【迎えた朝に剣を帯び】
タクが斡旋所に出向いた、翌の朝であった。
「朝か……」
からりと乾燥した朝の風に吹かれ、ふと目を覚ました。
見慣れない家屋の天井はかなり新鮮味がある。
その光景は脳をよく刺激した。
これだけで、タクの眼はすでに開ききっていた。
特に朝の弱い体質というわけではなかったので、比較的すんなりと寝床から出た。
「えっと、こうか」
寝具の横に置いておいた黒い鞘を取り、腰に回してつけた。
窓からちらと外を見たが、日はまだ極々低い位置にあるらしかった。
未だ早朝の段階である。目を眩ませるには至らない朝日が、窓から入り込んでいる。
そこで、タクは腰にある長剣を見下ろした。
鞘は漆のように黒いが、美麗な彫刻が施されており、柄は白く、どうやら剣の刃も白銀である。まさに見事であった。
あれは、タクが斡旋所へ行った帰りのことであった。
はて腰に何かあると思いそこに手にやれば、この白銀の長剣を発見したのである。
良くわからなかったので、その日の狩りは行かなかった。
現在。
取りあえずは一階に行くことを念頭に置いた。
そう、実を言えばこの場所は金鳥亭の二階なのである。なんだかんだで、タクは身辺の備品だけでなく、宿泊までおんぶに抱っこという始末であった。
看板娘のリーン曰く、「どうせならここを拠点に動いたほうがいいわ! 絶対に!」とのことである。
相手からの提案を無碍にもできないどころか、受け入れなければタクには明日の生活すら危ぶまれた。
兎にも角にも、現在地点は金鳥亭である。
タクは適度に身支度をし、かんこんかんと階段を降りた。
すると一階では、早くも開店前の準備で急がしそうなリーンがばたばたしている。
「おはよう、タク。ってもう出るの。早すぎない? もうちょっとゆっくりしていったらいいのに」
「おはよう。だけどなるだけ早く金を稼がないと、ダメだろ」
「じゃあ、せめてこれだけでも食べていきなさいな」
言うや否や、口に何かを突っ込まれたが、その味は筆舌に尽くし難く美味い。リーンはにこりと笑うと、歌を口ずさみながらタクの身だしなみをチェックし、満足げに奥に戻っていった。
軽く手を振っておいたが、タクには心残りがあった。
というのも、仕事の内容をはっきりと伝えていないことがその原因である。
リーンの前ではさっと流したが、流石に一人で、低級といえど狩りに行くのだ。本当の事を言えば彼女は眉を顰めるだけに留まらず、必死で止めるに違いない。タクはこの短期間でリーンの性格は捉えたつもりである。
とにかく、心配をかけたくはなかった。部屋まで世話になっているのだ。
そういうわけで、今日からこっそり秘密の狩りであった。
「お、いるな、あいつ」
がたがたと鳴らす斡旋所の扉をガコンと開けると、あの受付はいた。
タクが歩き近づくと気が付いたようで、向こうもこちらに目を遣った。
「久しぶりですね。てっきり、お亡くなりになられたのかと」
「いや、昨日に会ったばっかりだよな、俺たち」
受付は首をかしげた。が、納得がいった様である。すぐに向き直った。
「そうでしたっけ。まあ、いいです。それで今日はどんな、ご、用、件、ですか」
「あ、そうそう。この“剣”なんだが」
「ご用件の『件』は『剣』じゃないですよ?」
「いやそうじゃない。急にボケるんじゃない、真面目に仕事しろ」
タクは腰の黒鞘の長剣を左手で持ち、手元でぐいと揺らして強調した。
りいん、と良い音が響いた。
一見暗闇だが、刀身は目に見えぬ光を宿している。
素人目ではあったがかなりの業物と見受けられた。
「こいつはやけにぴたりと来るんだが、お前のものだろう?」
「まあ一応。良いものでしょう。祝いの品としてもピタリと来たのではないですか? 影に差す一筋の光が、深淵な――」
