04:後見:二転三転、意見は転がる
錬金術師になる、と宣言した沙月だが、具体的にどうすればなれるのか判らない。
そこで詳しそうな人間に訊ねる事にした。要するにウィロードだが。
「君の場合、基礎も何も無いからね。いっそ魔法の基礎を学びながら、初歩の錬金も学んだ方が良いかも知れないね」
本当は基礎を覚えて器を大きくしたら、何もしなくても良いのだけれど、と呟く。
錬金術師も名は違えど、魔法使いである。魔法を使えない事は、普通の魔法使いなら話にならないが、彼等の魔法は『調合』と言う手法で、物を作り出す時に使われる魔力を練る為が殆どだ。種類を覚える必要は無く、基礎の魔法だけ覚えて、後は調合を続けながら必要に応じて、他の魔法を覚えていく形をとる錬金術師は多い。
「と言う事は、基礎さえ覚えてしまえば明日からでも錬金術師になれると言う事ですか?」
「極論を言えばそうだね。ただ、錬金術師になるには、前準備がかなり必要だよ」
沙月の質問にウィロードは丁寧に答える。
「先ず調合に必要な道具類。其れと原料。調合書。調合するのに適した広さの工房。最低限此れ等は必要だね、後は出資者」
「それだけ揃えるのに、大金が必要って事ですか?」
「そうだね。だけど出資者の意味はそれだけじゃない。錬金術によって齎される恩恵を、大なり小なり求めている。主従関係では無いが、近いものは有るかな」
成る程、確実な見返りを求めるから出資者なのか、と納得する。
援助者は才能への先行投資だが、見返りは然程期待していない。有るとしたら援助された側が、自主的に恩を返した場合だろう。
そんな事を考えていると、難しい顔をしたヴァルクラウトから呼ばれる。
「タティアナ。其方は簡単に錬金術師になると言ったが、判っているのか? 錬金術師は独り立ちするのに何年も掛かる。だが其方に与えられた時間は、一年も無いのだぞ」
そもそも沙月に魔法を教えるのは、魔力を増やす事と器を大きくする為だ。それだって必ずやらなければならない事では無い。
魔力酔いをする事無く魔力を溢れさせる沙月に、定期的に魔石を渡し魔力を貯めて貰う事が目的なのだ。乱暴な話をすれば、其れさえしてくれるなら、遊んで暮らしていても構わない。
「歪みを留める為の魔力の提供だ。其れも其方を送る魔法陣が失敗しない限り、一年以内には必要無くなる……」
「だからこそ、ですよ」
ヴァルクラウトの言葉を遮り、沙月は力強く言った。
「一年以内に成功させる事が勿論最大目標ですけど! 失敗する可能性も有るなら、自立しなきゃ、って思うんです」
失敗を前提にしたくは無いが、確実に成功すると楽観も出来ない。若し一年後に失敗して戻る事が出来なかったら、自分はどうなる?
そう考えた沙月が出した結論は、自立する事、此れに尽きる。
ヴァルクラウトとウィロードが後見人になると言ったが、一年も過ごせば沙月が必要か不要か判断は付く。
必要とあらば後見を続けてくれるかも知れないが、其れも希望的観測に過ぎない。不要となれば放り出される可能性の方が大きいかも知れないのだ。
その時は恐らく其れなりの支度金は出して貰えると思うが、下手をしたら着の身着のまま放り出される事も考えられる。…今の所その可能性はかなり低いが、彼等の知らぬ所でそうならないとも限らない。
倩と以上の事を沙月が訴えると、其処まで非情と思われたのか、と頭を抱えられた。
―――実際、ヴァルクラウトとウィロードには彼等なりの思惑から、沙月の後見をしようとしているだけに、有り得無い事だと笑い飛ばす事が出来ない。どう言い繕おうかと素早く考えるが、その前に沙月が彼等の葛藤を余所に言い放つ。
「それに、働かざる者食うべからずと言いましてね! 何もしないで遊んでいたら、悪い事が起きる気がするんです! そう思っちゃう小心者なんです!!」
その言葉には今度こそ全員、開いた口が塞がらなかった。
基本的に考え方が違うのだ。
沙月は沁々と其れを実感する。
