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【灯火は風前に消えた】






 血にまみれた巨漢が冷たい床に倒れ、全くの静寂に場が満たされた。

 そのなかで異常なのは、タクの手中にある剣が人語を解するということである。


『と、いうわけなので……』


「いやいや。どういうわけだ……」


『まあまあ。とにもかくにも、私の名前は銀竜であるとだけ、しっかり記憶しといてください』


「それにあと、本来は剣である、と。なるほどな。ま、面倒なことを考えなくて済むのはありがたい話だ――」


「死ねやあッ!」


「――っと」


 奥から出てきた男の突進を、タクは横飛びしてかわす。


 目標への方向転換の途中、男がつんのめって床に転げた。


 勢いそのまま二転三転となった男は、構えていた小刀を自らに巻き込み、腹にモノが刺さったまま仰向けになって悶絶した。もし死ぬとすれば、死因は出血多量である。


『馬鹿ですね』


「言ってやるな。馬鹿だけど」


 タクは手元の銀竜を覗き込んだ。会話のとき、刀身がわずかに揺れるのを見たからだった。恐らく、振動によって発声する仕組みを作ってあるのだろう。微弱な震えだが、音は十分に伝導している。


『何ですか』


「お前、震えてる……」


『べ、べつにこわくなんかないもんっ』


「……いや、そういうのはいらんから」


『そーですか』


「そうだろが」


『あ、後ろから来てます』


 銀竜と対話している間に、敵の数が増したようだった。

 タクの背後から、剣呑な殺気が次々と現れる。それを銀竜は感じ取ったのだった。


「おらあッ!」


 一人が、もうすでに肉薄していた。吠えるように叫び、得物を振るって跳んできた。


「お前、それを先に言え、よっ!」


 石造の床を滑るように身を沈めてから、タクは感覚に任せて銀竜を突き出した。


 スローモーションのようにゆったりと下方から上方へ持ち上がり、鋭利な白刃が相手の胸元へ向けられる。実際、この間、もののコンマ一秒程度だった。


「ゲッ」


 勢い込んで向かってきた若干細身の男は、白く長いモノを胸の中心に生やし、驚いたように呻いた。


 前方に倒れ込もうとした男は、ずぷずぷと、自重によって深くまで突き刺さってゆく。赤色が胸一面に広がった。

 男の体は剣のツバ元で停止した。


「おおっと――」


 男の胸から刀身を抜く暇もなかった。その後方から新手が切り込んできた。


「どりゃ……あベへェッ」


 タクの後ろ蹴りがその顔面をしたたかに打った。相手の刃物が来る寸前で、カウンターの如くめり込ませたからだった。

 男は静かに床へ沈んでいった。


 すると、あまりに見事なタクの足さばきに、敵集団がにわかに浮き足だった。

 先まで殺気の充満していた空間が嘘のように戸惑う雰囲気となったのである。あれを見て、タクを相手取ることは、自分を無駄な死へ向かわせる行為であると、気づいたのだった。


