第二章 「桶狭間の合戦まで…」
余はすべての事において、恵まれていたのである。
たとえば血筋に関してもそうであろう。
公家や、その筋の名門、今川の様に、つまりは公家の子分の様な、いわゆるいい所の血筋でなかった事が、余にしてみれば幸運だったのであろう。
間違って、その様な名門の出として生まれていたのであれば、余は、今のように、全てを欲する事を望みはしなかったであろう。
おそらくは蹴鞠や鷹狩りだけをして、一日をやり過ごし、何事もなかったかのように、消えていったであろう。
ところが、余は、ありがたくも、尾張という小国に生を受けた。しかも、とても名家とは呼べないものである。
代を辿れば、織田氏は、越前の織田庄の出自である。下四郡の守護代・織田大和守の分家筋でしかなかった。
越前の守護である足利幕府の管領家の一つである斯波氏の領国である尾張に織田家の一族が移り住み、尾張の守護代を務めるようになったのである。その点は、この日記にも後に記述いたす朝倉義景と似ている。そして、朝倉に対して、一度、嫌悪感を抱いてからは、全てが腹立たしく思え、似ている事でさえも、怒りの一部となり、結果、その怒りの一部と一部が組みあって、憎悪の塊となった。
余は、祖父・信貞の築いた勝幡城に生まれ、その後、父・信秀と那古野城に移り、余も、尾張で威を張るようになってからは、尾張の守護代が代々、清州城を居城としていた事に、余もならい、しばらくは清州城にいた。桶狭間の合戦の後には、それでは物足りなさと、その後の上積みを考え、小牧城や岐阜城などを転々とし、最後に安土城へと辿りついた。
安土城の出来栄えには、満足である。
余にふさわしく、煌びやかである。さすがのフロイスもこれには息を呑んでいた。好きなように書にしたためて、国へ報告するがよい、と余は胸を張った。
祖父、信貞も勝ち気であったが、父、信秀もかなりのものであった。
先代、先先代、共に、己よりも強く、己よりもでかい者に挑むのを好みとしているかのようで、また、敵といえる者、己以外の者が大概、己より強く、己よりでかい者であったから、そうするより仕方ない時代でもあった。だから、そうやって生きていたのであろう。
そこに、余の母である土田御前が掛け合わされ、余が、余として誕生したのである。
母・土田御前は短気で、気難しい事で有名で、そればかりがもてはやされてしまうほどに、実にそればかりの人間であった。その土田御前の血が、好みはしないが、いたしかたなく、余には、濃厚に、受け継がれている。しかし、これが、神になりえる資格と資質であったのだろう、と今は思える。
父・信秀が戦好きで、城を留守にしている事が多かった。だから、余と接する機会が少なかった。母・土田御前は余の弟・信勝を溺愛し、余を野放しにしたまま、信勝と末森城に住んだ。そういった、父と母の愛を受けなかった、父と母と触れ合いを持たなかった、だから、悪ぶれて、やさぐれて、手に負えない、{おおうつけ}になったのであろう、と何もわかっていないくせに、分かった面をしている、周りの大人ぶった、それこそ余から言わせれば{おおうつけ}共が、余を酷評した。
しかれども、実態はそう言ったところではなかった。
家康などは、二歳で母と生き別れになり、六歳で人質に出されている。不幸で不運な幼少期に思える。その点で余の幼少期と何やら接点がなくはない。しかし、出来上がった人間像は余の真逆である。
それは、それで良かった。
だから、余とうまくやっていけるのである。
だから、余とうまく吊り合うのである。
そして、余の場合、桶狭間の合戦当時に今川義元が、余の事を虫けら程度にしか思っていない油断をもったように、余は周りから{おおうつけ}と思われれば、思われるほど、後の余のためには、追い風となった。
父・信秀が往生した後、家督を余が引き受けた。この時は多くの大人ぶった、余から言わせる所の{おおうつけ}が織田家の危機を感じた。
しかし、余の正室・濃姫の父である、美濃の蝮と恐れられた斎藤道三と同じく、人を見る目をもった父・信秀は、余の{おおうつけ}と見せかける暴れ振りを、他の、大人ぶった{おおうつけ}の様に嫌うどころか、頼もしくさえ思う様に見てくれていたのであろう。
大人ぶった{おおうつけ}の代表格は柴田勝家である。
今では、その当時の、その件を、笑いながら、懐かしむ事が出来る。
余も、当時の勝家の状況であれば、同じく、余が織田家の家督を引き継ぐ事を認めず、余の弟・信勝に家督を取らせるために、働いたことであろう。
勝家が余に牙を向けた事は、短絡視すれば、罪である。
しかし、武功は武功である。
その場では、勝家の眼には、余が本当の{おおうつけに}に映っていたのであれば、勝家には人を見る目が無かったのであろう。しかし、今となれば、勝家も、大人ぶっているわけではなく、真に大人で、真に武将であるから、見る目が養われている。
もしくは、勝家は、弟・信勝を担ぐ事を大義名分に利用しただけで、織田家を乗っ取ろうという意図があったかもしれぬ。が、今は昔である。
弘治二年の事であった。
余の領地を余の弟・信勝が略奪した。
それが稲生の合戦のきっかけであった。
余の幼馴染であった織田信安が、余にちょっかいを出してきたり、山口親子の裏切りがあったり、と余の身辺がざわついていた。
そんなおり、信勝が手を出してきた。ちょっとした兄弟喧嘩である。
「子供の喧嘩に大人が口を出すな」
という事があるが、この稲生の合戦は、それとは反対に、大人が子供に喧嘩をするように仕掛けた。
余の父・信秀に元々仕えていた、柴田勝家らが、余の家督相続に異議を唱え、信勝を担ぎあげたのである。
信勝は無理やり、兄である余に喧嘩をするように誘導させられたのである。
信勝は千七百の兵で立ち向かってきた。
余は七百の兵で応戦した。
信勝陣は勝家をはじめ、林など、昔からの織田家重臣が家臣をそのまま引きずりこんでいたので、余の陣よりも多勢になるのは当然であった。
対する、余は兵を動員する、というよりは、幼き頃からの友人や、城下町で一緒に悪さをした仲間や、悪友、子分、そう言った面子をひきつれているといった感じであった。
しかし、それらの顔ぶれを知っておきながら、いくら誘導された、無理強いさせられた戦であるとしても、挑んできた信勝は度胸がある。さすが、微塵ではあろうが、余と血を分けただけはある、と言いたいが、本心は相当に及び腰であったであろう。
余はすぐに興奮する気質に見られがちであるが、確かにその一面もあるが、戦に関しては軽挙妄動に狂犬の如くに、只、吠えまくっているわけではない。
余の中で、それなりの段階を超えて、経路を辿り、答えに導いている。
余は他の並の武将とは違う。
内政と外政を生業としている。その為の手段として戦を行っている。戦で解決できぬ場合は他の手段を決行する。暗殺もあれば、話しあいもある。強引にねじ伏せることもあれば、猫なで声であまく騙すこともある。
余の民のためである。神である余が民の為に執り行っている。他の下等な武将どもが遊び呆けていたり、恐れて逃げているだけだったり、とそう言った事はしない。常に、四六時中、何かしらの策を考え、練り、揉んでいる。
だから、すぐに有事に対応できるのである。他の武将は事が起きてから、もしくは事を起こす為に思考を開始するが、余の場合はそうではない。いつも、思考圏内の中心にその事を置いている。その為に、素早く反応が出来るのである。そして、思考圏内の中心がその事であるからには、他の武将共が戯けた事を考えている時でも、余だけは常にその事を探究している。常にその事を計算している、という事は、それだけ、計算量が多いという事である。気が短く、急騰して、突貫しているのではなく、閃きが鋭いのである。電光石火なのである。
閃きとはつまり、それまでの経験と知識の賜物である。その場しのぎや軽はずみや思いつきとは違う。きっかけとなるものが、最後の一押しとなり、最終結論に導くための繋ぎ目となり、答えを編み出してくれる。そして、閃きが生まれるのである。
無知で無学な者に閃きは宿らない。
研鑽と経験が閃きを生むのである。
余が機に望んで才気煥発できるのはそこなのである。
とはいえ、余にも若気の至りに似た部分もあった。それが、今の余の閃きの為の肥やしになってもいるので、無駄ではない。それどころか、良い経験になった、と前向きに思える。
なぜ、若い時には無謀な動きをとってしまうかは、それはよい閃きに流れを持って行けない蒙昧で経験不足である事、なおかつ、軍事力、及び、軍費が乏しいため、理想の体系を組めなかった、ということもある。また、ここで粗野な例として今川義元をあげるが、戦に素養のないものが大軍を持ってしまうと、それだけで勝てる、と錯覚してしまい、大群を使う事だけで満足してしまう。それ以上に策を練ろう、という所に行きあたらない。されど、体力も資金も未熟であれば、窮地に追い込まれていればいるほど、悪あがきをして、もがき苦しんで、思案する。そして、鼠が猫を咬むのである。
