【PREMONITION】
二週間待たせて申し訳無いです! 遅くなりました!
額に数行の筋を作っている汗が、あっという間に乾く。伸び放題の髪は問答無用で皮膚に張り付き、全身を覆う不快感を増長させる。
息は絶え絶え。足取りも不安定。不規則に刻まれるステップが何よりの疲労の証。
無意識に唾が溢れてくる。全水分を汗腺に注いでいると思っていたのに、自分の身体の正直さにはほとほと溜め息を吐きたくなる。
そんな余計な事に思考を割いてしまったことを後悔するのは、その直後。
「随分余裕なのね、考え事なんて」
目の乾きに耐えられずに瞬きをすれば、数瞬後に見えるのは鋭い銀閃。自身の左側から突如現れた影は、殺気を向きだしにしてその得物を真一文字に振るう。
刹那、ほとんど条件反射で左手を死神の一閃に添える。カキン、と小気味の良い音を立ったかと思うと、握り締めていた短剣が背後に飛ばされた。
得物を失うという失態はあったが、何とか第一波は凌いだ。続く二波を繰り出させないために、こちらも右手の得物を振るってみせる。
結果は空振り。ほんの少し身体を折り曲げただけでカリファはそれを回避し、更に攻めに転じてくる。
だが、息を吐く間もなくそうも攻められては堪らない。相手に向かって振るった右腕、それを戻すことなく振り抜き、右足を軸にして身体を独楽にして一回転。繰り出すのは、左足の回し蹴り。
案の定、その一撃は容易に見切られる。だが、構わない。この一瞬、相手との間を作ることが出来さえすれば、相手をその場から一歩でも後退させることが出来さえすれば――、
「はぁあああ、です!」
そこには岩さえも粉砕する一撃を持つ、彼女がいる。
彼女が両手に握っているのは全長一七〇センチ、刃渡りは一二〇センチにも及ぶグレートソード。尚、その身幅は厚く、豪快。本来少女が手にするに相応しくない代物を、彼女は容易く振り回してみせる。
構えは上段。斬るのではなく、叩く。
切れ味を代償に手に入れた莫大な質量を万遍無く利用するための、最大の構え。
全てを読んでいたかのように予め構えていた位置に後退してきた相手に向けて、彼女は鉄の塊を振り下ろす。
それを確認したヒトシも、同時に動く。
相手が後退したのを確認した直後、素早く腰元のポーチに手を伸ばす。器用な指先で取り出し、手首のスナップで投擲するのは千本。
後方からはウタが、前方からはヒトシが挟み込む形でカリファへと迫った。が――、
「連携が良く取れているわね」
ヒトシ達に向けて賞賛を口にしながら、カリファは短剣を閃かせた。
後方から迫る大剣に右の短剣を添える。大剣に対して、その刃渡りは二〇センチほど。身幅など比べる意味も無い。別段鍛え上げられた物でも無く、あくまでヒトシが使用している物と同じ短剣だ。
だが、そんなか弱い得物で、カリファはその一撃を凌いでみせる。
大剣に対して銀色の刃を斜めに構え、滑らせるようにその威力をいなす。
また、その間ウタには一瞥すらしない。大剣が迫る位置、速度、タイミング。その全てを読み、完全に無力化した。
カリファが見ていたのは、前方。ウタでも大剣でも、更には千本でもなく、その奥のヒトシの姿。
進路上の千本のみを短剣で払い落とし、今までに一度も見せたことのなかった最高速度でヒトシへと直進した。
決まった。勝った。
勝利への確信から生まれる、決定的な油断。
その油断は、ヒトシの防御を数瞬遅らせるのには十分過ぎた。
迫り来る殺意に対して、ヒトシは残る右手の得物を向ける。あわよくば、その攻撃を防いでくれ、と。
だが、言わずもがなそれは実現せずに終える。自身に向けて突き出された刃に、カリファはあくまで冷静に対処する。
両手の得物を地面に投げ捨て、空いた右手でヒトシの手首を掴む。そのまま身体を相手の直線上から反らし、左手でヒトシの首を抑える。後は流れるように手首を引いて背中の裏に回し、首を地面へと押し付ける。
「動いたら腕をへし折るわよ、なんてね」
頭を抑えられ、腕を抑えられ、馬乗りの形で胴を封じられ、あっという間にヒトシは身動きが取れなくなった。辛うじて動く眼球で前方を向けば、あわあわと焦りを露にしているウタの顔が目に入った。
