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【FINAL CHARGE】

仁サイドー。

 


 その後数分間、闘いは見るに堪えないような悲惨な攻防が続いた。


「らあっ!!」


「遅いわ」


 依然として考えも無くがむしゃらに突進を繰り返すヒトシ。その身体を幾許の手心も加えずにカリファはひたすら押し返す。


「まだっ! まだっ!!」


「甘い」


 ある時は蹴り飛ばされ、ある時は投げられ、無謀なヒトシの行動はただその身体に疲労を蓄積させていった。


「はあ、はあ、はあ」


 荒れる吐息。無制限に流れ続ける汗。

 心身ともに激しく磨耗しているヒトシと対照的に、カリファは依然落ち着いた面持ちで見つめる。


「どうして、貴方は未だにそんな目をしているの?」


 開始から十分を越える頃、その数は十を優に超えた。

 二人が刃を交える度に、ヒトシだけが一方的に切り傷を増やしていく。所詮は皮膚を切り裂く程度だが、塵も積もれば山となる、流れている血液は決して少なくない。加えて、突進の度に全力疾走しているヒトシの足腰は限界が近い。まさに満身創痍。

 けれど、そんな状況に置かれていても、ヒトシの目だけは死んでいなかった。

 寧ろ、傷付く身体に反比例して、その双眸は輝きを増しているようにさえカリファには思えていた。


「貴方がそれだけその友達の事を想っているのは分かったわ。でも、貴方の身体はもう無理を出来る身体じゃない。それなのに、どうしてまだ立とうとするの? 情報なんて遅かれ早かれ貴方の耳に届く。今、貴方が無茶をしたって何も変わらないわ」


 カリファから投げられた言葉に、途切れ途切れになりながらもヒトシは答える。


「……カリファさんの、言う通り、でしょうね。カリファさんに一撃掠らせることも出来ない僕じゃ、たとえ情報を手に入れても、何が出来る訳でも、ありません」


「なら――」

「――でも、そんなことはもう関係無いんです」


 カリファの目を真っ直ぐと見つめて、ヒトシは言う。


「きっかけこそ情報を求めてでしたが、今は違います。今は、ただカリファさんに勝ちたい。それ以下も以上もありません」


 ヒトシの言葉を聞いて、カリファは眉をひそめる。


「……だったら、尚更日を改めた方が良いんじゃないかしら? 少なくとも、今の貴方のコンディションで勝てる相手じゃないわよ、私は」


 言わずもがな、ヒトシの身体はボロ布のように疲弊している。

 一方、カリファの身体に傷は一切無い。動きを最小限に留めていたため、そこに疲労の色は無い。それどころか、蜂蜜色の髪一本乱れている様子すら見えない。


 力の差は歴然。その上、コンディションも優れていないとくれば、ヒトシの勝ち目は万に一つもありはしない。

 率直にそう告げているカリファの忠告。だが、その言葉はヒトシには届かない。


「違いますよ、カリファさん。寧ろ、逆です。“今”しかないんですよ、僕が勝てるタイミングは。明日や明後日、先伸ばしにしたところで、今の僕じゃカリファさんに触れる事さえ叶わない。だから――“今”なんです」


