【遅かりし転移者との接触】
「ふっ」
意識せず呼気が漏れ出る。
身体を軽く沈めたタクが、伸び上がる足の推進力に合わせて剣の切っ先を前方斜め上へ突き出した。
剣が相手の腹へ、吸い込まれるように伸びる。
『ギャッ』
と、短く断末魔を上げた魔物が、飛ぶ力を失って草の生い茂る地面に転がった。魔物は鳥に似ている。体高は一メートルあるかどうかの大きさだった。
羽を大きく広げて横たわるその腹の中心に深い傷跡がある。タクの一撃が貫通した手傷だった。血が滲み、灰色の羽毛がじわじわと赤に染まってゆく。端的に言って、即死級の重傷であった。
(どうかな……)
タクは、血に濡れながら地面でうごめく様子を見やった。完全には息絶えていない。反撃を警戒する必要があった。
辺りの草地には、同じように、死にかけた鳥型の魔物が散乱している。全てタクが斬った鳥だった。同時に、そのほとんどが、死へのカウントダウン秒読みの瀕死状態である。斬られた端からの出血が甚だしいのだ。
タクが見ている鳥も、動ける状態ではなくなっていた。
死んだか。
魔物から視線を外したタクは、剣を腰にぶちこみつつ振り返った。
「おい、俺のほうは一掃したぞ」
そう言った瞬間、
「やっ!」
『ギッ』
槍を構えたフラメアが鋭い突きを放つ。
どてっぱらに突き込まれた鳥は、目を血走らせ、頭上から落ちてゆく。血飛沫が、フラメアの槍目掛けて噴出した。赤い霧がパッと広がって散る。
(強いな……)
出血を避けもせず、血のシャワーを浴びたフラメアは、スッと槍を引いた。その滑らかな一挙一動が、快い爽やかさをまとっていた。
ふう、と溜め息を吐き、
「あ、こっちも片付きましたー」
フラメアが振り向く。紅い唇を横に引き、白い歯を覗かせていた。満面の笑みである。
顔一面が血塗れになっていた。赤の中に浮かぶ恐ろしいほどの美貌が、鮮やかにタクの目に映じた。
美しい、と無意識に賛嘆するほどである。
「……帰るか」
親指を立てた拳を背後に向け、フラメアに合図を送る。
「あ、はいっ。帰りましょう」
「一区切りついたしな」
「でもその前に回収ですね」
「ああ……」
二人は地面で死んでいる鳥たちを拾い上げ、袋の中にいれる作業にはいった。その袋は、スーパーで貰うようなビニール袋と同程度のサイズだが、十羽ばかりが詰め込まれてもギリギリ足りる容量を誇っている。
いやに使い勝手の良いこの袋。教皇からの贈り物である。買えばかなり高価であるのは言うまでもなかった。
タクが広げきった袋の入り口を片手で持つ。
「それにしても、一向に魔物の数が減らないな……」
膝を折り曲げて鳥を拾いながら溜め息を吐いた。
「そうですねー。そればかりか、増えているような気もするんですよね。私たちで役目を果たせているのでしょうか……」
草を踏んだフラメアが、疲れたようにぐるっと肩を一回転させる。大きめで形の良い胸がぽよんと揺れ動いた。
「これだけ頑張ってるんだから、十分だと思うが」
「そうですよね。タクがそう言うのなら、間違いなくそうなんでしょう」
フラメアは掴んだ鳥を袋に入れた。
どさりと、鳥が袋の底に落ち込む感覚が、持っているタクの左手に伝った。重量そのものは、そこまで感じなかった。
「少しは疑うことを知ったほうがいいと思うぞ」
引っ掴んでは袋に詰め込む。
この日も、魔物を討伐しに出掛けていたタクとフラメアだった。
ディオパエーゼ領土で不自然に増加した魔物を打ち倒すのが仕事である。そして、二人がその活動を始めてから、何日も経っていた。
完全に連携が機能するまでに大した時間はいらなかった。信頼関係を築くことが容易かったからである。顔合わせにおいて、フラメアと以前からの知り合いであったことが大きかった。
タクは、手に持っている鳥に似た魔物を頭上に掲げた。目の前に逆さの鳥がぶらぶらとぶら下がっている。これだけの量があれば、不要な分は料理にでも使えそうだった。
「今日の晩御飯に鳥肉パーティでも開けるな」
宙ぶらりんの鳥を数度ゆっくり揺すった。
「いえ、タク。この魔物は食べられないですよー」
フラメアがタクの手から鳥をサッと素早く奪い、袋の中に突っ込む。最後の一羽だ。
「そうなのか……じゃあ売りに行くか?」
「いえ、タク。この魔物は二束三文です」
堪えきれない様子のフラメアがくすくすと笑いながら言った。
「おい。なんのためにこいつらを回収したんだ……」
呆れ顔でフラメアを軽く睨んだタクは、口を締めた袋を肩から背に下ろして背負い込む。
「何となくですか?」
「俺に訊くんじゃない……」
再度、口に手を当てたフラメアが声を上げて楽しげに笑った。
雑談をしながら、ディオパエーゼへの道を歩く。