「参り……ました」
もう何度も口にした台詞を、ヒトシはまた口にした。
そんな口の中には、苦々しい敗北の味が広がっていた。
◆
ヒトシがウタと出会い、共にカリファの元に戻ってから早五日。ヒトシの説得とカリファの厚意によりウタを交えて、また訓練の日々が続いていた。
とは言え、以前のような軟禁状態では無く、他の転移者との接触は禁じられているが、外への出入りは許されている。極限状態に慣れさせるという目的は既に達成したらしく、若干ではあるがヒトシも気が楽になった。
その点、訓練が途中参加のウタはどうなのかと言われれば、カリファはウタにも外への出入りを許可した。ヒトシ伝いにウタの事情を聞き、彼女なりに同情しての判断だろう。もっとも、誰にも認知されなかった数日間は極限状態と言っても過言では無いだろうが。
そんな訳で、カリファを師としてヒトシとウタの訓練が日々行われていた。
「今の敗因は貴方よ、ヒトシ」
「僕……ですか?」
先の組手の反省をしている中で突如指を指されて、ヒトシは首を傾げる。確かに自分自身も至らない点はあったとは思うが、ヒトシ個人だけに敗因があったとは思えなかった。
何せ、カリファが一人なのに対して、こちらはツーマンセルだ。連携の問題でボロが出て二人とも注意されることはあっても、どちらか個人の行動が敗北に直結することはそうありはしない。
だが、師であるカリファがそう告げる以上、ヒトシの立ち回りに問題があるのは明瞭だ。自分の行動を反省しながら、カリファの言葉を待った。
「さっきの組手は悪くなかったわ。組手の中でも言ったように、連携が上手く取れていたのは大きな進歩ね」
「「ありがとうございます」」
「でも、詰めが甘いわ。ウタの間合いに私を誘い込んだところまでは良かったけれど、ヒトシ、貴方あの時に一瞬ウタに目をやったでしょう?」
「はい。……でも、そんな事で連携が崩れるものなんですか?」
「少なくとも、私相手には致命的よ。私以外の所に目をやるってことは、そこに目をやるだけの何かがあるって事なんだから」
ヒトシは以前訓練の中で、戦闘中は片時も相手から目を離すなと言われている。一瞬の余所見、気の緩みが死に直結するのだ、と。
ヒトシ程度ではそれを言葉通りの意味としか理解出来なかったが、恐らくカリファはそれを実践することが出来ている。ただ見ているだけでなく、そこから得られる情報で相手の先を読むことが出来ている。
そして、だからこそウタの奇襲を一目もせずに避けられたし、次の行動に移ることが出来たのだろう。
「もう少しウタを信頼してあげなさい。確認しなくても、ウタは必ず貴方の望む場所で待ち構えてるんだから」
「そうですよ! 私達はもう一心同体、心も体も繋がった仲なんですから!」
「ウタさん、そういう質の悪い冗談はやめ手首があり得ない方向へ曲がろうとしてます勘弁してくださいカリファさん!?」
「貴方……遂に手を出してしまったのね。まさか、私の事もそういう目で毎日見て……いっそ、目を殺っておこうかしら」
「手を出してもいませんしそういう目で見てもいませんからね!? というか不吉な事言わないでくださいよ!? 僕から目を奪ったら何が残るって言うんですか!?」
「正直ちょっと五月蠅いくらいのツッコミ、ですね」
「う、五月蠅いと思ってたの? ウタさんって意外と容赦無いよね?」
「辛辣な事を言えるのは容赦をする必要が無いからで、容赦をする必要が無いのは身も心も許しているからですよ? ドューユーアンダスタン? あ・な・た?」
「だからそういう冗談は本当にやめ手首が腕に密着してとうとう感覚が麻痺し始めたんですけど大丈夫なんでしょうかカリファさん!?」
「大丈夫よ、死にはしないわ」
「……一体どこの時点で僕は生か死かの二択に追い詰められたんですか?」
全く笑えない冗談の応酬の最果ては、ヒトシの左手首の死。とは言え、生来体だけは柔らかいためにそこまでのダメージには至らないのだが、無論その精神的ダメージは計り知れない。
