【迫る怪鳥を斬る】
タクが門の外界へ一歩を踏みしめたほぼ同時刻である。中堅都市ノーミンへ繋がる道を大きく逸れた、脇道の奥地に位置する草原の小高い丘となった頂点に、二つの影があった。そしてその影は、ローブをまとった魔道士らしき二人の男で、偵察するようにノーミンの方角を見下ろしている。
その二つのうち一方、みすぼらしい風体の男が何かに気づきハッとした様子で素早く口を開く。
「見てくだせぇよ若っ。あの男、なかなかの得物を身に付けてやがりやすぜ」
そのみすぼらしい男。なで肩で猫背の、三十過ぎたローブ男が、軽い親しみと敬いを込めた口調でそう言った。男が言葉を投げかけた真横には、もう片方のローブが立っている。
草を刈るような突風が、彼らが立つ丘を吹き抜けた。
そのもう一人、かたや身なりの清潔な男が、風で波打つ長い金色の髪を鬱陶しそうに掻き上げ、白い目で応答する。
「はあ。お前にはいつも場所の伝達というものが欠落しているぞ、アルデット。……で、そいつはどの位置に居る。見える位置か」
「へい、俺にゃあ見えやす。ノーミン南門手前にそやつぁいやすね。……へぇ、それにしても驚くぐれぇに装飾の凝ったモンですなありゃあ」
「こらこらっ。馬鹿、お前と違って僕は望遠することが出来ないだろうよ。おい、どうにか視界を共有して、遠くの対象を視認することはできないのか?」
「そりゃあ、“鳥の使役者”の特権なんで、若にもおんなじ事が出来ちゃあ立つ瀬がないですぜ」
「それはそうだが……」
清潔な金髪男は恨めしそうに半目で猫背の男――アルデット――をにらんで、諦めたようにグッとうなだれた。
それを見てアルデットが歯を見せて笑う。
「若は大げさですなぁ。へへへ。しかし、お聞きになれば俺が見て、長剣の特徴ぐれぇ教えられますぜい」
「その手があるなら早くに言わんかっ」
「いんや、気づいてくだせぇよ」
アルデットは呆れたように顔を渋くした。すると金髪の男は頭を掻いて、申し訳なさそうに手刀をきって詫びをいれる。
「それもそうか、僕の落ち度だった。……さておき、質問しよう。その剣の鞘の色と、装飾はなんだ?」
「おおお、結構細部にもこだわりやすね若は。まあ見えんこともないですぜ。……鞘の色はクロで、それに見事な彫刻が施されていやす。美しいが、装飾はそれだけですぜ。聞きたいことは以上ですかい」
アルデットが淡々とした物言いで確認をとった。数十秒だが、すでに目は血走り、充血甚だしかった。細やかな部位にまで目を凝らすのはかなり消耗が激しいのか、負担が如実に現れていた。
しかし、金髪の男はかぶりを振ってそれを否定する。
「まて、ここからが重要だ。そこに、“紋章”らしいものが刻まれてはいないか」
「ちょいとお待ちくだせぇ。なんせ細かすぎて目が痛くって仕方ねぇですやな」
「そこは性根を据えろ。どうだ。見えるか」
「……ああ、ありやすね。ありゃなんだ、伝説に聞くドラゴンのようなのですぜ。かなり精巧で、目立ちにくいところにありやすが」
「――なんだと」
瞬間、空気が固まった。
それは、からりとした温暖な温度が、にわかに冷えきった瞬間であった。アルデットは冷や汗が顔に浮くのを感じつつ、そっと横に目をやった。そこには絶対零度の瞳をたたえた男が、拳を強く握りながらゆらりと立っていた。先刻あった軽い雰囲気は、もうない。