少し行けば、雑木林に入った。両脇に鬱蒼とした木々が立ち並んでいる。間を縫う道では、木の根が複雑に絡み合って地中から飛び出していた。ディオパエーゼの領地は自然豊かなのだ。
国自体もそれを承知しているので、このような場所にも通り道を設けているが、それを踏まえても、ただただ歩きにくい。
「そういえばですけど」
腰の後ろで両手の指を組んだフラメアは、可愛らしく唇を尖らせながらタクの隣で歩いている。
「ディオパエーゼにやっと、勇者さまが到着なさるそうですよ」
「へえ、いつ頃に着くんだ?」
「えと、そろそろ入城しているんではないかなー、と」
あまり確証が持てない、といったふうである。タクは右手で首を掻いた。
「うーん。それにしても少しばかり遅いな。メニーディアから遠いこともあるが」
「そうですか? こんなものだと思いますけど」
顎に手を当てたフラメアがうーん、と首を傾けた。
「……深く考えて答えが出るわけでもないから、まあそれでいいか」
「はいっ、もう少しでディオパエーゼですし。直接お話を伺えば済みますよね」
のんびりとした雰囲気をまとわせた二人は、道なりに目的地へと歩を進めた。並ぶ木々が地面に暗い影を落としている。そよ風が、木間を縫ってサッと駆け抜けた。梢がさわさわと音を立てて揺れた。
タクは振り仰いで、空を見上げた。
澄んだ水面のような、涼しげな青空が視界の遥かまで広がっている。薄い雲が、長細く浮かんでいた。太陽が、タクとフラメアに、目を細めるほどの熱い白光を絶え間なく降らしていた。
河川が遠方に見えた。周辺は森ばかりである。
そびえ立つ城壁が、町に囲まれている。かなり頑強な造りであった。要塞と言ってよいのかもしれない。それほどに隙のないブロック積みなのだ。
小一時間でディオパエーゼに着いた。
城塞に入り、タクたちは自室で一息つく運びとなった。
フラメアと分かれ、タクが扉を開けると、落ち着いた空間が眼前に小さく広がる。シンプルなデザインの部屋は、白く無機質な壁で四方を囲まれていた。隅にあるランプだけが、豪奢な造形だった。
最低限のものは揃っている上、必要なものを神官に頼めば、融通を利かせてもらうことも可能である。一人きりの充実した小部屋であった。
「おい、生きてるか」
タクは寝床にドサッと横になりながら、最も近い壁に立て掛けた聖剣に向かって声を投げた。
『……生きてるに決まってるじゃないですか。そんなことも分からないなんて、タクはそんじょうそこらのクソムシ以下ですね』
銀竜である。罵詈雑言が刃の振動と共に発された。表情を落とし、タクは真顔になる。
「……呼び掛けといてなんだが、やっぱり黙っててもらえるか」
『は? 嫌ですけど』
久々の会話だった。そのせいか、銀竜も、タクとのやり取りを喜んでいるらしかった。普段より声がキャピキャピしている。
「セリフはつっけんどんだが、なんだかんだ、声に楽しげな調子が混じってるぞ?」
くるりと寝返りを打った。身体の向きを変えながら、タクはニヤリと笑う。
『そう思うのなら、そうなんじゃないですか? タクの中では、ですけど。というか、暇すぎですよね。もっとコミュニケーションを交わしていかないと、ここぞというときにパワーを発揮できない気がするのですが……?』
ブゥーン、と、バイブのように剣身が細かく震える。銀竜の口調にどこか寂しそうな色があった。
すまん、と言って謝意を表し、タクが指先で鼻を掻く。
「いや、まあ悪いとは薄々念頭にあった。だが、聖剣銀竜の情報がどこで洩れるか分からないからな。会話は最小限にしようとなったわけだろう?」
頭からやおら起き上がり、布団の上であぐらをかいたタクは、穏当な表現で返した。
『そうですけどねー。で、どうなんですか、国境越えは』
「あんまり芳しくないな。ここ数日は仕事に従事しているが、まだ越えられそうにない。ここからさらに時間を食うと不味いな」
なんとなく天井を見上げる。すぐに視線が行き止まってしまった。青天と引き比べて、見上げる先が低すぎるのだ。
これじゃあ思いを馳せることすらできないな――。
天井は、白くて平たいだけだった。
なんの広がりも感じさせない。同じ世界にいるという一つの繋がりが、不意に途絶したようだった。
『仲間が心配なんですね』
「ああ。早めに安否確認をしとかないと、あいつらに何かあったら教師失格だ」
布団の横にタクは勢いよく立ち上がる。キリッとした顔で拳を握りしめていた。
銀竜は「おー。ぱちぱちぱちー」などと、タクを誉める。小部屋はかつてない盛り上がりようであった。今なら部屋中にカラフルな紙吹雪でも散るのではないかと思うほど、二人はキャイキャイしている。
「ん……?」
――しかし。
ぱたぱた、と。