ヒトシの気付かぬ間に腰のホルダーに手を伸ばしているカリファに戦慄していると、ウタが笑いだし、それに釣られる形で二人もくすりと忍び笑いをして、その一幕を終えた。
そんな事もありながら休憩時間が終わりを向かえ、いざ再度訓練に取り組もうか、という時、何気無くカリファが口を開いた。
「そう言えばヒトシ、貴方イルシンクから友達に関する情報を聞き出せたのかしら? ここ数日毎日アイツの所に通っているようだけど」
「それが、ですね……」
苦々しい表情を浮かべながら、ヒトシは事の顛末を語った。
カリファの言う通り、ヒトシはハレの情報を手に入れるべく毎日イルシンクの元へ通っていた。毎日、と言うのも、ヒトシがイルシンクの元に行く度に、イルシンクは遠征に出ているだの視察に出ているだのといった理由で、今の今までも会えずにいるのだ。
話によると、ヒトシがウタと出会った夜にイルシンクは城を発ったらしく、あの夜が絶好のチャンスだったとの事。ウタをカリファに紹介していたがためにあの夜の訪問を諦めたのだが、今となっては後の祭り。すぐに訪ねなかったことが非常に悔やまれる。
そんな訳で、ヒトシは未だにハレの現状を把握出来ずにいた。
「なるほどね。まあ、アイツは仮にも一国の王だものね。そんな事もあるわよ」
「……あっちから情報を渡すって言い出したのに、何をしてるんだか。使いを送るくらいなら簡単に出来る癖に」
「ヒトシさんって王様の事になると妙に強気ですよねぇ。その調子で私とも遠慮無く話して頂いても構わないんですけど」
「そ、それは、その、まだ時間が欲しくて。……ほら、敬語はやめたでしょ? 今のところはそれで手打ちってことで、ね?」
ウタと共に訓練を始めた初日に、ヒトシはウタから敬語をやめるようにせがまれた。友達である以上敬語を使われるのは気に食わない、と。
それならウタはどうなんだ、とすぐに切り返したが、そこはヒエラルキー最上位の技量か、ぬらりくらりと話題を逸らされた結果、ヒトシだけ敬語をやめる羽目になったのだった。
「敬語ではないですけどやっぱり遠慮がありますよね? イサムさんと話しているみたいにもっとぶつかってきてくださいよ! ほら、物理的にも精神的にもウェルカムですから! ……あ、でもどさくさに紛れて胸とか触ろうとしたら目を潰しますからね?」
「その時には私の手――いや、指も貸すわ」
「……もう僕は何をやっても目を潰されるんですね」
二人に全身を押さえつけられ、無限にも思える時間の中で徐々に二人の指が眼球に迫ってくる。そんなおぞましい想像が易々と思い浮かび、思わずヒトシは青褪める。
何せ相手はあのウタとカリファだ。グレートソードを容易く振り回す少女と、無手で短剣を構えているヒトシを無力化出来る女性。その二人を相手にして、逃げ切れる自信など微塵もありはしない。
決して、馬鹿な真似はよそう。そう心に誓うヒトシだった。
「そうは言っても何も情報を寄越さないのは確かにおかしいわね。転移者の情報は各国で共有することが義務付けられているし、どれほど遠回りしたとしても一週間もあれば報告が来るはずなのに」
「……何か、大変な事が起きているってことですか?」
「可能性の問題よ。悲観するほどの事でも無いわ。それに――」
カリファが言葉を続けようとした、その時だった。
「カリファ様はここにいらっしゃいますか!?」
バタン、と外へと繋がっている扉が乱暴に開かれる。そこから現れたのは、軽装備を身に纏った警備兵。息を切らせていることから、何かを焦っていることが容易に汲み取れる。
「カリファなら私よ。どうかしたのかしら?」
「報告致します! ルーツ様より伝令、海神衆は今すぐに円卓の間に集え、とのことです!」
息を飲み、一拍空ける警備兵。彼はふとヒトシへと目をやり、その後遂にその言葉を口にした。
「イルシンク陛下が、生存確認の出来ない状況にあります!」
奇しくも命中してしまった嫌な予感に、ヒトシは焦りを抑えることが出来なかった。
今回も読んで頂き誠にありがとうございます。
誤字脱字・感想等ございましたら是非お願いします。
一言でも作者のモチベーションは格段に向上します。
どうか今後ともよろしくお願いいたします。