「来ないのか?」


 タクは投げ掛けた。

 ざわめきが一層大きさを増した。


「ば、化けもんだ……」

「殺されるうっ……」

「もういいだろっ。俺は逃げるぜ!」

「俺もだあ」


 一部は遁走を始めようとする始末である。


「待てよ、そんなことしちゃあよ――」


 一人が何かを言いかけた、その時だった。


 突然、室内に光が射し込んだ。

 斡旋所表口の木戸が完全に開ききったのだ。

 黒々とした影が、光の中に落ちた。人影である。


「――そんなことをしたら、なんだ?」


 そこには金髪の青年が佇立していた。


「オルドルネさん……」

「あいつはヤバイですって」

「死んじゃいますよお」


 今にも逃げ出しそうだった男たちが、金髪の青年――オルドルネに殺到した。


「お前たち、まさかこのまま尻尾を巻いて逃げるつもりだったんじゃあないだろうな。……僕が、どれだけ前金をやったと思ってるんだ?」


 オルドルネはゆっくりと問いかけるように返事をしたが、その質問は真に疑問を持っている内容ではないようである。


「俺たちに死ねと、そう言ってるんですかいっ」


「不満か?」


「ああ不満ですね! このままじゃあ、全員、剣のサビにされちまう!」


「なら――サビになればいい。お前たちだけでな」


 凄い眼光だった。

 オルドルネのあまりに淡々とした物言いに、周囲の男たちは唖然として立ちすくんだ。


 乾いた風が斡旋所に吹き込む。

 男の一人が雄叫びをあげた。


「もう我慢の限界だぜッ!」


 それに続くように、男たちは次々に騒ぎ立てた。


「俺たちゃ、まだまだ生きてえんだ!」

「ボンボンだか、依頼主だか知らねえが! てめえも冥土の道連れにしてやるっ」

「死にさらせや!」


 敵一同はおのおの、武器を掲げてオルドルネに向けて振りかぶった。


「――なるほど。相手との力量がはかれないマヌケは、結局死ぬしかないわけだな」


 オルドルネが呟いた。その掌から光が走った。


「ぎゃッ」

「あぎいぃ」

「でええ!」


 火炎が上がった。


 取り巻いていた者は、瞬く間に赤い炎に包まれた。火柱は次第に青みを増し、最後には青い炎となって人を焼き払う。

 もうもうと上がる煙とともに、キナ臭い匂いが宙に広がった。

 視界が青と灰に染まる。


「役に立たんやつらだ。仕事一つこなせんとは」


「オ、オルドルネざァん、だずけ――」


「うるさい死ね」


 燃え尽きかけ、すがりつく男を、オルドルネは爪先で思いきり蹴り飛ばした。


 男はのけぞった格好で、後ろに倒れ込んだ。

 オルドルネはその横っ面を靴底で強烈に踏みたくった。

 男はぴくりともしなかった。もうすでに、息絶えているのである。


 その頃には、ほとんど全ての人間が燃えカスと化していた。

 黒ずんだボロキレがさらさらと舞い散った。濃厚な焼死体の臭いが漂う。


『むごい……』


 絞り出すように、銀竜がこぼした。


 その一言に、オルドルネは敏感に反応した。


「今の声、まさにギンリューじゃないか」


 金色の髪がかかった頬を緩める。


『久しぶりですね、オルドルネ』


「知り合いなのか?」


 タクの発した言葉に、オルドルネは眉根を寄せた。


「知人なんて、そんなヤワな関係じゃないっ。 僕たちは愛し合ってる! そうだろう、ギンリュー?」


『知りませんっ。第一、私はあなたから逃げてここまで来たんです。愛し合う? そんなわけないじゃないですか』


「嘘だっ。僕こそ、君に認められるべき男! さあ、そんなやつといてはダメになる。はやくこっちへ。君の純潔は僕が守るっ」


 まるで話にならないようだった。オルドルネは聞く耳を持とうとしないのである。この場合、タクは介入すらできないと相場は決まっている。それはタクも承知の上である。


「あんたはいったい、銀竜の何なんだ?」


 しかし、その上で確かめたのだった。


「運命の者同士だ!」


『違います。以前、私を所持していた人物のご子息です』


 オルドルネの父親が、前に銀竜を持っていたというわけである。

 恐らくオルドルネは良家の出なのかもしれなかった。身なりも良く、さらに父親はこの聖剣、銀竜を所有していたのだ。大方、そんなところだろうと予想できた。


「前所持者のようなものか……」


 タクはある程度の合点がいった。


「そういうお前はどうなんだっ」


 オルドルネはいらいらしているようで、しきりに床を踏み鳴らしている。


「俺か? いや俺は――」


『――私の契約者、ですよね』


「――ちょ、おい、バカやろうっ。あおってどうするんだ!」


 風が吹き荒れた。無論、自然のものではない。オルドルネを中心に外側へ、台風のような旋風が吹き出しているのである。そこらにある調度品が浮き上がりそうなほど、荒っぽい風だった。木戸がぎしぎしと悲鳴をあげて軋む。一定の風圧を保っているらしかった。


