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〈壱〉3

◇ ◆ ◇ ◆ ◇







今日は朝から最悪だった。




買い込んでいた酒は切れた上、家にいる筈のアイツは何処にもいない。


散々探したがもぬけの殻。俺は苛ついて、部屋中暴れて物を壊した。


酒が欲しくなったから外に出掛け、行きつけの酒店に寄るものの、愛飲している酒は在庫切れ。


店の主人に罵声を浴びせても気は収まらない。安酒を一升買って帰りがけにがぶ飲みし、ぶつかる相手全員に絡んで怒鳴った。


途中、記憶が、曖昧になる。


気づくと、薄暗い路地のごみ置き場。身体は腐った生ごみにまみれて臭い、誰か数人が俺を取り囲んで笑っている。


不良か族にでも喧嘩を売ってしまったんだろう。腫れて見辛くなった眼から軽薄そうな男を眺め、ぼんやり思った。


最悪だ。


あの日以来、俺の人生はドン底だ。


同情も慰めも貰えない。それはそうだ。全部自分で招いたことだから。


今ではもう、昔の自分がどんなに誠実で謙虚だったかも忘れて しまった。


家族を第一に考えていたあの頃を、過去へ置き去りにしてしまった。


妻は亡くなり、アイツは死んだ。


全部、俺のせいだ。


どうしてこうなったんだ。


“あの日”さえ来なかったら、こうはならなかったのか。


時を遡って人生をやり直す術があって、“あの日”をやり直せば、少しはましな道筋になったのか。


やり直すことさえ出来れば、また、あの頃の幸福を取り戻せるのか―――、




「下らないな。お前」




…?


目の前に、さっきまでいなかった少年が俺を見下ろしていた。


毒々しい程真っ赤に染めた長髪をオールバックにした少年。


俺を取り囲んでいた連中は消え、少年の握り拳に血が付いている。彼が追い払ってくれたのか。


酔狂だな。放っておけばいいのに。




「その顔、その眼、同情してもらいたいのか? 下らない奴だ」




赤髪の少年が見下したように言ってくる。


同情?


そんなものは誘ってない。嘘だ。


俺は俺のしたことを悔いてる。反省してる。責めている。


同情されたいと思う権利が無いことを、誰より自分が知っている。


人を見透かしたような眼で見やがって。何なんだこいつは。




「下らない。下らなすぎて、反吐が出る」




うるさい。


お前に何が判る。


大切なものを自分の手で壊した、俺の気持ちなんて。


憶測だけで語っている癖に、いい気になるな。


俺の気持ちは、俺だけのものだ。


お前なんかに、知られてたまるか。




「まあ、いい。俺には関係ないことだからな。ただ」




そうだ。


関係ない。


ほっといてくれ。


俺の前から消えてくれ。


もう、俺に構うな―――、




「お前は、目障りだ」




え?


少年の手が、


俺の首を掴んで、


片手で持ち上げて、


怪力で、


互いの目線が合わさって、


凍りついた、冷めきった眼が俺に殺意を向けて、


―――下らない、と吐き捨てた。


…最悪だ。


今日は特に、厄日だ。


こんな汚物まみれで、こんな危ない奴に出くわして。


今にも殺されそうな、自分がいる。


お似合い、といえばお似合いだ。


抵抗したいとも思わない。幸いまだ酒が残っているのか、痛みも息苦しさも鈍い。楽に死ねる。


俺には生きる価値もない。こいつが俺に引導を渡してくれるなら、むしろ感謝すべきか。


嗚呼―――、意識が遠のいていく…。


ごみ溜めの中で、ごみ溜めのような人生に幕を引くんだ……ハ、ハ、ハ。笑え、る。


もう、すぐそこだ…。


楽になりたい…。


向こうへイッたら、謝らない、と…。


あ……同じ場所には、イケないか…。


俺がイくのは、ジゴク、だろう、から…。


………、


………、


………………………。







「――いが、斑鳩鎮六。そい――すのは――の役――ゃ、ない」







………ッ、


声、が。


赤髪の奴と、違う?







