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【BURNED IN CHERRY】

 


「…………」


 甲板には無数の血痕がこびりついていた。今まさに夕陽が水平線に消えていこうとしているところを見るに、魔物が撤退してから三、四時間が経過したといったところだろう。乗務員の生存確認や死体の後始末に今でも追われているようで、甲板の掃除までは手が回っていないらしかった。


 それらと夕陽とが相まって、視界が朱に染まる。そんなヒトシの視界には、大海原を前にして立ち尽くす一人の少女の姿があった。


 潮風に、その長い髪が揺られている。元々赤に近い茶色の頭髪が激しく風に煽られ、夕陽に染まるその姿は炎を幻視させた。


 怯むな。

 静かに燃える炎に恐怖を抱きながらも、ヒトシは自身にそう言い聞かせて、一歩大きく前に出た。


「……桐崎さん」


 己が名前を呼ぶ声に、サクラはゆっくりと振り向いた。

 返事は無い。サクラはただじっと、ヒトシを見つめている。


 全てを見透かしているかのようなその眼差しに少し怯んだヒトシだったが、やがて腹をくくってその言葉を口にした。


「助けてくれて、ありがとうございました」


 誰の頼みでも無く、誰の言葉に動かされたでも無く、サクラの意志で助けてくれたことへの、心からの感謝。

 正直なところサクラがヒトシにとって苦手な相手であることに変わりはなく、それ故にここへ来ることに躊躇いがあった。が、それを理由に感謝の一言も無いというのは流石に礼を欠く。

 そんな葛藤を経て捻り出された言葉だった。


 しかし、対面する少女は、それを吐き捨てるように一蹴した。


「自惚れないで。別にアンタを助けたわけじゃないわ」


 感謝の言葉と共に一度は下げた頭を上げるヒトシ。その目に映った彼女の瞳は、その炎のような様相とは対照的に酷く冷たいものだった。


「私があの時あの場所に居たのは、偶然煙が上がってるが見えたから。どこもかしこも煙が上がっててもおかしくない状況ではあったけど、そこだけは明らかに人為的なものだったから見に行っただけ。そしてそこに敵がいたから排除しただけのことよ。……そこに誰が転がってたかなんて事は興味無いわ」


 そう言って、サクラはゆっくりとヒトシの元へ歩み寄ってくる。そしてその距離が限りなくゼロに近付くと、サクラは更に言葉を続けた。


「大方、それもアンタの思惑通りだったんでしょうけどね。煙の充満しにくい野外で、しかも精々懐にしまっておける程度の煙幕を、あのタイミングで使うなんてそれ以外考えられないもの」


「…………」


 そう言って話を進めるサクラの振る舞いに、ヒトシを疑っているような様子は見えない。それはつまり、サクラがそれを確信して口にしていることを示している。

 そして一方、それを受けたヒトシは何も答えられずにいた。その沈黙は、率直に肯定していることに他ならなかった。


 動揺がヒトシの心を揺らす。

 さも偶然助けられたように見えたヒトシが、その実サクラをそうさせるべく誘導していた。流石のヒトシと言えど、それに気が付いたサクラの心境を感じ取れないわけはない。


 無論、それは結果論だ。あれはあくまで、あわよくば近くにいる誰かの目に止まり、それが戦闘員であれば援護を、非戦闘員であれば救援を求めるために出したもの。サクラ個人に向けて発した救援信号ではない。むしろ、ヒトシとしては最悪の相手に伝わってしまったと言ってもいい。


 だが、過程や理由がどうであれ、結果は結果だ。あわよくばと打算的な思惑で信号を放ち、それがサクラに伝わってしまった。そして、ヒトシはサクラに助けられた。それをどう受け止めるかは、まさにサクラの自由である。


 故に、ヒトシは反論の言葉を封じ、非難されるのを待った。それが自分に相応しい処罰であるとして。


 しかし、次にサクラの口から発せられたのは、ヒトシの予想だにせぬ言葉だった。


「別にそれに関してアンタを責めるつもりは無いわ」


「……え?」


 予想外の言葉に、不意にヒトシの口から声が漏れる。

 それが不快だったのか、同時にサクラは目を吊り上げた。


「何よ、私がアンタを責めると思ってたの? 腐っても男ならあの状況で自殺を選びなさいって言うとでも? そんなわけ無いじゃない。状況を把握出来ずにただ死を選ぶなんて馬鹿のすることよ」


「……でも、僕は桐崎さんを騙して」


「まあ、確かにアンタの思惑通りに動かされたことに腹が立たなくは無いわ。でも、それはそれ、これはこれ。たとえ私でも、格上と遭遇した時は同じことを考えるわ」


 ヒトシの判断は間違えてはいなかった、と遠回しに告げるサクラ。表情は態度から苛立ちや怒りは垣間見えたものの、そこからは先日のような直接的なヒトシへの嫌悪や反発は見られない。