若いうちはそうするしかない。
若いうちはそれで良いのである。
若いうちは余もそうしてきた。
そんな、余には大きな後ろ盾となる、斎藤道三がいた。だから、尚の事、恐れるものなく、何事にも挑んでいけた。
余を一角の者と見抜く道三を称賛できる。
その道三の娘と余を政略結婚させた、余の父・信秀の眼にも称揚する。
しかし、道三の死後、道三の愚鈍息子・義龍が、余の幼馴染である織田信安をそそのかし、侵攻してきた。ほぼ同時期に鳴海城の山口親子も寝返り、余は痛い目を見せられた。
この山口の父・教継は、余の父・信秀の代から織田家に仕えていた。しかも、父・信秀の片腕として、小豆坂の戦いなどは特に、他でも多方面で、なかなかの仕事を見せていた、と聞く。中でも、一時は、父・信秀と、今川義元を和睦させた事もあるらしい。
が、しかし、そもそも、そこが怪しまれるところでもある。くせ者である。もう、その頃から、今川と繋がっていたのであろう。日和見主義なのである。しまいには、今川が絶対有利、と見るや否や、あからさまな造反で、調略や攻撃を仕掛けてきた。
その赤塚合戦も、余の弟・信勝との稲生の合戦も、余の初陣の吉良大浜合戦も、萱津合戦も、余が二十七になるまでの、桶狭間の合戦を含む、それ以前の戦いはすべて、頭数において余が不利な体勢で、余は戦に挑んだ。
危険であった。
今、また、それをやれ、と言われると、出来ないであろう。
当時は、当時で、また、己を神である、もしくは神になる、と信じきれていたから、突撃出来たのであろう。迷いはなくはないが、迷いを捨てようとする気持ちの方が勝っていて、結果、迷いを隠せていたのであろう。経験がない分、知識がない分、思いきれたのである。知恵と先見に乏しかったが、体力があった。
そして、更に、余には人望と人脈があった。
余の人望の作り方は体を張る事であった。
自らが大将である形をまずは作り上げる。
それは、強引にでも作り上げてしまう。口喧嘩でも、殴り合いでも。最後まで引かない事である。譲らないことである。自分が勝つまで勝負を終わらせなければ、喧嘩は負けない。囲碁や将棋や戦は、そうはいかないが、子供の喧嘩なら、諦めない方が勝つのである。
そうやって何人かをねじ伏せて、仲間を増やし、手下をつけ、子分にし、子分が子分を作り、舎弟が舎弟を作り、鼠溝式に規模が拡大して、陣が隊になり、隊が軍になった。
余は親玉として、城下町でのさばった。父・信秀の息子である事を傘にはせずに、腕っ節で、城下町の悪共を、実力で束ねた。
それが、余の人脈作りであった。
余は、幼小の頃より、既に人脈作りに着手していたのである。
そして、その人脈を拡げる為に、隣町、そのまた隣町へと、喧嘩をしに、殴り込みに、東奔西走した。
そう言った時にこそ、人望作りの好機であった。
自らが先頭に立って、体を張って、率先して、敵陣に乗り込むのである。それを見て、配下の者達が、我も我も、と忠誠心を惜しげもなく見せてくれるようになる。
これは、父・信秀の背中を見て、学んだ。
人脈作りに、父・信秀の名を利用しなかったが、人望作りには、父・信秀の手段を大いに参考にした。
人脈作りと人望作りは繋がっているのである。共に、連鎖して、共存しているのである。両者がうまくかみ合って、絡まりあって、両者が拡がり、育っていくのである。
余が、そうやって手中に収めた宝なる人脈を使って、余の弟・信勝と喧嘩をしたのが、稲生の合戦である。
余の勢は七百。
余に対抗する、信勝勢は千七百。
所謂、下克上であるのに、本筋である余の方が、勢力が低いという形であった。それもそのはずである。{おおうつけ}の余の見方をするのは、普通の考えであれば理解が不能である。だが、昔からの、幼馴染や、先にも記した、子分たち、子分の子分たち、手下ら、手下の手下ら、舎弟共、舎弟の舎弟共を掻き集めてなんとか、なるか…、…、百や二百は揃うか…、…? と思案に苦しんでいたが、思いのほかに、七百という数が、各々、自ら、余の元に集まってくれた。こちらから、願うまでもなく、かわいい子分・手下・舎弟がわらわらと群がってくれた。しかも、それらは皆、喧嘩慣れしていて、喧嘩っ早くて、喧嘩好きで、世人から見れば、手に負えない、といった奴らばかりである。つまりは、類が類を呼ぶ、という事である。余の周りには余に似た奴ばかりが集まったのである。そして、それらは、集まれば集まるほど、益々、似てくるのである。
対する、信勝勢は、常識人の大人、もしくは老いぼれの家老がなんとか結束の体を保ち、手の空いている若者を寄せ集めただけに過ぎない。そんな者をいくら束にして、千七百集めたところで、余の、意識の高い朋輩を打ち取ろうなんて事は出来ない。
結果、余は、いとも簡単に、安々と、弟・信勝を退けた。
信勝には、謝罪と忠誠を誓わせることで領国を安定させた。
しかし、悲しい事に、信勝は、その後にも謀反を起こした。二度目は許されることがなく、自害に追いやった。この二度目の謀反は、当時、信勝の家臣・柴田勝家が密告をしてくれたおかげで、未然に防げた。この事で、余は弟を失ったが、勝家という、家臣を手に入れられた事は大きかった。
当時、勝家は余の敵であったが、余の味方として、森の親父がいた。これは非常に心強かった。
森の親父は勝家よりも以前から、尾張に仕えていた者である。
余が人望と人脈で獲得した尾張の町の、百戦錬磨の、海千山千の、面子七百を一束ねにしたものと、森の親父一人とを天秤にのせ、比べてみれば、同等な位に、この存在の心強さはあった。
余が、尾張の町の猛者七百を仕切れたのも、土台は、この森の親父の賜物である。
余の、幼き頃の悪さは森の親父に仕込まれたのである。森の親父あっての余なのである。
幼き日の余は、おおうつけと呼ばれるに不釣り合いな、公家まがいの上品な顔で、しかも、尾張の中ではある程度に名の通った信秀の倅という事もあり、町のおなご共にもてはやされた。同じくらいの歳のおなごは遠慮と恐れであまり近寄ろうとはしなかったが、その分、年上の女には滅法もてた。そういった手解きも森の親父は忘れることなく、面白がって、余に施した。
森の親父に、お礼として、余が、森の親父の子らに悪さを仕込んだ。
この、森の親父は、名を森可成という。森長可や蘭丸の父である。
長可も蘭丸も、親父の血をしっかり受け継ぎ、立派に育っておる。
勝家の密告の他にも、この頃、もう一つ、密告を受け、余は助かった。
当時、尾張で実権を握っていたのは、信友であった。
信友は、他の、代々の尾張を仕切る者がそうするように清州城を居とした。それを気に入らなく思っていた、余の父・信秀が位としては、信友よりも下であるが、度々、信友に対して手を出していた。だが、父・信秀は、死を前にして、信友と和睦した。
和睦後に、父・信秀が亡くなり、余が家督を継いだ。その折、山口親子が小賢しい事をして、勝家にそそのかされた信勝が動き、そこに便乗して、信友も余を責め立てた。
三つ共、乗り越えたのだが、内、二つはぶり返した。
信勝は二度目の謀反を起こし、信友は余の暗殺を企てた。この暗殺は斯波義統の家臣である簗田弥次右衛門から、密告を受け、事前の対応をとる事が出来た。
この密告の流れも、余の若き、悪を演じていた頃の繋がりである。密告者の簗田弥次右衛門は、当時の余の良き子分であった。
信勝にしろ、信友にしろ、甘さを見せられた者は図に乗る、という事を教えてくれたようである。
もともと、余と信勝はあまり馬が合わなかった。余が、嫡男であろうと、もし、信勝が余の兄であったとして、余が、信勝の弟だったとしても、いずれ、余が天下を取るのであるから、結果は同じく、余が信勝にとどめを刺していた事であろう。この戦国時代の、乱世の中では、兄弟も、親子も、同盟も、信じられない。運命が何もかもを決めている。
まだ、そんな、一国として、基盤の固まっていなかった尾張に今川義元が攻め入ってきた。
余にしてみれば、なにもこんな時に来ることはないだろう、と思えたが、隣国にしてみれば、傍近に、いとも簡単に手に入る馳走があるのであるから、時機を得た、というものである。これもまた、戦国の世の習わしである。角逐が常であり、鬩ぎ合いであり、弱肉強食である。優勝劣負の非常な世界である。
狙い通り、幼き頃より、織田家の勢力以上に余のうつけ加減は京にまで響こうとしていた。まずまずの満足だった。
だから、初陣も派手なものにしたかった。
