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1-3 唯一の日本語魔法使い

 嵯峨嶋が食事をする様子を見て、スコット教授がそう告げた。魔法使いにとっての最高学府の一つであるロンドン王立魔法学院に三十代という若さで教授職採用された彼にとっても、今目の前にある食事のような高級料理を食べる機会は貴重だ。更に言えば、洋食に使われているインディカ米にさえも日本を感じてしまう嵯峨嶋の精神状態を慮ってもいた。どうやら、政陸

も同様の感想を持っていたようだ。彼女は肩をすくめ、手のひらを天に向けて開き、仕方ないわね、というしぐさをしていた。

 「ショースケ、君は日本以外に住んだことがあるのだろう?」

 「小さい頃はインドネシアに住んでいましたが、ほとんど記憶にありません」

 「そっか、あなた、そういえば、インドネシア語も魔法言語として使えるのだったわね」

 政陸が苦笑した。その政陸の苦笑には多分に劣等感が含まれている。その政陸の感情を察したスコット教授が二人の担当教官として政陸を励ました。

 「気にすることはない。嵯峨嶋君の特殊性が異常であるのであって、君も充分に凡百の魔法使いに対して稀少言語を魔法言語として扱えるという点において差異化を図ることができている」

 〝思考は言語に依存する″とはサピア=ウォーフの仮説を端的に表した言葉であるが、これはそれぞれ異なる言語が文化生成や話者の思考に対してそれぞれ異なる影響を与えている、という意味である。この非魔法使いにとってはそれほど知られていない理論は、魔法使いにとっては極めて重要な基礎理論の一つとして扱われている。それは言語によって行使可能な魔法の効果が異なる、という大航海時代以前から巷間に知られていた常識を一般的な文化活動に拡大して解釈した理論であるためである。単一の魔法言語による魔法行使のみに留まる魔法使いにとって複数の言語を用いることができる魔法使いは憧憬の対象となる。その時点で魔法の多様性という観点において圧倒的な優位を保持しているからだ。

 「チェコ語と日本語。(インド)=(・ヨー)(ロッパ)語族に属するチェコ語と未だ他の言語との近縁性が確立されていない日本語を魔法言語として扱える、などというのは私から見ても羨ましくある。私は英語しか使えないからね。より異なる類型を持つ言語であればあるほど魔法の多様性が大きく確立される。だから、多くのヨーロッパ系魔法使いは印=欧語族の中で複数の言語を魔法言語として持っているが、君たち二人の多様性に比べれば平凡だ。まあ、もっと大きな視点で見れば二つの魔法言語しか持たないユーコは、やはり、嵯峨嶋君に比較すれば平凡ではある」

 「しかし、どういうことなのでしょう。魔法言語生得論によれば、両親の第一母語がその魔法使いにとっての魔法言語として扱われるのですよね? 例え、母語が複数ある人物がいたとしても、厳密にミクロ単位のレベルで考えれば、それぞれの言語に若干であっても扱えるレベルに違いがあるわけですよね? だから、魔法言語は多くても二つになる。それにも関わらず、なぜ、嵯峨嶋君は三つもの言語を魔法言語として用いることが可能なのでしょうか」

 皆が空き皿にした肉料理に代わってチーズが出された。量産品のプロセスチーズに慣れた者にとって多様なナチュラルチーズを食べる機会は少ない。嵯峨嶋はまだ馴染みのあるブルーチーズを手にとって食べた。

 「理論に何らかの誤りがあるのだろう。それが例外規定の挿入で済むのか、根本的な理論の見直しが必要なのかは研究段階だから結論できない。言語学者にとって、嵯峨嶋君は垂涎の存在だよ、歴史上、記録されている限りは唯一の存在なのだ。とはいえ、現時点での魔法使いとしての能力は個々の魔法が正確に確立できているユーコの方が嵯峨嶋君より上だから安心するといい。この辺りは流石名門マサリク家と言ったところだろう」