男は唇を噛み締め、そこに立っているだけである。
「おい、アルデット」
「な、なんですかい、若ぁ」
「奴から剣を奪い取れ。無論、殺してしまっても構わぬ。……アレは他の者が身に付けて良いものではない。なぜ斯様な輩が持っているのかが甚だ疑問だ」
「ですが、けっこう距離がありやすぜ……」
「アルデット。お前の特権とやらは何だったか」
アルデットは金髪男から鋭く迫られ、自身のすべきことをすべて理解した。そして答えた。
「……“鳥の使役者”の能力ですぜ」
「そうだ。ならば、わかるだろう」
アルデットは、無言で首を縦に振った。
彼はこの一連の流れに持ち込んだ自分をひどく恨んだ。
――若さゆえか、あなた様はやはり感情が抑えきれないお方だ。
そして使命を遂行すべく、静かに遥か遠くへ、自らの感覚を送り込んで共有した。
◼ ◼ ◼
タクが門を抜けると、からっとした空気が、草いきれのムッと立ち込める一帯を覆っていた。
「おお、暑いな」
天気はカラッと良好で、青い空には少しの白雲も流れていなかった。刺すような陽光が、タクの目に光をじっくりと焼き付けた。
タクは蛇行する道を、道なりに淡々と突き進んだ。草地が遠方へ広大に続くここは、人の往来が盛んなのだろう。そのため、よく整備がなされている。目の前には青々とした草原を掻き分けるように自然な道路が広がっていた。
土が均された場所を伝って、そのままどんどんと前進する。左手の遥か奥のぼやけたような霞の向こう側、はげた山脈がその岩肌を見せている。しかしタクの目的はその方向にないので、顔を背けて右側に見える草の茂る平らな方へ進路を取った。
時間はノーミンを出発してから体感で一時間程である。ある程度の長丁場でも耐えられるように、水や食料をはじめ必要最低限の装備は所持している。時の経過は今のところ懸念する必要はない。
タクが後ろに背負った袋は上等ななめし革を素材に、強固な縫合が施された一級品である。もちろん看板娘リーンから借り受けているものであるが。とはいえ、現代日本の技術とは雲泥の差がある。肩への食い込みは耐えるしかない。
ふと、現実に戻る。
脳を沸騰させるような日射しの猛威がタクを襲う中で土臭い大路をぼつぼつと歩いていく。生ぬるく青っぽい突風が草の間を吹き抜けて直撃。場の不快指数がぐんと上昇した。もはや苦行ではなかろうか、と疑問を投げ掛けたが決して足は止めなかった。そこから歩いてしばらくすると、生い茂った森の樹木の深い緑が、遠くでかすかにちらつき始めた。その様子を見るに、森は決して程遠いというほどではないが程近いわけでもない。
疲労を感じて休憩したくなり、見渡せば、すぐそばに通る静かな小川の傍らに、腰を掛けるのにぴったりの平べったい岩がひょっこりと顔を覗かせていた。なかなかに表面積の広い巌根である。
「ここで、ちょっと腰下ろして休むか……」
タクはあつらえ向きなその平岩に座って、小休止することにした。
背の革袋を脇に下ろして、その中から飲料水を引っ張り出して容器に口をつけた。爽やかな感覚が喉元の辺りでスッと広がる。
(雑味はあるが、まだウマいほうだ。意外だ。異世界舐めてたな……んん?)
