【TRAINING】
今回は仁ルートです。
地面を蹴り、掻い潜り、間合いを詰め、刃を立てる。
渾身の一撃が通らないと悟れば、身体を翻し、後退し、距離を取る。
相手の間合いから出たからといって油断は出来ない。自分が回避行動を取った一瞬で、相手は更に距離を詰めてくる。
フェイク、足払い、目潰し、それらを無駄なく駆使して、相手の追撃を妨害する。
そうして相手の攻めの手が休まれば、その刹那を見逃さすに再度攻めに回る。
息を吐く暇も無い。身体を休ませる暇などもっての他だ。一瞬でも気を緩めれば、相手の刃が自身に襲いかかる。守りから攻めに転じることが出来なければ、いつかは相手の刃に身が切り裂かれる。
時には肉を切らせて骨を断ち、相手の懐に潜りこむ。一瞬が数秒間にまで引き伸ばされた時間の中で、何度も生殺与奪の権を握り合う。
ヒトシがそうした緊張が張り詰める空間に置かれて、約三時間。三時間休むこと無く、ヒトシは幾度と無く刃を交えていた。
流れ落ちた汗の量など計り知れない程の、油断の出来ない生死のやり取り。無限のように思える三時間。その中のほんの一瞬、絶えず張り詰めていたヒトシの緊張に綻びが生じる。
原因は肉体の疲労。鉛のように重く、思うように動かない身体は自身の思考に追い付けず、そこにほんの僅かな隙が生まれる。
相手に急接近してからの右手の短剣での斬りつけ。
完全に相手の懐に潜り放った一撃は命中したかのように思えたが、すんでのところで相手の姿が消え、渾身の一撃は空振りに終わる。
戦況は一転。一瞬で攻めていたヒトシが守りに入ることになる。
視界の中には相手の姿は無く、武器を持つ右手は降り下ろしている。
相手は背後、どの方向から攻撃してくるのかを捕捉する余裕は無い。振り返っている内に斬りつけられてお仕舞いだ。
そうして、素人目で見ても明らかな隙が生まれた。
ヒタリ、とヒトシの首筋に冷たい感触が伝わった。
ここ数日間で何度も感じた、死の感覚だ。
「はい。また死んだわよ。これで累計百十四回目ね」
「……参りました」
自身の首に突きつけられた刃が離れたのを感じ、ヒトシはぐったりと項垂れた。
◆
「ほえぇぇぇぇ」
カリファとの訓練を終えて一先ず小休止を取ることになり、身体を休めていたヒトシの口から異様な声が漏れた。
激しい無酸素運動の後の休息により生じる、多大な疲労感。指を動かすような極僅かな動きでも、数分前まで酷使していた筋肉は悲鳴を上げる。中でも、常に動かし続けなければならない下半身と短剣を握る右手にかかる負担は甚大だ。
「もう、動けない」
「はいはい、また一時間後には再開すーるーわー、よっと!」
「あだっ!?」
弱音を吐くヒトシの顔に、突然冷たい何かがぶつけられる。冷たさと衝撃が相まって相応の威力を発揮し、ヒトシは仰向けになるようにそのまま地面に倒れた。
「タオル、ですか。ありがとうございます」
「構わないわ。意外に頑張ってる貴方へのせめてもの情けよ」
「じゃあ、情けついでにこのまま寝てもいいですか?」
「私は構わないけど、多分そこで寝たら起きた時全身が痛いと思うわよ? 寝るならちゃんとベッドで寝なさい」
「……冗談ですよ。中途半端に寝ても、身体が動かなくなるだけですから」
中途半端な睡眠は訓練に支障をきたす。そのことに関しては既にヒトシは経験し、理解していた。
勿論、だからと言って睡眠を取らなくてもいい訳ではない。その辺はカリファもしっかりと理解しているようで、一時間置きの休息を挟む訓練を三セット行った後は必ず睡眠を取るようになっている。適した時間には食事も挟んでおり、健康面はまるで問題が無いのだ。
もっとも、度重なる訓練によって摩耗する精神面に関してはヒトシは既に考えるのを止めているが。
訓練の内容は至って単純。