「……そう、分かったわ。それで? 時間稼ぎはもう十分なのかしら?」


「はい、ありがとうございました」


 ヒトシがそう言い終わるや否や、徐々にカリファの視界が白に染まっていく。全ての視覚情報を覆い隠すように広がるそれを、カリファは知っている。


「煙幕、ね。本来は自分の視界も隠してしまう悪手、と言いたいところだけど、貴方には関係無いみたいね」


「はい。僕は僕の土俵で戦わせてもらいます」


 際限無く沸き上がる煙が密閉空間である例の部屋を埋め尽くすのに、そう時間はかからない。

 数十秒もすれば、カリファはヒトシの影を見失った。


 自身の視界も相手の視界も埋め尽くす、白い壁。しかし、ヒトシに限ってのみ、それは非常に一方的・・・な物へと変貌する。

 イルシンクに与えられた丸薬によって発現した、視覚能力の強化。それは、たとえ視覚が塵芥で覆われていても、その先の人影を捉えることを可能にする。


 しかし、依然カリファの有利は変わらない。肉体的な問題は勿論、経験の差が圧倒的なはずのヒトシの有利を埋めてしまう。


「これで貴方の方が有利、なんてことは考えない方が身のためよ」


 そう言って、カリファは目を瞑った。

 カリファに備わっている、圧倒的な五感の感覚。視覚が失われた今、以前よりも更に他の感覚が研ぎ澄まされていく。


「これでようやく互角。その事実だけあれば、僕に勝機はあります」


「そう。なら、早くかかってきなさい。それとも、本当にただの甲斐性なしなのかしら?」


「――行きます」


 その言葉を引き金に、ヒトシは地面を踏みしめた。

 同時に、部屋に響く乾いた足音がカリファの耳に伝えられる。音は真っ直ぐ、カリファへと迫っていく。

 今までと何ら変わらない、ただの直進。しかし、今までとは違う何かが起こる確信が、カリファにはあった。


 足音は近付く、一歩一歩、確実に。その歩幅、歩調、全てを聞き逃さないよう、カリファは細心の注意を払う。そこに一切の余念は無い。こうして耳だけに集中していれば、どんな音も聞き逃さない――はずだった。


「――――?」


 カリファの間合いまで残り二歩半、という所まで足音が迫ったところで、音は途絶えた。

 刹那、カリファはあらゆる可能性を考える。

 その位置での急停止、あるいは跳躍。真っ先に思い浮かぶのはその二つの可能性。

 限られた時間の中でカリファはヒトシの行動をその二つに絞り、その双方の危険性を即座に判断する。


 まずは、その場で足を止めた可能性。

 こちらは単純にカリファの聴覚による探知を誤魔化すためだろう。足音が止まり困惑するカリファの隙を伺い、その傍らを迅速に駆け抜ける。確かに、隙を突かれれば流石のカリファとて追い付けない可能性もある。

 そして、その場から跳躍してカリファの脇をすり抜けていく可能性。

 これもさして前者と変わりはない。唯一違いがあるとするならば、その速度だろう。一度立ち止まって駆け抜けるのと加速した状態で飛び越えるのとではその速度が段違いに違う。もしそうなれば、ほぼ確実と言っていい程にカリファの敗北が決まる。

 どちらにせよ、カリファにとって都合の悪い、良い一手であると言えるだろう。


 しかし、そんな窮地をカリファはたった一つの行動で解決する。


「激しい動きをすれば、それは自分がそこにいるって教えてるようなものよ」


 そう、それは今まで封印していた視覚を解放すること。

 先程カリファは二つに絞った選択肢、その中でもより危惧するべき後者の選択には致命的な欠点がある。

 それは跳躍によって明らかな煙の動きが見てとれること。

 仮に五メートル以上離れているならまだしも、二人の距離はおおよそ二メートル半、その距離なら十分に煙の動きは視認出来る。相手の動きさえ分かれば、遅れを取るようなカリファではない。

 逆にまるで動きが無いようならば、それはヒトシが前者を選んだことを示している。その場合はわざと隙を見せて誘い込めばいい。

 それらを即座に判断して、カリファはその蜂蜜色の双眸を見開いた。

 その視界に初めに映った物は――、


「――服、フェイクね」


 ヒトシが普段から着用している異界の服、それを迷わずナイフで切り捨てる。そして、カリファはその場で判断する。ヒトシの選択は後者のものだと。

 一糸乱れぬ軸回転でその服に背を向け、カリファは扉のある方へ向き直った。


 そして、その瞬間――勝負の決着は着いた。


「ありがとうございます、カリファさん。貴女なら、必ず最善の選択をしてくれると信じてました」


 声の主は、カリファの背後から迫って来ていた、多田野 ヒトシ。

 ヒヤリ、と静かな殺気がカリファを襲った。

 その声を耳にしてすぐさま振り返るも、時既に遅し。カリファが反応するよりも速くその懐に潜り込んだヒトシはそのままカリファの身体を押し倒し、短剣を握る手を拘束して、その喉元に短剣を突き付けていた。