そこに、打って付の上物が目の前にぶら下げられた。
今川だ。
今川とは、先々代から続く、争いを持っている。常に今川が上で、織田が下であった。
今思えば、小さな事だが、当時にしては、なかなかの大仕事であった。織田家にとっては今川に関わる事は全てが一大事であった。
だからこそ、余にはおいしき獲物に見えた。
ここで、今川に痛手を加えることが出来れば、煮え湯を飲ませることが出来れば、なんと愉快痛快なことであろうか。想像しただけで、腹が捩れんばかりに余は楽しくなった。
誰もが負け戦と憚るところを突き進み、逆転して見せる。いや、余に言わせれば、逆転ではない。緻密な策略による、勝ち戦である。最後に勝ち人になる者が、勝ちを確信した、勝つ為の戦である。
あの初陣は、振り返って見れば、今の余の持ちえる戦略と、持ち積もらせた経験を織り交ぜて、計算をすると無謀な面も、たしかに、無い事はない。ただ、血気盛んな当時は、己の勝ちしか見えていなかった。己の勝ちがもたらしてくれる価値、それ以外は信じられなかった。それで良かったのだろう。それが良かったのだろう。我武者羅に出しゃばって、はしゃいで、勝ちを強引に捥ぎ取った。
敵陣に入り込み、火を放ち、大火の海に溺れさせた。
余がした事は、ただ、火を放っただけである。後は小競り合いをニつ、三つ、からかい半分に演じただけである。
たったそれだけだが、国に帰った時には、大きな喝采で迎え入れてもらえた。
それから十三年がたった。
ついに、今川も本腰を入れて、尾張の国を、この織田家を潰そうと立ち上がったのである。
一部では、義元の上洛が目的との噂もある。または、領土の拡大か、武田や後北条に自らの力を誇示する為か、はたまた、この田舎侍呼ばわりされている余の行く末を案じて、出る杭を打とうという事もあるらしい。どうであれ、もう、近いうちに、今川が全精力を西に傾けるらしい。
そう、そもそも、今川の方が、我が尾張の国よりも東にあって、京より遠方なのである。その事からして、理屈で言えば、今川の方が田舎侍なのであるのだ。そんな小さな事でさえ、今川に対しては、何から何まで腹が立つ。
昔からそうである。
何か事あるごとに、織田家は今川に仕えさせられた。金にしろ、物にしろ、人質にしろ、何から何まで、織田家は今川になめられていた。織田家の歴史は、今川への抵抗である。父上、信秀の代で、一時は随分と盛り返しはしたが、そんな、父・信秀は流行病にやられた。もし、父上が倒れてさえいなければ、今日の様な情勢にはならなかったかもしれない。…、…。かもしれないが、そういった状況にならなければ、余がここまで、尾張で暴れることが出来なかったかもしれない。更に先を見据える事は、尚の事、出来なかったかもしれない。父上がなくなったことで、殻を破かなければならない境遇に追い込まれ、そして、その状況を余自らが楽しめたから、この様な、現状が与えられているのかもしれない。
今川が攻めてくるのは、明後日かもしれぬ、明日かもしれぬ。
父上はいない。
今や余が尾張の大将だ。
美濃の斎藤家や朝倉といった、目の上のたんこぶは依然として鎮座しておる。
今川からすれば、上洛に際して、余が目の上のたんこぶか、はたまた、眼糞位のものだろうか。
敵は三万とも、四万とも言われている。ある程度のはったりであるとしても、実質、少なく見積もって、二万五千といった数が妥当な数字であろう。
それに比べて、こちらは多く見積もって、三千といったところか。無理して、掻き集めて、せいぜい、三千ニ、三百といった位のものである。だとしても、そんな二百や三百を寄せ集めたところで、下手をすれば足手まといになるだけだ。
…、…。
そこだ!
今川の三万も、おそらくは寄せ集めの集合体であり、全部が実力者であるはずがない。そこをつけばこの戦、勝てるかもしれん。
今川勢の大勢力はほとんどが使えぬものばかりであろう。三万とも四万とも言われておるが、実態は、農民、商人、漁師や、子供まで、町の者を巻き込んで、総勢で、それだけの数を集めているだけだ。その上、実質はいいところニ万五千、といったところだ。そのうち半数は甲斐、相模、三河からの借り物であろう。そ奴らにしてみれば、義元には義理もなければ、縁も、貸しも借りもない。いつ何時逃げ出すか、危うい者たちばかりであろう。ただ、追従しているだけで、小遣いをもらおうとしているだけの者達だ。戦の経験なんてなにもない者たちばかりで、せいぜい、頑張っても、町の喧嘩位な乏しい経験があるかないかのものであろう。
今川対織田の戦いを、蛇対鼠、と揶揄して、負けるはずがないと、のほほんと、しているのであろう。
参加するだけで、金になると思っているのだ。飯がでて、運良ければ酒まで振舞ってもらえる。その事に浮かれた脳足りん共だ。
そこにきて、大将が背中で仕事をしている尾張の国は、下層から天辺まで、造りが違う。土台がしっかりしている。
余の意識が波に乗ってきた。高揚してきた。
つまりは、この戦、近々、開戦される尾張対駿河似非連合軍は尾張に勝機がある。
乱暴に扉を開けて、佐久間信盛が闖入してきた。
「殿。なりませぬ。この度ばかりは、なりませぬ。度が過ぎます。織田家の存続にかかわります」
「信盛よ。そう、血相を変えなくてもよいであろう」
「殿。何を呑気に…、…。これは一大事ですぞ。血相が変わるのも無理はない事でしょう」
「まぁ、まぁ」
「殿。今までの殿の狼藉とは訳が違うのですぞ。殿のお命もさることながら、織田家の滅亡につながります。あの世でこの信盛は、信秀さまに合わせる顔がございませぬ」
「何を今さら。もう、おぬしの顔ならさんざんこのわしが汚してやったわい。もう、父上も呆れておるじゃろう」
そう言って、余は高らかに笑って見せた。
信盛は悔しそうに唇を噛み、膝から崩れ落ちて、板の間に拳を打ちつけた。
「殿、…、…。やはり、ここは他の家臣らの言うとおり、籠城が一番かと…、…」
「信盛よ、籠城の結果、誰が助けに来てくれるというのじゃ? 助けが来てくれる見込みのない籠城で、勝った歴史がないだろう…、…。籠城をした所で、おぬしも勝てるとは思わないだろう」
俯く信盛から涙がこぼれているのが分かった。この男はすぐに涙を流す。それを身内は皆、分かっているから、この涙にはそれほどの効果が発揮されない。信盛は、また、拳を板の間に打ちつけた。咽かえり、鼻水を啜りあげる音が聞こえた。
「信盛、それはおぬしの本心か?」余は小さな声で問いただしてみた。
「…、…」
「…、…」
信盛は答えられずにいた。
「もう、良い。酷な質問をして悪かった。おぬしの気持ちはよう分かった。汲みしておこう。もう、さがれ。今日はもう休むとしよう。明日、また、軍議を行う、皆に伝えておいてくれ」
「…、…。殿ッ!!」信盛はくしゃくしゃの顔を持ち上げて、低い声を、喉をひきつらせつつ放った。「命だけは、どうか、お命だけはお大切にしてください」
「…、…」
「開場いたしましょう。もう、負けを認めましょう。もう、勝ち目はござりません。殿の言うとおり、籠城しても勝てるはずがありませぬ。恐怖を長引かせているだけにすぎません。家臣以下、下の者や女子供を悲しませるだけです。果ては首をとられるのが目に見えております。かといって打って出るのも無謀すぎます。あまりに脳がありません。信盛も武士の端くれ、負け戦と分かっていながら挑んで見せる事を好む殿の美学が分からないではありません。しかし、それは、殿がいつも言われる様に、危険の中に勝機を見いだせて、一手一手緻密な計算の上で勝利を導き出せる、殿にとっての勝ち戦であります。しかし、この度ばかりは、相手が悪すぎます」
「…、…。では、どうしろと…?」
余は、意地悪く、とぼけてみせた。
「ですから、開場を…」
「か・い・じょ・う、…、…?」
余は目を瞑り、一つ呼吸を置いた。そして、叫んだ。
「開城は致さん! 籠城も致さん!」
信盛の体が、びくっ、と後ろに下がるのが見えた。信盛は顔を上げて、驚いて、大きく見開いた眼で余をみつめた。おそらく、信盛の中では余はまだ、おおうつけの吉法師に過ぎなかったのであろう。ところが、現実は、目の前で立ちはだかる、天下を取ろうという男であった。
「開城とは、つまり、今川に頭を下げろという事だろう。忌々しい義元様の糞野郎に、お仲間に入れてください、という事であろう。子分にしてください、という事であろう。籠城するという事は、戦う前から、勝敗を放棄してしまう事であろう。戦いの舞台にも上がらずして、土俵に立ちもしないで、何が男よ。開城も、籠城もわしには似合わん。好みに合わん。趣味に合わん。嫌いじゃ、好かぬ。天下をとると豪語している男が、こんなところで躓いてなるものか。わしは何としても、出陣致す。義元の首を獲ってみせる!」