労働は尊いと祖父母に躾られたのは、小学校に入学して間も無く。
両親と各国を廻っていた時は、国に因っては使用人が居て、家事全てを彼等に任せていたのを見た事が有る。
祖父母に預けられる直前は正にその頃で、使用人の居ない生活は戸惑うものだった。だが物分かりも理解力も、その年頃の子供にしては有り過ぎる程に有った沙月は、祖父母の言う事を理解し、実践した。
働かざる者食うべからず。
沙月は細々と祖父母の手伝いをし、対価を貰う事で其れを学んだ。そして父母からは、持つ者は持たざる者からその仕事を奪ってはならない、と教わった。
掃除をしたくないから掃除人を雇うのでは無く、彼等の仕事が其れだから雇うのだ、と。何故自分で掃除すれば良い事なのに人を雇うのか、と両親に訊ねた時にそう返されて、沙月は考え方の違いを熟感じさせられた。
ヴァルクラウト達が魔力の提供以外で沙月を働かせようと考えて居なかった事は、直ぐに判った。
話の序でに説明された事だが、沙月はかなり厚待遇で、魔導師団で勉強する以外は行動の制限は無かったし――勿論迂闊に利用されないよう、護衛が必要と言われたが――、衣食住の保証もされた。
最初、今使用している部屋を引き続き利用するかと思いきや、流石にあの部屋では目立つらしく、魔導師団の寮の一室を借り受ける事となった。浴室は共同だがトイレは有るし、部屋の大きさも寝台一つに机が入れば良い程度、と聞かされ沙月はホッとした。
どうにも今借りている部屋が豪華過ぎて落ち着かない為、物置でも借りたいと思った位だったからだ。
服も一通り不自由無い程度に用意されるし、食事もそうだ。此れを厚待遇と言わずして何と言えば良いのか。
沙月の知らぬ事では有るが、ヴァルクラウトが自分の侍女か男装させて従僕にでも、と考えたのは働かせる為では無く、どちらかと言えば沙月の存在を誤魔化す為の苦肉の策で有ったし、魔法を教えるのは魔力の器を大きくしようと考えた結果だ。
何時居なくなるか判らない人間の為に、必要以上の魔法を教える意味は無い。其れこそ侍女や雑用係として働かせれば良い。衣食住の対価として。召喚の被害者に対する扱いでは無いが、彼等の身分を考えれば、そう考えても可笑しくは無い話だ。
―――そう言うとヴァルクラウトに怒られた。
「莫迦にするな。其方の様な子供一人匿うなど訳無い事だし、此方に責の有る事で其方に不便を強い様とは思わぬ。確かに魔力の提供をする様に申し出たが、其れとて理由有っての事だ」
沙月が魔力を提供しなくても、歪みが留められるとは言えないが、その事以外は全て真実だ。
魔法を教えるのは、器の問題も勿論有るが、多少なりとも外出出来れば気分転換、退屈凌ぎになるだろう、と言うのも有る。わざわざ働こうと思わなくとも、魔法の勉強をすれば充分だろう。
其れ等を伝えると、沙月は目に見えて落ち込んだ。
「済みません、お気遣い頂いて……でも、あの、違うんです!」
ガバと俯いていた顔を見上げて訴える。
「根本的に考え方が違うんです! 先刻も言いましたけど、私は何かして貰ったら、返さなきゃと思うし、働かざる者って言って、結局何が出来るか判らないのに働きたいって、変だとは思うんです! 思うけど、落ち着かないんですよ!」
「何がだ」
「…悪い事を考えそうで、何かしなきゃって思うんです……」
「…………」
ポツリと呟いて俯く沙月に、言葉が出ない。
『悪い事』が一年経っても還る目処が立たず、此の世界に残る事なのは判る。悪い事を考えない為に、働きたいと謂うのは―――
「魔法を勉強するだけでは、不安か」
「…言ってたじゃ無いですか、基礎を覚えてから、ウィロードさんが続きを教えてくれるって。でもその続きって別に必要無いんですよね?」
「……そうだな」
必要無い事をわざわざ教えてくれると言うのは、自分を退屈させない為だと沙月は思う。そうだとすると、教えると言うより話し相手に近く、忙しいであろうウィロードに申し訳が立たない。