「これで、百十五戦一勝です」


 勝敗は決した。

 扉に触れるという第二の勝利条件ではなく、カリファから一本取るという第一の勝利条件を満たして。


「あら、意外と大胆なのね」


 押し倒され、抵抗出来ない状態に陥ったカリファの、せめてもの抵抗。

 そんな軽口に、ヒトシは安堵の表情を浮かべて、やはりこう告げるのだった。


「からかわないで下さいってば」




 ◆




「あーあ、負けちゃったわね」


 カリファの明らかな敗北、その後取り敢えず部屋に充満していた煙を全て室外に逃がし、ある程度落ち着いてその場に尻を着いたところで、カリファはそんな呟きを漏らした。


 その傍らに佇むのはヒトシ。

 彼に敗れたという事実があるせいか、単に見上げているという位置関係のせいか、その上背は勝負の前よりも大きく見えた。


「手心を加えられたとはいえ、勝てて嬉しいです」


「……してないわよ」


「……え?」


「してないわよ、手加減なんて。それはまあ、強制的に気絶させたり殺ろう(・・・)と思えばやれたけど、最初から最後まで手加減なんてしなかったわ。正真正銘、貴方の実力よ」


「――――」


 カリファの言葉に、ヒトシは何も答えなかった。

 勝利した側に存在する一種の気まずさが起因しているのだろうか、その表情を見るに何か言いたそうではあったが、有無を言わせる前にカリファは言葉を続けた。


「私ね、まんまと嵌められたわ、貴方の罠に。……初めの立ち合いの時、私の間合いに入るのを躊躇ったの、あれ、わざとでしょう?」


「……バレてましたか」


「いいえ、気が付いたのは貴方に押し倒された後。一種の賢者タイムってやつかしら」


「……わざわざ卑猥な方向に持っていくのは止めて下さい」


 他愛の無い軽口に眉を細め、カリファは話を続ける。


「最後の一手、私はたとえ貴方が背後から襲いかかってきても、反応出来るつもりでいたわ。貴方なら、必ずまた躊躇いが生まれると思って、ね」


「…………」


「でも、貴方は躊躇わなかった。何の躊躇もなく、私に刃を向けることが出来た。本当、今になって分かったわ。あの躊躇いを故意に見せた後の“今”だからこそ、貴方に勝ち目があった。あの言葉はそういう事だったのね」


「……一か八か、でしたけどね」


 謂わば、この闘いは初めから決着が着いていたのだ。初めの立ち合いで、カリファに誤った印象を植え付けた、あの瞬間から。たった一つのブラフで、その勝負の決着さえ決定づけていた。

 無駄とも思える捨て身の突進も、カリファにヒトシが愚かであると思わせるための伏線。ヒトシは最後の立ち合いの前に自分の土俵で戦う、と言ったが、なるほど、よく考えれば初めからカリファはヒトシの土俵で相撲を取っていた訳だったのだ。


「今回は、本当に運が良かったと思います。それこそ雲を掴むような、広大な砂漠で宝石を拾うような、本当に万に一つの可能性が上手く繋がっただけ。そうでなければ、僕に勝ち目はありませんでした」


「……それ、嫌味かしら?」


「あ! いえ!? そういう訳じゃ――」

「――分かってるわ。冗談よ」


 途端に慌て出すヒトシの腕を引いてカリファはその身体を引き寄せ、ヒトシの口元に指を押し当てて言葉を遮る。そして、そこに自身の顔を近付けて、妖艶に笑う。


「冗談……ですよね?」


 それにより、激しく紅潮するヒトシ。

 その様子がまた一層おかしく、カリファは続けてヒトシの耳元に口を近付ける。


「当たり前、でしょ?」


「ちょっ! だから、からかわないで下さいってば!」


「だって、貴方の反応があんまり初々しいものだから」


「……なんか、勝負で勝ったのにあんまり勝った気がしないんですけど」


 精一杯顔を引き攣らせながらそう呟くヒトシを見て、カリファはまた眉を細めた。


 その後数分間に渡って、二人は他愛の無い話をした。と言っても、その内容はほとんどヒトシの話であり、カリファは聞くだけであったが。

 しかし、それがつまらなかったという訳ではなかった。寧ろ、カリファにとっては心地良かったと言っても過言ではなかった。

 ここ数日の付き合いで、ヒトシがあまり積極的に話をしないことはカリファも知っていた。故に、こうして自然と自分の事を話し出すヒトシが、カリファには新鮮だった。


 ヒトシが住んでいた世界の事。

 こちらの世界に来て経験した事。

 そして、こちらの世界でこれから経験したい事。


 魔物を倒すという役目など忘れて、ただの学生に戻ったヒトシは色んな話を嬉々として語った。

 その傍らで、カリファはただ笑って聞いていた。


 やがて、ヒトシは立ち上がった。

 遂に外へ出ていくのだ。晴れやかなヒトシの表情を見て、そうカリファは直感した。


 もう、行ってしまうのか。

 今後全く会えないという訳でもないのに、柄にもなくカリファはそんなことを考えた。

 しかし、それは確かに道理である。カリファから一本取ることに成功した以上、カリファに訓練でヒトシを束縛する権利は無く、ヒトシにもここに残る義務は無い。ならば、誰であれ外に出たがるはずだ。