「…、…」
信盛は怯えたように余を見上げている。膠着した体が、小さく震えているようでもあった。
「すまぬ。少し、興奮しすぎた。余とした事が、…、…。おぬしにはこんな取り乱したくはなかった。すまなかった」
余は、そう言って信盛の肩に手を当てた。
信盛の緊張が少し解けた。信盛はこぼれ切れなかった涙を目にいっぱい残したまま、ゆっくりと、手をついて、もう、随分と老いて見えた体を起こした。それほどの歳でもあるまいに、相当な苦労をしておるのじゃろう、そう思った。
「失礼をいたしました。…、…。では、明日、また、軍議で。…、…。おやすみなさい」
そう言って、後ろ手で扉を閉めて、来た時とはまるで別人のように、ひっそりと出ていった。
余は一人だけの軍議を開いた。
その前に余は厠に行った。
一呼吸入れたかったのだ。
一つ間を欲しかったのだ。
先の興奮したままの、昂りようでは攻めるだけの作戦しか作れないと思い、一拍とることにした。
厠への行きと、戻りの間に誰にもすれ違わず、顔を合わせず、何事も起らず、殺気もひと気も感じなかった。厠へは尿意だけを持ち込み、尿意だけを捨てて、戻れた。頭の中を一度、空にすることが出来、すっきりと、清清しい思いさえした。こういった時は、やる気があるというのか、やれそうな気がするというのか、何事においても冷静、且つ、前向きになれる。いい軍議がもてそうな気がした。落着いた、中身のある、大人の軍議が楽しめそうな気がした。戦場の最前線で暴れ回るのは武勇として誇らしく、楽しいものだが、それ以前の、軍議を持つことから戦を楽しむ事が最近、分かってきた。戦が益々、更に、より一層楽しくなってきた。
部屋に戻った。
床は奇麗に磨かれている。
今、雇っている女中はよい仕事をしているようだ。事によると、くの一かもしれぬ。今、この瞬間も、天井裏か床下、壁、に耳をつけたり、障子に目を付けたりしているやもしれぬ。
良い策が浮かんでも、迂闊に口に出したりしてはならぬ。
どこに敵がいるかもしれぬ。見方が敵かもしれぬ。仲間が敵になることもあり得る。
やはり、軍議は一人にかぎる。
毛ひとつ、落ちていない。埃ひとつ舞っていない。清浄な空間であった。そして、蝋燭が贅沢に何十本も灯されて、白昼の如く、眩しい様子である。
少なくて小さな明かりで、こちらがこそこそとしていれば、あやしい事をたくらんでいる、と証明しているようなもので、それとは逆に、堂々としていれば、周りはいぶかしむ事はない。敬意を持つことがあっても、怪しむ事はない。
こちらが小さい灯なら、あちらは、忍びやすいが、こちらが派手にしていると、あちらは、ひっそりと忍ぶことが出来ない、というものだ。
心理の裏を衝くというか、相手の裏の裏を読む、そういったところだ。心理戦が常識の世だ。作戦が重宝される。先制攻撃が大事であり、先制攻撃をさせているという、心理を相手に持たせる作戦さえ発生している。そういった心理戦には情報が必要だ。心理戦はつまり情報戦だ。情報というのは、例えるなら、今川が何を企んでいるのか、今川が何をしているのか、今川の次の作戦は何なのか、そういった事を知ること、知ろうとすること、知らせることが、情報であり、情報の使い方だ。その相手の情報の嫌がることをしよう、というのが作戦だ。更には、心理戦、情報戦が舞台の鍵になるには、もう一つ理由がある。これから普及するであろう鉄砲の存在だ。西洋から伝来し始めた鉄砲を、嫌う大名もおる。これはサルや獣が火を怖がるのと似ておる。進化が足りない幼稚な大名だ。頑固で、自らの成長を自らで停滞させている、偏屈者だ。もっと柔軟に、もっと貪欲にあるべきなのに、そうであれば、国が繁栄できるのに、それを自ら妨げてしまっている、駄目な大名だ。サルや獣は火が恐ろしいものと思い、火を使わない。火を避けようとする。それは逃走本能だ。身を守るために危険は冒さない。長生きする為の秘訣で、種の維持には重要なことだ。
新しいものはまず敬遠する。それが習慣で、本能だ。初めて見る物が、食べられるのかどうか、分からず、隣の者がそれを食べて、おいしがっていても、なかなか手を出せずにいる。結局は小心者で、弱気で、非開拓者なだけだ。
だから、鉄砲という新しく強力な武器を毛嫌いするのだ。鉄砲を恐れ、その力を見せられると、尚、それを避けたくなる。しかし、鉄砲はこれから勢いをつけて、この戦国の世にも普及することであろう。今までの竹だの槍だの刀だの、といった物ではとてもかなわない破壊力を持つ鉄砲こそが権力になるであろう。離れた位置から敵を倒せるのだ。こんなに魅力的でこんなに魔力的なものは他にはない。手裏剣よりも威力がある。どんなに体力がある者でも、如何に馬を操ることが出来る者でも、この鉄砲の前にはどうにも太刀打ち出来ない。
余は、いち早く鉄砲を買占めるべきと考えている。他の武将が鉄砲を入手できない様に、先に買占める位に、鉄砲を独り占めにする。鉄砲を誰よりも先に新たな干戈として自軍の物にしてしまう。しかし、いずれは、他の大名が使えない様に買占めるにしても、そうはいかない時が来るであろう。他の大名も鉄砲を使い始めるであろう。そうすると、鉄砲よりも更に上に行かなければならない。鉄砲を使う以前の戦いを制しなければならない。それが可能なのが情報戦だ。奇襲、撹乱、陽動、どの策でも、まずは情報が必要になってくる。
能書きはここまでとしよう。それまで組んでいた胡坐を解いて、正坐に座りなおした。準備していた地図を開き、今度は将棋の駒を地図上に、ゆっくりと、落着いて、丁寧、確実、冷静、沈着に、一つ、一つの駒を、ぱちっ、ぱちっ、と気持ち良い音を立てながら並べていった。
「余がこちら」と尾張の清州城に{玉}を配置した。次に、三河の岡崎城あたりに、{王}をぱちっ、と置き、「これが今川義元」と駒を打った。
地図は一畳程の大きなもので、地形の起伏が実に巧妙に描かれている。山は緑に、川や海は青く、砂州や平地は薄い茶色で、彩り鮮やかに描かれてある。城をはじめ、城下町や村里、無人の野が、躍動的に、生き生きと、動きださんとばかりに揮毫されている。これは忍びに作らせた地図である。
忍びは、好かぬ。信じることが出来ぬから好かぬ。しかし、その実力は優れたものと認める。だから、利用できる所は、こうして、利用する。
「これが」と、飛車を、人差指と親指と中指の三本の指を使って、それまでよりもやや力が込められた感じで、ぱちっ、と胸がすくような音を、あえて鳴らしてみせて、尾張の陣地内である大高城に、打ちおろした。「これが松平元康だ」余は、その駒を使う事に、誇りさえ感じた。そして、その飛車は余を現す玉を、目を向いて睨みつける、といった感覚を覚えさせ、余に飛び付かん、という向きで置いた。
「たけちよ、…、…」
と余は小さい声で呟いた。
そして、もう一度、
「竹千代!」
と今度は、はっきりと、己の心を確かめる様に言った。
竹千代、つまり、徳川家康の事である。
余の父上、信秀はその昔、今川義元と戦っていた。その頃から、産業で賑わう、特に陶器においては他の追随を許さない程の繁栄を、常滑焼で誇る、この知多の地を義元は欲していたのである。そして、今川の配下になった松平家の広忠が余の父信秀に攻めてきた。
迎え討つ織田家も全力で、容赦をしない。
小さな争いや、小豆坂の二つの戦いを含め、いくつかの抗争が繰り返された。その中で、余は初陣を果たし、兄の信広は捕虜となり、今川に取り押さえられた。
敵の松平も、人質として、嫡男、竹千代を織田側に捕らえられていた。
ここには、一つ、曰くがある。
竹千代は本来、松平から、今川へ人質として出されるはずであったのだ。
松平は、今川に屈服せざるを得なくなったのも、松平が、尾張に攻めなくてはならなくなったのも、似た様な理由からであり、それは、松平が、尾張の織田と駿河の今川に挟まれていて、行き場を失くしていて、どちらかに攻められるよりも、どちらかと手を組み、他方と戦おう、という腹をくくったのである。そして、松平広忠が選択したのが、攻めてきた信秀ではなく、背後にいる大国駿河の義元だった。
松平広忠は今川義元に援軍を要請した。義元は条件として、松平広忠の嫡男、竹千代を人質として受け入れることにした。
だが、余の父・信秀もなかなかの策士で、先に手を廻し、今川方の戸田康光を金銭で誘導した。戸田家は松平の流れを汲む家柄で、当時、この康光は今川家に絶対の服従を見せていた。そこに策士、信秀が照準を定め、見事、命中させた。竹千代を五百貫か千貫かは分からぬが、買い占めて、戸田康光に計画誤護送をさせた。
結果、竹千代は今川の手に渡らず、織田の元に送り届けられ、織田の預かる人質となった。
