【前途にある悪を討て】
――おいおい、演技上手いなー、あいつ……。
オルドルネが銀竜を連れ去った後、タクは斡旋所の床でしばらく寝転がっていた。出血はすでに止まり、あれほど深かった傷口はほとんど閉じかかっている。嘘のような回復スピードであった。
タクは傷に沿って指先で確かめた。掌全体で撫でさすっても、なんら傷みを感じないのである。
のそりと、タクは起き上がった。
横を眺めやると、ティシュリーが寝息をたてていた。幸福そうな、油断しきった寝顔だった。むにゃむにゃと寝言まで言っている。
(オルドルネ……やってくれるぜ)
ティシュリー。
凝視すれども、とても人を刺すような顔ではない。
しかし、あの瞬間に捉えたその眼は、ひどく濁っていた。
銀竜はティシュリーを、正気ではない、と叫んでいたことをタクは思い出した。オルドルネの奇術による、一種の催眠かもしれなかった。操られたまま、タクの腹に刃をたてたのだ。
「あっさり信じたオルドルネもオルドルネだが。銀竜も契約破棄とか、よくもまあ、そんなでたらめ言えるなぁ」
そうである。タクと銀竜の契りは最初から最後まで継続状態にあるのだった。タクは体感でその事実を確信していた。
過去、怪鳥との一戦で、契約の潜在能力はいまだ底が知れないことも分かっている。恐らく、タクの肉体は銀竜の完全なパワーを引き出すまでには至っていないのだろう。無理に使えば、満身が鉛のように重くなり、筋肉に激痛が走るのである。
しかし、酷使しなければ、傷自体をふさぐことは可能である。剣の使用ダメージが肉体に受けたダメージを上回らない限りは、ものの数分で復帰可能な健康状態まで持っていけるのだった。
「いてっ」
だが、神経の感じ取った痛覚までは消すことができない。何もないところがじくじくと痛むのである。
タクはこれらを冷静に分析し、理解した。痛みは耐えられないほどではない。一度、銀竜の反動をもろに受けたことがあるからだった。
あぐらをかき、その上で頬杖をつきながら、惨事の傷痕をタクはまじまじと眺めた。依然として、血肉の焼け焦げた死臭が鼻をつく。塵芥が天井からはらはら降りてきた。灰であった。
「すぐに追わないと不味いか……」
オルドルネは奇妙な道具を用いるらしかった。力を封じ込めるのだろう。オルドルネの元仲間の一人が、そのようなことを言っていたのだ。
だから、放っておけば勝手に銀竜が手元に戻るなどと、タクは考えていなかった。そのあたりの対策を、オルドルネは抜かりなく行っているはずである。たとえ、タクを亡き者にしても、銀竜が逃げないよう拘束するに違いなかった。
「う、ううぅん……」
呻きはティシュリーである。目を覚ましたのだ。
「あ……グテンくん?」
「どこまで記憶してる」
頭を抱え、ティシュリーは考え込むように両膝をすり合わせた。
尻をつき、座った姿勢で足を伸ばして、うんうんと唸る。
「えっと。金髪の人に、引っ張られたときからはあいまいなの……」
「やっぱりか……」
「え……やっぱりって」
「深く考えなくていい。とにかく今は、偉いさんの指示を仰ぐことだ」
斡旋所には、誰かが入ってくる気配すらない。
ティシュリーの右手をとり、引き上げるように、タクは立ち上がった。
「お隣さんがギルドだったはずだ。そこにあのおっさんがいるだろうから、話をうかがうとしよう」
タクは表へ出た。
すると、野次馬の群衆が騒然となった。二人が無事に出てきたからだった。
「おたくら、でえじょうぶだったのかい」
「なかはどうなってんだ!」
「金髪のヤツはどっかいっちまったが……」
数十人が一斉に押し寄せる。
「退いてくれ。俺はギルドに用事があるんだ」
タクは分け入って進んだ。
「きゃっ、赤い」
「血がベットリじゃねえか、兄ちゃん!」
「刃傷沙汰どころじゃねえぜ!」
「職員は人質だったというじゃねえか、いきてんのかい!」
質問は後を絶たない。
それを無視し、タクはギルドに入った。構造は斡旋所と変わらなかった。中はいやに静かである。
「おい、兄ちゃん。今日はギルドマスターの意向で、ギルドは休みなんだよ」
「なんでも、じっくり説きたい若者に会うためだとさ」
