〈弐〉4
(私は、悔いてはおりません、か)
搭燈がいなくなり、部屋には静寂が戻った。
眠気もバッチリ無くなった憑物はその場からベッドへダイブ、顔を埋もれさせながら、去り際に視通した搭燈の答について考えることにする。
―――私は、悔いてはおりません。
かつての罪を前に、搭燈は図々しくもそう考えのけた。
後悔はしていない。自分で決めたことだと。
責められようとも、罵られようとも、私は己れを恥じません。だから、貴方の示した罰の道も、私は恐れず進みます、と。
憑物が視通した、期待外れの間抜けな返答をした。
馬鹿馬鹿しい、という感想しか、憑物の頭には浮かんでこない。
悔いていない? 自分で決めた? 己れを恥じない? 恐れず進む?
その解答の全てが見当違いであることに、何故気づけないのか。
どうしていつまで経っても、そうやって“逃げ続ける”のか。
憑物には、搭燈の考えなんて理解も出来ないし、したいという欲求も沸き上がってこない。
搭燈という一枚の紙屑に、なんの感情も抱けない。
「っとに、どいつもこいつも勘違いばかりだな。ところで…」
ゴロンとうつ伏せから仰向けに変わって、憑物は部屋の隅に眼をやった。
家具もなにも置かれていない、ベッドが邪魔で置くに置けない無駄なスペースに、心底嫌そうに声を投げ掛ける。
誰もいない筈の、虚空に。
「そこでクスクス笑ってる怨霊。姿を現さないなら問答無用で視なすぞ」
≪あ、気づいちゃいましたぁ?≫
虚空から返事がきた。
声の次には顔が、手が、足が、身体が、立体のキャンパスに絵の具で色づけしていくような様で人間の姿が現れていく。
ドレッドヘアーに何処かの民族衣装を着た、陽気な雰囲気の男。
口にくわえた煙菅からプカプカ白煙を出す、既に死んでいる人。
誰が呼んだか、情報屋と呼ばれている幽霊だ。ありとあらゆる情報を取り揃え、必要とする人間に何らかの対価を貰って受け渡す、『速入速達』を詠う商売人。
死んでいるのに商売が成立するのかは、まあどうでもいいことだが。
今一番に憑物が逢いたくない、逢うと面倒なことになる、その人だった。
≪いや〜、お憑かれさんは相も変わらず冷酷ですねぃ。あのぉ……井和木? さんの壊し方ときたらぁ。普通に“地獄”視せられてた方がまだマシですよぅ≫
憑物の嫌悪を余所に、情報屋は霊体を活かして空中に浮かび、クルクル回りながら終わった話を振り返す。その頃から部屋に侵入していたようだ。
≪苛められっ子さんの自殺した時の状況、心境を視せるなんて、俺からしたらそっちの方が地獄ですけどねぃ?≫
「あの程度で壊れる奴に地獄は勿体ないんだよ」
含み笑いと嘆息が交錯する。
井和木の壊し方。
憑物の能力、視通す能力は、対象に強制委託“貸し与える”ことが可能だ。視通した事柄を相手にも視せ、内容は能力者である憑物のみが指定出来る。その間、憑物は能力を失った状態になるのだが、それを補って余りある特筆すべき点が一つ、視通した事柄を“体感”させるというものがある。
井和木に視せたのは別の時間、別の場所で苛められ、それを苦に自殺した少年の状況だ。胸に包丁を一突き、加えて、少年の思考状況も合わせて井和木に体感させた。
自分の感情が他人の感情に侵される。
例えるなら、井和木を赤として自殺した少年を黒とすれば、赤を黒で塗り潰したことになる。
“人格汚染”…自分が自分で無くなることほど恐ろしいことはない。そういう意味では、情報屋の言う通り地獄といえた。
しかし憑物の見解としては、人格汚染は憑物が視せる“地獄”よりは遥かに劣るものだ。
井和木に地獄を視せずに回りくどい事象を視せたのは、他人の感情に消される程度の精神力、その弱さ、地獄を視せるに井和木が値しなかったから。
裏を返せば、憑物が地獄を視せる相手というのは、分相応な精神を持つことになるのだが、
そんなどうでも良すぎることより、憑物は情報屋に言っておかなければならないことがあった。
≪式神さぁんも可哀想にぃ。よりにもよってお憑かれさんに眼ぇつけられちゃって。やっぱり、あの娘も壊すんですかぁ?≫
「それより情報屋。ちょっと降りてこい」
≪はぃ?≫
上半身を起こした憑物がちょいちょいと手招きして情報屋を呼ぶ。遊園地のアトラクションにでも乗っているような愉快な動きに発展していた情報屋は止まって、素直に憑物の真正面に、上下逆さまで近づいた。
情報屋はずいっと顔をアップさせて、
≪どうかしまし……≫
メコッ! と。
憑物の渾身の一撃を顔面に喰らった。
ビクッと情報屋は痙攣する。
憑物は手を退けて、スッキリした面持ちで反応を待つ。
少しして、鼻血を逆さまに垂れ流した情報屋が口を開いた。
≪………痛いですねぃ≫
「ありったけの霊力込めたからな。痛くなかったらもう一回殴ってるぞ」
≪それは良かったですぅ。でぇ、なーんで俺、殴られたんですかぁ?≫
「卯月えるだ」