05:案内:右魔術師団、左騎士団
その後、気まずい雰囲気のまま説明が行われ、結局目立たない事が一番、とヴァルクラウトの提供した部屋に移る事となり、元々荷物の少なかった――と言うより、殆ど無い――沙月の移動はリリフロラに言いつけるだけで終わった。
工房準備中は其処で過ごし、移動は隠し扉――侍従の控室は、主人に何か有った時の為に隠し扉で別の場所に行ける様になっているそうだ――から、となった。
居室と言われぎょっとしたが、部屋は違うと知って気は楽になった。それに良く考えなくても、ヴァルクラウトは沙月の事を子供と思っていたのだ。好き嫌いは兎も角、性欲の対象と思っていなかったのは間違い無い。寧ろ沙月の方から夜這いをかける心配が有ると匂わされたが、其れもヴァルクラウト本人が、女に押し倒される程弱くない、と一蹴したし、沙月もその気は無い。工房に移ってしまえばそんな余計な心配も無くなる。
と言う事で、やっと魔術師団と騎士団に案内される事になった。
「見て判る通り、王城を中心に、正門から見て右、城から見て左、東側が王立騎士団、西側が王立魔術師団となっている」
先に魔術師団を案内しようとウィロードが先頭に立ち、説明をしながら歩く。
方向音痴のつもりは無いが、初めての場所で似た様な曲がり角が多い城内、何とか覚えようと沙月は聞き漏らさない様に必死だった。
何せメモを取ろうとしたら、城内の地図を作るのは機密扱いになり、禁止されている。無視して作れば投獄されると言われて、諦めたのだ。頭で覚えるしか無い。
「出入口は二ヶ所。城から直接出入り出来る二階の渡り廊下からの扉と、場外からの東門、西門が各々の出入口となるからね。城内からは特に規制は無いけれど、城外からは各々の門に門番が居て、身分証の確認が有るから、気を付ける様にね」
「身分証は必要になるまでに作る、心配は要らぬ」
順々に説明されるので、混乱は余り無かった。
食堂や訓練所等は判るのだが、座学の教室や研究室等は似た様な造りの扉が並び、どの部屋が誰の研究室か、と言われても本人も知らないのだ、全くピンと来ない。辛うじて名札が有るので、誰の部屋か判る程度だ。
とある扉の前で、アイヒェが立ち止まり扉を開けた。
「タティアナさん、此処が僕の研究室です。狭いですけど、講座と訓練を受けている時以外は、大抵此の部屋に居ますので、何時でも来て下さい」
「アイヒェには魔法陣の解析を頼んである。他の者にも頼んでいるが、其れはアイヒェとは別口でね。彼等は同じ魔法陣が何故失敗続きなのかその原因を、アイヒェはタティアナを召喚した時の魔法陣の何が影響したのか、其れを調べて貰っている」
地道な作業だが、怠ると同じ失敗をする事になる。早く送還の魔法陣を完成させて欲しいが、失敗した結果此の世界に留まる所か、全く違う世界に飛ばされても困るので、黙って頷く。
意外な事にウィロードの部屋は、城に続く扉の直ぐ近くだった。
筆頭魔導師長と言う立場の人間が、こんなに人の出入りが激しい場所に部屋があって良いのだろうか。そう考えた沙月だが、城に近い方が逆に都合が良いそうだ。
魔術師達とだけで無く、騎士団や政務官とも会議や打ち合わせが多く、書類の遣り取りも多いからだと言う。
「其れに外から来た人間にとっては、一番奥まった場所だからね。権威は有る様に見えるから問題無いよ」
そう言って笑うウィロードは、魔石の受け渡しは此の部屋で、と伝えた。未だ試していない為、どの位の頻度で魔石を渡す事になるのか判らないが、最初の二~三日は毎日様子を見る事になった。
結果次第で、毎日か二~三日置きか決めると言う。場合に因っては魔石の大きさを変えるか。
「此れが魔力を貯めておく魔石。肌身離さず着けて、明日の朝にでも持って来てくれるかな?」
そう言って渡されたのは、首飾りだった。トップに魔石を着ける金具が付いていて、一見すると普通のペンダントだ。
魔石を良く見ると、白い石のようで、それが魔力が空の状態なのだと言う。魔力が貯まると、その人の魔力の属性にもよるが、赤や青、黄色と言った色になるらしい。澄んだ色程質の好い状態だそうなので、楽しみですね、と言われて逆に困った。
