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エッセイ詰め合わせ  作者: ちくわ。
4/8

言葉

偉そうに語ってすみません。

今回のテーマは「言葉」です。



私、人を慰める、励ますと言う行為が大変苦手です。もちろん、人に慰めてもらったり、励ましてもらったりするのは嬉しいし、ありがたいのですが、いざ自分が行うことになれば、なんと声を掛けたら良いか分からず、頭が真っ白になります。


相手を元気にさせたい。また笑い顔を見せてほしい。私にだってその気持ちはあります。しかし、私の言葉が相手の琴線に触れてしまったら。怖いのです、とても。

今まで生きてきた中で言葉によって心を抉られたことは私も多々あります。相手に例え悪気がなかったとしても、傷つくことはあるんです。言葉の恐ろしさを知ってしまった以上、不用意に言葉掛けすることができなくなってきているのです。臆病と言われたらそれまでですが。



言葉の暴力、ありますよね。あれは肉体に傷がつかない、つまり表面に見えないので発見が遅い、隠し通すことだってできる。非常に恐ろしいものなんです。なぜなら人を頼ることができないから。

見えないから。


これはわりと軽視されやすい問題です。傍から見ればじゃれ合いにだって見えます。皆さんにも経験があることでしょう。本気ではなくても人に「馬鹿」とか「あほ」とかを言ったことが。言うほうは些細なことかもしれませんが、言われたほうは少しは心が揺らぎます。「今の言葉、本心なのかな」や「ただの馴れ合いなんだよね?」と少なからず思います。(私の場合は)

例え、本心でなくても人を罵倒することは口にしてはいけないなと感じました。



さて、話を戻しますが、人に言葉を掛ける時、私の一言で相手に心の傷を負わせることになってしまったら。取り返しのつかないことになってしまったら。それはもう、暴力を超えてしまいます。

「私はただ、あなたの支えになりたかっただけなのに……。」

言葉の暴力でありがちな言葉です。でもそれ本心なんですか?本気で相手を支えたかったら罵倒する必要なんかないはずです。

私はこの言葉で逃げたくはありません。絶対に。



「たられば」の話をしていたらキリがありませんね。すみません、私も言い過ぎました。

つまり私が言いたかったことは、“言葉は人の人生をも変えてしまう絶大な効果があること”です。


私が聞いた話では、ある人がとある事情で夢を諦めかけていたところに、

「□□(人の名前)なら○○(職業)になれるよ!」

といった励ましの言葉から必死に努力して現在ではその職業に就くことができたそうです。良かったですね。

もちろん良いことばかりではありませんが、言葉の影響力は想像以上に大きなものなのです。



実は、残念なことがありました。私自身直接的ではありませんが人を罵倒してしまい、その1日自責の念に駆られました。なんて情けないのだろう。もう2度心もとないことを言わないと決めたはずではなかったのか。後悔しかありません。本当に申し訳ないです、ごめんなさい。


人に偉そうにものを語っておきながら自分が守れなくて大変申し訳ないです。こんな未熟者ですが、どうか温かく見守ってくだされば幸いです。


ちなみに文章が趣味ではないのはこういった理由があるからです。人に影響力を与えるものはどうしても趣味にはできない。でも執筆活動は続けます!


閲覧ありがとうございました。

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