「いやこれは貰えない」
タクはかぶりを振って言った。
「なぜですか」
「そんなの……」
タクは借りが多すぎた。
そればかりでなく、斯ような高価な物品を譲り受けることに躊躇したのである。
受付は当初より珍しく戸惑い、「なぜ」と下を向いてボソボソとやっている。淡い緑が眼球を泳いでいた。
それを見たタクは、このことが彼女の単純な厚意からの事であると、なんとなく理解し始めた。
自身が、何故かは存ぜぬが、初めての客であったと言っていたことも同時に思い出した。
受付が生まれの良いお嬢様なのだろうか、などとも当たりをつけた。
そうでなくては高価なものを他人にホイホイと授けるわけもない。よほど、ある意味で純粋なのだろう。
それならアプローチを変えなければならない。
「だったら、半分だ」
「――え?」
「だから、今後俺が稼いでくる金を半分だ、と言ったんだ。要は賃借りの要領さ。俺がこの剣を借りる。お前は金でもって貸す。どうだ。これならいいだろう」
「でもでも、お金には困じているんですよね」
提案になかなか首を縦に振らぬ受付に、そろそろしびれを切らしかけたタクではあったが、その表情はもうひと押しの顔である。
ここで畳み掛けるが吉、とタクはその繊細なる肌で直感した。
「大丈夫だ。お前のお節介は、ありがたいと甘受するにはあまりに高すぎる。これぐらいがちょうどいいってもんだ」
そう聞くと受付も秋眉を開いて安心の面持ちである。
それを見るとタクも息をついて安堵の面持ちである。
「……そう。詮無きことですね。そういうことなら、馬車馬のように死にものぐるいで働いてもらわねば。ほうら、さっさといけよ。いつまでここにいるつもりなのまったく」
「え、ちょっと違くない? その態度違くないか、おい、さっきのは演技なのか。そうなのか。なんとか言えよ」
「黙れ下郎」
鬼畜の受付完全復活の瞬間である。
タクは今の今まで、通常の人間と接する機会など極端にまで少ない人生であった。それはタクに消せと依頼された人間は一人残らず死体に変わってしまうからであった。
特に女性などは子供の頃に話したっきり、その後思い当たるのは母親と妹ぐらいのものである。
それゆえ女性の嘘を見破ることにかけては、滅法弱すぎた。
それこそが、暗殺者の哀しいサガであった。
「ッぐぐぐ」
悔しさから、うめきが溢れた。深く息を吸い込んで吐き、目頭をおさえた。
提案したのは自分自身であり、金額も相応であったが、今受付の顔を見てしまうとハラワタがさらにぐらぐらと煮えくり返りそうなので、タクは目を伏せ踵を返してそそくさと斡旋所を後にした。
それから、その足でさっそく郊外へ行くことに決めた。
道は手元のまとめ資料が教えてくれる。それに従えば何ら問題はなかった。
タクは至高の文献である受付のまとめ資料を、『辞典様』と呼ぶことにした。ただの紙束と呼ぶにはあまりにも畏れ多いからである。
その辞典様を拝見しながら、二つ目の角を曲がって先に進む。
朝なので人の往来は控えめである。
「やあ散歩かい、兄ちゃん。見ない顔だがどこからだね?」
「ああ。故郷では東の国で通ってたよ。それと散歩じゃなくて、今から狩りだ」
「気をつけてな」
「おじさんも」
この地域の人々は割合に気さくな者が多い傾向がある。そういったことから挨拶の声掛けも殊の外多かった。
黄土の大路を淡々と進み、たまに履物のあんばいをとんとんと整える。
そうこうするうちに、門が見えたので、小走りで近づいてそばに立つ男に用件を言った。すると恐らく門番らしき坊主に話が伝達され、外出の許可が出る。
この手順で、タクの最初の門出が羊皮紙に華々しく記されることになるのだった。