【VANITY】
今回は仁サイド。
今後は基本交互になると思います。
グラララ。グラララ。
体感的にはつい数分前にも聞いた自身の意識の覚醒を促すモーニングコールに、ヒトシは思わず顔をしかめる。本日二度目となる地竜の鳴き声はどこかヒトシを嘲笑っているようにも思えて、自分が寝かされている寝台から身体を起こす気力さえ損なわれる。
まあ、それも仕方が無いことか。
無礼千万であることを理解した上で繰り出した国王へのドロップキック。本来は死罪に処されても仕方が無いのにも拘わらず、イルシンクはそれを許した。そして、多少の自身の面子を保つためにヒトシに一撃を食らわせておいた。
そんなイルシンクの行動は全く筋が通っている。そして、筋を通した上でヒトシを救ったのだ。ヒトシは威厳が死んでいると評したが、少なくとも王としての器量は確かにあったわけだ。
そんな事を考えれば、ヒトシの安っぽいプライドなど粉々で当然である。王らしくないという理由で突発的にドロップキックを食らわせた事、にも拘らずイルシンクはそれを許した事、そして最後には容易く気絶させられた事。それらを踏まえれば、小心者のヒトシの胸には抱えきれない程の羞恥が生まれるのは道理だった。
だが、ずっとこのまま寝転がっている訳にもいくまい。
小学生の頃から、自分は昼寝はしないというちっぽけなこだわりを持っているヒトシには、日が真上に上がる前に二度目の目覚めを迎えることがどうにも耐え難かった。
故に、ヒトシは起き上がることを決めた。
起き上がった先にあるのは、容易く気絶させられたことを笑うイサムの表情か、または弱々しいヒトシを嘲笑うイルシンクの姿か。そんな最悪の二択を思い浮かべながら、ヒトシは身体を起こし――、
「……誰?」
その視界に映った見知らぬ人影に首を傾げた。
身体を起こしたヒトシの視界に映ったのは勇の姿でもなく、ましてイルシンクの姿でもなかった。
美しい蜂蜜色に染められた頭髪と双眸。その髪は毛先でウェーブがかかり、その双眸はややつり目。一見ふわっとして優しげな印象を受けるが、それ以上の気の強さをそのつり目が暗示している。しかし、その気の強さすら覆い込んでしまうような美しさがその全身には表れていた。
絶世の美女。そう呼ばれても一切文句が出ないような女性が、その美しさに見とれて呆けているヒトシを見つめていた。
当然、そうしていると目が合う。女性に対して全く免疫の無いヒトシにとって、それは赤面する理由に十分。まして、それが歳上の美しい女性であれば、言葉を発することさえ出来ない。
しかし、彼女はそんなヒトシを見て何かしらの反応を見せることは無い。それどころか、やや冷ややかな眼差しをヒトシに向け、心なしか嘲笑っているようにも見えた。
瞬間、ヒトシは直感する。
自分はこの人のことが苦手だ。下手すれば、あの桐崎桜よりも。
もしもそれがただの直感で無ければ、ハッキリ言って話したくはない。けれど、現状から察するにイルシンクに気絶させられたヒトシを見守ってくれていたのは彼女だ。それに、ヒトシが苦手だと判断したのはただの直感でしかない。
ならば、先入観で苦手だと決めつけるのは実に勝手だ。会話をするしない以前に、まずは感謝の言葉を告げるのが筋だ。
最終的にそう納得し、未だに“照れ”が取れないままヒトシは彼女に話しかける決意をした――その瞬間、ヒトシの決意は見事に出鼻を挫かれる事になる。
「あら、ようやく目を覚ましたのね。弱々しい転移者さん」
「よ、よわ?」
「あら、聞こえなかったの。弱々しいって言ったのよ。分かるかしら? 脆弱で、貧弱で薄弱で虚弱で軟弱で惰弱で、劣弱なただの餓鬼って言ったのよ」
「――――ひっ」
案の定、彼女の言葉の一つ一つがヒトシの心に突き刺さり、ヒトシは小さく悲鳴を上げる。
その声が彼女の琴線に触れたようで、彼女はまた無関心そうにヒトシを鼻で嗤った。