「なん――の名を知っ――。――呼、おま――、――のか」







首を絞めていた握力が、なくなる。


重力に引っ張られて、またごみの中に逆戻り。衝撃で薄れていた意識もはっきりした。


辺りを窺う。


路地には、赤髪ともう一人少年が増えていた。


不健康過ぎるくらい痩せ細った少年だ。何処にでもいそうな顔立ちなのに、細まった眼には異様な色が見え隠れしている。


痩せた少年は、赤髪の少年と何か話し合っていた。


知り合いなのか、痩せた少年は赤髪を斑鳩鎮六(いかるがしずむ)と呼び、斑鳩と呼ばれた少年は、彼を憑物と呼ぶ。偽名だろうか?


程なく、赤髪は俺に興味をなくし、痩せた少年に近づいてボソボソ囁いた。表情からすると、凄んでいるらしい。


と思えば、赤髪は少年を殴り飛ばした。


いつの間に殴ったのか、見えなかった。皮と骨だけのような少年は汚れきった路地を滑って、青色のポリバケツにぶつかって止まる。


ふん、と赤髪は鼻を鳴らし、また俺に視線を移した。今度こそ殺すのか、と覚悟を決め、俺は待つ。




「………下らない。とんだ茶番だ」




赤髪は、そう言い残して去っていった。


何なんだ、一体。絡まれているところを助けたと思ったら殺そうとして、邪魔が入ったから止めた?


訳が判らない。彼は何がしたかったんだ。


俺は、助かったのか。


死なずに済んで、喜べば良いのか。


死ねずに終わって、ガッカリすれば良いのか。




「どっちでも同じだよ、卯月茂(うづきしげる)





痩せた少年が、立ち上がって俺に話し掛けてきた。


殴られた頬も気にしないで、薄ら笑いを浮かべながら、俺の方まで歩いてくる。


待て。そんなことより、なんで俺の名を?


前に一度会ったのか?


記憶にない。


覚えていられるか。酒に入り浸った毎日を送っていたんだ。最近の記憶だって曖昧なのに。


なら、この少年とは何処かで会ったことが




「無いよ。お前とは、此処で会うのが初めてだ」




…、


……、


………は。


おかしい。あり得ない。


俺は、今、喋ったか?


言葉を、口に、出したか?


心の中で、考えた、だけじゃ、ないか?




「お前が混乱するのも無理はない。自身の内をまさぐられるなんてそうそう体験することではないし」




俺の疑問に答えるように喋る。


勿論、俺は無言のまま。


俺の考えを見通して、独り言のように言葉を紡いでいる。


こいつは、




「憑物。日央凪臣、でも良い。『視通す者』と『道化師』というのもある。好きに呼べ」




憑物。


どういう意味なのか。


日央凪臣、というのが実名らしく聴こえるが。


それと『視通す者』。


視通す………俺の考えを、視通す?




「詮索はしなくていい。どのみち、お前はもうすぐ壊れるんだからね」




そう言って、少年は屈み、顔を近づける。

その視線が、俺の全てを、射抜く。




「さて。“私”が此処へ来た理由は単純明快、卯月えるの件についてだ」




な………ッ。


なんで、アイツの名前を。


お前が、知ってる?




「くふふ。そう恐い顔をしないでくれ。あの屍は私の住まいに置いているよ。危害は加えてないから、安心するといい」




アイツが、お前の、家に?


お前が、連れ、出した?




「連れてきたのはどこぞのドレッドだ。まあ、それは脇に置いて、その卯月えるが私のところへ連れてこられたのは、お前のせいなんだよ、茂」




俺の、せい?




「そう。三年前、お前がえるにした行為。えるにしてしまった過ちのことだ」




あやま、ち。




「三年前。お前の人生が狂いに狂った年だ。忘れた訳ではないだろう?」




忘れる、訳がない。


忘れ、られるか。




「そうだ。忘れられるものか。家族一辺倒で、誰より、何より家族を想っていた頃を、どうして忘れられる」




そう、そうだ。あの時の俺は、妻とアイツを幸せにすることだけを考えていた。


普通に見合いで知り合い、普通に式を挙げて共に過ごすと誓った、妻。


数年して、初めて妻が身籠り、生まれたアイツ。


順調で、障害もなく、平凡過ぎる人生。刺激も何もない、退屈な日々だったが、充分幸せな、毎日。


俺は、それを、一生涯掛けて守ると、誓ったんだ。




「だけど、その誓いは破られた」




…………。




「あの年、あの時、あの場所で、―――強盗が現れたその日から、ねぇ?」




………うるさい。




「そうそう、その日はえるの誕生日だったか。お前は早めに仕事を切り上げ、プレゼントに兎のぬいぐるみを買って帰ったんだ」




黙れ。黙ってくれ。




「帰ったお前を待っていたのは、惨劇を越える惨状だった」




やめろ………それ以上、俺の過去を視透かすな!




