【レゾナンス】
五月の、やや暑い日だった。
とある高校の門前に一人、男が立っていた。
男は校舎を仰ぎ見て、眩しそうに目を細くした。
現在、時刻は昼を迎えようとしている頃合いであった。右手で作ったひさしを額に当て、男は日光の直射を防いでいた。
男は、身丈が一八〇センチメートルはあった。筋肉のバランスが非常に良く、均整のとれた肢体である。黒いスーツを身につけており、小物類ですら、黒で統一されていた。
清潔だが無造作な髪形に、パーツの整った顔が、妙な色気を出していた。彫りが若干深く、眼光が野性味を帯びている。無論、髪と目の色は黒だった。
男は名を、具貂タクといった。
――よし、行くか。
校門を通り抜け、タクは学校の玄関口へ向かった。
玄関を抜けると鉄の下駄箱があり、その奥は廊下となっていた。そこで靴をはきかえた。
事前に教わった通りに廊下を進む。特別入り組んでもいない一階校舎を見学同然にぶらりと歩き回り、それから目的地である職員室に向かった。
この学校は四階建ての構造になっており、A棟、B棟、C棟といったように三つの区画がある。それぞれの棟は渡り廊下で繋がっていて、A棟とB棟、そしてC棟という直列繋ぎである。
職員室は一階のA棟に位置する。見つけることにたいした苦労は必要としない。要は校舎の大まかな構造さえ理解していれば、容易に探し出せる。タクは校内図によって事前に把握していた。
緑豊かな中庭の風景をガラス越しに見つつ歩き回れば、職員室のプラカードがある扉がすぐに見つかった。
その扉の前に立ち、かかとを揃えた。左手を胸にやり、目を閉じる。緊張をほぐすためである。
「ここが職員室で間違いはないな……」
確認の意味も含めて呟く。他の誰かなど、この場に存在しないはずである。
「ああ、そうや」
しかし、右斜め後ろから声をかけられた。
タクは振り返った。
そこには一人の男がいた。
「見ん顔やなあ。君、どちら様なん?」
言葉を発したのは当然その男である。
男は、顔もそこそこで、印象は悪くなかった。彫りが非常に深い。右目の下に泣きぼくろがあった。
背はタクと同じか、男の方が少し低いくらいである。
無意識のうち、タクの体は固くなっていた。
気配が突然現れたことへの警戒心が、その原因であった。
「あっそうか。君が、新人教師の具貂タク君や!」
「あんたは……」
「自己紹介、しとくな。……えと、担当科目はモチのロンで日本史! 呼ばれてないのに飛び出てスマン! 天下を統べた僕の名前は、伏峪レキシ! よろぴく!」
「あ……なんだ教師か。ご存じの通り、具貂タクだ。えと、よろしく?」
警戒心が全て解けたわけではないが、男――レキシ――から差し出された手を握り返した。数回振って、離す。タクの手には人肌の不快な体温がかすかに残っている。
握手したところ、レキシに悪意は無さそうである。にこにこと笑っていた。白い歯が、少し覗いた。
「ま、とにかく授業はA棟三階のクラスやで。そろそろお昼も終わるし、行こか」
「ああ、行こう」
タクとレキシは教室へ向かう階段を上がった。
廊下には、人声はほとんどなかった。
◼ ◼ ◼
風が吹き込み、カーテンが舞い上がる。
暖かい空気が肌に伝わった――。
「――さあ授業やってこかー」
「先生、ちょっと待って下さい。隣にいらっしゃる方は……」
「おい、結構イケメンじゃね?」
「なんだろー」
「新しい先生かな」
「それにしては時期が外れてないか?」
教室内は多数のささやく声で溢れた。
教室に入り教卓に上がったとたん、レキシは普段通り授業を開始しようとしたらしかった。
生徒たちからすれば、身も知らぬ男――タク――が教室にいるのだから、疑問は自然の成り行きである。
そこで、レキシが手を叩いて注意を喚起する。
「はいはーい、こっちに注目してや! いいかー。そんじゃ、紹介しますー。授業補佐の具貂タク先生やで。特別に組み入れられた先生なんで、よろしくしたって。はいタク先生、挨拶どうぞ」
「ご紹介にあずかりました、具貂タクです。今日からよろしくなー」
「年齢は二十五歳らしいです。あとの質問は休み時間にするんで。えー、欠席は一人か。そんじゃま、とりあえず授業始めてくで、ええかー」
レキシの授業が始まろうとしたその時だった。
廊下から、複数人の靴音が聞こえてきた。その音はこの教室に押し迫ってきており、教室の前で足音が停止したかと思うと、扉に手を掛ける音が鳴った。
「失礼しますッ」
そんな、切羽詰まった声を上げながら、教師たちが教室に入ってきた。数は五人である。
レキシはぎょっとしていた。この場合、授業どころではない空気を感じ取ったのであろう。
押し入ってきた教師たちは肩で息をしている。その場がにわかに静寂で支配される。
数秒の沈黙を、レキシが破った。
「あのー、どないしました?」
その問いに、教師の一人が初めに答えた。
「いや、急にここへ来なければならないような気持ちに駆られて……」
他の教師も、それに続くように言った。
「私もです……」
「そちらもですか!」
「ちょっと! 教室が!」
「な、なんだ、光が」
最後の教師が、教室の床を指差した。
「光が集まって、変な感じが……ってほんまや! ん、んん、んんん!? 床の光ってるやつ、なんか変やないですかッ。どういう――」
その言葉が皮切りとなった。瞬間、眩いほどの光が教室を塗り潰してゆく。
(なんだ、何が起こってる!)
タクは思索するが、結局、わけがわからなかった。とりあえず、黒板消しを手にとって光源に勢いよく投げつけた。
中央に真っ直ぐ正確にぶちこまれた黒板消しは白煙をもうもうとたてるだけに終わった。
光の奔流は瞬く間に全てを巻き込み、渦を巻く。
そしてこの教室にいた者たちは一瞬でその姿を消した。
人の影すら無い教室には、机や、鞄などの、人のいた痕跡だけが、不気味なほど静かに佇んでいた。