「何よ、イルシンクの奴。聞いてた話と違うじゃない。アイツったら、こんな餓鬼の何処を気に入ったのかしら」
まるで言いたい放題だ。散々弱々しいだの言われた挙げ句、餓鬼呼ばわり。これには流石のヒトシも堪えがたかった。
けれど、言い返せないのも事実である。ヒトシは見事にイルシンクに気絶させられてしまった訳であるし、歳も精々十数程度だ。彼女の言葉が多少辛辣と言うだけで、その事実は変わりなかった。
しかし、“ただの人”のヒトシとて意地はある。当たって砕ける覚悟で、ヒトシは彼女との会話に当たった。
「あ、あの」
「……何かしら」
「その、餓鬼と呼ぶのは止めて頂けませんか? 確かに、まだ僕は年端も行かない子供かもしれません。でも、僕には多田野 仁という名前があります」
「へぇ。言い返す勇気はあるのね。……分かったわ。これからはちゃんとタダシと呼んであげる」
「……いえ、タダシ《・・・》ではなくて、多田野 仁です」
「……………………」
ヒトシの指摘に、彼女は沈黙する。
しまった、これは指摘するべきではなかったか。よくよく考えれば、聞いたばかりの名前をみすみす間違える訳がない。恐らく、これはわざとだ。わざと言った上で、それを蔑称としようとしているのだ。
瞬間、ヒトシはそう悟る。
事実、彼女は今も蔑んだような目でヒトシを見ている。そのくらい察しろと言わんばかりの目だ。ハッキリ言って、辛い。
――と、ヒトシがそんな事を考えていると、いつの間にか、張り詰めていたはずのその場の空気が一変していた。
その場の空気を変えたのは、他ならぬ彼女が発した一言だった。
「ご、ごめんなさい! そ、その、悪気は無かったのよ!」
「…………へ?」
その言葉に、ヒトシは思わず呼吸をするのも忘れ目を見開いた。その目に映った彼女の頬は何故か、ほんのりと赤く染まっていた。
ちょっと待て、何があった。
未だに理解が追いつかないスペックの低い自分の脳を呪いながら、今までの話の脈を整理する。
目を覚ましたばかりのヒトシに彼女が罵詈雑言を浴びせ、それにヒトシが反論し、彼女がヒトシの名前を間違え――、
「……謝った?」
無意識に、その言葉はヒトシの口から漏れていた。
それを聞いていた彼女は首を傾げる。
「……そ、そんなにおかしいことかしら。私はただ、悪いと思ったから謝っただけなんだけど」
「い、いえ。おかしくなんか。ただ、何だか意外だったもので」
「……意外?」
「ええ、まあ」
彼女からの問いに、ヒトシは素直に頷く。
何故か、今の彼女からは先程の冷淡さは感じられない。それどころか、親しみやすさすら感じるほどである。
そんなヒトシの驚きを察知したのか、彼女は一つため息を吐くと話を始めた。
「……タダ……じゃなくてヒトシ。貴方が今まで暮らしていた世界では、女性の地位ってどれ程高かったかしら?」
「地位……ですか?」
突然の問いかけに、ヒトシは一拍置いて答える。
「そんなに低くはなかったと思います。少なくとも、性別によって差別や迫害が起きない程度には」
「……そう、良い世界なのね」
彼女は先程よりも深いため息を吐き、視線を下へ向ける。
その表情がどこか悲しげで、ヒトシは今までとはまるで違う本当の彼女の一面をそこに見たような気がした。
「この世界では、違うんですか?」
彼女は頷いて肯定する。
「この世界での女性の地位は、ハッキリ言って低いわ。まあ、男女で単純な労働力としての差が大きすぎるから多少の迫害は仕方がないけど、恐らく貴方達転移者が考えているよりもそれは大きい」
「そう……なんですか。……だから、貴方はあんな言葉遣いをしていたんですか? あんな、他人を威圧するような」
「察しが良いわね。私がこの立ち位置を確保するためにも、他人から侮られてはいけないのよ」
男女差別。
現代の日本でもまだ完全には無くなっていない悪しき風習が、この世界にも根付いている。
その事実に、ヒトシは人知れず戦慄を覚えた。如何に自分達が恵まれた環境下で生きていたのか、それを痛いほど痛感した。
