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1-9 戦いの後で

 帝国ホテル十六階、インペリアルフロアスイートにおいて、政陸祐子は疲れていた。今は寝間着に着替えもせず、出掛けた服装――魔法衣――のまま、ベッドに寝転んでいた。照明が目に眩く、政陸は手を翳してそれを遮った。

 「うん、このまま寝るのは良くないわ」

 既に午前四時、KKRホテル東京にショーン・アイルランドを襲撃した後、爆発があってから一時間が経過していた。

 政陸は起き上がって、窓の外を眺めた。南向きに面しているこの窓からは現場は見えていない。暗く輝く、東京の夜は彼女を感傷的にしていた。


 ――結局、あの男を殺せなかった――


 政陸の心も東京の夜のように暗い。爆弾魔(テロリスト)と戦おうとする兵士としては正しい心の有り様ではあったが、大凡、十九歳の少女には似つかわしくないものだった。

 「そうだ、お風呂に入ろう」

 入浴には心を安静にさせる効果がある。睡眠をとるためにはそれに効果がある行動をとる必要がある。浴室に移動し、水道の蛇口を捻り、湯と水の量を調整して適温にした。その湯が溜まるまでの時間、政陸はアールグレイを飲むことにした。ベルガモットの香りには精神を鎮静させる効果がある。それを楽しむために、湯沸かしポットから自前のティーセットに湯を入れた。あとは茶が浸透するのを待つのみである。

 室内に扉を三度ノックする音がした。政陸はそれに反応し、扉を開けた。

 「今日の予定について話をしようと思ってね」

 スコット教授が入室し、ソファーに腰掛けた。政陸はスコット教授にもアールグレイを用意し、テーブルに置いた。

 「ミルクを貰っても?」

 政陸はミルクポットと一緒に自分用のストレートティーをテーブルに置いた。

 「まだ起きているつもりなのか?」

 「これから入浴しようとしていたところです」

 政陸がアールグレイの最初の一杯に口を付けた。

 「そうか、それでは用件だけ伝えて早めに部屋に戻ることにしよう」

 スコット教授はミルクを紅茶のカップに注いだ。マドラーを使って、ミルクを紅茶に浸透させている。

 「私は、今日、探索魔法を使い、ショーン・アイルランドの居所を捜索する。時間のかかる魔法であるうえに、このホテルの内部では魔法が使えないから、一番町にある英国大使館に一日滞在する。その間、可能な限り、このホテルにいないようにしてほしいのだが、どこか行く予定はあるかね? 我々がショーン・アイルランドを襲撃した以上、おそらく、相手にも我々が公用で日本に滞在していることを知られているだろう。つまり、我々の居所も把握されているということだ。公用で滞在する際にはこのホテルに宿泊することが義務付けられているのだからね」

 「そうですね、日本で買い物などもしてみたいですが、今日はそれに加えて、青山霊園にある両親の墓を訪ねようと考えています。今日は父の命日ですから」

 政陸がもう一度紅茶に口を付けた。

 「そうか、そうするといい。私も行きたいが……申し訳ない」

 スコット教授の表情が揺れた。自分でもそれを自覚しているのか、紅茶を飲むことで表情を隠した。

 「仕方ありません。寧ろ、一刻も早くショーン・アイルランドを捕縛しましょう」

 「そうだな、そうしよう。先程、ショウスケの部屋を訪ねたら、別段、することが無いから、どこか適当にぶらつくと言っていた。ショウスケも墓参りに連れて行ってはどうだね?」

 「そうですね、朝食の時にでも誘ってみます」

 「何かあった場合には必ず私に連絡してほしい」

 そう言って、スコット教授は残っていた紅茶を一気に飲み干した。

 「さて、ミルクを飲んだからよく眠れそうだ。部屋に戻るとするよ」

 ソファーから立ち上がり、扉の方に向かった。それを政陸は見送る。スコット教授は扉のノブに手を掛けた。

 「そう言えば、ユーコ、これだけは言っておく」

 振り返り、スコット教授が言った。政陸はそれに対して、応える。

 「なんでしょうか? 先生」

 「もし、ショーン・アイルランドについて何らかの手がかりを掴んだとしても早まった真似はしないでほしい。例えば、ショーン・アイルランドの居所などを突き止めた場合にも必ず私に連絡してくれ。ユーコの敵う相手ではない。ユーコが固執する気持ちも理解できる。しかし、絶対に自重してくれ」