ヒトシとカリファ、二人がそれぞれ短剣を持ち互いの首を狙い合う、ただそれだけだ。単純であるが故に一手一手を瞬間的に判断して行動して動き回らなければならない為、基礎的な体力と戦闘における判断力の向上は著しい。
どちらも足りないヒトシには未だ苦痛にしかなり得ない訓練だが、そうした訓練を朝七時起床して夜十時に眠るまで続けている内に、そんなヒトシにもここ数日間で僅かではあるが感覚を掴めつつはあった。
「それで、目の調子はどうかしら」
「どう、なんですかね。あれ以来うんともすんとも言わなくて」
「相変わらず反応無し?」
「全く、です」
数日前にノイズが走って以来、ヒトシの右目には何らおかしな変化は無い。ヒトシがどれだけあの現象を起こそうとしても、まるで何も起こらないのだ。
ただし、異変と呼べるようなものは確かにあった。
それはヒトシの視力の向上。視力というのも偏にどこまで見えるかなどの静止視力だけでなく動きを捉える動体視力も含まれ、更には視野の広さといったものも含まれる。要するに、総合的な“見る”能力が格段に向上していたのだ。
苛烈を極めるカリファの訓練に素人のヒトシがついていけているのは正にその恩恵を受けているからである。
「本当に予知が使えるなら、どんな武器よりも恐ろしいのにね」
「……そう、ですね」
“武器”という響きに、人知れずヒトシは恐怖を覚えた。
同時に、下手をすれば自分は兵器にも成りかねないのだ、と暗示されているようで、肩を震わせずにはいられなかった。
「そんなことより、あの、カリファさ――」
「――師匠、ね」
「あ、はい。それで、師匠、僕がこうしてこの牢ご――」
「――第一危険物取扱室、ね」
「……はい。僕がこうしてこの第一危険物取扱室に軟き――」
「――貸し切り、よ」
「…………それは流石に無理がありません?」
「……話、続けてくれるかしら」
「……僕がこうしてこの第一危険物取扱室を貸し切りにしてから、今何日位経ってるんですか? ここ最近外に出てないので時間の感覚が全然掴めないんですけど」
訓練に関して詳細を付け加えると、この訓練は現在ヒトシの居るこの第一危険物取扱室にほぼ軟禁された状態で行われている。
ただし、“軟禁”という言葉を用いるとその響きこそ悪いが、一応この第一危険物取扱室にはある程度の生活を営むことが出来るだけの設備はあり、食事がしっかりと与えられる上に衛生面を保つための水がある点を考えれば、寧ろその環境は快適であると言える。
が、それはあくまで設計上の快適さであり、実際に軟禁されてみればあまり気持ちの良いものではないことも確かにある。
その中の一つとして挙げられるのが日光を浴びることが出来ないことであった。
「それになんて言うか、こうも日光を浴びれないと普段よりも身体が重い気がするんですよ。疲労が溜まってるってのもあると思うんですけど、やっぱり気分の良いものじゃないでしょう、日に当たれないっていうのは」
「……外に出たいの?」
「要するに、そういう事です」
カリファの問いに、ヒトシは即答する。
そんなヒトシの答えを聞いてカリファは少しの間黙り込み、やがてヒトシに向けて指を二本立てて見せた。
「貴方がこの部屋から出る方法、それは二つあるわ」
「……何ですか?」
「その前に一つ理解しておいて。私は別に意地悪で貴方をこの部屋に縛りつけてる訳じゃないのよ。ただ、慣れておいて欲しいの。こうして休みも無く戦い続けて、普段みたいな環境で眠れなくて、精神的に追い詰められてしまう状況に」
「…………極限状態ってやつですか」
「そう、この先魔物と戦うことになれば、必ずその時がやってくるわ。その時、先を見通す目を持っている貴方が何よりも頼りになる。そこで誰よりも冷静に居られるように、貴方には慣れておいて欲しいのよ」
「……分かりました。肝に銘じます」
カリファがヒトシに何を伝えようとしているのか、それはヒトシにも確かに分かった。