 「いえいえ、嵯峨嶋君がここ三カ月学業に集中できる精神状況になかったというだけです」

 嵯峨嶋は高校までは日本において通常の教育課程を経験している。その後、初の海外生活や魔法が基本となった生活スタイルへの慣れという点について問題があったために、極端なホームシックに陥っていた。そのために、大学生活初期において学ぶ基礎的な内容に関して習得が遅れている、という状況にあった。国の定める高校とは別に設置されている私塾や家庭で既に魔法について基礎的な知識を持って進学する学生が多い中で、魔法使いを家族に持たない嵯峨嶋は成績面において平凡より悪い。

 嵯峨嶋は黙々とブルーチーズを摘まんでいる。ブルーチーズというものはブルーベリーを含有したチーズではなくて青カビを含有したチーズであるが、それが何らかの理由で嵯峨嶋の味覚を満足させた。

 「どうして先生は魔法的に価値の低い日本語を習得されたのですか?」

 嵯峨嶋は初めてスコット教授と会話をした時から疑問に思っていたことを尋ねた。

 「くすっ、あなた、本当に知らないのね。ジェイニー=スコット中佐。軍人時代の最終所属は英国情報局秘密情報部よ。現在、公職についていて身分が公表されている中では唯一の元スパイね。普通、元スパイなんていう経歴は公表されないものなのよ。だから、先生はとても有名なの。大学での研究も探査や隠密に関する魔法よ」

 「東アジアを中心に活動していたから、軍隊で日本語、中国語、朝鮮語、ロシア語などといった東アジアにおける主要言語は習得している。嵯峨嶋君の言うように、君達二人以外に日本語を魔法言語として扱うことができる魔法使いが存在しない以上、日本語の政治的、商業的な価値は低いかもしれない。しかし、その代わり、突然、二人の魔法使いが登場したことによって、学術的価値は高まっている。だから私は日本語を習得するように仕向けた軍部に対して感謝している。今のところ、世界で僕しか日本語を魔法言語として研究できていないのだからね」

 三十年ほど前に、魔法史上初めて、言語についての国際会議が開催された。リヒテンシュタインの首都ファドゥーツで行われたこの会議以降、魔法使いたちの間で言語学の地位が著しく向上した。それまで、一般市民の間だけではなく、学術的な判断においても、使えれば良い、という魔法に対する伝統的な考え方が根付いていた。更に言えば、魔法は神から付与された御業であり、その方法を研究することは背信である、という考え方を持っている魔法使いも少なからず存在していた。ファドゥーツ会議は、言語の研究によって魔法をより発展させようという、魔法を技術として捉える思想を定着させた。その結果、それまで三百年以上の研究を超える成果を魔法科学は成し遂げた。だから、探査や隠密に関する魔法が専門である、とはいえ、研究の段階では言語学的な判断を行うことが主流であり、スコット教授も言語学的な素養を持ち合わせていた。新しい魔法の開発という全魔法使いに共通の目標は詠唱に対する言語学的な考察を必要とするのであるから、当然の帰結と言えよう。新しい魔法の開発にはそれまで研究が進んでいなかった言語を研究し、その言語の魔法発生に関する理論を自分が使用できる魔法言語に取り入れるという方法が一般的である。だからこそ、これまで魔法使いが存在しなかった言語に魔法使いが登場する、ということは多大な利益を魔法使いに対して生み出すのである。

 暫しの間、黙々と食べていたチーズが食べつくされると、スコット教授は最後のデザートを呼んだ。チーズの味を消し、純粋にデザートの味を楽しむためのソルベが運ばれる。ソルベに続き、コーヒーとチョコレートケーキが円卓に並んだ。

 「先生、それで、今回、私たちは何をすればいいのですか?」

 「ああ、君達はこれから僕と一緒にショーン・アイルランドの潜伏先を襲撃し、対象を捕縛する。国際刑事警察機構(インターポール)に所属している魔法使いが不定期に各国を回って探索魔法を使って国際指名手配級魔法使いの捜索をしているのだが、その探索魔法が日本で行われた際に、先程話したショーン・アイルランドの潜伏先が判明した。それで巡り巡って我々に命令が下りてきたというわけだ」