そんなヒトシの心情を読み取ったのか、彼女は「確かに」と呟き、今まで一度も見せなかった笑みをその面に出し、言葉を続けた。
「……確かに、差別意識があることは大変な事だけど、貴方のようにそれに疑問を抱いてくれる人がいてくれる事が大事なのよ。そういった点では、貴方には感謝すらしてるわ」
それは、慰めだったのかもしれない。たった今聞かされた差別の現状に対して何の力も無い自分自身を呪ったヒトシへの、彼女からの慰めだったのかもしれない。
ふと、そんな事がヒトシの脳裏を過った。そして、それ以降ヒトシには彼女の気丈な振る舞いがどうにも無理をしているように見えた。決して他人に侮られないようにと、自分自身に虚勢を張っているようにすら思えた。
そう考えると、ヒトシの口は自然と動いていた。
「辛く……ないんですか?」
「え?」
「そうやって振る舞うのは……辛くないんですか?」
「…………」
何故なら、ヒトシも知っていたから。元の世界で頼れる者があまりいなかった、友達がいなかったヒトシも少なからず知っていたから。
虚勢を張って、無理をして、自分は大丈夫だと自己暗示をかけるように、日々を過ごす苦しみが。
それは、彼女のそれと比べてはいけないものなのかもしれない。ヒトシの苦しみなんて、所詮は周囲に溶け込めず群れからはぐれてしまったはぐれ者が抱くもので、どうにかしようと思えば自分の意志でどうにも出来る。が、彼女の苦しみは違う。周囲から疎まれ、蔑まれ、奇異の目で見られ、それを避けるために虚勢を張っている彼女の苦しみは、彼女自身では変えようが無いのだから。
だが、それでもそこに通ずるものがあると、ヒトシは確信していた。
「僕は辛いと思います。本当の自分を偽って、侮られないようにと背伸びして、毎日を送るなんて」
「……でも、どうしようもないのよ。女がそれなりの地位をもってこの世界で生きるには、男に媚びへつらって生きるか、虚勢を張り続けて生きるかのどちらかしか無いんだから」
「……だったら。だったらせめて、僕だけにでも素直になって下さい」
「――――えっ?」
「僕はもう貴方の本当の姿を知ってます。少なくとも、知っているつもりです。ですから、僕だけにでも素直になって下さい。貴方が望めば、僕は愚痴でも悪態でも、どんな不満の捌け口にでもなりますから」
彼女の苦しみとヒトシの苦しみ。その双方に共通すること。それは自分に嘘を吐き続けることだ。
虚勢を張ること自体はそう辛いことではない。本当に辛いのは、自分を偽り続けて、それを誰にも打ち明けられないことだ。誰にも懺悔出来ないことだ。
積もりに積もった嘘は自身の胸を焼き、いずれ焦がすことになる。
そのことを、ヒトシは知っていた。知っていたから、彼女の力になりたいと思ったのだ。
「ふふ、ふふふ」
――彼女は、笑った。
それは、先程見せた哀愁を帯びた笑みではなかった。美しい女性が本来備えもつ、何よりも輝かしい優美な微笑みだった。
その可憐さを備えた美しさに、一瞬ヒトシは息をするのも忘れた。自制心など放り捨てて、その笑顔に見とれた。
「カリファ」
「……え?」
「私の名前よ。“貴方”じゃ呼びにくいでしょう?」
「あ、は、はい! よろしくお願いします!」
思わずハッとして、頭を下げる。もっとも、下げる必要はないのだが、ヒトシとしては紅潮している頬を隠すにはそれが一番都合が良かった。
そんなヒトシには決して聞こえない声で、そっとカリファは呟く。
「イルシンクの奴、性根は腐ってても見る目は腐ってなかったみたいね」
「……何か言いましたか?」
「いいえ、なんでもないわ。それよりも、本題に入りましょう」
「本題……ですか?」
「そう、本題。ヒトシ、貴方、もしかしてただの昼寝のためにこの部屋で寝てたとか思ってないでしょうね?」
「えと、まあ、昼寝は僕の主義に反しますけど」
「貴方の主義なんて聞いてないわ」
