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【蛇の街道、紅髪の舞う】

 





 うねった道が、山間を縫うように続いていた。

 山の谷間に敷かれた、砂岩の道であった。挟む山はどちらも標高千メートル級の高さがある。土地は多少荒涼ではあるが、旅人などの往来が頻繁なせいか道自体に人の手が入れられ、整然としていた。


 神国ディオパエーゼへ続く蛇街道。

 その街道はそう呼ばれていた。

 ぐねぐねと曲折した形状から、つけられた呼称だった。


 蛇街道を、山から降りて並び立つ木々が縁取っている。

 暑い日差しにより、木々から落ちる陰がいっそう濃くなっていた。陽光が真上、雲の隙間からさんさんと降り注ぐのである。短くなればなるほど、伸びる木陰の密度が上がり、より黒々とするのは当然であった。


 そびえ立つ山頂から強風が吹き下りた。木々の梢が、ざわめいた。

 山特有の冷涼な風が、寂しい蛇街道を走り抜けた。

 冷涼な風だとは言うものの、この暑さである。よい具合に気温が低下し、体感で二十度くらいになるのだった。


 すると、その風が、何かを連れてきた。


 音である。


 よく聞けば、叫び声のようだった。

 風に混じり、途切れ途切れに響く。声は、蛇街道の中間にある開けた場所から、聞こえてくるのであった。


 それは悲鳴といった類いの叫びではなかった。

 言うならば、気合いの籠った、高音の吼え声である。


「るあああっ」


『ギォオオォッ!』


 二つの影が交差した。


 樹木に取り囲まれた広場で、女が長い武器を振るっていた。

 武器が振るわれるたびに、空気が霧散する威力の風圧が、びょうと唸った。その美しさは、光の粒が流れ出るようだった。


 女の腕がしなうたびに、美しい深紅の長髪がその腕の反対側へさらりと流れた。軽やかなステップで、踊るように滑らかな動きだった。力強い光が、眼の奥にちらちらと見え隠れしている。


「……ふッ!」


 また、武器が振るわれる。

 女は、少女らしい幼さのある顔全体に、まるで結露のように、多量の汗を浮かせていた。それが顎を伝って、女の白っぽい首筋から装備の下へ流れた。


 正面では巨獣が跳び回っていた。日本でいう動物のシカを、何倍にもしたかのような化け物であった。

 見るに、紅髪の女の身丈がおよそ一八〇センチメートルならば、シカに似た巨獣は女よりも二回り以上大きかった。高さが三メートルに近いのだ。


 巨獣は、紅髪の女の攻撃をものともせず、巨体に似合わぬ俊敏さで横飛びした。焦げ茶色の体毛が左右に振れた。

 太い後ろ足で瞬間、ぶれるように移動する。


「やっ!」


 気合いの声を上げた女は、得物を前方へ突きだした。

 二メートル強ほどの金属槍。女が使用している武器である。丈夫そうな長柄に、鏡面のように磨かれた長細く鋭い刃が穂先となっていた。


 風切り音がごうと響いた。


 女の槍をぎりぎりで躱しきれず、巨獣は、深さ三センチほどの切り傷をその胴体に走らせた。

 赤い獣の血が、槍の刃先を滑るように流れ落ちた。

 空に目掛けて、鮮血がしぶいた。


 いけるはず。私ならこいつを。


 女の眼力が凄みを帯びた。

 深く踏み込んだ左足をつっかえるようにし、支える力を地面から穂先へと汲み上げる。腰元をしっかりと固定し、中心の槍を思うまま宙へ突き上げた。


 凄い威力の一撃が全身の筋肉を伝わって槍に込められる。

 斜め前へ素早く、ずんと穂先が伸びた。


 いななきのような声が上がる。

 女の声ではない。それは、巨獣が発した声であった。


「やった」


 突いた姿勢で腕を伸ばしたまま薄い笑みを浮かべ、女は呟いた。

 つやっぽい紅い唇が、横にすっと開いた。白い歯がちらと覗く。


 槍の穂先は巨獣の首をざっくりと大きく削いでいた。


 重みのある刃が生んだ予想外のスピードにうまく反応しきれず中途半端によけた巨獣の首半分に食い込んだのだった。槍先端が、溶けかけたバターにナイフを入れるように、すっぱりと獣の首側面を突き抜けていた。割れた端から、ホースからでる水のように、赤い液体が勢いよく吹き出した。