期待される程量も質も良くなかったらどうしよう、と思うが、こればかりは結果を見なければ何とも言えないので、笑って誤魔化した。
午前中二~三時間基礎魔法を学び、午後はウィロードに時間があれば応用と錬金術を基礎から。時間が取れなければ、アイヒェの研究の手伝いか自習、若しくは部屋に戻ってリリフロラに此の世界の事を教えて貰う事となった。
「予定ぎっしりですね……」
「別に自由に遊んでいても良いぞ、其方を利用しようとする者共に見付からねばな」
思わず不満を漏らす沙月に、事も無げにヴァルクラウトが言い放つ。むう、と少し口を尖らせたが、続く言葉にハッとする。
「忙しくしていれば、余計な事は考えんだろう? 良く動き、良く眠れ。くよくよするな」
「はい……有難うございます……」
悪い事を考え過ぎない様にと立てられた予定と知り、沙月は何を言って良いのか判らず、小さく礼を述べるに留めた。然り気無く言われた事に対し、大仰に礼を言うのは何か違うと思ってだが、どうやら正解だったらしい。ヴァルクラウトが頷き微笑んでいた。
まるで王子様みたい、あ、王子様だった、と思ったのは内緒である。
騎士団はヴァルクラウトが案内し、ほぼ対称となった造りに混乱しないかと心配したが、騎士団には早々用事は無いだろうから、キーファーの部屋と訓練所だけ覚えろと言われ、そうする事にした。
騎士団には大まかに分けて二つの団が有り、その中に各三つの大隊が有る。その大隊一つに六つの小隊が有り、小隊一つに騎士が六人、騎士一人に12人の部下が付く。キーファーは元はこの小隊を纏める隊長である。
王族を守る近衛隊はこの中には含まれず、小隊長以上から選ばれる事となる。
因みに魔術師団も似た様な構成であるが、魔法の研究開発を主体とする魔術師団は、実戦に出るのは凡そ半数であり、残りの半数は研究開発を続けるのが通例である。
閑話休題。
近衛隊に所属しているキーファーには、私室を含む二部屋が執務室として与えられている。
案内された部屋は落ち着いた色合いの、シンプルと言えば聞こえが良いが、殺風景とも言える部屋だった。私物が少なく、必要最低限の物しか置かれていない。その殺風景さが彼の生真面目とも言える性格を表している様だな、と沙月は思った。
そんな沙月の感想を知らず、キーファーは部屋の説明をした。
「見てお判りでしょうが、此の部屋は最低限しか使っておりません。用事が有る場合は、先に訓練所を覗かれるか、殿下をお訪ねになられる方が宜しいかと存じます」
部屋の奥の扉は私室なので、立ち入り禁止と言われて頷く。
「どちらにも自分が居なければ、部屋の中でお待ちして頂いて構いません。殿下が用意してくださる身分証に情報を記憶させれば其れが鍵となります」
カードキーみたいな物かと納得する。
「ウィロードさんとアイヒェくんの部屋も登録するんですか? 殿下の部屋は?」
沙月の質問に、ウィロードとアイヒェが頷き、ヴァルクラウトは「私の部屋は不要だ」と言って理由を教えてくれた。
私室も執務室も護衛で護られ鍵が必要無い上、沙月が使う侍従控室も通常出入口はヴァルクラウトと同じだし、隠し扉は仕掛釦が鍵となっておりカードキーは必要無いし、仕掛釦も沙月が工房に移ってから、細工を加工し直すので問題無いそうだ。
「では隠し扉の場所を教えるか。…タティアナ以外は、先に私の部屋に行ってくれ。キーファー、見張りを頼む。私達が居なくなってから、其方も私室へ来る様に」
「はい」
言われるままヴァルクラウトに付いて行くと、広い通路脇の階段に面した小部屋に案内される。
「此の部屋は?」
「使用人達が登城した貴族や議員、客人達の目に入らぬ様に、一時避難する部屋だ。洗濯物や掃除用具を持って客人の前に姿を現す訳にはいくまい?」
言いながらスタスタと奥まで行くと、壁の一部を押す。すると壁が割れて更に小さな部屋が現れる。