すると突然腰元から震えが来て、タクはそこにふと目をやった。そこで、腰の長剣が淡い光を放ったような気がしたが、疲労感が脳内を埋め尽くして思考は停止した。
「気のせい気のせい、ッと。よし」
岩の上に上がって、そこに座り込んで後ろに手をつき、ぼうっと空を仰ぎ見た。視線を上げた先の青い中空に点々と白いものが飛び回っている。
飛び回っている気がした。いや、確かに飛び回っている。
――あれは雲か。
だが完全な快晴である限り、その可能性は自ずと消え去らなければ嘘である。目を凝らす。軸っぽいものに平たいものが二つ、突き刺さっている。
答えはすぐに出た。間違いなく、それは鳥であった。いやに長大な白色の双翼を縦横に羽ばたかせ、旋回しつつも天高く舞っていた。そこでタクは少なからず異変を覚えた。豆粒ほどの白い点であったそれが、次第に大きく膨れ上がるのが目に掛かったからである。
段階を踏んで巨大になっていくそれに自然と意識が集まった。そこで気づいたことといえば、その膨張が物理的な変化を伴っていないこと、つまりは巨大な鳥が急速に降下してここに向かってくるという事実だった。
「――ておいおいおいッ。こんなでかいのは序盤のルートで遭遇するようなヤツじゃないだろう!!」
タクは地面を蹴って飛び退いたが、その直後に凄まじい速度で地上に刺さった敵方が鋭く岩を穿って、四方に細かな石塊が粉のように飛び散った。
着地の風圧に押され、タクは後方に転がり飛んだ。立ち込める土煙の中に白っぽいものがうごめき、そして邪魔な粉塵を払っておもむろに動き出した。
その数は三羽。あれは威嚇だろうか、翼を広げて、最も大きく体を見せた。体長は、恐らく四メートルを超えるだろう。見た目はダチョウとその両翼が肥大したような、一見当惑しそうなものであった。
タクは、ヤツがこの体躯で実際に飛翔できるのかと疑問をもったが、先程飛んでいた現実と、何よりも確実にしたのはその筋力である。正常な鳥類とは、どう見積もってもかけ離れていた。羽毛を盛り上げるようにせり出た筋肉は、翼の付け根から全体にかけて太く厚く走っている。
とびきりの登場演出をし終えた白い怪鳥は、タクを睨めつけて、真っ直ぐに佇立の様態をじっと保つ。
「キロゲゲゲギイイー……ッ!」
「ゴッゴキイイッ!」
「ケッエエエエ」
しかしそこでタクが寸分か身動きした刹那、相手方の体は、まるで打ち出された速球の如く跳ね上がるように突進して、猛然と迫り来た。それを冷静に捉え、腰の長剣を素早く抜き放って上段に構える。目の先で白銀の刃がぬらぬらと光った。
怒濤の勢いで三つの影が連なって飛びかかってきた。
「――っお、らあァッ……!」
そのうちの一羽が脚を上げ、蹴りを放ってくるのを、タクは長剣を水平に倒して受け止めた。自身の足が三メートルほど線を描いて激しく後退した。すると、考える暇は与えぬとばかりに、左からもう一羽が奇声をあげて襲いかかってくるのが見えた。
タクは受け止めている一羽の爪を突き放すようにして距離をとると、闇雲にここへ突っ込もうと駆けるもう一方の巨鳥の、その右翼に対して力いっぱいに刃を振るった。
「ギイイッエエエッッ」
長剣が、当たった翼の半ばまで勢い良く食い込んで止まった。それを一気に引っこ抜くと、白いその羽を朱に染めんばかりの血潮が吹き出して地面を叩いた。斬られた鳥は激しく苦悶の声を上げると、その片翼により均衡を失って、横倒しになって芋虫よろしくのたうち回る。
右手の方向から残りの二つが追撃してくるその前に、タクは暴れるそれに向かって迷いない動きで、持っている剣を上から下に、渾身の力で打ち下ろして、白く長い頸を断ち切った。すると奔流のように、赤い体液がどばどばと溢れて、瞬く間に地肌を紅に染め上げた。
首から上を失った鳥は物言わぬオブジェとなってしばらくで、力無く息絶えた。
「ケエエエエ……ッ」
「ココココ……ッ」
鳥程度の脳みそにも仲間の死に対する怒りの感情が込み上げるのか否かは別に知ったことではなかったが、遠巻きにそれを見た二羽は甲高く吠えると何度も地団駄を踏み、次いで一丸となって俊足でタクに迫った。
「そらっ、くれてやるッ」