「え、えええええ」
突然初対面の時の態度に戻ったカリファに、思わずヒトシは顔をひきつらせる。
もしや自分の言葉は何も届かなかったのか。
そう、ヒトシが思った時、カリファが悪戯に笑っているのが目に映った。
どうやら、全く届いていなかった訳ではないらしい。恐らく、こうして誰かをからかうことこそが、彼女の心性なのだろう。
もっとも、それはそれで厄介極まりないのだが、完全に突き放されるよりは幾分かマシだろう。何より、彼女が自身の心性を露にしてくれたことが距離を縮められた証拠なのだから。
結局、そう結論付け、ヒトシはそれを受け入れることにした。
「それで、だったら本題って何の事なんですか? ……というか、そもそもこの部屋はどこ……って、あれ?」
「気が付いたみたいね。どうして今まで疑問に思わなかったのか、それこそ疑問ではあるけど」
ヒトシが首を傾げた理由。それは、他ならぬこの部屋の特異な点にあった。
「何にも……無い」
そう、家具や窓といった本来部屋と呼ばれる物にはあって当たり前の物が、まるでその部屋には足らなかった。あるのはただ、学校の体育館程の広さとそれを照らす照明、そしてヒトシが眠っている寝台とカリファが腰かける椅子のみ。無駄にだだっ広い空間の中央に、ヒトシは何故か眠らされていたのだ。
見知らぬ、そして不可思議な空間に閉じ込められて戸惑うヒトシ。そんなヒトシを諭すように、カリファは説明してみせるのだった。
「ここは第一危険物取扱室。基本的には新しく作られた兵……道具のテストをしたり、使わなくなった爆……道具の処理をしたりする場所よ」
「今、兵器って、爆弾って言いませんでした!?」
「貴方、もう丸薬は飲んだ?」
「完全に無視の方向でいくんですね。分かりました。……丸薬なら飲みましたよ、今のところ、あんまり実感は湧きませんが――」
そこまで口にしたところで、ヒトシは言葉を失う。
「……何か、心当たりがあるのね?」
「……はい。昨日の夜、不思議な事が起きました。既視感を感じたんです。それも本当に実現してしまう……未来予知みたいな」
ヒトシの言葉を受け、カリファは数秒間沈黙する。
そして、その後何かしらの見当をつけたのか、とうとうヒトシに対して説明を始めた、
「貴方をこの部屋まで連れてきたのは、その力が本物かどうか確かめるためよ。万一想定外の事が起きた場合を考えて、イルシンクにこの部屋を使わせてもらうことにしたのよ」
「それって、つまりあれは丸薬による現象ってことですか?」
「ええ、ほぼ間違いなく、その既視感は丸薬の効果によるものよ。そして、その力を今から数日で貴方の物にしてもらうわ。その際の監督役として選ばれたのが私。……そろそろ、話が飲み込めてきたかしら」
「……はい。迫り来る魔物と渡り合うための力を、この数日で身に付けなければならない。そう、ですよね」
「分かったなら話は早いわ。早速、始めましょう。悪いけど、手加減はしないわ」
「…………へ? 手加減?」
カリファの言葉に首を傾げるヒトシ。一方、カリファはというと懐から何かを取り出した。
その正体は流石のヒトシでも一目で分かった。
「そ、それって、まさか……」
「まさか、たった数日しかないのに、のうのうと力が発現するまで待つ、なんて甘い考えはしてないわよね?」
また悪戯に頬笑むカリファ。その手に握られているのは二本の短剣。
カリファはスッと寝台の上まで上がり、そのままヒトシの上にのし掛かり、その手に短剣を握らせる。
「覚悟しなさい。私の不満の捌け口に、なってくれるんでしょう?」
「な、なんだか、既視感」
カリファの姿にイルシンクを重ね、ジリジリと寝台の上で追い詰められるヒトシ。その姿は、まるで猫に遊ばれる鼠のようで――、
「頑張って精々生き抜くことね」
「ちょっ!? ちょっと待っ――」
その後、第一危険物取扱室に悲鳴が響き渡ったのは言うまでもない。
感想、誤字脱字報告等よろしくお願いします、