【二度目の転移】
現在。
「なんだこれは……」
タクの目の前は、荒涼とした広大な草原だった。空は薄暗く、星が薄ぼんやりと見える。僅かに丘陵じみたものが存在しているが、起伏はあまりない。
「とにかく、周辺を歩いてみるか……」
タクは砂とまばらに草が生える土地を踏みしめながら、歩き出す。踏みつけられた砂がサリサリと音を奏でる。
――ちょっと待て、ここはどこだ。オクタグラム=マギはどうなった?
タクは唐突に歩みを止め、空を仰ぎ見た。空の色は段々と暗黒を落とし始めている。遠くからは何かの遠吠えが聞こえて、草はカサカサ揺れている。
「これ以上は危険だろうな……どこかで野宿にするか……」
タクの視界の隅、微かに灯りが見える。それを捉えた瞬間に様々な予測が頭を回る。
(オクタグラムまでの道中は、色々と回ってたはずだ。村だとか、街だとか、そんなところだ。でも、こんな場所通った記憶がない……)
タクは考えを巡らせ、漠然と灯りらしきものへ歩を進める。
「灯りっぽいのがあって良かったな。人間、知らないところに一人だと、独り言さえ言えなくなる……」
タクの呟きは、誰にも受け止められなかった。
何もない場所に、声が反響するはずもなく、しんとした静けさと寒さだけがそこにあった。
■■■■■
果たして、そこにあるのは街だった。
周囲にはバリケードらしき、棘のついた金属網が木の柵の周辺に設置されている。
木の柵と言ったら可愛く聞こえるが、実際丸太台の巨木が、地面に突き刺さっている状態である。
遠くに見えていた光の源は、恐らく魔法の《光よ》だろう。柵の切れ目にある門の両端に箱があり、そこから光が漏れ出ている。
門番は、いなかった。
タクは関所へと歩を進める。そして門の前に立ち、大声で叫んだ。
「誰かいないか! だいぶ寒くて、このままじゃ薄着で野宿して凍死の一途を辿りそうだ!」
その時だった。扉が勢い良く開き、中から人が飛び出した。
その速さに、タクの眼は追いつけなかった。
蹴り上げられた地面の砂が、粉塵のように一定の間空中に漂って落ちる。
一瞬のうちに描かれた直線的な地上絵がその凄まじさを物言わず物語っている。
相手の速度が時間に比例していくが如く跳ね上がる。もう既に残像を追うことしかできない。
さらに速度が上昇した。残像すらも追えなくなった。
タクは来る方向の予測を立て、逃げる方針に移行することにした。地面の直線に、時々方向を変えているのか、舞う粉塵。それらを客観的に見つめつつ、主観的に相手を考える。こう来ればこうする、といったような戦闘のイメージを明確に持ち、構える。これだけでも随分と見える世界は違ってくる。
圧倒的な反射を行えるように、体は警戒を怠らない。
門の方向の左から二人、正面から一人来ていた。
左の二人は速度に微妙な差をつけている。
タクは一瞬で思考を巡らせ、来る三人に構えた。線が複雑に絡み合い、向かって来る。
しかし、相手は更に上手だった。線が消えた。空気が切れるような、あまり良い予感のしない音が通る。
――蹴って跳んでいるのだ。直線的な移動をしながら跳んでいるのだ。そのスピードも走行時と変わらない、どころかむしろ速くなる、速くなる。予測するには要素があまりにも少なすぎて、タクも動くことが出来ない。
そして攻撃。タクは予測以上の速さで肉薄した一人に顎を狙われ、紙一重で避けた瞬間を狙われた。
コンマ数秒。後からタイムラグもなく追ってきた二人に、腕を掴まれた。
「がっ」
痛え。身体の芯に鈍痛が駆け巡る。景色が前に吹き飛び、身体は勢い良く後ろに離れる。
蹴られたのだ。
鳩尾である。
じわじわと厭らしい痛みが込み上げた。
――意識が途切れそう……だ。
タクの記憶はそこで断たれた。
■■■■■
声が聞こえた。
「――ぉい。おい。コラッ、いい加減起きろ! 朝だってんだよ!」
――誰の声だ。指の先ほどもわからんが、とりあえず適当な返事をしよう。眠たくて仕方がない。
「もう少し寝かせてくれ。眠たい。それに寒くてたまらん」
「黙れ、このネズミ野郎! 叩き起こす!」
頭に衝撃。
完全に覚醒した。少々寝ぼけ眼ながらも、しっかりと周囲を見渡す。