「そして此処が私の部屋に続く隠し扉の有る部屋だ。入口を隠しているのは、隠し扉を使うのを見られぬ様にだ」
出る時も入る時も人の気配が無くなってから、と言われて成る程と思う。
小部屋に入るだけなら普通の使用人と変わらないし、小部屋の奥に更に部屋が有るのは、見た目では判らない。薄暗い部屋の中で出入口は判り辛いし、隠し扉を使うのも人が居ないのを見計らえば良い。
キーファーが背を向けて見張る間、ヴァルクラウトは沙月が判り易い様に、ゆっくり隠し扉の仕掛釦を操作する。幾つかの操作の後、カチリと音がして、ただの化粧板がゆっくりと開いた。
「今の手順で此の象嵌を押せば扉が開く。閉めれば自動的に鍵が閉まる様になっている。…此処まで、判るか?」
「な、何とか」
頭がパンクしそうだとは言えないが、取り敢えず覚えた。一度試しに見て貰い、間違い無いか確認した所で隠し通路に入り、ヴァルクラウトの私室――正しくは侍従の控室――に向かった。
暗い通路は曲がりくねり階段も有ったが、基本的に一本道らしい。迷う事無く進んで行くと突き当たりになり、其処が終着地点だと教えられた。
「ではもう一度。先程と同じ手順だ、やってみろ」
「これって間違えたらどうなるんですか?」
「どうもしない。最悪閉じ込められるだけだ」
「何ですか、それ、怖いんですけど!」
「心配するな。私が居るし、間違えてもやり直しは利く。最悪、と言ったろう?」
暗がりで笑った気配がして、何となく気が緩み落ち着く。
そうか、間違えても良いんだ。
そう思うと気楽になったからか、割と簡単に仕掛釦を探し当てられ、一度だけ間違えたが、二度目は無事に操作を済ませ、狭い隠し通路から部屋に出る事が出来た。
隠し通路から出た先は此れから沙月が暫く過ごす予定の部屋で、既にリリフロラが移動を済ませ脇に控えていた。
「お帰りなさいませ、殿下、お嬢様」
「ああ、リリフロラも大儀だったな。序でで悪いが茶の用意をしてくれ」
「畏まりました」
綺麗な御辞儀をしてリリフロラが部屋を出る。其れを見送り、ヴァルクラウトが部屋の説明をした。
「見て判る通り、狭い部屋だ。気に入らねば他の部屋も有るが、どうする?」
「いえ、此れでも充分広いです。有難う御座います」
ベッドと机、其れに衣装棚が据えられ、仮住まいには充分過ぎる。素直にそう言うと、満足そうに頷かれ、其れでは、とヴァルクラウトの私室に向かった。向かうと言っても扉を開ければもう私室らしい。
出た部屋は思っていたのと違っていた。
絢爛豪華を想像していたのだが、どちらかと言えば質実剛健と言った雰囲気で、本人の見た目――煌びやかな王子様――とはまるで違う。ポカンと見ていると、「どうした?」と声が掛かる。
「思っていた部屋と全然違うので驚きました」
「…想像は付く。どうせ華美な部屋でも想像していたのだろう?」
「何で判るんですか?!」
「その顔を見れば判る。で、違った感想は?」
何やら面白そうに笑うヴァルクラウトに、悔しいが正直に言う。
「落ち着いていて良いです! 王子様の部屋って、もっと派手って言うか、ピカピカしているのかな、と思っていたので」
「華美な部屋は私も落ち着かん。此の部屋は執務室も兼ねているからな、落ち着いて仕事がしたい」
その理由に沙月も頷く。
ただヴァルクラウトは言わなかったが、数年前までは此の部屋ももっと煌びやかな装飾が施されていた。其れを少しずつ変更し、現在の様な部屋にしたのだ。
結果として目的は叶ったし落ち着いて仕事も出来るしで、ヴァルクラウトにとっては好い事尽くめだった。
そんな話をしている内に、ウィロード達が現れ、再び話し合いとなった。今度は沙月の出自をどうするか、と言う話し合いだ。
仕事中だと言うキーファーとリリフロラも交え、座って話し合う。落ち着かなそうなのは先の二人とアイヒェで、沙月はどんな話になるのか緊張し、残る二人は優雅に茶を楽しんでいた。
落ち着いた所で「さて」と切り出される。
「タティアナが異邦人だと言うのは、出来るだけ伏せておきたい。然しそうなると我々がわざわざ後見する理由が必要だ」