戸田家はその後、あえなく、いとも簡単に今川に潰されてしまった。この戦国の乱世で、戸田家の様に、織田家よりも小さなものが、成り上がるには、何かの、答えは分からぬが、目にも見えないが、大きな切掛けが必要なのである。それまで、今川に従順だった康光がそれまで通りに今川に従順であれば、戸田家はおそらくは乱世の魔に呑みこまれることはなかったのであろうが、大人しく飼い慣らされていた康光の中にも、おそらく、小さくても核となる欲望が潜めいていたのであろう。きっと康光自身にも分からないものだったのかもしれない。そうとも取れるし、そうでないとも取れる。康光はその、己の中にある、反骨心、反逆心、反抗心、それは心と書くかもしれないし、魂と書くかもしれない、そんな、立ち向かう気持ちを前面に出しては、体力不足の果てに、踏みつぶされる結果が見えている、と怯えて、恐れて、逃げ腰で、それを回避する為に、微量な本心を抑えよう、隠そう、閉じ込めよう、とそれまで、必死に、知っていて、知らない振りをしていたのかもしれない。父、信秀は、悪い男で、強い男で、勝ち方を知っている男だったので、戸田康光を言いくるめ、騙して、まとめた。
余より、九つ下の竹千代は幼い子供であった。不必要に甘やかされ、過保護に育てられてきたそれまでの竹千代には、世に名を轟かすおおうつけの余が鬼神に映り、それが憧れに転化していたようであった。だから、竹千代は常に余に絡まり歩き、何につけても、余の真似事をしたがっていた。余は幼子を好かぬが、竹千代はどこか可愛く思えた。特に、何をしてあげたという訳でもないが、向こうもこちらに特に、何をしてくれたわけでもないが、存在は気になる幼子であった。
余の兄、今川に捕らえられていた信広と、今川に渡るはずだったが、横取りされた結果、織田に廻ってきた竹千代が、人質交換として、織田信広は織田に戻され、松平竹千代は今川の元へと送られた。竹千代にしてみれば、駒として動かされただけで、松平に帰ったのではなく、今度は、正しく、今川に贈られただけである。
竹千代の父、広忠は出来た武将で、余の父に幾度も竹千代の命と引き換えに、交渉を迫られたが、
「竹千代を殺せるものなら、殺してみよ。幼き竹千代が身を張ることで国を守れるのであれば、それは立派な君主の資格を持っている事だ」
と返す刀で、余の父、信秀の要求に応えようとはしなかった。信秀も、これにはさすがに、あっぱれ、と、広忠、ただものではないな、と敵ながらに一目を置くようになった。
その、あっぱれな松平広忠の嫡男であるからには、しかも、僅かとはいえ、余の薫陶も受けている、更には、駿府に取り戻されてからは、人質というよりも、政務見習、といった風に教育を受けたとの伝が、余の耳にも入ってきている。これは、昔、尾張に所縁があったことから、家臣や噂好きの女衆が何かしら耳打ちすることで、いつの間にやら、余にも、知らずうちに、刷り込まれていたのであろう。
そんな竹千代が、時を経て、今度は敵として、対峙することになろうとは、…、…。
何かの縁が昔からあったのであろうと、思えると同時に、世の中とは狭いものよ、とも思える。
軍議に戻る。
松平元康を飛車に見立てて、大高城に置いた。
ここまでは確実に分かっていることである。明日、明後日にでも、義元は、松平元康を大高城に向かわせ、兵糧を行う。竹千代は、義元に好かれているから、今川義元は、元康に好機を与えたくて、危険を承知で元康に先遺隊を任せるのであろう。それに成功させて、元康の出世につなげたい。今川義元はそう考えているのであろう。元康はあぁ見えて、結構、人たらしなのであろう。余も、やっぱり、元康の天性の人たらしの術にはまった事があるのだから、わかっておる…。次に考えられるのは、先遺隊を任せられる程に、元康が、純粋に力を持っているという事。そして、元康は松平の出であるからには、三河に近い、尾張に、何らかの地の利があることに期待して、かもしれない。もしくは、あまり考えられないが、元康は義元にとっては捨て駒で、言ってしまえば囮に過ぎないのかもしれない。そんな風にいくらでも推測できる。
余が思うに、元康は仕事が出来る男になったのであろう。何か、そうなっていてほしいと思う所がある。それと、天下を取ろうという余なら、やはり感じるところがある。あの元康も、口には出さねども、何か、行く末は、天下を手中に収めんと目論んでいるのではなかろうか、そんな気配を漂わせている。
余が最後に元康に顔を合わせたのは、まだ、元康が、竹千代と名乗っていた時である。
そんな子供であっても、将来は国を収めんとする意思があったかどうか、それを体から漂わせ、匂わせているか、疑われることもあるが、余が実際にそうであったから、同類として、竹千代にもそれが感じられた。余は特別な男であったから、幼き頃より、意志があった。そして、竹千代もまた、特別であるから、意志があったのであろう。幼き竹千代が男になって、松平元康となり、威風堂々と、ふてぶてしくも、正面切って、尾張に乗り込んでくる。幼き頃の恩を忘れて。もしくは幼き頃の恩を憎んでか、尾張に踏み込んでくる。大高城に兵糧をするのは、つまり、近くの、織田軍の丸根、鷲津の両砦を落とそうというのが目的でもある。…、…。しかし、いま一つ解せないのが、大高城に兵糧などせずに、まっすぐに、素直に、攻めてくれば良いものも…?
そこだ! 義元に弱点があるとすれば、そこだ。京で中国兵法を学んだ事に自惚れている義元は自身の練った策に酔い、自身を褒め称え、その事を家臣に強要さているのだ。そして、策士が策に溺れることが多々あるのだ。というよりも、義元の場合は策士とは程遠い、自惚れ屋に過ぎず、太原崇孚という優秀な軍師に常々厄介なっていた、との事ではあるが、その太原崇孚は、もう、いない。これからは情報戦の世の中になる事を義元はまだ分かっていない。義元は時代遅れなのだ。
義元は悪戯に兵を持ちすぎている。兵の操り方も知らぬくせに、自分は分かっていると、大群の大将軍だ、と勘ぐって、闇雲に駒を振り分け、もて余している。今の、今川からすれば小さな織田を、取り囲み、逃げ場を失わせ、追い詰めて、徹底的に殲滅せんとしている。だから、真正直に正面突破を狙わずに、元康や井伊直盛を先に行かせ、織田方の背後を突くような手を打ってくるのであろう。
(うむ、…、…。しかし、それは、べつに、義元としては悪い策ではないのかもしれない!? こちらが鷲津、丸根に砦を作り、もともと、今川の物であった大高への経路を塞いだのだから、今川としてはそれを取り返さんがためであるのだし、鳴海城もまた然り。それに、もしかしたら、義元としては上洛を目論んでいて、余がたまたまその通り道にいるだけの事であって、余は松平や井伊の様に靡かんもんだから、少々、手を焼く、そんなところではないか?)
余は、自問自答をした。
(いやいや、もし、義元が上洛を考えているのであれば、浅井氏や六角氏、更には北畠氏にも手を廻しているだろう…、…、しかし、それはしていないようである。織田家に攻め入るのは、織田家が、これまでの対今川の歴史を振り返って、「はい、そうですか」と手を組んでくれるような事はない、と義元が承知しているからであって、それ以外の浅井や六角や北畠には、甲斐の信玄や相模の後北条と同盟を結んだように、義元は西にも形上の仲間を作るはずだ。義元は己が戦を下手だと本当は知っていて、戦が嫌いであり、それよりも、好きで、得意な、政治力で登り詰めようとするはずだ。…、しかし、西には同盟国を作らない。やはり、義元は上洛が目的ではないと見える)
義元の兵が、当初の三万や四万というのは改竄であろう。それは、義元の策かもしれない。実質は二万五千くらいであろう。石高からするとそれ位であろう。虚勢を張って、四万とさばをよんでいるのであろう。そうすることで余を帰順させようとしているのだろう。余の家臣は恐れをなして、籠城だの、服従だの、と唱えておるが、余は交戦する気が満々としている。
義元は各地に兵を分散した事で、二万五千あった勢力が、尾張に踏み入る頃には、一万五千程に減っている、と考えられる。足止めをした要所で兵を置いていくであろう。
「しかし、一万五千か…、…。それでも、こちらの三倍から四倍の兵力であるなぁ」
頭数では三倍だ。
だが、ここで、気持ちの切り替えようだ。たったの三倍しかいない、ととらえてみよう。もともと、十倍と思い込んでいたのが実際は三倍しかないのだ。わずかに三倍だけなのだ。家臣たちも、十倍の力の差があると思って挑んでいたのが、試してみたら、それほどに差がない事に気付くと、自分たちの力が意外にあるのではないか、と思い、勢いがつく。
(これはいけるぞ! ひょっとしたら勝てるぞ!)
