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〈弐〉3

ナイフが落ちた。

憑物と距離を取ってしゃがんだまま、男は動かなくなる。全身から汗を流して、荒い呼吸で、白眼を剥いて小刻みに震えている。

横たわったままの憑物は起きてベッドを降り、悠々と男に近づいた。落ちたナイフを拾い上げると、二、三度器用に手の中で回転させ、パシッとグリップを握る。

汗だくの男の真横で止まり、逆手に、両手で持って、男が先程しようとしたのと同じ方法でナイフを降り下ろす。

男に止める術はない。

降り下ろされた刃は頭蓋を破り、脳を裂いて、神経を断絶して息の根を止める。

男の人生が、終わる。

それが流れに反することと、憑物は視りながら、


「御待ち下さい、日央様」


玄関口から、声がした。

刺し貫く寸前だったナイフは止まった。

男を殺すつもりでいた憑物はふうと息をつき、声の主を向く。

台所の横、玄関の前に立っている、一人の少女を捉えた。

朱い巫女服を着用した、あどけない顔の少女。

容姿、形状、どこをとっても完璧な、“造られた”人。

人形という紙に精霊、鬼神を宿して使役する古来よりの術。それによってこの世に存在を許された、非実の現実。

『式神』だ。


「どうして止める、搭燈(とうひ)。こいつは使い捨てだろ?」


憑物は式神の名を呼ぶ。

精神を侵されている男、井和木のように視通して、ではなく。

憑物は、式神・搭燈と出逢ったことがある。


「申し訳ありません。主はその方の処遇については何も御指示されておりません故、私の独断で御頼み申し上げております」


搭燈は慇懃な口調でもう一度憑物に伝えた。憑物の言う通り井和木は搭燈の、否、搭燈の『主』にとって捨て駒同然。わざわざ名乗りでてまで殺すのを止める必要はない。

式神が暗殺者を助ける理由、その訳を視る憑物は、いやらしい笑みを貼りつけて核心を突く。


「目の前で人が死ぬのは、もう見たくないか」


「…」


沈黙。

認めたようなものだったが、搭燈は能面を崩さずに御願いします、とだけ繰り返した。

飽き足りた反応を示され、憑物は退屈そうにナイフを退ける。

…ことなく井和木の二の腕に刺し、ポンと肩を叩く。ナイフを刺されても無反応な井和木は、肩を叩いた途端にビクリと跳ねて立ち上がり、ふらつきながら搭燈を素通りして玄関を出ていってしまった。それを眺めた搭燈はほんの少しだけ眼を細め、憑物は肩を竦めておどけた。


「殺してないぞ? 時間の問題だろうけど」


「………お変わりの、ないようで」


「クハハ、誉め言葉として受け取っておこう」


悪びれることなく、笑った。

実際、憑物は井和木を殺していないし、殺すつもりもない。でなければ、アパートの外に宰蓮寺を待機させて井和木を保護させたりしない。

これは、単に搭燈への嫌がらせなのだ。

過去の忠告を無下にした、愚かな式神への罰だと憑物は嘯ぶくだろうが。

まさしく最悪、だった。


「…で、お前が来た理由は、これだな」


搭燈の冷ややかな眼差しを受け流し、憑物は何処からか一枚の紙を取り出した。三つ折りにされたそれは井和木の懐に忍ばせてあったもので、ヒラヒラ見せびらかすと搭燈の眼に冷静さが取り戻された。


「それを、何時?」


「井和木が立ち上がった時だよ。さて、」


憑物は紙をかざす。

井和木本人に秘密裏に託された、憑物への手紙。

内容は把握済みなので読む必要はなく、つもりもない憑物は手紙をビリビリに破いてベランダから投げ捨てる。

憐れ役目を果たせなかった紙屑は風に吹かれ、紙如きに情を抱かない憑物は窓を閉めて搭燈に伝言を頼んだ。


「西洋被れの陰陽師に伝えろ。俺は天邪鬼しか連れていかないから、そっちの数を減らすか枷でも考えておけってな」


「………」


また沈黙。

主を西洋被れと称したのが気に入らなかったのか、しかし搭燈は怪訝そうな顔をして、食い入るように憑物を見つめた。


「どうした?」


「………演技を、為されないのですね」


不思議に思ったこと。

過去、これまで誰かを演じ、物語の中でシナリオ通りに動いていた憑物。

誰も知ることのないシナリオを視ることが出来るのに、決してそのシナリオを乱すことなく道化を演じてきた男。

そんな男が、好き勝手に動いている。

暗殺者、井和木の対応は仕方なくとも、受け取った紙は実際に眼を通すのがこれまでのやり方。

読みもせず、破いて捨てて、なのに紙に書かれた内容に沿って会話を展開するのは、不自然極まりない。

宰蓮寺氏乃と同じく、搭燈も頭を悩ませた。

憑物としては、演技をするのはとある少女との約束であって必ず守らなければならない訳ではないから、演技をしないだけなのだが、

勿論、憑物はそんなことを教えはしない。

適当にはぐらかす。


「構うな。面倒なだけだ」


「そう、ですか」


歯切れの悪い受け答えだった。

不服なのだろう、かつて憑物と関わり、“シナリオ通りに演じられた結果、主を失ってしまった”のだから。

あの日あの刻、憑物があんな事をしなければ、

自分達はあんな思いをしなかったのに。

『片割れ』はいつもそう罵っている。

だから、誰彼を演じる生き方をしない憑物には、『片割れ』は怒るだろうし搭燈も釈然としない。

許し難い、行為だ。


「お前達も、変わらないな」


「…」


憑物が哀れむような眼で搭燈を視る。

紙如きに情を抱かない癖に。

愚かで、故に自身の存在を貶めた、馬鹿な精霊を責める為に。

あの日あの刻、散々思い視らされたのにこうしてこの場にやってきた搭燈を、苛むように。


「…失礼させて、頂きます」


主の文は、破り去られたが憑物に届いたので、搭燈はその場を後にしようとした。

逃げ、なのは搭燈本人が一番理解している。それでも早くこの場から立ち去りたかった。

憑物のいる空間から、抜け出したかった。

それを赦してやる程、憑物は優しくはなかったが。


「一つ、良いことを教えてやる」


頭を下げ、一礼した搭燈に憑物が言う。

近い未来において、自分を罰する機会を搭燈に示してやる。


「案内するなら俺を選ぶのが無難だ。天邪鬼はやめておいた方が良い」


「…畏まりました」


一礼のままで言葉を受け取った。

言葉の意味は、搭燈にしか判らない。それによって搭燈がどういう行動を起こすのか、それは憑物にしか判らない。

どちらを選択するか。

提示されたその時点で、選ぶ権利はないに等しかったが、

搭燈は敢えて自分の意思だと主張して、胸の内で憑物にしかと返答をして、

霧か霞のように、姿を暗闇の中に消し去った。

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