 噴出した体液が地面を叩き、辺りに真っ赤な血溜まりを作ってゆく。


「ブルルル……!」


 獣の低い唸りが響く。


 魔物は完全に死んだ――。


 女は確信していた。

 肉を断つ確かな手応えを、槍を握る腕の芯に感じたからだった。骨を砕かないまでも、首の半分を断たれては獣とて生きてはいられまい。そう考えたからだった。

 巨体がぶるりと震えるのが槍の長柄を通して伝わる。

 巨獣が排出した血液の量は甚だしかった。


 そのまま、巨獣が、どすんと力なく横倒しになる――はずであった。


『ギィルルオオッ!』


 それは断末魔ではなかった。

 巨獣の不気味な声。

 手負いとなった獣が初めて見せる本能の脅威を、分かりやすく音にしたものだった。


「あっ……」


 突然、巨獣が棹立ちになったことで、女は理解の追い付かないふうの声を洩らした。


 完全に油断したあとに来た巨獣の動作は、女を一瞬にしてすくみあがらせるのには十分だった。恐ろしい威嚇であった。


 目の前では、巨大な獣の前足が持ち上がっている。


 女は思わず後退りした。獣が漂わせる野生の臭いが鼻をついた。それは明確な死の香りでもあった。

 口内が乾くのを感じた。相手の傷は見た目よりも浅かったのである。


 巨獣が動いた。浮いた足を曲げてから地に落として深く屈み込み、太い首を斜め下にぐんとたわめた。


 もう、だめ――。


 空気を切り裂く音がぶんと鳴った。


 女はぎゅうっと眼をつぶった。

 果たして、重いものが身体にどすりと突き刺さった。


「あ……ぐ……ッ」


 とっさに身を固め緊張した女の身体を、言語に絶する激痛が貫いた。


 鎧などは装備していなかった。

 ただの軽装を、獣の剛直、頭部の角が貫き、加えて臟腑にまで到達したのである。腹部に感じたその痛みは次第に範囲を拡大し、満身に行き渡った。


 熱湯を体内に注入されたような焼けつく刺激が、女の全身を突いた。

 次いで、生温いものが身体の中心からどぽりとこぼれでた。

 腹からでた血潮であった。


「あっ」


 身体が無造作にぶんと宙へと投げ出された感覚だった。

 巨獣の角で腹を強烈に打たれた衝撃により、斜めへ吹き飛んだのだった。全ての骨が分解し四方八方へ散りそうであった。


 衝撃はすぐに来た。

 蛇街道を取り囲む樹木の幹の一つに、背中をしたたかにぶつけたからだった。

 根を張ったように身体が持ち上がらない。出血も甚だしかった。


(痛い……苦しい……)


 頭ががんがんと痛み、吐き気が襲った。すでに得物も手放していた。身体一つが地面に横たわっているだけであった。


 私はこんなところで――。


 この魔物の始末もできず、蛇街道の端で死ぬ――。


 なんて無様な最期――。


 仲間に見つけられても、きっと、冷笑されて終わり――。


 やはり、私一人で討伐できるような獣ではなかった――。


 後悔の念が女の脳内をぐるぐると廻る。


 ――でも、もしかしたら、こんな私でも、これからも無事生き続けられるような素敵なご加護をいただけるの――?


