〈壱〉1 日常的な非日常
憑物、と呼ばれる少年がいる。
本名不明、偽名として日央凪臣という名を使ってはいるが、本人は自分に合っていないとのことで使用は控えている。
彼は『視通す者』だ。
森羅万象、この世のみならず、ありとあらゆる異世界を、時空を、事象を越えて視通し、視透かし、視定める。神の如き能力の使い手だ。
異端なる能力。それゆえ、トラブルに巻き込まれることが常となる。望む望まぬに関わらず、異常な事態に追いやられてしまう。
今回はその異常が女の子だった、というだけの話。
朝。
眼が覚め、欠伸をし、さて夏休みをどう過ごそうか宿題でもするかしかし面倒だかったるいんだやってられるかとか愚痴愚痴言いつつも、憑物にはやはり隣の物体をないがしろにすることは出来ない。
。
有り得ないことが起こるのが、憑物の日常だ。
なので、ツインベッドで寝そべる憑物の隣で、白シャツ一枚の女の子が寝ていたって驚くことはない。むしろ喜ぶべきだ。
…世間の眼が冷たくなるので、間違っても喜んではいけない。戸惑うくらいがちょうどいい。
「まあ、今更な気もするけどな…」
状況の異常さは置いといて、憑物は一先ず女の子を起こすことにする。
「おい、起きろ」
「…………」
反応はない。しかばねのようだ。
「……起ーきーろ」
「…………」
肩を揺すっても反応はない。仲間になりたがっているようだ。
「………起きろ! 卯月える!!」
「…、」
女の子は起き上がった。憑物の仲間になった! チャーチャッチャラー♪
「……で、お前はそこで何をしてる?」
「ヒハ? いやいやちーと実況解説」
いつの間にか憑物の背後に立ち、RPG風に語っていた男はヒハヒハ笑った。
橙色に染めた短髪に顔中ピアス、リングだらけの、憑物と同年の少年。
『天邪鬼』亞木姜示。
「ヒハハ! ヒハハハハハハハ!!」
亞木は何が面白いのか、憑物と、憑物が卯月えると呼んだ女の子を交互に見比べながら、
「つっきーがイタイケイケな女の子を埒々拉致ちゃってるー! ランランル〜ヒーハハハ。ケーサツ! ケーサツ! 変態さんをお巡りさんにツーホーだ〜♪ ヒーヒハハッ」
端から見れば確かに憑物が女の子を監禁しているように取れる現場を吹聴しながら、軽やかなスキップで玄関を出ていった。
登場して一分も経っていない。彼は一体何しに此処へ来たのだろうか。
「………天邪鬼はいつも元気だなぁ」
寝起きで低血圧な憑物はまともに相手にする気にもなれなかった。欠伸を一つして、亞木が閉めずに行ってしまったので蝶番の軋む戸を閉じ、再び卯月えるの方へ向き直った。
ベッドでは、起きたばかりのえるがじっと憑物を見上げている。寝惚けているのか、半眼で視点はおぼつかない。
物言わぬ闖入者を前に、憑物はどうするかを考えた。―――起きて間もないしとにかく面倒だ。“誰かを演じるのは止めて”、単刀直入に聞くことにしよう。
「える。お前が何しに此処へ来たのかは視ってる。誰に連れて来られたのかもな。俺を利用したいのも判るし、俺も利用されてやる」
「………」
憑物が話し掛けても、えるはずっと黙ったままだった。感情の起伏が感じられない。まるで死人を思わせる。
憑物は構わず続け、
「望みを言えよ。叶えてやる」
「………たち」
促してやると、えるは初めて開口した。
たち、と。
…立ち?
「……立たせろってか?」
「………(こくん)」
えるは頷いて両手を憑物の肩に載せる。望みを言えと言った手前、手を払う訳にもいかない憑物もえるの腰を掴んで持ち上げる。
小柄な身体なので、難なく立たせることが出来た。次に、
「………すわ」
…座?
「……座らせろって?」
「………(こくん)」
身体を持ち上げ、えるは足を折り畳んで、憑物はそっと降ろしてやる。
最後に、
「………ね」
「……寝?」
「…………」
えるはベッドに横になって、二度目の就寝を
「寝るな!」
「…………」
手刀を頭に振り降ろしたが起きなかった。
マイペース全開。手強いな、どう対処しよう、と憑物は頭を悩ませ、
「…うん。俺も寝直そ」
思考を放棄してベッドに突っ伏した。
「…………」
「…………」
夏の陽射しが厳しくない、ある冷夏の日の朝の出来事。
お互い初対面。えるの方は住居不法侵入、憑物は幼女監禁(?)。なのに二人仲良くご就寝。
そんな極々ありふれているようで、実際ありふれていたら社会問題に発展するような一日が、憑物にとっては本当にありふれたいつも通りの一日が、
つつがなく、始まった。