〈参〉1 濃霧に紛れる囁き
深夜二時過ぎ―――。
街を覆っていた雲が流れて山々に掛かり、山中に濃い霧を漂わせ始めた時分。
街から遠く離れ、一般道路からも外れ、道なき道を進むこと一時間の山奥。人の出入りに乏しいであろうその場所に、小さな神社が建てられている。
神社に名はない。
その存在自体、知る者は皆無と言えそうな程誰にも知られていない神の社に、極めて珍しく、三人の来訪者の姿があった。
「やーっぱ駄目だ。全然思いつかねぇ」
一人は猫背の、黒いパーカーを着て頭を隠している茶髪の男。先程から一人で喋り続け、時折他の二人に話し掛けたりしている。
「なーんであんたらみたいな有名所と一緒に俺が呼ばれたのかがさーっぱりだ。だって俺は実績もそこそこの無名だぜ? あんたらとじゃ、格が違いすぎるよな? そう思わねぇかい、遭馬 逹さんよ」
「………」
茶髪の男が話し掛けたのは、白い袴を着込んだ時代錯誤の男。腰には柄、鍔、鞘、総一色の黒い刀を差し、茶髪の男にはまるで無関心で沈黙を貫いている。
「まあ、あんたらって言っても? そこの巨人さんがどなたかは知らねーんだよな」
「・・・」
そう言う男の視線の先には、灰色の布で全身を覆い隠した全長三mを越える巨体。男なのか女なのかも判らないその人物は、淡い灯りが揺れる石灯籠の隣で、袴の男同様に静かに佇む。
三人はある職業柄、ある依頼の元に、名無しの神社に参じていた。今は残る最後の一人と、依頼主となる社の神主が来るのを待っているという状況にあった。
三人は社の前の境内で、茶髪の男だけが暇潰しに一人喋り、他二人は黙々と不動の体勢で一時間弱を過ごしていたが、
「…なあ、遭馬さんよ。やっぱりあの巨人って『食人鬼』なんかなー? 此処に来る前にそんなような話聞いたんでさ」
「…、」
不意に茶髪の男が放った一言で、袴の男―――遭馬逹が初めて茶髪に関心を持った。
「やっぱりなー。そうじゃないかってずっと疑ってたんだよ。まさかあの異常者まで呼ぶなんて、今回の依頼した奴の頭はかなりブッ飛んでるよなー」
「………マン・イート・ゴブルは、来ない」
「おろ?」
境内で顔を合わせて以来、初めて遭馬が喋ったことに茶髪は驚く。そして反応がきたのを喜んで、嬉々として遭馬に捲し立てた。
「食人鬼―マン・イート・ゴブル―が来ないってのは? 食人鬼のことで何か知ってるのか? 教えてくれよ。あんたは一体何を知っているんだ?」
「…、偶々日本に来ていた食人鬼に依頼人が直接訪ねたらしい。が、食人鬼は依頼を断った。『女の肉が喰えないなら用は無い』と言って」
渋々、というよりは嫌々、といった感じで遭馬は話す。迂闊に反応してしまったが、遭馬には会話をする気は全くないようだ。話し終えるとすぐにそっぽを向いてしまった。
これ以上話し掛けるな、と言わんばかりの遭馬の態度に、しかし残念ながら茶髪はそのことに気づかない。会話が成立したのがそんなに嬉しかったのか、茶髪は尚も遭馬に話し続ける。
「はー…。人を食う異常者っていうもんだから、もっと無差別だと思ってたわ。女の肉ねー……、美味しいと思うかい?」
「…」
「まあ、人を食うって時点で答えはノーだよな。ま、別の意味で食べるってんなら、大いに賛同するところだけど。遭馬さんもよ、目の前に美女がいたら食いつくだろ?」
「………」
話が下世話な方向に進み始めた。茶髪はそういう話が好きなのか饒舌になって、その手の話を嫌う遭馬はさりげなく茶髪から離れる。そして茶髪が独り、先程までの独演会を始めようとして、
「…何だこりゃ。エロとサムライとゴーレムってどんだけ愉快なパーティだよ。こりゃ開始十分で雑魚に瞬殺だな」
霧の向こう、境内まで続く石造りの階段から最後の一人が、場の混沌さに辟易しながら歩いてきた。