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【DOUBT】

 


 イルシンクからオクタグラム=マギへの派遣の命を受けて、早三日。その筆頭者として名前を挙げられたヒトシは現在、船の甲板で波に揺られていた。


 これで異世界で船に乗る経験も二回目。かつては見慣れないと感じた景色にも慣れ始め、それが自分が異世界に染まっていることを実感させる。


 派遣の命を受けてからの行動は実に迅速なものだった。

 必要な人員をかき集め、物資を積み込み、あっという間に出港の準備は進められた。

 その間のヒトシはと言うと、やはりいつものようにカリファとの訓練に勤しんでいた。


 何せ、今から戦場になるかもしれない地に赴こうと言うのだ。自衛さえ儘ならないようでは話にならない。例の予知がどのタイミングで起きるかも不明瞭なことも踏まえると、一時も怠ける時間を設けることは出来そうになかった。


 ……という名目の元、ヒトシはこの三日間イサムとの接触を意図的に拒み続けた。とは言え、イサムから接触してくることもなかったので杞憂に終わった訳だが、それほどにまでイサムと対面したくない理由がヒトシにはあった。


 それは偏に、意地と気不味さ。

 イルシンクからの命を受けた日に二人の間で起きた確執は、未だに解決されていない。それ故に事を荒立ててしまった気不味さと、自分は間違っていないという意地から生まれたその距離を、ヒトシは未だに埋められずにいた。


「アイツ、一体どうして……」


「どうかしましたか? ヒトシさん」


 意図せず漏らした呟きに、いつの間にかそばに居たウタが応じる。

 入国時は誰とも話せなかったためか、異世界の海の光景は二度目だというのに新鮮であるらしく、目をキラキラと輝かせて時折飛び跳ねる生き物に興奮の声をあげている。


 毒気を抜かれる、というのはこういう状況で使うのだろう。ふとその姿に目をやった一瞬だけであったが、ヒトシはイサムの事を忘れてウタに見惚れた。


「ウタさんって、イサムの事知ってたっけ?」


「ええ、一応は。とは言ってもアレです。クラスメート以上友達未満的な。イサムさんがどうかしましたか?」


 そう言って受け答えするウタに、動揺したような素振りは見えない。あの時あの場で最も怒るべき権利を持っていたのはウタであっただろうに、ウタはさもそもそも怒ってなどいないかのように平然と話を聞いている。


 実際のところ、どうなのだろうか。

 褒められた事ではないが、ヒトシと亡くなったとされる二人との間に関係は無く、それ故にそのショックも小さい。

 だが、以前は交流の広かったウタの事だ。十中八九二人とも何らかの繋がりはあるであろうし、それが無くともウタの人柄を考えれば死を悼む理由には足る。


 そんなウタは、あんなイサムの発言を受けて何を思ったのだろうか。

 事が事なだけに本当は聞くべきではないのだろうが、恐る恐るヒトシはウタに問う。


「……ウタさんは、どうも思わなかったの?」


「はい、なんですか? 今日はヒトシさんがノーパンツな日って事にですか?」


「……イサムが、言った事。友達の死を、過ぎた話って言った事」


「……ああ、なるほど」


 するとウタはこれまでになく真剣な声色で、そうですねと空を仰いだ。


「驚かないで聞いてもらいたいんですけど、私……不思議と響いてないんですよねぇ」


「そう……なんだ」


「あはは、自分でも意外だと思いますよ。まだ実感が無いだけかもしれませんが、結局あの後に泣いたりもしませんでしたし」


 冷たいですよねぇ、とウタは嘲るように笑う。

 そんな事は無い、とすぐに口にしようとしたが、どうしてかそれが声になることはなかった。それが自分の本心でないと悟ると、自然とそれを告げることが躊躇われた。


 そんなヒトシの動揺が顔に出ていたのか、ウタはチラリとヒトシを見ると慌てて手を横に振った。


「気を遣って貰わなくて結構ですよ? 慰めてもらいたくて言ってるんじゃないですし、単なる客観的な事実ですから」


「……でも――」


「大丈夫ですって! ……それに、さっきは不思議となんて言いましたが、多分理由は分かってるんです」


 そう言って、ウタの表情から溌剌はつらつとした笑顔が消える。それと入れ替わるように、いつかの月夜に見た物悲しげな笑みが姿を現した。


「私、自分の事だけで精一杯なんだと思います。遠いどこかで知り合いが亡くなろうと、結局は自分の明日の事を考えるだけで精一杯なんです」


「…………」


「だから、私ヒトシさんの事を尊敬してるんです。自分が明日生き残れるかも分からない日々を送る中で、ハレさんの事を考えて動こうとしていられたヒトシさんは、きっと強い人です」