カリファはヒトシの事を案じてくれているのだ。そして、その上でこの先生きていくことが出来るようにその術を授けてくれているのだ。
そして、それを感じ取ってしまえばそれ以上ヒトシには何も言えなかった。
「良い子ね。……じゃあ、その二つの方法を説明するわ」
そう言ってカリファは指を一つ折り、説明を始める。
「まず一つ、それは訓練中に私から一本取ること。たった一本でも取れれば、合格としてここから出してあげるわ」
「……難しい、ですね」
「当たり前じゃない。ここから出られるってことは外の世界でも戦えるレベルまで到達するってことと同義なんだから」
カリファはそう言いながら、自身の唇を指でなぞり悪戯に笑う。
その笑みが孕んでいる意味を、ヒトシは知っている。
『やれるものならやってみなさい。もっとも、貴方に出来るなら、だけど』
絶対に不可能だと確信した上で、ヒトシを嘲笑うような笑み。どこか妖艶さを宿すその笑みに、ヒトシは人知れず悪寒を覚える。
これまでにこの笑みにどれだけ酷い目に合わされたのか。それは言葉を失ったヒトシの様子から簡単に察することが出来るだろう。
「そう怯えなくていいわよ。及第点が取れれば出してあげるから」
「その及第点がどれだけハードルの高いものなのかは取り敢えず考えないことにします。……それで、二つ目は?」
「二つ目は――普通にこの部屋から出ていくこと、よ」
「…………へ? 普通に?」
「そう、普通に」
もう一本の指は折らず、そのままカリファの指はとある位置を指し示す。その先にあったのは極ありふれた鍵穴付きの木製の扉。この部屋に唯一備え付けられている、唯一の外への通行手段。
「と言うと、つまり師匠から鍵を奪ってあの部屋から出ていけってことですか? それって一本取るよりも大変なような――」
「――違うわよ」
カリファはヒトシの言葉を遮り、その上見事に否定する。
そして、次に口にした言葉にヒトシは呆気に取られるのだった。
「その扉、元々鍵なんて掛かってないわ。だから、出ようと思えば簡単に出られるのよ」
「……嘘。じゃあ、なんですか。自由に出てもいいけど、出るか出ないかで僕を見限る的な……」
「そんなことしないわよ。貴方の事、もうとっくに気に入ったもの。私から逃げられるとは思わないことね」
「だったら?」
「ルールは一つ目の方法とほとんど同じよ。貴方が私の目を掻い潜り、あの扉の取っ手に触る。それが出来れば、訓練の休憩時間に外に出ることくらいは認めてあげるわ。もっとも、最低限の訓練はしっかり受けてもらうけど」
「なるほど」
カリファの二つの提案を受けて、ヒトシは小さく頷く。
一見どちらも同じような難易度に思える二つの選択肢。けれど、その二つの相違点はヒトシにも理解出来た。
一つ目の選択肢は、謂わばこの訓練のゴールである。自分よりも手練れであるカリファに対して、その攻撃を避けて一撃をお見舞いしなければならないそれはただ避けるよりも遥かに難易度が高い。
しかし、だからと言って二つ目の選択肢が簡単だという訳ではない。それどころか、それはカリファ程の相手に一撃を与えるよりも難しい可能性すらある。
これまでの訓練で、確かにヒトシは隙さえ見せなければカリファの攻撃を避けれるようにはなっている。が、それはあくまでヒトシも攻めに回っているから、の話である。言い換えれば、攻めと守りが交互に入れ替わっているからこそ、攻撃を回避出来ているとも言えるのだ。
訓練での配分の仕方が攻撃半分守備半分とするならば、逃げに回る際には守備に全ての意識を割くことになる。そうなれば、必然とカリファは攻撃に全ての意識を割くことになるだろう。
そうして攻撃と守備がハッキリと分かれてしまえば、小手先の技術は必要無い、自身の地力の差が勝敗を分ける。つまり、単純な敏捷力で劣るヒトシの勝ち目は薄くなる。
