1-6 爆弾魔法
「私が最初に突入する、君達は後方で支援してくれ」
エレベータを降り、KKRホテル東京十五階、ショーン・アイルランドが滞在していると想定されているスイートルームがあるフロアに三人は到達した。
「先生、私もいきます」
政陸が自らの戦闘意欲を主張した。
「ユーコ、来る途中でも説明した通りだ。君達を戦わせるつもりはない」
「いやです」
政陸が力強く拒絶した。事実として、政陸は十代としては卓越した魔法力、身体能力、戦闘力等を有している。チェコで最も古い家の一つにマサリク家で数年間訓練を積んでおり、少なくとも、魔法使い歴四ヶ月の嵯峨嶋とは雲泥の差がある。一方で、同様のことは、政陸とスコット教授の間にも言える。もしかしたら、更に大きな差があるかもしれない。
だから、スコット教授もそれを窘めた。
「ユーコ、駄目だ」
政陸の強い否定に対して更に強いそれを与えた。
「ユーコ、私にとって大切なことは、第一に、この任務を安全に終わらせることだ。ユーコの感情を大切にすることではない。私はより安全な手段として、君達を戦闘から可能な限り遠ざけたいと考えている」
政陸も感情の部分ではその考えを受け入れることはできていなかった。それでも、彼女の状況判断に優れた頭脳は自らが戦闘に積極的に加わる危険性を理解していた。
「ユーコとショースケは非常階段前で待機。もし、私が敗れた場合には、即時、帝国ホテルまで撤退すること。帝国ホテルまで逃れれば安全は確保されるからね。私が対象を掌握した場合には逮捕すること。合図をするから、その時はすぐに来てほしい。自分の安全を最優先にして臨機応変に行動するように。三分後に突入する」
政陸と嵯峨嶋は赤い絨毯が美しい廊下を通って、非常階段の場所まで移動した。仮に、ショーン・アイルランドが逃亡を図ったならば、二人はその行く手を阻む形となるだろう。その場合には、後ろから迫るスコット教授の攻撃を防ぎながら行動することになるため、前方を塞ぐ二人は大きな攻撃を受けないと予測される、また、スコット教授が敗れた場合には、ホテルからの脱出に非常階段ではなく、エレベータを用いると考えられる。安全を確保した上で、最大限に効果を発揮するための布陣と言えた。
「スコット教授なら勝てるよな?」
嵯峨嶋は不安を呟いた。
「さあね、スコット教授は元軍人だし、三十代の若さで王立魔法学院で教鞭をとっているエリート。そう簡単には負けないと思うけど、一方で、ショーン・アイルランドだって、決して弱くはないわ。二人が戦闘になった場合、どんな結果になるのか、想像もつかないわ。一番良いのはスコット教授が突入しても熟睡していて気がつかない、っていうパターンだけど、そこまで甘くはないでしょうね」
政陸がその不安に対して答えた。それは不安を掻き消す内容ではなかった。
「もっと言えばね、嵯峨嶋君。スコット教授は英語の魔法使いよ。それに対して、ショーン・アイルランドはアイルランド語の魔法使い。これだけ見れば、スコット教授は圧倒的に不利よ」
「どういうこと?」
「つまりね、相手が使った魔法がわかるかどうかの違いよ。魔法言語で無いにしても、アイルランド人のショーン・アイルランドは英語を話すことができるわ。アイルランドで最も話されている言葉は英語だから。つまり、スコット教授が英語で詠唱した言葉がわかるということよ。詠唱した言葉がわかるということはどんな魔法が発言するのか、大体、想像はつくわ。一方、おそらく、スコット教授はアイルランド語を理解することができない。だから、どんな魔法が発言するのかわかるのは実際に魔法が発動した後。スコット教授くらいの魔法使いともなれば、詠唱から魔法の発動までは一瞬だけど、その一瞬の速度差は充分に違いを作り出すはずよ。対抗魔法を使うにしても早くどんな魔法かわかった方が使いやすいしね」
政陸が一息に話し終えると、沈黙が二人を包んだ。嵯峨嶋は不利な状況にあるということを理解し、息を呑んでいる。その様子を見て政陸が微笑んだ。