「……無理……か。それとも、あるいは……。ねえ……神様。どうか……どうか、教えて――」


 姿を知りさえしない神へ向け、女は静かに問いながら、ゆっくりと瞑目して切に祈った。手を合わせることも、ままならなかった。紅の髪が波打ち、肩から力なく下りていた。


 力の籠らぬ己の両手を眺め遣った。


 まどろみに風景が揺らいだ。緑や黄色、赤や茶色などの色彩が入り交じり、視界はぐちゃくちゃな状態だった。サイケデリックな絵画でも眺めているような違和感が生まれた。

 意識を保っていられない。


 前方に眼を向けた。


 巨獣がいきり立ってこちらへ駆けてくる。恐らく、肉食なのだろう。今、女は血肉をぶちまけて仰向きに倒れ、地表から空を仰いでいる。大地という皿の上に寝かされた無抵抗な供物。このまま骨の髄まで巨獣にむさぼり喰われるのは時間の問題だった。


 熱い陽光が眼の奥に注がれるように奥へ刺さる。真昼である。前方は白く塗りつぶされたように明るい。女の方向に木陰はなかった。

 ただただ、太陽の眩しさに包まれる。


 明るい……まだ希望を持っても、いいのですか――。


 そこに、ぬっと影が差した。明瞭な形をしていなかった。不定形の影が、立ちふさがるように頭上にあった。背の高い影である。手か何か分からぬ部位に、長いものを携えていた。


 神様ですか。そこにいるのですか――。


 違うだろう、ということは瀕死の女にも理解できた。眼前には巨獣のみ存在するのだから。


 それでもやはり。それでもやはり、女は何か都合のよい夢を見たかったのだ。


 叶うならば――。


 今が最期のときならば、神様のお姿を――。

 女が全てを諦めかけた、そのときだった。


 不意に、ぐしゃりと何かが潰れる音が響き、


『ブル……ギャヒィイ……!』


 と、同時に、近くで大きく濁声が響いた。

 それは確かに、獣の断末魔だった。

 間違いなく巨獣のものである。


『――あっ。いい感じに当たりましたよ。やりましたね』


「――ああ。前に殺ったやつより強そうだったが、こいつが手傷を負っていたのが幸運だったようだな」


 二つの人声。


 直後、どすんと、大きなものが全体で地面を打つ音が耳に飛び込んできた。


 何者かが、巨獣に止めを刺したのだ。巨獣は横倒れになったらしかった。真っ赤なものが霞みゆく女の視界の片隅に映り込んだ。恐らく中心をばっさりと殺られたのだ。


 女のまぶたにすっと射した不定形の影が、人間を型どる。

 その者こそが。


 木々のざわめきが、倒れ込んだ幹を震動させる。山特有の涼しげな風が吹き下ろしてきたのだった。


 ――心地よい風。


 すると、孤影が慌てて向かってきた。

 話し声がした。


「――この人、大丈夫なのか」


『――ええ、息はあります。しかし危ない状態ですね……早く救援を呼びましょうか』


 女は、間遠に男の声を聞いた。別の女と会話をしているようだった。


 それは、まるで地中に埋められたまま耳だけを澄ませて聞いたときのように、ぼんやりと女に届いた。そこで意識が遠のく。不思議と安堵に押し包まれた。


 ――あなたが神様ですか。ああ、私にも見えます、聞こえます。


 神様。

 黒い髪に白い肌。通った鼻梁。整った顔に身体。


 珍しい風体だった。


 しかし、女にとって、外見などは問題ではなかった。


 ――何と強力な気。


 男のその身に帯びる強く穏やかなアウラこそが、女を惹き付けたのである。


(……この人こそ、生涯を捧げるお方なのかもしれない)


 意識の暗い水底に沈みながら。


 紅髪の槍使い、聖騎士フラメア=シュヴール。


 彼女は必然の運命を、感覚が消え行くなかに見えた人影に、ひしひしと感じ取っていた。






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