりますね?

 こうして貴女はバレることなく金属球を仕込むことができた。

 違いますか?」


 全てを見透かすような柊の瞳が黒崎を射抜く。しかし、どんな時でも笑顔を絶やさない喫茶マーブルの名物店員は彼の説明を聞きながら悠然とした笑みを取り戻していた。


「面白いことを考えるんですね。ですが、動機が無いのは私も秋沢さんと同じなのですが?」


 そう、そうなのだ。楓は内心で頷く。楓に動機が無いのと同じくらい、黒崎にも動機と呼べるようなものがないはずなのである。


「確かにそうですね。だから、今から私が話す事はただの妄言と一蹴されてしまうかもしれません。

私がこの店の常連であることはご存知ですね?店に通っていて感じたのですが、どうやらマスターは彼女の事を相当に気に入っているようだ。」


 柊にチラリと視線を向けられ楓は仰天した。確かに店主は楓に対して随分とよくしてくれていた。


「それが貴女には気に入らなかったのではありませんか?僕の見た様子だと、貴女はマスターに特別な感情を抱いている風にも感じました。」

「それで私が秋沢さんを犯人に仕立て上げたとでも言うのですか?」

「何も、彼女を犯人にしてしまおう、何て物騒な事を考えていたとは言いたくないですが……。彼女がこの店を辞めれば、そう思ってふと魔が差してしまったのではないでしょうか。」


 柊が語った内容は楓には俄に信じ難かった。

 黒崎が自分を犯人に仕立て上げた。自分がマスターに好かれていることが気に食わないから。マスターに気があるから。

 それは俗に言う嫉妬というものなのだろう。しかし、彼女には夫がいるはずだ。それなのに。

 状況の整理が付かずにいると、不意に黒崎が笑い出した。クスクス、クスクスと。


「黒崎さん?」

「ふふふ、いいえ。ごめんなさい。びっくりしちゃいましたわ。名探偵って何でもわかってしまうのね。」

「えっ……」


 呆然とした様子で楓が声を漏らすと、


「ここまで見透かされてしまうと、もう隠す気力もなくなってしまいますね。

実は私、浮気されていますの。」


 可笑しそうに口元を抑えながら黒崎が言った。彼女の独白は続く。


「夫は気付かれていないと思っているみたいですけれど。女の勘というのは嫌なところで働くものでして。ふふふ。

 それでね、名探偵さんの言うように、きっと私、魔が差してしまったんですね。夫への腹いせで、店長さんを誘惑してみたりして。でも店長さんってば全くそういう気になってくれなくて。

 そんな時に秋沢さんが来たでしょう?すごくいい子で、店長もすごく気に入ってて、それで、ある日ね。思いついてしまったんです。

 でも、私はあなたを貶めようっていうつもりはなかったわ。それは信じて欲しいの。ただ、この店からいなくなってくれればって、気付いたら思ってしまっていたのよ。」


 黒崎の自白が終わり、店内を静寂が包む。誰もが声を発するのを躊躇っていた状況を見渡して、仕方がなさそうに口火を切ったのはこのトリックを全て暴いてみせた探偵、柊だった。


「さて、私に出来るのはここまでかな。彼女をどうするかは、被害者である彼女とそちらの男性が決めることだ。

 さあ、君はどうしたい?」


 その言葉を受け、楓はおずおずと男性客に視線を向けた。男性は散々楓を犯人扱いした為か、少し気まずそうな表情を見せたが口を開く事はしなかった。このままでは埒が明かないと、楓は仕方なく自分の考えを話し始める。


「えっと……お客様さえよければなんだけど、あたしは、黒崎さんを警察に突き出すようなことはしたくないです。このお店の評判が悪くなったりってのも嫌ですし。」


 男性客も仕方なくといった様子で頷く。店主も無言で了承の意を示した。

 その様子を見た楓はひとまず胸を撫で下ろした。ここまできてさらにトラブルが起きるようなことは避けたかった。

 続けて楓は店主の方へ向き直る。そして、黒崎の独白を聞いた時に心に決めたことをはっきりと告げた。


「あと、この先このお店や黒崎さんがどうなろうと、あたしは今日でここのバイトを辞めさせて頂きたいです。勝手なお願いなのは重々承知していますが……。」

「そうか、寂しくなるが、仕方がないな。この先も店は続けるから、今度は客として来てくれ。」


 店主のあっさりとした承諾にいくらか驚きつつも楓はペコリと頭を下げた。この職場はいいところだったけれど流石に今後も居座る気持ちにはなれなかったのだ。


「少し早いけれど今日はもう店を閉めようか。お客様、せめて今日の分は無料にさせて下さい。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。

黒崎さん、少し来てくれるかな。」


 店主が声をかけると黒崎はびくりと体を震わせて彼の後ろについていった。店主の後ろ姿が扉をくぐっていった時、彼女は一瞬振り向いて楓に笑いかけた。


「それにしても秋沢さん。初対面の探偵さんに冤罪を証明させるなんて、あなた中々男誑しの才能があるかもしれませんわね。」


 残念ながらこの状況で言われても全く嬉しくない。

 楓が何と返すべきか悩んでいるのを尻目に美しい黒髪をなびかせた背中が扉の向こうへ消える。男性客も溜め息をつくと店の外へと出ていった。後に取り残されたのは、楓と柊の二人だけだ。

 楓は遠慮がちに柊の近くへと歩いていった。先程の黒崎の言葉は非常に不本意であるが、確かに彼がここまでして事件を解決してくれなければ今頃楓がどうなっていたか、想像に難くない。


「あ、あの、ありがとうございました。えっと、柊さん。あなたが居なければ今頃あたしは自分が犯人でないことも証明できなかったと思います。」

「別に、お礼を言われるようなことはしていないよ。それにさっき彼女に言われたようなことも関係ない。

 謎があれば解く。それが名探偵の定めだからね。

 君――そういえば、名前を聞いていなかったね。確かアキザワさん、と呼ばれていたかな?」

「秋沢、秋沢楓です。」


 秋沢楓、と口の中で復唱すると柊は目を細めて人好きしそうな笑みを浮かべた。


「そうか、秋沢楓さんか。君は素晴らしかったよ。しっかりその時の状況を思い出して、全て僕に伝えてくれた。君の証言が無ければいくら僕でもこの謎を解くことはできなかったからね。」


 この時楓は浮かれていたのだ。柊は見たところ20代半ば辺りだろうか。楓から見たら立派な大人の男性である。その上、やや奇妙な身なりをしているものの、その容姿は整っている部類に入るだろうし、背もスラリと高い。そんな人に危機を救われるという非日常的な状況下で楓の意識は間違えなく高揚していて――少々甘酸っぱい期待をしてしまうことも無理はなかったのかもしれない。もっとも、ここに数時間後の楓が居たとしたら間違えなくその時の彼女を彼の前から引きずり出しているだろうが。

 何となくこのまま柊と別れる気になれず、どうにか話を繋ごうと視線をさ迷わせている楓を見て、


「何か他に用でもあるのかい?」


 首を傾げる柊。それに対しても尚歯切れの悪い返答をする楓を訝しげに眺め、やがて何かを閃いたような顔をした。そして柊は楓の思考を――否、今後の楓の生活をひっくり返す一言を発したのだ。


「もしかして君、僕の助手になりたいのかい?」


 と――。

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