タクは向かって右の敵の首根っこを狙い、足元の石塊を拾い上げて瞬間、力の限りで投擲した。鋭利な石つぶてが寸分違わず首もとに吸い込まれて、深く突き刺さる。
右の鳥は急所をぶち抜かれ、血飛沫を撒き散らしてそっくり返った。
――残るは一体、お前を殺れば終わりだな。
タクは長剣をびっと振るって、その銀についた血を飛ばした。土にぽつぽつと赤黒い斑点が出来上がる。黒い柄を握り直し、今度は大上段に構えを作った。汗と返り血の混じり合った半透明で赤褐色の雫が、頬を伝って顎から垂れ落ちた。
「グゲッゲゲゲロオォォォッッ」
「はは、鳥畜生の小さい脳みそに、人間社会における裏世界の道理ってものをたっぷりと叩き込んでやるッ。こいよ!」
最後に残された鳥は大きく鳴くと、全身を震わせて飛んできた。残った一羽は始め、タクに先手を打って蹴りを放った鳥である。それは敵三体のうちで最も巨躯を備えた個体であった。
タクは肉薄する影を見極め、即座に低姿勢まで身を屈めて剣を真横にしてそのまま下げた。その直後、再度に下ろされた爪の一撃が、タクの頭上を掠めた。髪が数本、空を舞った。恐らくは再び旋回して戻ってくるであろう鳥を冷静な目で観察し、敵の隙を見つけるべく、目の奥の奥にまで集中力を収斂させる。
「……来るか」
思った通り、遠方で体を翻してこちらに向かって猛烈なまでの速度を出して飛行してきた。最速である。しかし既に、鍛えられたタクの認識能力は、確実に命脈を絶つ正確な部位を分析して解を導きだしている。
再三に渡り猛攻を試みる白い怪鳥。タクの目と鼻の間にまで迫るその爪が、思うまま猛威を振るうに差し掛かり、身を抉りかけるその一瞬、その戦いの雌雄は決した。
手元で白銀の長剣が淡く光を放ち、陽炎のように揺れる。その輝きはタクを包んだ後、霧散した。時間が果てしなく引き延ばされた感覚のなか、タクは長剣を担ぐように構え、敵の動きの隙間を縫うようにして爪の二撃を掻い潜り、全く無防備なその胴体を狙って振り下ろした。
銀線が虚空に垂直の閃光を描いた。
振りきられた長剣が流星となって、相手の胴をぱっくりと割った。斬った端から血煙が上がり、タクの顔をしとどに濡らした。
「――これがお前の、本当の最期だ」
「ギイイイエエ……ッッ――」
返す刀で、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちてくる、死相をたたえた怪鳥の、首から上を今生の別れのごとくにぶつりと両断した。迸る多量の生暖かい血潮がタクの体を重ねて濡らし、足を流れて地面を血の海とした。
タクは真っ赤な液体に足を浸からせながら、倒れるようにしてドスンと地べたに座り込んだ。布越しに下着にまで血が染み込んできたが、気にかける余裕はない。全身が鉛のように重くなるのを感じて、タクはそのまま目蓋を閉ざした。
その一帯には、肉塊が三つ、転がっているだけであった。
◼ ◼ ◼
「ひぎいいッ!!」
「どうしたっアルデット!」
「目がいでえッ、いでえよお」
金髪の男はそばで倒れこんだアルデットに近づき、驚いた。
アルデットの目。抑え込むようにうずくまるのを落ち着かせ、手を退かせて見たその目はもはや、使い物にならないくらい紅一色に染まって膨張していた。
「少し、目の玉を見せろ」
しかしその瞬間、赤く膨らんだ眼球が、弾けるように破裂した。飛散した液体が金髪の男と土を汚す。アルデットは見えないながらも、主人へ謝罪するように手を伸ばして虚空を掴んだ。
数分苦しんだ後、アルデットは死んだ。
金髪の男は以前、アルデット本人が口にしていたセリフを思い出した。それは“鳥の使役者”の悲惨な末路であった。
『鳥使いは、共有している間に己の使役鳥がおっちんだら、使い手も死んじまうんですぜ――』
思いだし、金髪男は剣を奪うことに熱くなっていた自身に激しく憤った。長髪をかきむしり、心中は後悔の念とアルデットへの罪悪感が渦巻いていた。
だが、非情に徹する。
「すまなかった、アルデット。だが僕はやらねばならぬ。こうなればアイツを向かわせ、様子見するしか……」
――この死を無駄にしないためにも、なんとかアレを手中に収めなければ。
強い意思と憤怒の残滓を漂わせ、金髪の男は静かに動いた。