「そ、そんな事無いよ。僕はただ、多分自分の事も考えれてないだけで……」


 己を卑下する言葉を吐くヒトシ。そんなヒトシの言葉を遮るように、ウタはその口元に一本だけ立てた人指し指を添えた。


「修了試験の時の事、覚えてますか?」


「え? ああ、うん、まあね」


「私達二人でエッジさんに挑んで、見事に返り討ちにあって、全く勝ち目が無いと思えた時、私の頭は真っ白になってました。……でも、ヒトシさんは違ってました。ヒトシさんは、あんな状況で私を逃がしてくれました」


「……いや、あれはそうじゃなくて。二人ともその場に居るよりも助けを呼ぶ方が良いって思っただけで……」


「そうですね、確かに咄嗟に合理的な判断をしただけかもしれません。でも、ヒトシさんは逃げませんでした。何なら私を置いてヒトシさんが助けを呼びにいくことも出来たかもしれないのに、ヒトシさんは私を逃がしてあの場に残りました。……それは、自分以外の誰かの事を考えられている事と同じです」


 至って冷静なウタの言葉に、ヒトシは何も言えなかった。


 事実、どうなのだろうか。ウタの言う通り、自分には他人の事を考えるほどの余裕があるのだろうか。

 少なくとも今までにそんな事を考えたことはなかったし、そんな余裕も無かったつもりだ。ハレを助けたいと思うことも結局は自分の事で、それを誰かのためなどと都合の良いように解釈したことは無かった。