そんな風に思えてくる。それが本当の勝ちにつながる。
余が今まで歩んできた生き方もそういうものだったはずだ。余が野心をむき出しにしていなかったら、ここまでの地位になれていなかったはず。家督争いで負けてしまう位の、しかも、小さな尾張という国の、織田家ごときのお家騒動程度で終わっていたであろう。そんな、吉法師ごときが、大群義元勢に楯突くほどのものになった。
己を信じるとしよう。だが、向こう見ずに戦うのも、いま一つ芸がない。あまりにも無謀すぎる。がむしゃらもいいのだが、撃ち返されては仕方があるまい。
部屋に隙間風が入り込み、五月だというのに連日の猛暑が感じられる不思議な気候に、少しの涼しさを感じさせてくれた。蝋燭の光が揺れた。
お伽噺のままに、鬼である今川に、小国の一寸法師である余が、故意に飲み込まれ、腹の中で針を突きまくり、鬼を退治するのである。武勇を見せることが出来そうじゃ。よい戦になりそうじゃ、余は、そう思えた。
蝋燭が、また、揺れた。余の影も一緒に揺れた。
これが、いい作戦とも思えるし、他に思いつけるところがない。
これが、唯一にして、無二の、作戦である。
あとは義元軍の一万五千を更に減らせられれば、一段と流れはこちらに向く。
(仕方ない。間者を使うか)
信用できない忍びをどう使うか?
この乱世での愛情や友情は、宛になりはせぬ。ましてや忍びが相手では危なっかしい事この上ない。だから、そこは始めから信用せずに、仕事を依頼せず、遊んで来い、と金を渡す。今川軍になりすまし、今川軍に紛れ込み、行軍中に酒と肴で楽しめ、という任務をあたえる。忍びといえども人の子で、余裕が生まれればずぼらになる。あぶく銭で、余の司令通りに、戦火の中にいるにもかかわらず、身の危険を忘れて、もしくは身の危険を忘れたいが為に、えんやこら、とお祭り騒ぎをはじめることであろう。そうすると、それに相乗して、今川側に助っ人であり、もともと気の緩んでいる武田の者や後北条の者は、我が朋友で仕事熱心な酔漢間者と一緒になって宴を盛り上げることであろう。そして、軍から脱落していくであろう。これで、随分と義元軍はしぼむ事であろう。うまくいけば、義元そのものも一緒になって遊山気分で、呑んで、謡い始めるかもしれぬ。そこまで行くと、鬼は一寸法師を呑みこむ程に大きくはないかもしれぬ。もう、一寸法師である余は、正面切って鬼の目をつけるかもしれぬ。
(…、…。そううまくいくか…、…)
今更、恐れてもしかたない。正直、溺れる者が他に掴む藁が無いのだ。もう、選択の余地はないのだ。それとも、義元にこの頭を下げようとでも言うのか?
「…、…」
いや、もう、やるしかない。ここまで来たら、大きく構えた方がいいだろう。そうするべきだ。余は天下を獲るのである。肩を怒らせ、生意気な義元を潰してみせよう、それくらいの気の強さ見せてやろう。出来るはずだ。余は天下を獲るのだ。
真夏の熱帯夜の様な暑さだった。体を使っている訳ではないのに、汗が噴き出てくる。
翌日の軍議。
余には、つまらぬものであった。
それまでの軍議と変わらず、籠城だの、降伏だのを唱えている声を聞いているだけで、時間をやり過ごした。
しかし、これでよいのである。
もう、余の決心は固まっている。信盛ら家臣がどう喚き叫ぼうが、時が来れば余は出陣する。時が来るまで、今川を引きつけて、怖気づいた振りをして、極限まで、こちらに義元の本陣をおびき寄せて、分散させて縮小させる。拡散させて減少させる。その時に、今川義元を討つ。ぶった切る。滅ぼす。
「今宵も、もう更けた。明日に何が起きるやも分からん。信盛、おぬしは休まれよ」
「殿! 急いでくだされ。はぐらかすのも限界があります。もう、手遅れになりつつあります」
「また、明日にしよう。余は眠い」
「殿! 実はもう西へ逃げる準備は整えてある故に、行きましょう。強がるのも、気持ちを抑えるのも、もう、止めにしましょう」
「…、…。信盛。…、…。あと、一晩、考えさせてくれ」
余はそう言って皆が残る部屋を後にした。
あと一日待ってくれ、というのは、明朝にでも、出陣致す、と優しく暗示したつもりであった。
床から抜け出した。丑の下刻である。
早馬から続々と入ってくる情報で、余は眠る事が出来なかった。
余はあまり眠る気もなかったので、ちょうど良かったとも思えた。勝負事は少しくらい気だるいくらいがうまくいく。下手に健全だと、余計な力が肩に入ってしまっている感じがする。それよりも、頭だけに力を注げる方が先を読むのに苦労を少なく進める。結論を出すのに寄り道をしなくて済む。いらぬ散策をせずに済む。閃きを得るには多くの知識を集約し、そこから絞り込む必要があるが、本当に大事なその場面では、知識の集約をしている暇がない。知識を放出しなければならないその時に、余計な事を考えない為にも、少しの気だるさが必要だ。だから、あえて睡眠不足を求め、眠らないことにしていた。
「敵陣・松平元康が我勢の二つの砦に火を放ちました」
早馬で駆け付けた伝達係が余の耳元に報告を入れた。
元康をくい止めることが出来ないだろうか、と考えていた矢先のことであった。
元康が大高城に兵糧を行うのはある程度予想が出来ていた事だし、それをくい止める事は出来ないだろうし、であれば、それを利用して、こちらはその弱い部分を見せておいて、そちらに気を引かせて、今川義元本陣に隙を作らせる。そこまでは良いとして、その後、元康がまだ動き続けると、厄介だ。元康が大高城から攻撃を始めるとすると、尾張は元康と今川に挟まれる形になってしまう。それは避けたい。
なんとか、元康を静止させておける術はないものかと考えあぐねていた。
しかし、策は浮かばなかった。間に合わなかった。
元康は動いてしまった。
だが、これを「人間万事塞翁が馬」と捉えよう。元康は、余が動き出すよう誘引してくれた、と考えよう。
余は軍議を行う大広間へ向かった。
敢えて、城内に響くように、足音をたて、大股で、早足で、怒りを表現した。
余の出陣の決意が固い事を、もう止められぬぞ、という事を皆に見せつけ、己が己の中で確認する為にも、己を追込むためにも、わざと、そのように歩いて見せた。
強く、力を込めて、音がたつように、扉を開き、大広間に入った。
「誰でも良い」
余は怒鳴り散らした。
「武具を準備せぇ」
岩室、長谷川、山口、佐脇、加藤。五人が揃った。皆、既に鎧を着けている。察しが早い。準備がいい。いつでも、余の為に死ぬ覚悟が出来ていると見えた。こういう奴はむしろ、生き延びられるだろう。箆棒に死ぬだけが武士ではない。きっとこ奴等は、いい仕事をしてくれるに違いない。こ奴ら五人いれば充分だ。こ奴ら五人の方がうまくいくかもしれん。籠城だ、降伏だのと抜かす老人どもは置いてゆく。足手まといだ。腰ぬけや老いぼれは、…、…、いや、それまでにうんざりするほど辛酸をかいくぐってきたのであろう、余の為に、織田家の為に、尾張の為に。だから、今日くらいは、…、…、もう、良い。ゆっくりと休んでいてくれ。
余の武具を、岩室が小姓に準備させ、それを纏わせた。なかなか手際が良い。
「小僧、着いてくるか」
「はい」
突然の事に、驚きを隠せぬが、小僧から見れば雲の上の存在であろう余に、何を言われても、
「はい」
と言わざるをえないであろうし、常に、いつ好機が巡って来てもそれに順応できるように、この小僧は心構えを四六時中持っているのであろう。だからこその、無条件での反射で、一直線の、
「はい」