 真剣な眼差しでスコット教授が政陸に訴えかけている。その視線の先で政陸は頷き肯定することも首を振り否定することもできずに沈黙していた。スコット教授はその様子を見ながら不安を感じていた。

 「まあ、とにかく、自分一人で解決できると思わないことだ。それに、ショーン・アイルランドを逮捕したい、否、寧ろ、殺してやりたいと思っているのはユーコだけではない」

 そう言って、スコット教授は扉を開けて、部屋を出て行った。ソファーに座ったままの政陸は、それまでストレートだったアールグレイにミルクを注ぎ、すぐに最後の一滴まで飲み終えた。

 足したミルクの量が不足していたのか、アールグレイはとても苦かった。

 スコット教授が部屋に戻った後、政陸は入浴をした。浴槽から溢れそうな湯量の中に体を埋めて安静にしている。浴室の照明から流れる人工光と眼の間に手を置き、目を護る。疲労している時や心が落ち着かない時に顕れる政陸の癖である。入浴は万人に快適を与える。政陸が持っていた失敗に対する後悔から来る疲労は、もっと単純なもの、睡眠が不足していることからくるものに変っていた。


 ――まだ機会(チャンス)はあるわ――


 実際のところ、ショーン・アイルランドを打ち倒すという目的については充分に可能性があると言えた。十二月二十四日は、元々、海外旅行や帰国などで出国を予定している人間が非常に多く、日本から逃亡する場合に用いられる手段の大多数を占める航空機の乗車券を入手することが極めて難しい。欧州であれば陸路で国外逃亡は可能であるが、日本に関しては広大な海の存在による交通の閉鎖性がそれを困難にしていた。そして、その状況が政陸に希望を与えてもいた。

 政陸は手を下して湯の上に広げた想像上の関東広域地図に触れる。スコット教授が使う探査魔法の効果範囲は二十哩(マイル)――約三十二 (キロメートル)――、その範囲はさいたま市、横浜市、千葉市の一部まで網羅している。当然、その中には東京二十三区も全て含まれている。政陸はその範囲を指で描いた。自動車を用いても公共交通機関を用いてもその圏内から逃れることは簡単だが、貴族であり、逃亡中でさえスイートルームに宿泊していたショーン・アイルランドはまだ都内にいるかもしれない、と政陸は僅かばかりの期待を持っていた。それは確かに政陸の願望を含んだ推測ではあったが、客観的に見ても、著しく低い可能性である、ということもなかった。

 「まずはどこにいるのか、それを見つけなければならないわね」

 政陸は、英語と同一の基本語順、言語系統を持つチェコ語を魔法言語としている。つまり、一応、探索魔法を使用することができた。しかし、関東圏域をスコット教授が探索する以上、それを用いることは、効率が低い。習熟度という点において、スコット教授が勝るために、政陸が同じ魔法を使うことは、画用紙に描いた黄色の円に黒を重ねるようなものだ。より強い魔法がより正確に、確実に、その効果はスコット教授によって上書きされることが想定できた。勿論、スコット教授が描く円の外に出て探索魔法を行使することはできたが、それでは、よりショーン・アイルランドが潜伏している可能性が高いスコット教授の探索範囲から離れなければならないために、いざスコット教授がショーン・アイルランドを発見した時点において、現着が遅れてしまう可能性が想定できた。結局、政陸は、スコット教授の魔法行使位置に近く、交通の便がより良い場所にいることが最善であった。つまり、ただ、スコット教授の魔法が結果を顕す時を待つしかない。そのことがより政陸を焦らせる原因となっていた。強い意志を持って何かを成し遂げようとする時、人はそれを全て自らの力で行いたいと欲するものだ。その状態に、平素、落ち着きのある政陸であっても陥っていた。それでも暴走せずに、我慢できるという点が優れた人間性を政陸が持っているということの証明でもあった。

 疲れもあり、政陸は長湯ができず、風呂から上がった。アールグレイを淹れた際に余った牛乳をミルクポットから注ぎ、あまり多くない量を飲んだ。そして、すぐに、ベッドに入った。牛乳の催眠効果と疲れが政陸をすぐに眠りに誘った。しかし、午前七時三十分、朝食予定時刻の三十分前に起床するまでに、快適に設定された室内気温であるにも関わらず、布団がやや湿っていたということが、政陸の焦り、緊張、その他の感情を示していた。


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