 オルドルネは一度、表へ出た。何をしているのかタクには分からなかったが、何か悪い空気が重くのし掛かってきているのは感じ取っていた。


 外から細い声が上がった。女の声である。タクは聞き覚えのある声に、悪い予感の的中を悟った。


 女が一人、乱暴に引き連れられてきた。


「グテンくんっ」


「ティシュリーさん……」


 果たして、ティシュリーだった。オルドルネはその首もとに手を当てている。完全な人質であった。


「ギンリューを渡せ。さもなくば……」


 虎狼の眼光が、ある種の暗さを帯びた。


 ――これは、不味い事態になったな。


 タクの額に、粘っこい汗の粒がふつふつ浮かんだ。


 ――銀竜を渡せば、俺は必ず不利になる。最悪、死ぬかもしれない。だからと言って、渡さなければティシュリーの命はないだろう。


 タクにとって究極の選択であった。


『渡してください、タク』


 小声で、銀竜が言った。


「大丈夫なのか」

「はい。実は契約が本当に完了しているので、いつの間にかタクの手元に戻るようになってますからね」

「最初もらったときか」

「そのときから戦闘のときまでに、ですね」

「鳥と戦った……」

「そうです。だから、ここはてけとーに合わせちゃってください」

「わかった」


 オルドルネもそろそろ限界のようだった。腕を組み、指で腕をとんとんと鳴らしている。


「何をごそごそとやっているんだ! こいつがどうなってもいいんだな!」


「きゃっ」


 ティシュリーの首筋に風の刃が近づけられ、その切っ先が浅く、切れ込んだのだ。そこから、赤い筋がすっと伸びた。白い肌に、鮮血が浮かぶようだった。


「こっちへ来て、ギンリューを床に置くんだっ、はやく」


「待てよ。ほらっ、これでいいだろ」


 オルドルネの風の発生スピードは明らかにタクの動きより敏速である。ここで下手に動こうものなら、ティシュリーの首は上下に別れるに違いない。タクは指示通りにおとなしくコトを済ませる必要があった。


 銀竜をゆっくりと床に置いた。


「よし、お前は離れろ」


 その通り、タクはいくらか距離を取った。


 オルドルネは歩み寄って銀竜を拾い上げると、やにわに頬擦りを始めた。満足げに肩を揺らしている。


「いいだろう。女を返してやる」


「グテンくんっ」


 ティシュリーがタクに駆け寄った。


「――ふん。ついでに契約を解くか……」


 オルドルネが、ぼそりと言った。暗い瞳だった。

 何かがおかしい、そう思ったときには少し遅かった。


 銀竜が叫んだ。


『気をつけてくださいっ。その女、正気じゃない!』


「あ……?」


 タクはティシュリーの眼を見た。どんよりと濁りきった暗い瞳だった。


 ――いろいろと甘くみすぎていたなあ。


 タクは自身を見下ろした。

 腹部を――短刀が通っていた。

 背中まで切っ先が抜けた感覚がタクのなかにあった。


 異物が突如内部に現れたとてつもない激痛が、脳と脊髄を貫いたようだった。


「お前が死ねば契約はご破算なのさ!」


 オルドルネは声高に言った。


「く……」


 タクは膝をついて、そのまま倒れた。


『こんなの、卑怯です! 人殺し! 人非人! こんなことって……!』


 銀竜は珍しいほどに狼狽しているようだった。


「そんなの、すぐに忘れてしまうさ。それに、僕はこいつを殺さないとは一言も言っていない!」


 そんな言葉すら、オルドルネにとっては右から左に抜けていくように通じない。


『クズです! それに……人間を操るなんて、禁忌とされていることですよ!』


「くくっ。ああそうさ、僕にはコレくらいの取り柄しかないからなあ!」


 暗い瞳のまま、歯を剥いて笑っている。

 銀竜は怯えの色を強く表していた。だがそんなことは関係ないらしかった。


 銀竜の叫びはなおも続いた。


『タク! タク起きて! そう、生きてさえいれば……』


 タクの体がわずかに動きを見せた。息をしているのだ。銀竜は僅少ながら安堵に包まれた。まだ回復できる兆しが見えたからだった。


 しかし、オルドルネは眉をひそめた。どうやら快く思わないらしかった。すると何かを思い付いたように行動を始めた。


「これでどうだ!」


 タクの横腹を狂ったように蹴飛ばした。何度も何度も蹴りをいれる。


『きゃああ! やめてください! タクはまだ弱いから! だからこそ、強くなれるの! 私が眼で見て分かったんだから!』


 逆らえない銀竜はただ叫ぶしかなかった。タクの生存確率がかすかでもある限り、それを願うのが現状出来うる助けだった。


 オルドルネが口を開いた。


「ギンリュー、お前が契約を破棄するというのなら、ヤツの命くらいは見逃してやってもいい」


『破棄しますから! だから命だけは、お願い……』


 これ以上タクを暴力にさらすまいとする覚悟が銀竜にはあるのだった。


「ようし。やってくれ」


『銀竜はタクとの契約を破棄します』


 光がこぼれ、タクに染み込んだ。


 銀竜の精神はすでに極限状態にあった。正視できない凄惨な光景を見すぎたからである。


 オルドルネが不意に、顔から表情を落とした。


「死ね」


 タクに向かって、銀竜が降り下ろされた。

 タクの背に深い傷が生じ、そこから血が流れ出す。


『なんで……』


 銀竜は限界のようだった。声が細く、弱々しくなっていた。


「弱いからだ。弱いからこうなった、それだけだ」


 オルドルネはタクを見遣って、答えた。

 それは、自分に言い聞かせるようにも見えた。


『ああああ……』


 銀竜は、大切な何かを目の前で失った事実に耐えきれぬような、乾ききった声を洩らした。


 タクは、微動だにしなくなっていた。






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