 カリファがヒトシを呼び止めれるはずがない。故に、カリファはゆっくりと外への扉へと歩いて行くヒトシの背を、ただ見つめることしか出来なかった。


 そして、ヒトシは遂に扉の取っ手に手を伸ばした。後はそのでーす少し捻れば、外に出られる。

 と、そこに至って、何故かヒトシは扉に背を向けるようにカリファへと向き直った。


「……カリファさん」


「何かしら、早く出ていったら? ずっと、そうしたかったんでしょう?」


「それは、まあ、そうなんですけど。……その前に、一言くらい言っておかないと、と思いまして」


 そう言って、ヒトシは困ったように頭を掻き、その後、改めてカリファの目を見つめて、その言葉を紡いだ。


「今まで、ありがとうございました。カリファさんのお蔭で……死なない程度にはですけど、強くなれた気がします」


「――――」


「そして――」


「――――え?」


 思わず、そして、と続けられた言葉に、カリファは耳を疑った。そして、耳を澄ました。次に続けられる言葉を、決して聞き逃さないように。


「――これからも(・・・・・)、よろしくお願いします!」


 “これから”も。

 ヒトシにとって極当たり前に続けられた言葉に、カリファはその真意を悟った。


「貴方、ここから出ていくんじゃなかったの?」


「いえ、まだまだ未熟な自覚はあるので。カリファさんに勝てる確率が万に一つから、百に……いや、千に一つになるまでは、頑張ってみようかな、と。あ、いや、外に出ないって訳じゃないですよ!? 一度だけ外に出させてもらって、情報だけは貰いに行かせてもらいますからね!?」


「……あは、あははは。貴方、相当の馬鹿ね」


「え!? 僕、何か変な事言いました!?」


「いいえ、誉めたのよ。相当のドMねって」


「それやっぱり馬鹿にしてますよね!?」


「いいから、ほら、早く行きなさい。私はここで待ってるから」


 鋭く食い下がるヒトシに、カリファは早々に部屋を出ていくことを促す。

 押しに弱いヒトシはそれに抵抗出来ず、決して自分では踏み出さなかった外への一歩を、カリファに押されて踏み出した。


「……それじゃあ、行ってきま――」

「――あ、ちょっと待ちなさい」


「……普通、自分で促したくせに、一歩目で呼び止めますか?」


「一つだけ、聞きたい事があるのよ」


「……あ、完全に無視の方向で行くんですね」


 いつまでも、絡み付くように小さいことに固執するヒトシを尻目に、カリファはハッキリとその問いを口にした。


「貴方の言ってた“あの人”って、イルシンクの事かしら?」


「――――」


 その言葉に、ヒトシは一瞬沈黙する。

 しかし、ほんの僅かに一拍置いただけで、ヒトシは今までに無い笑みを浮かべながら、キッパリと言い切るのだった。


「そんな訳、無いじゃないですか。僕の言った“あの人”はシャバーニさんの事ですよ。見た目は男らしいのに、小さい事にも気が使えて凄い人だなって、そう思っただけです。……では、僕はもう行きますね」


 そう言い残して、ヒトシは足早にその場を立ち去っていく。

 その背中を、暖かい眼差しでカリファは見送った。


「本当に、変な所は似てるんだから」


 その声が、ヒトシに届くことはなかった。



今回も読んで頂き誠にありがとうございます。

誤字脱字・感想等ございましたら是非お願いします。

一言でも作者のモチベーションは格段に向上します。

どうか今後ともよろしくお願いいたします。


尚、近々初盤の書き直しを行います。

正直ふざけていた自覚はあったので(笑)

というわけで、時間のあるかたはまた目を通してみてください。

大筋は変えていませんが、それなりに読める文章にはなっていると思います。

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