追われる身の御曹司
――――眩い輝きが視界に焼きつき、光の球が飛び出したのかと思った。けれどそれは錯覚で、実際に輝いていたのは銀の髪だった。尾っぽのように長く、蓋を覗き込んだオスティンの頬を引っぱたく。
オスティンは毛先が触れる寸前で払いのけ、飛び起きた人影に瞠目した。
血管が透け出てきそうなほどの真っ白な肌。長い睫毛の影が落ちる薄紫の双眸。白と桃色を基調とした、ドレスのような長い服。
後頭部で結い上げる髪紐から零れた一房の髪が、上気した頬にかかっている。明らかに動揺している顔は、人形みたいに整っていた。だが人形にしては、血が通いすぎている。
年の頃はノエルと同じくらい――――18歳前後だろうか。
身分証を持たない2人の仕立屋。箱に隠されていた若い美人。
オスティンはこの3人の関係に舌打ちした。
「………女か。貴様ら、奴隷商か女衒だな」
軽蔑と怒りのこもった眼差しで商人たちを睨み上げる。
多くの国の方が奴隷という存在を作ることも、人間を売買することも禁じている。トゥルネイが属すソフィアもしかり、だ。もし隠れて行った場合、十数年の懲役と法外な額の罰金が科せられるのだ。
仕立屋の2人がさっと青ざめる。しかし弁解したのは、別の人物だった。
「ち、違います! この人たちは家の使用人です。あと私は男です!」
『坊ちゃん!』
少年なのか少女なのか、区別のつかない高い声が響いた。商人風の男2人の悲鳴が続く。
「…………は?」
オスティンは再び箱に閉じ込められていた人物をまじまじと眺め回す。
若干幼さの残る容貌は品があり、元々の美しさと調和して、きちんとした家柄の子供であることが窺える。
確かに見た目は男とも女ともつきがたい。宗教画の天使みたいに中性的な容姿である。しかしだ。
「嘘つけ。こんなひらひらしたピンクの服を着た男がどこにいる」
「…………えっと、すみません。ここにいます……」
オスティンはおどおどとした様子の銀髪の若者を真摯に見つめ、かよわげな両手をグッと握った。
「そうか。バレたらそう言うように脅されたんだな。安心しろ。俺たちはお前の味方だ。正直に言ってくれ。こいつらに相応の罰を与えてやる」
「あ、いえ! 本当なんです、信じて下さい! 私はアザリアと申します!」
残念ながら、アザリアも男女共通の名前である。オスティンはめまいがした。テオとウォーデン、ノエルが哀れみの眼差しを送る。
性別を偽ったところでアザリアに得はない。アザリアが「男!」としまいには泣き顔で叫ぶので、結局オスティンは信じることにした。
検問所の『控えの間』で、カサンドラだけがこの混乱した場を楽しんでいることを、役人たちは知る由もない。
「………なあアザリアさんよ。あんた、トゥルネイの独房に入れられるリスクまで犯してここに来たんだ。それなりに理由はあんだよな?」
衝撃から立ち直ったウォーデンが、掴んでいた男の襟首を離し、アザリアの傍にしゃがみ込む。
アザリアのびくりと怯えた。彼に代わって、取り押さえられている男たちが答えた。
「追われているんです。ハウゼンスタイン家の新しい当主に」
ハウゼンスタイン。
聞き覚えのある家名にオスティンはほう、と先を促す。
ハウゼンスタインと言えば、長年アトローパの大都市・カロンの代官を務めてきた名家である。父親の跡をどちらが継ぐかで、当主の息子たちが対立しているということは耳にしていた。
そういうことなら、とオスティンの呑み込みは速かった。
こいつは男だ。正真正銘の。たとえ少女趣味な服を着ていたとしても。
きっと、その息子たちのどちらかなのだろう。今は跡目争いで負けて、不安材料の始末のため殺されかけているといったところか。
「坊ちゃん………アザリア様は当主の腹違いの弟なんです」
テオに身柄を預かられていた男がぽつぽつ語り始める。逃げる意思がないのを見定め、テオが彼から身を引いた。
「亡きご当主はアザリア様をご後任に指名なさったのですが、兄君が異を唱えまして………」
ソフィアでもそうだが、長男が家督を継ぐ制度をとっている国はごく少数派だ。次男以下や親戚に相応しい人間がいれば、そちらを指名することができる。
ハウゼンスタイン家の前当主もその方法をとったようだ。前当主は正妻より第2夫人を愛していたので、跡継ぎも彼女の息子であるアザリアに決めた。ところが残念なことに、アザリア自身に代官の素質はない。そのための教育だって欠けていた。しかも正式じゃない女の子供である。プライドを傷つけられた異母兄は前当主の死後、当主の座を分捕り、アザリアとその支持派を排除しようとした。
「私は別に跡を継ぐつもりなんてないのに……」
色素の薄い紫の瞳が潤む。
仕立屋を名乗った2人の男は、アザリアに味方する数少ない使用人らしい。彼らが一計を案じて当主から暇をもらい、荷物の中にアザリアを紛れさせ、アトローパの発行所で通行証を作ってもらったということだ。
「どうしてトゥルネイまで? 検問所があると知っていたんだろ?」
「街に入る前に厳しい検査があることは調べていました。ですけど、ここの門って夕方に閉まるんですよね? もし兄の追手が夕方に間に合わなかったら、うまく逃げおおせると思ったんです」
ノエルの問いに、今度こそアザリアが答える。なかなか甘い考えなだと、オスティンは心のうちで評価した。
「どういたしますか? オスティン長官」
アザリアの考えを同じく警戒したのだろう、テオが耳打ちする。
トゥルネイのクライヴ家と同様、ハウゼンスタイン家は代官の血筋だ。街の治安維持に貢献しているとはいえ、元は商人の私的な集まりでしかなかった検問所とは格が違う。ハウゼンスタインの命令に逆らって門を開けないとしたら、こちらの代官にまで迷惑がかかってしまう。アーネストを巻き込む真似だけは、日頃お世話になっている身としてやりたくなかった。
だからといって彼を見放せば、どうなるか。この3人には検問所を騙しかけた罪があるけれど、それもわけあってのこと。切り捨てて後味が悪い思いをしたくないのが1つ。
オスティンは思考を巡らせ、重い腰を上げた。
「よきに計らえ。俺に任せろ」
聞こえない距離にいるのに。
素っ気ない彼の請け合いにカサンドラはにんまり微笑んだ。