 もしや、自分はそれほど嫌われていないのだろうか。

 そんな考えがふと脳裏を過る。が、その直後、それが間違ったものであったと思い知らされる。


「勘違いしないで。別にアンタを認めているとかそんなんじゃないの。アンタみたいな奴は納得のいく答えを突き付けないとウザったく付きまとってくるから、こうしてハッキリと言ってやってるだけ。本来なら口も聞きたくないのよ」


 フンと鼻を鳴らして、サクラはヒトシから距離を取った。一方的に言い放ち、それから突き放すように。


 一瞬にして幻想は打ち破られ、ゼロからイチへの上がろうとしていた好感は急転落からのゼロへ。これだけ好き放題に言われて、不満を感じずにいられないヒトシではない。


 けれど、それをハッキリと口に出すことも出来はしない。それこそがヒトシがヒトシである所以である、今までも幾度となく発揮されてきた臆病さなのだから。

 故に、次にヒトシが告げた言葉はこんな言葉だった。


「えっと、その、ごめんなさい」


「――――っ」


 その瞬間、火を見るよりも明らかにサクラの血相が変わった。と、ヒトシがそう捉えた瞬間には、襟首を掴まれ、何の技術の伴わない力任せの技でヒトシの身体は投げられていた。


 バタン、と凄絶な勢いをもって地面に叩き付けられる身体。カリファとの訓練の中で、無意識に受け身を取ることが染み着いているヒトシであっても、悶絶するのは免れない。全身を打つ痛みと吐き出された酸素が一瞬意識の混濁を誘う。


 しかし、投げ付けた本人であるサクラがそれをさせない。船の甲板に仰向けになる形で倒れたヒトシの顔面のそばに、見たことのない紅の刃を突き立てた。


 何が起きた。倒された? 投げられた? 誰に、誰が? なんだこの剣――いや、刀? いつ抜いた? いや、そもそもどこに持っていた(・・・・・)? というか僕、死――、


 脳の処理が追い付かないほどの一瞬の間に伝わった衝撃。そして同時に迫り来る死への恐怖。

 それらが手放しそうになっていたヒトシの意識をすんでのところで繋ぎ止めた。


 そして、余りの衝撃にヒトシがむせかえる中、それを見下ろすサクラが怒号を飛ばす。


「アンタのそういう所が大っ嫌いなのよ! 思ったことを口に出さないで、上っ面だけの受け答えばっかして、その癖内心では他人を見下してる! そんなアンタの態度が癪に障るのよ!」


 サクラが更に力を籠めたのだろうか、ヒトシの首元からチリリと床を割く音が伝わる。やがてそれは音から触感に変わり、ヒトシは首に冷たいそれが突き付けられた事を理解した。


「ちょっ、ちょっと待ってください! 話は聞きますからっ、剣は納めてっ――」


「嫌よ。こうでもしないと、アンタに私の言葉は伝わらない。だから、このまま話を聞きなさい」


 慌てて制止しようとしたヒトシを、サクラは刀の刃を首に食い込ませることで強制的に黙らせる。事実既にヒトシの首からは血が滲み出しており、それが元より紅の刀の刃を更に赤に染め上げる。

 自分の置かれている状況に危機を感じたのか、やがてヒトシは諦めたように両手をサクラから見える位置で広げた。


 それを確認して、サクラは話を始めた。


「……アンタはどうしてそんな話し方しか出来ないの? 同年代の私にも敬語を使って、どういうつもり?」


「ど、どういうつもりって……」


 思わず、言葉を詰まらせるヒトシ。

 どうして親しくない相手に敬語を使って話すのか。そうとも要約出来るサクラの問いに対する答えを、ヒトシは持っていなかったから。


 いや、正確にはあるのだ。『当たり前だから』と、そう答えたいのがヒトシの本音だった。

 だが、そう答えたとしてもサクラが納得しないのは目に見えていた。その程度の答えで納得してくれるなら、ここまでの確執は生まれていないだろうという話だ。

 故に、ヒトシはサクラの納得のいく答えを探して黙りこんだ。


 すると、ヒトシがそれを見つけ出す前に、呆れたようにサクラが口を開いた。


「……そう、アンタ、自覚も出来てないのね。なら、教えてあげるわ。アンタ、誰にも嫌われたくないのよ。だからアンタは、懇切ご丁寧に誰に対しても敬語を使うのよ」


「嫌われたく、ないから?」


 見透かされたようにそう囁かれて、ヒトシの胸中に動揺が生まれる。相も変わらずヒトシに睨み続けるサクラの眼圧を恐れて、不意に視線が泳いだ。


 確かに、今思えば自分にそんな節があったかもしれない。ただでさえ繋がりの少ない自分だから、せめてまだ嫌われていない者からは嫌われないようにと、そんな風に接していたかもしれない。