かと言って一人で自習なり、其れこそ遊んで暮らすとしても、何時かは退屈するだろう。
好きに遊んでいた所で、過ぎれば何事も疎ましくなるのだ。遊んでいても何時かは厭きる。
そう考えれば、勉強すると言うのは良い手である。疲れたり飽きたりしたら気分転換と言って遊べば良い。遊んでいる人間が、気分転換と言って何が出来るか? 全く判らない。
「昼間に勉強している時は、余計な事は考えないと思います。でも其れ以外の時は、考えないとは言えないし、やっぱり悪い事が起きた時に、直ぐに対応出来る様にしておきたいんです」
「其れが職を持ち独り立ちすると言う事か」
「……ですね」
沈黙が落ちる中、反応は区々だった。
何を言って良いのか判らないと目を泳がせるアイヒェ。目を逸らすキーファー。瞑るウィロードと、考え込むヴァルクラウト。
暫くしてから溜め息が吐かれた。
溜め息と共にヴァルクラウトは言った。
「判った。そうまで言うなら、どうせ後見するのだ。私が出資者として、其方に工房を用意しよう」
「良いんですか?」
期待していなかっただけに、喜びよりも戸惑いの方が勝る。そんな沙月に、ヴァルクラウトは頷き、続けて言う。
「勿論最初から与えられるとは思うな。其方には魔法の基礎を確りと覚えて貰わねばならんし、私も己の勝手で国の予算を割く訳にもいかぬ。私の個人資産からとなると、準備に時間が掛かるから、その間はウィロード、タティアナを頼むぞ」
「仕方無いですね」
苦笑しつつウィロードも了承した事で、沙月が工房を構える事が決定となった。
「殿下、宜しいのですか」
「本人の希望だ、仕方有るまい。異邦人が現れた事は幸いごく少数しか知らぬ。我々が後見するにしても、早い内に害虫に集られぬ様、いっそ市井で暮らした方が隠れ蓑になり、良いかも知れん」
訝しげなキーファーの問いに答えながら、其れも一理有るな、と考える。
王城と繋がる魔導師団は、仕事の都合上、人の出入りも多く、優秀な魔導師を囲い込みたい貴族達もその中に含まれる。そんな環境でうっかり沙月の存在を知られたら騒ぎの元となり兼ねない。木の葉を隠すには森―――街に居を構えた方が沙月の存在を知られ難いかも知れない。
沙月に魔力を提供させる理由を説明しても良いか? と考えたが、知らなければ何か有った場合、知らぬ存ぜずで通せると思い直す。
理由については本当にごく少数、宰相と王太子である自分、筆頭魔導師長と騎士団長しか知らぬ事だ。―――教える必要は、無い。
「取り敢えず、タティアナ。其方が基礎魔法を覚えるまでに、工房の件は何とかする。其れまでは先程言った通り、アイヒェとウィロードを頼れ。寮については……」
其処まで言って言い澱む。
才能にも因るが基礎魔法は、コツさえ掴めば意外と早く習得出来る。早い者だと僅か半日、長くても十日もすれば覚えられるだろう。
そんな短期間で工房を用意出来るかは兎も角、寮に入って、直ぐに出て、では悪目立ちをするだろう。
暫く考え、ヴァルクラウトは他の案を口にした。
「寮については撤回する。工房が出来たら、そちらから通うと良い。街から通う者も多いから、不自然では無いだろう」
「じゃあ工房に引っ越すまでは今の部屋ですか?」
落ち着かない部屋だが、短期間らしいし仕方無いか、と納得しかけた所で「いや、あの部屋は目立つ」と待ったが掛かる。
「私の居室が幾つか空いている。侍従の控室が空いているから、当座其処で過ごせ」
「は? え? ちょっ?!」
「殿下! ご冗談はお止め下さい!」
「ヴァル……? 何言ってるの?」
「で、殿下……?」
突然の提案に沙月だけでなく、他の三人も驚いて叫ぶ。言った本人は良い案だと思っていただけに、この反応が不思議でならない。
「何が不満だ。私の居室なら不審な輩も早々立ち入れぬし、リリフロラも元々私付きの侍女だ。部屋に出入りして何ら可笑しくは無い。魔導師団の往き来だけ注意すれば問題無かろう?」