 スコット教授はそう言うと口直しにソルベを口に付けた。

 「なぜ、警察や軍事関係者ではなくて、僕や政陸に召集がかかっているのですか?」

 嵯峨嶋が当然の疑問を口にした。

 「魔法使いは魔法使いが捕まえなければならない、という基本原則があるからね。一般的な世界ではまずないことではあるが、魔法使いはその絶対数が少ないからね、魔法使いのみで警察を作ることができるイギリスなどの一部の国を除けば、自国内の警察業務を事件発生の直後に、政府が適切な魔法使いを指名して行なうということはよくあることだ。魔法使いは例外なく戦闘の訓練を受けるわけであるから警察業務を行うことに支障はない。尤も、それでも学生が駆りだされることはまずないがね」

 「では、なぜ、学生である僕や政陸に?」

 スコット教授の説明を受けて更に沸いた疑問を嵯峨嶋はぶつける。

 「なに、簡単なことだよ。君とユーコ以外に日本国籍を持っている魔法使いがいるかね? 日本の法律によれば、日本国内では日本国民以外が逮捕を行うことができないからね。君達が召集されるのは当然ではないかね? まあ、君達だけに任せることは不可能であるから、アイルランド政府を通じて、イギリス政府に協力要請が出て、巡り巡って君達の担当教員である私に話が回ってきたのだ」

  政陸が砂糖もシロップも入っていないコーヒーに口を付ける。三名だけで国際級指名手配犯を逮捕するという緊張が二人の学生を包んだ。

 嵯峨嶋のいくつかの質問の後で、政陸が疑問を呟いた。

 「六年前もそうですが、ショーン・アイルランドはなぜ日本を潜伏先として選択しているのでしょうか? そもそもの拠点であるアイルランドから日本はあまりに距離が遠すぎませんか?」

 アイルランドから東京まで移動しようとすれば、十六時間はかかる。航空便に直接日本とアイルランドはつないでいるものはないので、乗り継ぐ必要がある。純粋な直線距離でも、約一万粁(キロメートル)離れている。

 「そうだな、これは推測になるが、日本に魔法使いがいないからではないか、と考えている。現在の西洋的な生活レベルで生まれた時から生活していた人間にとって、著しくその点において劣る生活をすることは不可能だ。そうなると必然的に、北米(きたアメリカ)欧州(ヨーロッパ)、極東が選択肢になる。韓国は早い段階でキリスト教会が国内に普及したから、少数ながら魔法使いが常駐している。一方で、日本は君達二人以外に魔法使いがいないのだからね。安全性には申し分ないだろう。これが欧州や北米だと、魔法使いが警察や軍に関わっているから危険極まりない」

 スコット教授が理路整然と答えた。

 「これは重大だから言っておくが」

 スコット教授がその緊張感に乗せて更に補足する。

 「ショーン・アイルランドについては殺害しても構わない、という許可が下りている。逮捕に拘らず、自分の生命を優先する必要がある、ほどの覚悟を持って臨んでもらいたい」

 「殺してもいいのですね?」

 政陸が眉間に皺を寄せながら呟いた。それは問いかけるというよりは何か自らに語りかけるようでもあり、周囲にいるのが魔法使いの二人でなければ恐怖を感じていただろう。嵯峨嶋はその様子を見て、重犯罪者に対する義憤以上の感情を感じていた。

 スコット教授は政陸に水を勧めた。それを飲んで落ち着いたらしい政陸は

 「取り乱してごめんなさい」

 「いや、仕方がないだろう」

 何か、二人の間には暗黙の了解があるのか、スコット教授は慰めるようにそう答えた。

 「目的地はショーン・アイルランドの日本における潜伏先であると思われる竹橋のKKRホテル東京。午前二時に出発。各自準備してエントランスに集合すること」

 そう言って、スコット教授は席を立った。


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