一つ目の選択肢と二つ目の選択肢。そのどちらにせよ、ヒトシの勝率は万に一つ。
だが、それを承知でこの勝負に挑まなければならない理由が、ヒトシにはあった。
「やります。二つ目の方法で、師匠を抜いて扉まで辿り着きます」
「……へぇ」
腹を括り目の色を変えたヒトシに、カリファは驚きにも喜びにも似た表情を浮かべる。
「意外ね。てっきり、貴方は無駄な足掻きはしない人間だと思ってたわ」
「……それで間違えてないですよ」
そう、カリファの言葉に間違いはない。事実、今までヒトシは自分には出来ないことをやろうとする者達を往生際が悪いとして、格好悪い、醜いと思っていた。どう足掻いても時間と体力の無駄なのに、どうして躍起になって意地を張るのかとも思っていた。
「僕は臆病で、失敗することが恐い。失敗して、他人に見損なわれるのが恐いんです」
けれど、こうして自分もその場に立ったことで、ヒトシは理解した。その意地が、何を根源に生まれてくる物なのかを。
「でも、ある人を見ていて、少しだけ変わろうと思えたんです。大胆で無茶苦茶な人ですけど、その人の生き方が少しだけ格好良く見えたんです」
自分とはまるで対照的で、自分勝手で強欲で、それでいて他人を惹き付ける魅力を持つあの男と出会って、ヒトシの胸中には勇気の萌芽が確かに生まれていた。
「あの人に倣おうって訳じゃないんですけど、それでも少しは格好良くありたい。意味の無い意地でも、握り締めていきたい。だから、僕は挑みます。格好悪いのは、嫌なので」
ヒトシは真っ直ぐな眼差しをカリファに向けて、腰に挿していた短剣を握った。
「いいわ。受けて立つ。でも、その前に一つだけ。……どうして貴方はそんなに外に出たいの?」
「友達が危ないかもしれないんです。今は一刻も早く情報が欲しい。外に出るのはそのためです」
「分かったわ。なら、早く終わらせましょう」
そう言って、カリファも短剣を構える。
今まで見たことのない、初めて見る構えだ。それが示しているのは、それだけカリファも真剣だということ。よりヒトシの勝ち目が薄くなったことは言うまでもない。
だが、そんな状況に反して――ヒトシは笑っていた。
「今日は、よく見える」
その言葉をきっかけに戦いの火蓋は切られ、同時に煌めいたカリファの刃を避けるために、ヒトシはその場を飛び退く。
しかし、ヒトシもただ避けるだけではない。後ろへ飛び退いた直後、身体中に仕込んであった千本を着地するよりも早くカリファへと投擲した。
ヒトシが訓練の中でカリファから教わったのは、何も身体の操り方だけではない。仮にヒトシの異能を未来予知とした上で、その力を活かせる術は全て訓練で叩き込まれている。投擲術もその例外ではなかった。
「まあまあね。でも、まだ甘い」
千本を羽織っていた衣服で巧みに払い除け、接近を試みるカリファ。
最終目的が扉に触れることである以上、これ以上下手に後退は出来ない。
そう悟ったヒトシは接近するカリファに衝突していくように前進する。
「奇襲としては悪くない判断ね。ただ、手の内を知られている相手には通用しないわよ」
カリファの言う通り、手の内を知られているのであれば奇襲も何もない。その状態でぶつかれば、実力の明らかに劣るヒトシが負けることは自明の理。
だが、ヒトシは立ち止まる事はしない。寧ろ、更に地面を蹴り、加速し、カリファの正面へと駆けていく。
「行きます!」
どちらも止まらない両者。広い空間に静かに響く地を蹴る音。
その二つの音が近付き、そして重なるその瞬間、
――その場に、ヒトシの血が飛び散った。
今回も読んで頂き誠にありがとうございます。
誤字脱字・感想等ございましたら是非お願いします。
一言でも作者のモチベーションは格段に向上します。
どうか今後ともよろしくお願いいたします。