背後から数人の声がかかった。
つまり、タクと話すため、ギルドマスターは外れの教会へ向かったのだ。
「まさか道中ですれ違ったのか」
「そうかもしれません。ギルドマスターといえども、すれ違っては、ここまでかなり時間がかかります。あの方は一つに集中すると周りが見えなくなるタイプですから、異変に気づくかどうか……」
ティシュリーはギルドマスターの性格を知っているようで、口に手を当てて呟いた。
「……どちらにせよ、すでに手遅れだな。もしギルドマスターがいても、人質を取られてたんだから現状とたいして変わらないだろ――」
「――誰がいても変わらんのだって?」
「――うおっ」
「再会できたのお。元気か、若者」
鼻から下に白い髭をたっぷりとたくわえた、腰の曲がった老人がそこに佇んでいた。タクに向け、手をひらひらとやっている。
「うーん。風でも吹いたのかな、と」
「まさしく、新風が吹き込んだのだろうよ」
上手く言ったとばかりに、笑みを浮かべた。
「剣がとられたんだが――」
「――聖剣か」
「よく分かったな」
展開がやけに滑らかで、タクは不思議に思った
「今日、話したかった内容じゃ。世界に散らばっている聖剣がうんぬんかんぬんで、おぬしが持つ聖剣がうんぬんかんぬん。それを狙う輩がうんぬんかんぬんといった具合に」
「うんぬんかんぬんって……。今の相手は、思いきり私情を挟んでるが」
「その剣の前所持者は契約もしとらんかったし、なにより、売り払おうとしたらしいからの」
本当によく知ってるな、とタクは胸中で呟いた。
「俺より詳しいんじゃないか? ま、そりゃ逃げて当然、ってか」
「わはは、聖剣が一人で逃げたのかっ。それは傑作じゃ! ところで、聖剣の動向は裏の世界じゃ飛び交いまくりよ。笑えるじゃろ」
聖剣は限られた世界でのみ知られているらしかった。そこに一歩、タクは足を踏み入れたわけである。
「笑い話じゃねーよ。どうすりゃいい? あんたならわかるだろ」
「追いかけて飛び蹴りでもかましてやったらどうじゃ」
「それ俺が斬られて終わりだろっ!」
「じゃろうな。そこで、かわりといってはなんじゃが、これを貸してやろう」
老人は腰元から何かを取り出した。それをタクに投げる。
「……刀か」
それは頑丈に作られた刀だった。黒い棒のようでもあった。
「これも聖剣じゃ。なかには誰もおらんが。声がせんからな」
精霊がいない聖剣もあるらしかった。タクの場合、銀竜が思考のベースとなるため、知らない情報は納得する他ない。
タクは手の上で刀をもてあそんだ。
「刀身が黒くて……結構ゴツいな。頑丈さで勝負って感じだ」
「刀自体は蛇の紋章、名を黒蛇という。最近手に入れたのだが能力、正直ぶったたく以外に特になし! なのじゃからな」
「不良品じゃねーか。そこら辺に落ちてる金属棒のほうが、いい仕事しそうだぞ。貰うけど」
「貰うんかい……。ついでに、この世の悪人が使用してる聖剣をぶんどってくるのじゃ。勇者とやらがいる国の王には伝達しておいたから、今の敵をぶったたいたら、そのまま旅に出るのじゃよ? この袋にいろいろと入ってるから、使ってよい。ほら」
腰に巻けるようなベルトがついた、袋である。
「袋だな……」
「ただの巾着っぽいが、なかはそこそこじゃ」
タクは袋に手を突っ込んだ。なるほど、奥行きがあるようだった。
特殊な手法で作成された袋である。
「なんかたくさんもらってるが、いいのか?」
「聖剣に認められた男じゃ。大丈夫じゃろう。まあ、その仕事、実はわしの担当だったりする……」
「聞こえてる! ちょっと聞こえよがし過ぎるぞ」
「いってこい、若者!」
背中を押され、タクは無理に方向を転換させられた。
「ちょ、押すな。ま、なんだか釈然としないが、とりあえずいってくるか! なんだかんだで、ティシュリーさんもありがとな。また会えるといいな」
「はい、またっ!」
そのまま振り返らずに走り出す。
「その方向に、かならずヤツはいるぞ――」
老人のこぼした言葉が風に乗って耳に入る。
決着を着けるときであった。
「金鳥亭に挨拶したいところだが、仕方ない。また来たときに見に行くとしよう」
――避けられない戦いが、そこにあるのだ。