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トゥルネイ検問所の長い一日  作者: 惟織
第1話 ブラック検問所
3/16

目覚めの街


 トゥルネイの街は鐘で目覚める。

 1年の大半を()けている領主の城。そこの鐘楼(しょうろう)へ鐘つき男が毎日登り、夜明けと共に鳴らすのだ。


 藍色がかった柔らかな闇を、地平の彼方より生まれた光が押し上げる。去りゆく雲。真っ青な空が(まばゆ)い輝きを飛ばす。


 ――――ゴーン、ゴーン………。


 億劫そうな鐘の音に合わせ、検問所の門が開け放たれる。




挿絵(By みてみん)




 眠い。ひたすら眠い。眠い。


 オスティンは立て続けに襲い来るあくびを噛み殺した。


 王国ソフィアの南部。王都に隣接する街・トゥルネイ。大陸でも有数の商業都市として栄えるそこは、遠方からの訪問客や行商人が足(しげ)く通う流通の中心地だ。街の広場へと続く何本もの大通りにはたくさんの出店(でみせ)が軒並み連ね、客の呼び込みや値下げ交渉、世間話で賑わっている。活気に満ち溢れた声が絶え間なく街中に響き渡った。


 食べ物屋がずらりと並ぶ通りでは早くも食欲を誘う匂いが立ち込めている。肉の脂がしたたり、香ばしく焦げる音。鐘が鳴らされたと同時に街の門が開くと、よそからの訪問客がどっと押し寄せた。


 ただし、ほとんどの人はそのまま店に向かうことはできない。門のすぐそばにある検問所で検査を受けなければならないからだ。


 騒々しい喧騒と一線を置き、オスティンは門をくぐった人々を足止めする。呼び止められた娘たちは、彼の姿を目にした途端、ポッと浮ついた表情になった。


 横顔の線がきりりと通った、秀麗な目鼻立ち。締まった口元。眠そうながらも目つきは厳しく、上空から獲物を狙う猛禽類(もうきんるい)をしのばせる。

 隙を見せず、冷たい感じがするのに、ひどく誘惑めいた魅力の漂う青年であった。


「さっさと通行証を出せ。後が詰まる」


 言葉遣いの荒さがその魅力を半減するが。


 娘たちは首に提げた通行証を大人しく渡す。露に濡れる若葉みたいに澄んだ瞳が、そこに書かれた情報を注意深く眺める。


 通行証とは、外国に行く際に必要な許可証だ。命の次に大事といわれるくらいで、これがなければ外国はおろか、国内の旅行も難しい。


 通行証は国の支配者が管轄する発行所で発行される。もし持っていなければ、身元を知ることができず入国禁止になる。どこの出身かも証明できなくなるので、帰国もほぼ不可能になってしまうのだ。ことトゥルネイの街はそうした審査に容赦がなく、下手すれば身柄を拘束されかねない。


 その審査を行うのが、オスティンの所属する『トゥルネイ検問所』だ。トゥルネイ検問所は通行証の審査だけにとどまらず、商人が(あわ)せて持つ身分証と商品の点検、関税の取り立てもしている。


 街の入り口で検問所なんか設けているのは、ソフィア国内だとトゥルネイくらいだろう。約300年の歴史を背負うトゥルネイの検問所は、街の治安と特産物の品質を護るため商人たちが集まってできた組織だ。関税逃れや勝手に持ち出された禁制品がないか調べ、場合によっては罰金を科す。地方や外国から来た商人の品物すらも、粗悪品が出回らないようきっちり検査する役目も担っている。


 徹底した取り締まりを行っていることもあってトゥルネイの市政は他の都市よりも安定しており、国王の信頼も(あつ)い。だからこそ王都に次ぐ要所となったのだ。


 オスティンは娘たちの熱い視線を(かえり)みることなく、ひたすら職務に没頭する。

 通行証に書かれている個人情報と偽造予防の(ハン)を、丁寧に確認していく。少々骨ばった指先で記載事項をなぞり終えると、彼はその手を顎に当てた。


 考え込むような仕草も娘たちの胸を打ったらしく、小さな叫びが上がる。慌てて彼女らは口を塞いだ。上目遣いで彼を窺う。


 仄暗い艶めかしさが匂い立つ、若々しい容貌。輪郭はすっきりと男らしく、けれど色白で細身だからか、どことなく繊細そうな印象を与える。

 やや褐色を帯びた金髪が風にあおられ、空の蒼さを背景にちらちらと煌めく。涼しそうに舞う青年の髪は、光沢の強い絹糸のよう。


 頬をくすぐる髪をオスティンは面倒そうに掻き上げ、耳にかける。集中が途切れたその時に、背後から人の気配がした。


「オスティン。オスティン・フローレ長官」


 しわがれた声が名前を呼ぶ。振り向きざま、左耳に飾られた彼のピアスが朝日を弾き、光の曲線を描いた。

 どぎつい光に初老の男は一瞬、目をつむる。さりげなく頭を振り、老人はオスティンの高い背を見上げた。


「代官殿」


 オスティンはだれていた姿勢を正した。

 この老人は、領主である伯爵にトゥルネイを預けられている代官だ。アーネスト・クライヴといい、オスティンたち役人の直接の上司にあたる。

 アーネストは白い髭ヒゲに埋もれた口元を緩めた。


「君たちが昨日捕まえてくれた男、やっと自白したよ。あの男、ロウソクをどこかで売って自立しようとしていたそうだ。徒弟(とてい)のままだと金を稼げないと言ってな」


 娘たちが自分に見惚れているらしいのをいいことに、オスティンも話題に乗る。


「徒弟? ラトゥールの、ですか?」


 ラトゥールはトゥルネイでも有名なロウソク屋の店主だ。どうやらそこの見習いが、店の商品で一儲けしようと盗んだらしい。


「ああ。どうりで木箱に蜜蝋(みつろう)しかなかったわけだ」


 そのせいでオスティンたちは徹夜する羽目になったのだが。

 オスティンは昨晩、膝蹴りをかました相手を思い出す。男が倒れた反動で、木箱の中身がぶちまけられてしまった。


「君の一撃で肋骨(ろっこつ)が折れたらしいぞ」

「蜜蝋と比べたら安物です」


 血も涙もない言い草である。


 蜜蝋(みつろう)獣脂(じゅうし)で作られる一般のロウソクとは違って、ミツバチの巣を溶かしたあと、卵などの不純物を取り除いて精製される。それだけ手間暇かけても、採れる量はほんのわずか。祭事や特別な日にしか手に入らない高級品だ。


 被害総額はおよそ800ヴェガ。4頭立ての大型馬車が買える。相当な額だ。大事に至る前に押さえられて良かった。


「本当によくやってくれた。おかげであのロウソク屋も大損せずにすんだよ」

「それが仕事ですから」


 すげなく返してふっと元に向き直ると、初老の男も彼が忙しいのを察してか、すまなさそうに背中を丸めて離れていく。


 アーネストの気配が薄まったのを感じ取りつつ、通行証を点検し終えたオスティンは、まとめて娘たちに返した。名残惜しそうな素振りの彼女らだったが、彼の横顔が別の人間に移っているのを見るや、肩を落としてトゥルネイの雑踏に溶け込んだ。




通行証 = パスポートと考えて下されば幸いです。


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