男の顔が一つに、見知らぬ天井一つ。壁が四つで、床が一つのようだ。小ぢんまりとした小屋みたいな感じだった。
部屋の脇には、農耕で使いそうな道具が立て掛けてあった。
一通りの動作を終え、タクは目の前の男に目をやる。男は武装している。軽い物だが、タクのなめし革と金属の装備では敵いそうも無い。
(武器で殺るか。確かここいらに仕込んでいたような気がするんだが)
タクは身体を密かに探った。大腿の後ろ側に手をやる。ここに小刀がある、筈だった。
(完全に身ぐるみ剥がされてるな。今気づいたが、体にまとってるのは下着しか無いぞ)
――寒かったのはこのせいか。通りで寝返りしやすかったんだな。
タクは雑多な考えに頭を浸らせた。
考える、考える。
巡らせる、巡らせる。
そしてその内、落ち着いてきた。
「……どういうことだ」
どうやら、脳みそは微塵も仕事をしていなかったらしい。
タクは考える事を止めた。
「フン、どうもこうもねーんだが……お前がこの場所を攻めようと、予め送り込まれた間諜だって分かってんだぞ、おい」
「はあ? なんでそうなったんだよ。お前は馬鹿か。ははあ……その馬鹿さ具合から考えるにお前、脳みそをお母さんのお腹に忘れてきたな……拾ってこい。三分待ってやる」
「犯罪者の戯れ言はどうでもいい……今から話を聞くから、キビキビついてこい」
■■■■■
「――そういう事だったのか……」
「そうなんだ。俺は気がついたらここにいたんだが……」
「そんな事が……。それは悪かったね」
「なら、もういいだろう?」
「ああ、無実だよ。本当にすまなかった」
タクの釈放には、昼を迎えるまでの時間を要した。
それでも解放はされたわけだった。
わざわざ話の通じる者を呼んでみたことが功を奏したのである。
現在、詰問所で話を終えたタクは、自由の身だった。
「そうだ、君はここをよく知らないだろう。仕事を探すなら、斡旋所。技能を身に付けたいのなら、ギルドだ。余裕があれば、仲間を作ってクランを建ててもいいし、仲間がいないのなら募ればいい。街の詳しくは案内所に行くか、人に聞いてくれ。君の幸運を祈るよ」
「ああ分かった。あんたも。頑張ってくれ」
タクは片腕を大きく振り、別れを表現した。相手の方も、深く腰を折り、胸に手を当てる。
タクは付近に目をやる。
すると、何やら良い薫りがタクの鼻腔をくすぐった。
タクの足は既に店内に滑り込んでいた。木造の建物で、木製の四角机が綺麗に並んでいる。
奥にキッチンがあり、そこから肉の芳醇な香りが漂う。油が弾ける音とともに、香ばしさが鼻に広がる。
客はざっと見ただけでも二十人は座っているので、恐らくそのために肉を焼いているのだろう。サラダを食べている者もいた。
「俺にも肉を焼いてくれ。一つだ。……そういえば、ここの料理は香辛料を使っているのか? 鼻をくすぐる、いい匂いがするが」
「よく分かりましたね! 香辛料は高いですから、少量ですけどね。……おとーさん、オーダーだよ! お肉一つ!」
親子で切り盛りしているらしかった。
「今、他のお客様のお料理をしているそうなので、時間がかかりそうですね……。今の時間、従業員を多く雇っているのでお話でもしませんか?」
「それはいいな。俺は聞きたい事が山ほどあるんだ」
「分かりました! どうやら、お客様は異国から来たようですね。奇抜な服装をしていますし……」
タクはしっかりと自身を見改めた。
前回見た時は、起きたばかりだった。
目に入ったのは膝までの丈の黒パンツに、これまたぴっちりとした黒い半袖シャツを着た自分だった。
「忘れてた……これ下着だったな。荷物だけ返してもらったものの、服は失念してた。……でも、異国から来たっていうのは当たってたな」
「なんて格好してるんですか! 堂々としているから、こういうものだとばかり……! 一つ間違えると捕まっちゃいますよ!」
「ああ、もう既に一回間違いで捕まってるから問題なし……かもな。それよりも、情報教えてくれ。質問したことに出来る限り答えてもらえればそれで」
「ホントに大丈夫なんでしょうか……。でも、そういう事なら任せて下さい! このような場所で働いているだけあって知識だけはありますから」