 だとして、たとえそんな都合の良い解釈が許されるとして、ならばヒトシは所謂善人の部類に含まれるのだろうか。

 否、全くの否。少なくとも、それだけは断言出来る。


 悪人と呼ばれるほどの事をした覚えはないが、善人と呼ばれるほどの善行を積んだ覚えもない。自分はただ、必死に自分の事だけを考えてきただけだ。

 けれど、ウタの言う通りそれが誰かのためを思った行動だと受け止められるならば。


 ならば、どうして自分以外にはその程度の事が出来ないのか。ヒトシはそれが疑問でならなかった、――傲慢にも。


「ヒトシさんは、よく見えている人だと思います。自分の事、周りの事、色んな情報を自分の感情を差し引いて判断出来る、そんな人だと思います」


「…………」


「私はそうはなれません。嬉しい事があれば本能のままに喜びますし、怖い事があれば冷静な判断を失って足を止めてしまいます。ヒトシさんのようには、なれません」


 そして、ウタはようやく、ヒトシの求めていた答えを口にする。


「イサムさんも、そうなんじゃないでしょうか」


「……イサムも?」


「はい。イサムさんは完璧な方ですし、その完璧さ故にこの世界で自分を保てなくなったのかもしれません。もしそうなら、先日のあの言葉も頷けます」


 ウタの言葉は、ますますヒトシの中の混乱を大きくさせた。

 自分の事だけで精一杯だったから、周りに気を配る余裕が無かったから、イサムはあんな事を口にした。

 文字にして咀嚼してみても、やはり納得がいかない。そもそもヒトシの知るイサムが余裕の無い状況に陥る想像がつかないし、そうしてそれを他人にぶつけるなどもっての他だ。

 それに何より、思ってしまうのだ。――自分に出来ている事が、イサムに出来ないはずがない、と。


「……それでもやっぱり、おかしいよ」


「――何が、おかしいって言うのよ?」


 ふとウタに対して呟いたヒトシの言葉。それに返された声はヒトシの知る日だまりのような明るい声ではなく、鋭くヒトシを穿つ雷鳴のような声だった。


 いや、知らない訳ではない。あくまで馴染みが無いというだけで、その声も、それを発した人物も、ヒトシは知っている。

 ただ、その声には親しみなど欠片も無く、むしろ敵意さえ籠められているような、そんな恐怖が孕んでいた。


「桐崎……さん」


 ハッと後ろを振り向けば、一人の少女――桐崎サクラが眼前に居た。

 赤みがかった茶髪に、日の光を受けて淡く光る薄茶の双眸。装束は袴をこの世界のものでありながらも元の世界のように着こなしており、袴にも見えるロングスカートの腰元には細身の剣を帯びている。

 ヒトシとウタ以外にオクタグラム=マギに派遣される転移者トラベラー、その最後の一人だ。


 サクラと最後に会った記憶は二日前とまだ最近だが、こうして面と向かうのは元の世界に居た頃を含めても、入国初日のあの時だけだ。

 不意に嫌な思い出が脳裏を過り、ヒトシは目を細めた。


「何よ、何睨んでるのよ。やめてくれない? そんな顔されるとうっかり――殺しちゃいそうだから」


「…………」


 ヒトシの印象では率直に、彼女は気性が荒い。

 決して誰これ構わず、と言う訳ではないのだが、心を許していない者に対してはそこまでかと驚くほど冷たい態度を取る。

 そして他ならぬ今も、彼女はヒトシを真っ直ぐに見つめている。いや、睨んでいると言った方が正しい。その敵意のほどは、腰の剣の柄を握っている彼女の手が何よりも表しているのだから。


「やあやあやあサクラちゃん! どうしたんですか、こんな所で? 退屈だから部屋で休んでるって言ってたじゃないですか。あれ、もしかして寂しくなっちゃいました? しょうがないですねぇ、私が話し相手になってあげますよ!」


「……ウタ、アンタこそどういうつもり? こんな所でこんな奴と話して。陰気臭さが移ったりでもしたら、私アンタに近付けないんだけど」


 一瞬で険悪な空気が流れた二人の間を取り持とうと勢い良く飛び出したウタだったが、サクラはそれすらは冷たい一言で一蹴する。

 あくまでヒトシの存在を否定するというスタンスはあの頃と変わらないらしい。無視ではなく、否定。明らかにヒトシに聞こえる声量で、サクラはそれらの言葉を吐き捨てた。


 思わず、あのウタでさえも笑顔が引きつる。数回ほど口角を痙攣させた後、最終的にあは、あはは、と明らかな愛想笑いを浮かべた。


 そんなウタを見て何かを感じたのか、サクラは目線をヒトシに移して深く溜め息を吐き、また鋭い眼孔でヒトシを睨んだ。


「アンタと口を利くつもりはないし、何なら本当にぶった斬っても良かったんだけど、同郷のよしみで一つ、言っといてあげるわ」


「……何ですか?」


「アンタはイサムの事、何も分かってない」


「――――っ!?」


「それだけよ。行くわよ、ウタ」


「えっ、あっ、はい!?」


 最後にそう言い放ち、ウタの手を強引に引っ張ってサクラは船内に戻っていく。あまりに急なことでウタは火事が起きたかのように大慌てしたが、去り際には冷静さを取り戻しヒトシへ向けて謝罪の一礼をしていった。


 唐突に現れて、言いたいことだけ言って立ち去ったサクラ。そんな立ち振舞いに少なからず驚愕していたヒトシだが、何よりも最後の言葉に強い衝撃を受けていた。


 自分が、イサムを分かっていない? 幼い頃から付き合っている自分が? 彼女よりも?


 ――自分は一体何を分かっていなくて、彼女は一体何を知っているのか。


 ヒトシの胸中で驚愕の裏で微かな不安が姿を現した――その瞬間、


「敵襲だぁぁぁ!!!」


 船の監視台に取り付けられている鐘の音が、けたたましく鳴り響くのがヒトシの耳に届いた。



今回も読んで頂き誠にありがとうございます。

誤字脱字・感想等ございましたら是非お願いします。

一言でも作者のモチベーションは格段に向上します。

どうか今後ともよろしくお願いいたします。

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