証言と検証
あたしがその商品を作り始めたのは、オーダーを受けてからすぐのことです。
この喫茶店では、コーヒーは全てマスターが入れていて、食事メニューなどはマスターの手が回らないこともあるので黒崎さんが主に請け負っています。あたしはまだ働き始めて間もないので、凝った料理は出来ませんが、サンドイッチの具を挟むなど、味に関わらない作業は手伝うこともある、みたいな感じです。
ええと、今回こちらのお客様が注文したのはホットサンドイッチ、この店の人気メニューです。このサンドイッチは注文を受けてからトーストを炙って、まだトーストが熱い内に具材を挟んでお出しする、という風になっているのですが……。あたしはまだ火を使う作業を許されてないので、トーストを炙るのは黒崎さんにやって貰ってます。あ、黒崎さんというのは、こちらの、あたしよりもずっと前からこの店で働いているベテラン店員さんです。
働き始めたばかりのあたしにすごく親切に接してくれて……。
あ、すみません。話を戻しますね。
黒崎さんが炙ったトーストをケーキクーラーに乗せてくれるので、その後あたしは具材を挟んで半分に切ってお出しするんですが、先程も言ったように、炙りたてのトーストはすごく熱いんです。あまり長く触ってることはできません。だから、パンに細工することは難しいと思います。
それに、焼く前に細工をしてあったら黒崎さんが気が付かないはずがないし、焼いたあと黒崎さんはすぐにあたしにトーストを渡しました。この料理は時間勝負なので、黒崎さんが調理してからあたしが具材を挟むまでの間に何か仕組む余地もないはずです。もし仮に具材の中にその金属球を隠していたとしたら幾ら何でもあたしが気が付きます。
そしてお皿の上で具材を挟み終わったら、包丁で半分に切って、そのままお盆に載せてお出ししました。その間あたしは料理から目を離していません。
これがあたしの話せる全てです。
所々つっかえながらもはっきりとした口調で説明を終わらせた楓の胸の中に広がったのは、話す前よりもさらに大きい不安感だった。話しながら自身も気が付いたのだが、楓はずっと料理から目を離していない。その目を盗んで金属球を料理に仕込むことなど不可能に近い。
むしろ、それを誰よりも容易にこなせてしまうのは他でもない自分自身なのだと、楓は気が付いてしまった。
「ありうべからずものを除去してしまえば、後に残るものがいかに信じ難いものでも、真実に違いない。」
柊がこの信念に基づいて行動しているのだとしたら、楓が犯人であるという結論は「後に残るもの」なのではないか。
楓はギュッと目を瞑って探偵の言葉を待った。男性客が何やら言葉を発したようだが、最早耳には届いていない。
永遠のように感じられる時が経ち――もっとも実際は秒針が1周する程の時間すらも経っていなかったのだが――、楓の独白を静かに聞いていた柊が唇を舐めて呟いた。
「なるほど、確かにこの謎、その話だけ聞けば実に厄介に見えるね。」
「はい…?」
「もしかして君、僕が今の話を聞いただけでこの事件を投げ出して君が犯人だと決めつけるとか思ってた?」
図星を突かれ、思わず黙り込む。
「困るよ、名探偵を見くびって貰っちゃ。今の話を聞いて僕は一つの仮説を立てた。しかし、それを証明する為にいくつか確認したいことがある。厨房へ入らせて貰ってもいいかな?」
楓がチラリと店主へ視線を送ると、微かな頷きが返された。それを確認した柊は厨房へまっすぐに歩いていく。残された人々も誰からともなく彼を追いかけ厨房へ向かった。後ろを振り向くことなく独り言のように柊が呟く。
「それと、信じてほしいのなら自分が犯人であるという結論に至る可能性を僅かにでも考えてはいけないよ。」
その声は決して大きいものではなかった――あるいは人に聞かせるつもりは無かったのかもしれない――しかし、楓の耳には確かに届いた。
喫茶店マーブルの厨房はさして広くはない。当然この人数が入るとまともに身動きが取れないのである。結局、柊と楓と店主の3人がカウンター内の厨房に入り、黒崎と男性はカウンターの外から様子を見届ける、という形を取ることになった。
柊は狭いカウンター内を1通り見渡し、さて、と息をついた。
「やはり言葉で聞いただけだとやり方とかに不明瞭な部分が生まれてしまうからね。その時の状況を再現して頂きたい。」
当然反論する理由も無いので頷いて言われたとおりに再現する。
「まず、ここでトーストを炙るんですね。これはあたしではなく黒崎さんの仕事なのですが。」
「なるほど、その様子を君は見ていたかな?」
「いいえ、あたしはその間具材の準備をしていたので、見てはいないです。でも、トーストに金属球を仕込むっていうのは流石に無理があると思いますし、その後あたしがパンを触っているので……。
そして、ちょうどあたしが具材の準備を終えたくらいの時に黒崎さんからトーストが渡されて……」
説明しながら、楓は説明用にと店主が用意した2枚のパンを片方は皿に載せ、もう片方を網の上に載せた。疑いをかけられている自分に対して店主が惜しみない協力をしてくれることに感謝の意を噛み締める。
「この、皿に載せるのと網に載せるのとは何か意味があるのかい?」
「はい。働き始めの頃、下に敷く方のパンは皿に置いてあった方が楽でしょうと黒崎さんが提案してくれて。それ以来厚意に甘えてお皿に載せて貰っているんです。」
「なるほど。確かに1つのパンは最初に皿に載せていた方が合理的だね。商品を無闇に触るのもいい事ではないだろうし。」
「はい。それで、パンの上に野菜やベーコンを盛り付けて、こっちのケーキクーラーに置いてある方のパンを載せます。」
楓は、具材を載せるような動作をすると、両手の人差し指で摘む様にして網の上のパンを持ち上げた。
「その、人差し指を使って持ち上げるのは?」
「あ、これは大した意味はないんですけど……。この持ち方が1番熱くないんですよね。」
「なるほどね。ありがとう。では、その網――ケーキクーラーだっけ、を見せて貰ってもいいかな?」
「はい、ですが、そんな大したものではないかと……。」
差し出された網をしばらく眺め、小さく頷く柊。どこにでも売っているような少し隙間の大きいケーキクーラーに彼は何を見たのか。しかし、楓と店主もこの事件が終局に向かっていることを理解しつつあった。恐らくこの探偵は、もう何か見えているのだろう。自分達には見えない何かが。
「失礼。先ほどの金属球をお貸しいただいても?」
カウンターの向かい側にいる男性に柊が声をかける。男はやや訝しげな表情を見せながらも黙ってこの事件の発端となったそれを手渡した。
「ご協力、感謝します。」
柊冬哉は直径5cm程の球を摘み上げ、ケーキクーラーの網目の上でで指を離した。
重力に従って落下したそれは針金と針金の間を潜り抜け――、
コツン、と固い音を立て調理台の上に転がった。赤茶の向こうに隠れたダークブラウンの瞳が満足気に細められる。
「なるほど。この謎、全て見えました。」
名探偵は、静かな声で謎の解明を宣言した。