淡々と利点を述べるヴァルクラウトに、警備の問題が、抑沙月は信用出来るのか、と言い募るキーファー。対するヴァルクラウトは、こんな子供に襲われると思うのか、見縊るなと返し。
其れ等を無視して沙月はヴァルクラウトに食って掛かる。
「問題有りますよ! 幾ら控室って言っても、殿下の奥様が良い顔しないでしょう?」
「…私に妃は居ないし、婚約者も居らぬ。其方の様な子供を置いた所で、妙な勘繰りをする者も居るまいよ。そう言えば訊かなかったが、其方の年齢は? 何歳だ?」
思い出した様な質問に、沙月は小さく「17歳」と答えた。
此れには全員が「は?」と目を丸くした。
「12~13歳では無いのか?!」
目を瞠って叫ぶヴァルクラウトに、沙月も叫ぶ。
「17歳です!! 幾ら背が低いからって、其処まで子供じゃないです!!」
言われてみれば、沙月の体型は今はゆったりとした服に隠れ判り辛いが、子供と言うより大人に近い少女の其れである。だがそう言う体型の子供が居ない訳では無いし、何より身長も、そして沙月の童顔がそう思わせる事を助長した。
沙月の姿を再確認し、再び「は?」と言ってしまったのは、仕方無い事だろう。
然し「は?」と言いたいのは沙月である。どうも彼等の言動が時折おかしいと思ったら、子供と思われていたのか。
多分丁重に扱おうとした部分と、子供に対する扱いとが混じってそんな態度になったのだろうが、最初から訊けば良い話だ。尤も其処まで突っ込んだ会話が出来る程、昨日は落ち着いていなかった。
少なくともアイヒェは彼の性格も有るのだろうが、対等程度に会話出来ていた。と言う事は彼と同年齢位と思われていたのか。
「…アイヒェくんて何歳?」
「ボ、僕は15歳です。今年、準成人で魔導師団に入団しました」
驚き過ぎて一人称が直っていない。だが其れより気になる単語が出た。
準成人。耳慣れない単語だ。
沙月がそう言うと、透かさず説明が入る。
この国と言うより、世界の殆どの国が18歳を成人として居て、15歳は準成人、成人になる準備期間として考えられている。
12歳から既に準備は始まるが、この頃は未だ試用期間であり、本格的に始まるのが15歳。貴族・平民変わり無く、成人とされる歳までに一人前と認められる様にする期間である。
家業や家督、代々受け継がれる物を継ぐ資格を問われ、または独り立ちする準備をする。
更に言うなら、本人にその資質が無い場合の補佐を探す期間でもある。例えばたった一人しか後継が居ない時、その後継に継ぐ技量が無い場合などが其れに当たる。
因みにヴァルクラウトも準成人から三年間は王太子として学ぶ他に、騎士団に所属していた。幼い頃から王族として教育を受けていた彼に、別の視野を持たせる為の措置である。
騎士として資質が有ったのか、見習いから始めメキメキと頭角を現した彼を先輩として指導したのが、キーファーである。王子と見て――その当時は立太子していなかった――追従する者も少なくない中、彼は一貫として指導員の立場を崩さず、厳しくも丁寧に騎士の有り様を教えていた。その真面目で融通の利かない所を買い、彼を専属護衛官として任命したのは昨年の立太子後であった。
「それじゃ殿下って若しかしなくても未だ若い……?」
彼の説明が本当なら、19歳と言う事になる。
「…何歳だと思っていた?」
顔を顰めて訊ねるヴァルクラウトに、沙月は目を逸らしつつ答えた。
「さん……25歳位?」
「正直に言え。今30と言いかけただろう」
「ごめんなさい! 30は軽く超えてるオジさんだと思ってました!!」
「お……」
思っていた以上に年上に見られて落ち込む。其処へ更に追い打ちが掛かる。―――別の人間に。
「大丈夫です! 今の話で判りました、殿下はオジさんじゃ無いです!! 私の中でオジさんは、二十歳以上なんで!」
「タティアナ? 私は26歳なんだが……オジさんかい?」
因みにキーファーは24歳である。
「あ……」
墓穴を掘った。沙月がそう思ったのは、ウィロードの笑顔を見てからだった。