であったのであろう。
(気にいった)
「しかし」岩室が口を挟んだ。「この小僧は、馬を持っておりませぬ。馬に乗れるかどうかもわかりませぬ。初陣した事がないどころか、元服さえしておりませぬ。それに、拙者でさえ、名前も知らぬような小僧でございます」
(ほぉう。尚の事、気に入った。そんなどこのもんか分らぬ小僧の分際で、この余に、しかもこの一大事に武具をつける役目を出来るとは)
「他に出会える者が無かっただけで、…、…。時が時ですから、…、…。たまたま、この小僧が殿の武具庫のそばで居眠りをしていたのでありまして…、…」
「岩室、それは、違う。きっと違うぞ。この小僧は、おぬしらがいつでも出陣できる様にこの時間でも鎧を着けていたと同じく、この小僧も、他の小僧が床についているのを好機とみて、自分だけはいつでも、余の前に{すぐにでもお助けに上がろう}と、余の武具庫の前に待機していたのではないか…?」
小僧はにんまりと笑顔を作り、いたずらに流し眼気味の上目使いで、どうだ、と言わんばかりに、岩室の方に目をやった。
「それは、…、…。殿、…、考えすぎではないでしょうか!? この小僧の肩を持つのであれば、その為のこじつけにも思えますが、そもそも、殿がこの小僧をかばう必要性が理解に苦しみます」
「いやいや、岩室。この小僧も、織田家の一味じゃ。仲間じゃ。余の家臣の一人じゃ。で、あれば、余が育てるのが義務であり、筋である。この小僧がこの度の戦に出られれば、何かきっかけをつかんで飛躍するやもしれぬ。切っ掛けも舞台も碌に与えぬうちから、屑だ、粕だ、と決めつけるのはよくない。この小僧は他のものと違ってやる気があったから、武具庫の前で待機していたのだ。仮にそれが偶然のものであったとしても、それはそれで、この小僧がそれだけの運気を持っていたという事にしようではないか。それまで単なる小僧に過ぎなかったこの小僧が、今日の、今、この件が、助走となり、他の者が、えっちらおっちら、と坂を這いつくばっているのに、この者だけはまるで坂を駆け下りるかの様な早さと、勇ましさと、若さで、上へ上へと上がってくるかもしれぬ。他の這いつくばっているとろこい奴らをけん引してくれるかもしれぬ。そう期待してみようではないか。身分や地位で人は変わるのである。この小僧も、明日には小僧ではなく、一端の侍になっているやもしれぬ。そちらも、うかうかしておれぬぞ」
小僧は勝ち誇ったように、岩室ら以下、四人を目回した。そして、もう、余の武具の装着は完了していた。
余は、いつになく口を動かしている己に気がついた。戦を前に高揚しているのであろう。こんな気分は、こんな時でしか味わえない。余でしか味わえないであろう。これくらい楽しみながらの方が、肩肘張らずに、本領が発揮できるかもしれない。自然と、無駄な考えと、行動を排除できるというものであろう。
「小僧、名は?」
「…、…。何某です」
「…、…。よう分からんが、…、つまりはまともな名前は持っておらん、という事だな」
「はい」
けなされているのか、どうなのか分かっていない様子である。こちらも特にけなしているつもりはない。
小僧は嫌味のない笑顔だった。この明るさが気持ちよく感じた。しかし、この小僧も、死んでしまうのか、とも思えた。…、かわいそうに…。
「よし。この戦で、貴様が生きて帰ってこられたら名をつけてやろう」
「はい。ありがたき幸せ。精進いたします」
「馬にも乗れぬ者を…」と岩室。「家老を足手まといと言っておきながら、殿、この小僧とて、同じこと」
「この小僧は若いから良い、としよう」
信盛が血相を変えて部屋に入ってきた。
余を殴りかからんとばかりに猛進する。信盛を岩室らがしがみつき、抑えた。
「殿ぉっ! 殿ぉっ! 殿ぉっ!」
信盛が喚き散らした。野生獣の様であった。涙も鼻水も、恥も外聞も、おとなげも遠慮も、品も格も、何もかも投げ出して、喚き散らした。
(ふっ。信盛よ。それだけ元気があれば、まだまだ戦える。おぬしも、実はまだまだ戦いたいのであろう、そうであろう)
「殿ぉっ! 殿ぉっ! 殿ぉっ!」
「黙れ、信盛!」余は一喝入れた。「…、…。今日の奇譚は明日の正統! 平べったい通念などはぶち破れ!」
信盛は黙ったが、目を見開いたままであった。そして、吐息のような弱弱しい声を、口から、ようやく、漏らす様に、
「殿、…、…。信盛も連れて行ってください。信盛もご一緒させてください。信盛も、殿と一緒に地獄でも、その先にでも、お供させていただきます。殿がお荷物と思われようとも、信盛はしがみついて離れませぬ」
「…、…」
「…、…」
「ふっ、悪病神め。地獄でも、その先でも、とは縁起が悪い。必ずや、生きて帰ってくるぞ。義元の首をぶん切って、尾張に持ち替えるぞ」
「はい」
信盛は涙と鼻水を汚らしく顔一面に塗りたくったまま、笑みを浮かべた。
「信盛。とっと準備をいたせ。余は先に行く。ついでじゃ、この小僧も一緒に連れてきてくれ」
信盛は一つ頷いて、急ぎ足で部屋を出た。小僧も信盛について部屋を出た。
余と岩室らは急いで整えさせた湯漬けをかっ込んだ。
「皆、味わうでないぞ。仕事に喰え(仕事と思って喰え)。味わうなどという感情を戦の前に持ってしまうと、死ぬか生きるかの勝負の瀬戸際で、あぁ、あの時の湯漬けはうまかったなぁ、などと思い、諦めの思考が先行してしまう。それではいかん。せめて、うまい湯漬けを食うまでは死んでなるものか、勝って、国に帰ってうまい湯漬けを食うまでは何が何でも死なないぞ、そう思え。親の敵も、食の恨みも、すべて義元にあると思え。さぁ、湯漬けは食したかぁ! さぁ、いざ、行かん!」
余は食べあけた茶碗を床に打ちつけた。
「がしゃん!」
派手に茶碗の割れた音を確認した後、岩室らも、威勢よく、食べあけた茶碗を床に叩きつけた。
「がしゃん!」
余は出陣した。岩室ら五人だけがついてきた。信盛の後続は熱田神宮で待つことにした。しかし、もし、竹千代がこれ以上の仕掛けを繰り返せば、余の気は長い方ではないので、信盛ら後続部隊を待つことなく、余を含め、たった六騎でも攻め入ってしまうかもしれない。いくらなんでも、それは無茶がありすぎる。だから、信盛よ、早く、一刻も早く、熱田に来てくれ。そして、竹千代よ、余が貴様を攻めようとしないためにも、もう、これ以上、手を出さないでくれ。この戦に、これ以上、関与しないでくれ。うまく事が運んでくれれば丸く収まる。頼む、うまくいってくれ、頼む、頼む、頼む、…、…。
余は馬を走らせながら、普段は、神も仏も信じぬ、と豪語しているのに、こんな時ばかりは、願い事をしている様な己が嫌になった。
この、負けに傾いている弱い気持ちを払拭したい為に、日頃から好き好む「敦盛」を念じることにした。
そうすることで、雑念を取り除き、そこから、勝ち気な思考に切り替えられるかと思った。
「人間五十年、
下天のうちにくらぶれば、
夢幻のごとくなり。
一度生を受け滅せぬ者のあるべきか」
(ふっ、こんな舞、糞喰らえ、だ! 意味がよう分からん。いや、正直に言えば、分からなくもないが、分かりたくない。そう言ったところか。ごくごく当たり前の事を言っているだけではないか! 糞っ。…、しかし、この舞、響きがいい。実にいい。動きも艶やかで、流れが美しい。能は好かぬが、舞は好む。
そう言えば、竹千代は能を好んでいた。何をするにおいても、余の真似をしたが、舞だけは例外だった。竹千代は舞を好まず、能を嗜んだ。今でも、そうであろうか?)