「大丈夫よ、言語の違いだけが全てを決めるわけじゃないわ。それよりも、私達に必要なことは戦闘に備えることよ」
適度に暗い常夜灯が二人の不安を深くすることを手伝う。
「そろそろ三分よ。気を引き締めなさい」
政陸が嵯峨嶋に忠告した。
突然に、周囲を激しい閃光が襲った。嵯峨嶋は思わず腕で視界を塞ぎ、目を護る。一方、政陸は数瞬目を閉じたものの、すぐに視覚機能を復活させた。
「閃光手投げ弾よ。魔法が行使された形跡は無いから、本物ね」
閃光手投げ弾とは、手榴弾の一種で、強烈な光を放つことで、一時的に視界を奪い、敵に傷害を与えずに行動不能に陥れるものである。バスジャックなどの立て籠もり事件の解決に威力を発揮している日本でも著名な爆弾だ。閃光に加えて音響を用いることで効果を増幅させているものも多いが、音はしなかった。
閃光手投げ弾くらいは嵯峨嶋でも知っている。
「閃光手投げ弾が使われたのは、スイートルームの近くだよな?」
「当然でしょ。ショーン・アイルランドが潜伏している部屋の中で使われたと考えて間違いないわ」
閃光手投げ弾が使われる場面は、突入時が主である。部屋などに突入する瞬間に、投げ込んで、敵の動きを麻痺させ、行動の優位を得るために使われる。だから、軍事上、警察上の常識を知っている政陸は、当然、スコット教授が使ったと考えていた。一方の嵯峨嶋も違和感を持っていた。
「ここから部屋まで曲がり角もあるし、二十米くらいは離れてるよな?」
「そうね、そのくらいだと思うわ」
「閃光手投げ弾は普通ここまで強くないんじゃないか?」
光は防ぐものが無い限り全方位に等しく移動する。つまり、使用方法を誤ると投擲を行う人間も行動不能に陥る。そして、ここまで効果が高いものだと、魔法的な防護を目に与えていない限りは投擲した人間も行動不能に陥る。
「そうね。ここまで効果が高い物は無いと思うわ。私は魔法を使って猫みたいに白目と黒目を調整して、周囲から受け入れる光量を調整できるから、通常の閃光手投げ弾の威力ならすぐに回復できるわ。但し、ここまで効果が高い物を至近距離で使われたら、事前に準備していない限り、まず駄目ね」
「つまり、手製ってことだよな? もしくは、普通の閃光手投げ弾の効果を増幅させたものってことになる」
「そういうことね……そうか、そういうことね」
「爆弾の効果を増幅させる魔法って誰でも使えるのか?」
ようやく、視界が戻り始めた嵯峨嶋の様子を眺めながら、政陸は答える。
「いえ、一般に知られている魔法じゃないわ」
「オマー爆弾事件の時に、ショーン・アイルランドが使った魔法も爆弾の効果を増幅させる魔法だったよな?」
政陸の目に動揺が走った。すぐに、政陸はスイートルームに向かって走り出した。爆弾の効果を増幅させる魔法が一般的でない以上、使用可能な魔法使いは限られる。即ち、この魔法で効果が増幅された閃光手投げ弾を使ったのは、突入したスコット教授ではなく、スコット教授の突入を察知したショーン・アイルランドという推測が可能となる。
嵯峨嶋も政陸を追って走った。十秒とかからずに開け放たれたスイートルームの扉を発見する。嵯峨嶋は、片目で、蹲っているスコット教授を確認し、スイートルームの前を通過した政陸を追った。
「政陸! どこへ行くんだ?」
「エレベータ!」
非常階段側から走ってきた嵯峨嶋と政陸はショーン・アイルランドと遭遇していない。つまり、ショーン・アイルランドは非常階段とは反対側にあるエレベータから逃亡を図ったと政陸は推測した。そして、その推測は当たっている。事実、スコット教授を行動不能にした後に、ショーン・アイルランドはエレベータに向かって逃亡した。エレベータへと向かう途中、嵯峨嶋は政陸に追いついた。並走する形になり、嵯峨嶋と政陸はエレベータ前に到達した。
閉まりかけたエレベータに、微笑する金髪のアイルランド人を視認した。