何かの音がかすかに。
『タク……』
「ああ……」
そこでようやく、足音が近づいてきたことを感じ取った。タクたちの部屋へ忍び寄ってきている。一人であった。
タクは即座に警戒し始め、銀竜も黙りこくった。
銀竜にチラと目配せをする。
「だれだ……?」
『だれですかね?』
と、小声で意思疏通し合ったのと同時に、部屋の扉がガチャンと激しく揺れ動いた。扉の向こうに、誰かがいるのだ。その誰かは、何度かガチャガチャと前後させているが、鍵が閉まっているため、簡単には開けられないようだった。
「おい、なんのようだっ」
タクが叫んだ。手には引っ掴んだ銀竜を握り、正面で構えている。
『すみません、開けてくださーい』
扉の向こう側からくぐもった声が返ってきた。防音の性能はあまり高くない。壁を越えて響く声である。
聞き覚えがあった。
「ええと、フラメアか?」
確認のために訊ねた。
『そうですよー』
「どうしたんだ?」
『あの、勇者さまのお話を一緒に伺いにいこうと思いまして』
そういえばそんな話もしていたな、と思い出し、フラメアが聞き取りやすいように扉の手前まで近づいた。冷たい扉に耳をつけると、ひんやりとした感覚が神経に降りてくる。咳払いが一つ、遮蔽物越しに耳へ伝わった。フラメアの咳払いに間違いなかった。
(怪しいヤツじゃなくてよかった……)
タクの唇が静かに動く。抜きかけだった銀竜を鞘に収めて布団へ放り投げた。
「――そのことか。俺も行きたかったんだ。そこで、ちょっと待っててくれ」
『いいですけど……なぜガチガチに錠を掛けているんでしょうか』
呆れたような疑問の声。それは、この城塞に全く危険がないと確信しているからこその質問であった。
「安全とプライバシーの保護のためだが」
『せっかく驚かせようとしたのに、鍵に邪魔されるなんて……』
落胆の色がじわじわと伝わってくる。
「普通に警戒したじゃないか。やめろ」
タクは部屋にある必要最低限の装備を身に付けると、扉を開いて廊下に出た。開閉時の風が起こる。紅い髪がはらりと舞った。目の前には、長身のフラメアが、腰に手を当てながら待っていた。
「行きましょうか」
普段と変わらない様子で先を歩き始める。
「教皇から許可を貰ったのか」
フラメアを追ったタクがサッと横に並んだ。
「はい。大丈夫だそうです」
「勇者たちは今どこにいるんだ?」
「早速訓練を開始したい、と一人で訓練所に行ったと聞きました」
「熱心だな……ん、一人? やつらは数人いるはずじゃないのか」
一人の転移者――。
おかしい、と首を捻る。
転移者たちは、五人程度で活動しているのだ。まして、この危険な異世界である。一人の勇者など、少なくともタクの認識ではあり得ない話だった。
(まさか……途中で死んだのか)
異世界の自然は厳しい。
その可能性はゼロではないな、と思索したタクは、隣の反応を窺った。
フラメアは目を閉じ、悲壮を表した。
――やはり……。
「お仲間は道中で残らず亡くなったらしいです……。命からがら、一人きりで逃げ延びたのが、その勇者さまということですね」
フラメアが聞いた話はこうである。
意気揚々とメニーディアを出立した勇者一行だったが、ディオパエーゼまでの道中で強大な魔物の襲撃があった。
魔物は人型をしており、人語を解するという凄い化け物だった。襲われた勇者パーティーは数瞬で壊滅。お情けで、一人生き延びさせられたのが、現在ディオパエーゼで訓練中の勇者である。屈辱を受けた彼は、修行し、敵討ちを狙っているというのだ。
「という理由があって、訓練に勤しんでいるのだとか……」
「なるほど……って、すでに情報を知ってるのか? 直接聞きに行く必要がなくなったな」
「やめます? 面会予約取り付けちゃいましたけど」
「仕事が早いな。じゃ、顔合わせだけでも行くか」
そうこうしているうちに、明るい大空の見える訓練所に着いた。太陽は傾き始めているが、空はまだ青かった。
鈍い陽光が当たり、眩しさに目を細める。
夕刻に差し掛かる一歩手前の時間帯だった。
「勇者さま、参りました」
フラメアが呼ぶ。
「――あ、君たちが魔物討伐の人たちか……」
優しげな顔をした少年が、剣を携えて歩いてきた。訓練は一区切りつき、脇にあるベンチで休息していたらしい。汗を拭いたであろう長い布を首にかけていた。
「ええと……フラメアさんに」
「タクだ」
「そうそう、タクさんだったかな。……はじめまして。神崎マサヨシといいます」
神崎が軽くお辞儀をする。
「――こいつらが最高戦力か……」
と、神崎の呟く声が僅かに届いた。それも風ですぐに掻き消された。
「よろしく」
顔を上げ。
勇者神崎は、不敵な笑みを浮かべながら挨拶をした。