敦盛のおかげで、少しの余裕を生みだせた。手放しかけていた勝機をまた手繰り寄せれた気がした。
思いのほか、早くに熱田に到着した。
竹千代はそれ以上は動いていないようである。
(よしっ! これなら、いける。もう、大丈夫。この戦、勝てる)
余は馬を下りた。
岩室らも馬を下り、一息ついた。
少し遅れて、歩兵が熱田についた。僅かである。しかし、どれも凛々しき顔が揃っている。心強い。余が相撲で倒した者がいれば、容赦なく余を投げ飛ばした者もいる。
「殿という身分で家来と相撲を取るのはおやめくだされ」
という家老がいたが、
「まぁ、良いではないか」
そう言って、余は相撲を取り続けた。
余に勝った者には褒美をつかわせた。余に遠慮や負い目を感じる者は処罰を与えた。余の勝率は三割五分といったところだ。家臣の力を推し量ることが出来る良い機会であった。ここでも時間が許されるのであれば、一番、取りたいものであった。
信盛はまだこの軍のなかには来ていないようであった。信盛と同行しているであろう小僧も、当然、この軍には来ていないようであった。
「殿」岩室が言った。「せっかく熱田に来たのですから、必勝祈願をいたしましょう」
「いや、そのような事は、好まぬ」
「殿、照れぬでも良いではないですか」
「いや、照れているわけではない。余は無神論者である。故に、祈願などはしとうない」
「この期におよんでそうは言わずに、拙者らに付き合うだけでも、良いではないですか。お願いいたします」
「そうまでいうなら、どうだ、こうしよう。余が神になる。そこで、皆の者が余に勝利を願いたまえば良いではないか」
「おぁ、それはよい」
岩室は早速、皆を集め、整列させ、余を神殿に昇らせた。
「しずまれぇっ!」岩室が大声を張った。岩室の号令に従順に皆が口を閉じ、規律を正し、余に注目した。「この上段におられます信長様こそが神なるぞ。我らは神の為に戦い、神の為に勝利を勝ち得るぞ。さぁ、皆、神に祈れ」
手を合わせる者もいれば、頭を深々と垂れる者も、跪く者もいた。これといっていい気がしなかった。まぁ、これで士気が高まるだとか、一致団結出来るのであればいいのであるが、わざわざ、余が祭壇に立たされる迄もなかろうに。次からは、余の土偶か身代わりにでも、この仕事は任せることにした。
余はつまらなかったが、岩室は満足を得たようであった。
熱田でのこの出来事は、歩兵の息を整えるのを待つ為の暇つぶしだった、そう思う事にした。
続いて、余は、善照寺を目指した。ここで信盛が連れてくるであろう、すべての尾張勢を待つことにする。すべて、とは言え、いい所、二千弱であろう。
その間に、訃報が入った。既に中島砦についていた佐々勝通と千秋四朗が先走り、今川勢に攻め込んでしまった。今川勢の見えざる圧力に飛び出ざる得なくなってしまったのか、余がすぐそばまで来た事によって、気持ちが大きくなってしまったのか、それとも、よくある話だが、大将である余に手柄を見せたかったのか、いずれにしろ悲しい事だ。しかし、これも、「塞翁が馬」、その事で今川側はこちらの願い通り、思惑通り、油断をし始めている。しかも、大将の義元を筆頭での油断である。
今川軍本陣は沓掛城を拠点としていたが、そこよりわずか一里ほどの桶狭間で陣を張った、そう、早馬からの伝があった。
また一つ、訃報が入った。
佐久間盛重が丸根で討たれた。討ったのは元康だった。
悔しいが、余にも、焦りが生じた。
「ご愛敬ですよ」余に、岩室が耳打ちした。「まぁ、大丈夫です。佐久間様には申し訳ないが、致し方ない、といえば致し方ない。これも、殿の為の討ち死にと思い、本人もご家族も本望と思われますぞ。末代まで誇りに思える本望でありますることでしょう。そうする為にも、殿、この戦、勝たねばなりますまいぞ」
「分かっておる。貴様よりも、よっぽど余の方が分かっておるわい」
桶狭間で、義元は早めの昼食を取り始めたとの事である。堕落した兵は酒まで饗している。義元に関しては謡を三番うたった、との事。
その後、鷲津砦も落とされた。
「いけますぞ」岩室はもう、正気ではない。戦場に向かう恐怖のためか、余の作戦を知らされ、それに酔いしれているのか、そうすることで、恐怖心を和らげようとしているのか、奇人と化している。味方がやられる事に快感を得ている様である。「いよいよ行けますぞ。これはいやがうえにも、流れはこちらに向いております。こちらは義元の首だけをとればよいのです。他の一切は必要ないのです」
早馬がまた来た。
今川軍は桶狭間で昼飯をとるため、陣を停滞させているとの伝であった。しかも、大高周辺をすべて陥れた事に舞い上がり、盆と暮れが同時で、更には花見や紅葉狩りまで、この際、一緒にまとめてしまえと言わんばかりに、既に祝勝祭を始めているとの事。
ようやく、信盛の部隊が余の本陣に合流した。
小僧は、余に鎧を着けてくれた小僧は、いなかった。
信盛曰く、
「ここに来るまでの小競り合いで討たれてしまいました」
との事であった。
まだ、幼さの残る、子供だったのに。刺された痛みの中で、母親の事を思ったのであろうか、痛みの激しさのあまりに、それさえも思えずに、気絶してしまい、そのまま亡くなったのかもしれぬ。かわいそうではあるが、まだ、せめて、痛みだけでも、感じないまま死ねたのであれば、小僧にとってはその方がよいのであろう。母との別れ、母意外のすべてとも別れなくてはならない、この世と別れなければならない事を思って逝ったのであろうか。恋なんてものをおそらくは経験したこともないであろう。おそらくは明朝の、余と岩室や信盛とのやり取りの間に入ったのが、小僧にとって初めて見る、大人の会話だったのかもしれない。まだ、あの年であれば、本当の友情さえも感じた事がないかもしれない。そんな、まだまだ、子供であるあの小僧を殺してしまったのは義元かもしれないし、余かもしれない。…、余にも罪があるし、義元にも罪がある。尾張にも罪があるともいえるし、駿河にも罪があるともいえる。時代にも、天下にも、罪がある。どこが罪の親玉であろうと、この憤りを晴らす手段は、義元の首を取ることしか考えられなかった。
余は、小僧にだけ、なぜ、こんなに思い入れを感じたのであろうか? 丸根砦の佐久間や鷲津砦の織田家の者らが討たれた時はこれほどまで感情が込み上げてこなかった。これは、丸根や鷲津で討たれた者が大人であったからか? 一人前の武士であったからか? それは大きな理由であろう。そして、おそらくは、余、自らもはっきりとは分らんが、もしかすると、あの小僧には友情のようなもの、自分の鏡の様なものを感じていたのかもしれない。歳の差も、身分の差も、知識や経験の差も、全てを超越して、あの小僧には何か余の心に響く何かがあったのであろう。
「…、…」
余は、少しの間、呆けていた様だ。
「さぁ、行きましょう。…、小僧の為にも」
「そうであるな」
信盛の声で我に帰った。
余は軍を進めた。
桶狭間を目指した。
余の傍に、岩室が馬を寄せた。余と岩室は馬を並行させて歩かせた。
「殿!」
「…、…」
余は何も言わずに岩室を見た。あまり良い表情に見えなかった。
(次は何が起きたのじゃ…?)
「今しがた、塩焚き人夫の話を聞きつけたのですが、もう間もなく雨が来るそうです」
「?…、何、…、あめ? 雲さえ見当たらない上に、夕立にしては早すぎる。そもそも、いくら暑さが続いているとはいえ、夏でもあるまいに…」
「いや!」佐久間が口を挟んだ。「岩室の言う通りです。塩焚き人夫は正しい。間違っていません。これは来る。雨が来る。しかも、これまでにないほどの強烈な豪雨です! この湿った嫌な風は、確かに…」
佐久間は顔を上げて、それまで、暗く、淀んだ様な目に、光を取り戻したような、希望に満ちた目でこちらを見つめた。
「殿、これは、危険です。雨ならば、益々、戦がしにくいです。今川軍とて、同じこと。わざわざ危険に身を寄せて、戦いに挑んでこようとは思えません。しかも、桶狭間は湿地であります。足場が悪く、動き辛い上に、豪雨とくれば、視界が悪い事でしょう。いつの世も戦は晴天の日に限ります。今日は一旦引き返して、また、戦日和の好天を待ち、その日に臨みましょう」
「…、…」
「さぁっ! 殿」
佐久間の眼は凛々と輝いている。引き返す為の口実を並べる為に思考が、創造的に、全開で機能している。
「さぁっ! 殿っ。さぁっ! 善は急げ、です。早く戻らねば、我々も濡れ鼠ですぞ。また、武具を乾かすのに一苦労ですぞ」
余は、
(この男、政務においても、戦においても、常に、このくらい積極的であってくれれば良いのになぁ)
と佐久間に対してあきれてしまった。
余は、もう、佐久間の目も見ずに答えた。
「いや!」
「…、…。へっ…、…?」
余の返答に佐久間は驚いた様で、馬を止めた。佐久間以外の馬はそのまま行軍を続けた。「いやっ! 此処は…、此処こそは打って出るべし!」
ぽつりっ!
いつの間にやら、余の真上の青空は消えていた。もう、重そうで、鼠色の雲に、空の端から端までが覆われていた。その鼠色を、更に覆い隠す様に東からも西からも、あちらからも、こちらからも、全方位から、それこそ地からも沸いてくるかの如く、しかも、猛烈な速さで、ごう、と地鳴りまで轟かせんばかりの雲が余の真上に寄せ集められてくる。止まることなく、次から次へと、まだまだ、暗雲が、夜を創り出すのではないかと疑うほどである。驚きや恐怖を超えて、美しくさえ見えた。見事であった。
「今こそ時よぉ~っ! 皆、いざ、行かん!」余は馬を急かせた。「陣を一旦、下げようと考えるのは、敵も同じこと。道理でいけば、当然、そうするであろう。しかし、正直、今だから、本音を言おう。まともに行ったら、この戦い、…、…負ける! しかし、この雨を見方につければ勝機はある。油断を曝け出している大群が、更にこの豪雨に打たれている、その、今を衝くべし! 今なら行ける! 神が見方についている! 神が雨を降らしてくれている! 神が背中についていてくれる! 神が背中を後押ししてくれている!」
余は更に、馬を急がせた。鞭を入れた。
「いや!」先までの己の発言を否定した。己の間違いを指摘し、皆に正しき教えを与えた。「さっき、熱田で見ていただろうぅ! …、…、神が見方なのではない! 余が神なのだ!」
余はそう言い放って、桶狭間へ猛進した。
暗雲の集結は完成したようだ。
ぽつり、…。
ぽつり、ぽつり…。
ぽつり、ぽつり、ぽつり…。
ぽた、…。
ぽた、ぽた、…。
ぽた、ぽた、ぽた…。
…、…。
ざぁぁぁ~…、…。
ごぉぉぉ~。ごごぉぉぉ~。ごごごぉぉぉ~。
激甚なる雨が投下された。
我が愛しき信長精鋭隊は、一丸、桶狭間を目指して、駆け降りた。