王太子と伯爵家当主が後見する少女。聞いただけで理由有り、どんな事情が、と探られそうだ。
散々考えた結果、多少の真実と嘘を取り混ぜて、訊かれた場合にのみ、暈した情報を与えようとなった。
「私の領地から魔法の才能を期待されて、伝を頼り王都に来た事にしよう。当家の信頼出来る者からの紹介状が有ったので、私が後見人になると決めた。この理由なら魔導師団に出入りしていても可笑しくは無いよ」
「証拠として早急に紹介状を作らせる必要が有るな。当ては有るか?」
「領地の家令なら代々務めて口も固い。彼なら大丈夫だと思うよ」
話し合いと言いつつ二人でポンポンと決めていくので、沙月はする事も無くお茶を飲んでいた。
やがて決まったのか、二人が沙月に向き直る。
「…と言う事に決まったが、良いか? タティアナ?」
「……箇条書きにして教えて下さい。忘れそうなので」
「…………聞いていなかったのか?」
「いえ、長すぎて最初の方はもう忘れそうだな、っと」
にっこり笑ってそう言うと、自覚があるのか二人とも黙ってしまった。
箇条書きにして貰って判った事は、先に決めた事とそう変わらない事だった。違うのは、ヴァルクラウトの後見は公にせず、ウィロードが才能を見込んで後見する事に決めた事。リリフロラとキーファー、アイヒェは沙月が工房に移った後は、休みの時に様子を見に行く事。魔石の回収は城に居る間に決めるので、保留中。
そんな事が流れるような文字で書かれている。
うん、悪いけど。読めるけど、書けない。
素直にそう思った沙月は、文字の練習を申し出た。
「必要か? 読むに支障は無さそうだが……」
「書くのが大変そうです。何故か読む分には読めますけど、書くとなると私の世界の文字しか書けないみたいで」
「異世界の文字か、どんな文字だ?」
興味津々で訊いてくるヴァルクラウトに、沙月が一番上に書いてある事と同じ事を日本語で書いてみる。
「はい、一番上のものと同じ事が書いてあります」
そう言って渡すと、上下が判らないのか、引っくり返したり回したりと矯めつ眇めつしてから「読めん」と一言。
「此れは……不味いな。タティアナの書く文字が外国語だと思ってくれれば良いが、異世界の文字と知れたら異邦人と判ってしまう。良かろう、文字の練習も課題としておこう。リリフロラ、教えてやってくれ」
「畏まりました」
「タティアナが文字を覚えるまで、アイヒェが板書をしてやってくれるか。其れほど時間は掛からぬ筈だ」
「はい!」
「そんなに直ぐに覚えられますか?」
ヴァルクラウトの言葉に疑問を投げると、ウィロードが説明してくれた。
「大丈夫だよ、君の持つスキル、【異世界言語】は我々の言語を読み書きを含み使えるとなっているからね。勝手に書ける様になるのかと思ったが、どうやら少しは勉強も必要らしい。けれど我々が外国語を学ぶよりも早く覚える事が出来る筈だよ」
例えば使った事の無い土魔法を、魔法使い以外と魔法使いが使おうとした場合、早く使えるのは魔法使いだ。既に魔法のコツを掴んでいるからね。
例え話で言われて沙月も納得する。読めるのに書けないと言うのがそもそもおかしいのだ。早く練習して書ける様になろう、と心に決める。
色々と決まった所で、沙月もやっと不安が減って期待が膨らんだ。
此れからどの位時間が掛かるのか、帰れるのか判らないが、協力してくれる人も居るのだし、自分も頑張って出来るだけ手伝おうと思う。
其れと余り考えたくも無いが、万が一の事も考えて。錬金術も頑張って覚えようと決める。
憧れていたけれど、どうせなれないと諦めていた職業を体験出来るチャンスだ。出来るだけ楽しみたい。
良し、と気合いを入れて目の前の人々に改めて挨拶をする。
「私、頑張ります! だから皆さんも協力お願いします!!」
ペコリ、と頭を下げる。
その姿に此方の方が頭を下げるべきなんだが、と呟きつつ返事をする。
「お互い様だ、無理はするな」
「はい!」
沙月の元気な返事に、微笑みが返る。其れを見て、沙月もにっこりと笑ったのだった。