「妻は、腹を刺されて死んでいた」




――――ッ。




「傍らには、妻を殺した男が、お前を眺めた」




う、ああ、




「妻の腹から刃物を抜き取って、男がお前を殺そうとした。その時、お前は何をした?」




う……ぅああああああああ!!!




「命乞いだ」




あ。




「妻を殺した男に、頭を垂れて、どうか助けて下さいって、頼んだ」




あ、ああ、違う、違ッ、




「何が違う? 茂、嘘は無意味だ。私にはね。当時の状況を誰より、当人のお前より視っていると自負するよ」




違う!


だって、だってッッ、


………あんな状況になったら、誰だってそうするだろ!!


それが“普通”だろ!!!




「…」




死が迫ってたんだ。殺されるんだ。だから命乞いした。何が悪い!




「悪くはないさ」




誰でも同じことをした。俺だけじゃない。お前だってそうだろ!?




「どうだろうね」




俺は悪くない。悪くない。悪い訳がない!!


俺は、俺がしたことは、“普通”のことなんだ! だから、だからッ、




「じゃあ、その後にえるにしたことも普通かな? あれも、追い詰められれば、誰もがそうしたと?」




ッ、




「強盗が逃げて、残されたお前は、隠れていたえるが出てきたことに驚いただろう。一部始終見られた。母殺しの男にすがった父親…クハハ、その時のえるの感想を教えてやろうか? ん?」




うるさい。黙れ。それ以上。喋るな。


黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙




「お前を、憎んでいたよ」




…。




「憎んで、呪って、そして愛した。愛したんだ。どうしようもなく愚かなお前を、ね」




愛、した。アイツが?


この、俺を?




「そうだよ。そして赦そうとまでした。仕方なかったと。お前のしたことは赦されるべきだ、と」




そんな………嘘、だ。それじゃあ、それじゃ、




「それを知ることのなかったお前は、えるを殺した」




それ、は




「いたぶって、いたぶって、いたぶりぬいて。最期に、えるは自分の心を殺した」




それは、そんな………。




「その日から卯月えるは、逝ける屍と化した」




そんな、こと、俺、は………。




「同情も誘えないね。憐れ過ぎて掛ける言葉もない。お前は心の何処かで、あれは自分のせいではないと、思っていたんじゃないか?」




同情。


そうか………だから、赤髪の少年も………、




「確かに妻が殺されたのはお前のせいではないよ。でも、えるは違うだろう。えるを殺したのは、紛れもなく、お前だ」




そう、だ。


俺が、アイツを、殺した。


ハハ、ハハハ、ハ………。


笑え、ないな。




「さて、そんな救えないお前に朗報だ」




………朗報?


なんだ、朗報なんて、もう要らない。


俺は俺の罪を認めたんだ。そんな奴に、朗報なんて。




「救済と断罪。どちらかを選べ」




少年の手が、


俺の顔を覆った。


…救済?


……断罪?


お前が、俺を?




「救いか、裁きか。私の能力ならそれが可能だ。お前を死なせず、視なせる」




死なせずに、視なせる。


どういう、意味だ。


判らない。


何もかもが、どうでもいい。


此処で朽ち果てたい。妻と、アイツに、報いたい。


報い………。


……………。


…あ。そういうことか?


お前が此処へ来た理由。


その為だけに、来てくれたのか?




「厳密には、えるが望んだことだ。あの屍の願いを叶える為、と思ってくれ」




そうか。アイツが望んだのか。


それは良かった。


じゃあ、今日は厄日じゃない。人生最良の日になる訳だ。




「いや、最善だろう」




最善か。


最悪、の日々から、解放される、なら。


最善、なんだろうな。




「で? 救済と断罪。どちらを選ぶ」




どちらを?


そんなもの、初めから決まってる。


俺が選ばないといけないのは、たった一つだ。


ずっと、ずっと、選ばなければならなかったのに、そうしなかった、俺。


今なら、選ぶことが、出来る。




「救済か、断罪か」




救いか、裁きか。


答えは、一つだ。


たった、一つだ。


それで、終わり。


俺の、平凡で、つまらない、普通の、人生を、終わらせる、それは。


その選択肢は、

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