「私はね、別にそんな事はどうでもいいのよ。誰に対して優しく接しようと、冷たく接しようと、その人の勝手。好きにしたらいいのよ。でもね――、」


 今までに無く睨みをきかせて、サクラは告げた。


「その癖に他人からの厚意をはね除けるアンタだけは、虫酸が走るわ」


「――――っ!?」


 そうしてサクラが見せた、明確な敵意。

 いや、敵意自体は今までも垣間見せていたのだ。そこに居るのにまるで居ないように扱ったり、わざわざ話に割り込んでウタを連れ去ったり。だが、今こうして面と向かって嫌悪感を表されるのは初めてだった。

 そして、それ故に、ヒトシの表情が僅かに歪む。


 そんなヒトシの様子を見て、サクラは初めて笑った。


「やっとその顔を歪められたわ。何を言われても無反応だったアンタのその顔が、ずっと大嫌いだったのよ」


「……言いたい事って、何なんですか? もしかして、それがしたかっただけですか?」


 あまりにもハッキリと物を言うサクラに対して、それに怯んでしまって視線を逸らすヒトシ。あわよくばこれで話を終えてくれと願いながらそう言うと、サクラは「そうね、本題に入るわ」と話の口火を切った。


「私、一応同じ転移者の実力は把握しておこうと思って、訓練や戦闘の風景を覗かせてもらってたのよ。大して興味も無かったけど、勿論アンタもね。だって、折角の同郷の知り合いだもの。実力を把握して、何なら共闘もしたいじゃない」


「は、はあ」


 あまり共感は出来ないとは思いながら、とりあえず相槌を打つヒトシ。そんな気の抜けた返事を他所に、サクラは話を続ける。


「そこで当然、修了試験も見せてもらってたわけなのよ。正直なところ、驚いたわ。私があんなに苦労してエッジさんを倒せなかったのに、アンタは倒したんだから。それで思ったんだけどね?」


 何気ない会話からヒトシへの称賛へ。サクラの様子に何かしらの違和感を感じ始めたヒトシだったが、それが何か明確には分からない。ただ何となく、これはサクラの本音ではなく、皮肉から生まれた言葉だと言うことだけは直感した。

 そしてやはり、直後に発せられた言葉によってそれは確信に変わる。


「アンタ、ウタの横から離れなさい」


 それは今まで以上に深く、重く、心の底にまで響き渡るような、そんな声だった。

 その気迫のあまり、ヒトシは何も答えられずに息を飲むしかなかった。


「アンタ、試験の時ウタを逃がしたわよね? それに話を聞いたところによると、ついさっきの襲撃でも助けを呼ばせに行かせたそうじゃない? アンタ、それがどういう事か分かってるの?」


「…………? どういう、事?」


 サクラの真意を汲み取れずに困惑するヒトシに、サクラは止めを刺すかのようにそれを突き付けた。


「アンタは、サクラを殺そうとしたのよ」


「――――」


「アンタ、ウタを逃がした後の事は考えなかったの? ウタが逃げた先に、更に強力な敵がいるかもしれないことは想定しなかった?」


「そ、それは」


「気が付いてたんじゃない? でも、その可能性を無視して、最悪よりも最善を優先して、ウタを逃がした。その理由は――我が身惜しさに他ならないわ」


「ち、違う! そうじゃない!」


「どうでしょうね? 私にはアンタがウタを逃がしたのは、ウタが足手まといになったからに見えたけど」


「そんなわけっ!?」


「ないと言い切れる? 自分の身が惜しくて、足手まとい(ウタ)を切り捨てて、さも仲間を思いやるヒーローを気取って、その仲間の先の安否からは目を逸らして、自分だけ助かろうとしたんじゃないと言い切れるの?」


「言い切れる!!」


「ウタの目の前でも?」


「――――っ!?」


 思わず、言葉が詰まった。決して躓いてはいけないのに、何も言えなかった。

 それを見たサクラは嘲るように笑い、ヒトシの首に添えていた刀をどこかへと消した。


「それがアンタの本性よ。だから、断言してもいい。アンタはウタを見殺しにする。だから、早々にウタのそばから消えて頂戴。お願いね?」


「…………」


 刀を仕舞ったサクラは立ち上がると、仰向けに倒れるヒトシに背中を見せた。

 サクラの拘束から解放され、もうヒトシの動きを縛るものは何もない。だが、何故かヒトシは立ち上がるどころか首を動かす気にもなれなかった。


「ああ、そうそう。覚えてないようだから、教えてあげるわ」


 去り際、そう言ってサクラはヒトシに告げる。


「こっちに来る前、前の世界でウタはアンタと話した事があったのよ? あの子らしくアンタと友達になろうとして話かけたみたいだったけど、アンタ、その時ウタに何て言ったか覚えてるかしら?」


「…………」


「“別に友達なんて、要らないので”だったそうよ」


「――――」


「今更調子に乗らないでよね、クズ」


 とっくに沈んでしまった夕陽の代わりに姿を現した月が、嘲笑するようにヒトシを見下ろしていた。



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