11.氷の騎士の号泣とオレのモテ期
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10.この婚約は破談にしてくれ
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12.オレの婚約者は
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記憶喪失ファンタジー貴族BL
不器用攻め ✕ あほっ子受け
全16話 完結済み/数日おきに更新予定
何が起こっているのだろう。
国の英雄とも言われる氷の騎士が、凶悪な魔物たちとの戦いで騎士団を勝利に導き凱旋したのは、ほんの数時間前のことだ。祝勝会ではさぞ大勢の人々から讃えられ、敬われたに違いない。
そんな憧憬の対象が今ミラの目の前で、黙ったままただ突っ立ってほとほとと泣いている。表情は相変わらず無い。だが大粒の雫が次々と黒の瞳から溢れ出し、拭われもせず顎をつたって床へ染み込んでゆくのである。
「う、あ、えーと、あの……!」
ミラは顔中体中から汗が迸るのを感じた。先ほどのような冷たい汗ではない。困惑で頭が過熱し焼け付きそうだ。脳はまだ目の前の現実を飲み込むことすらできていない。自分はひょっとすると、とんでもない場面を目撃しているのではなかろうか。
「…………っ、……、……のか……」
「えっ?! 何て?!」
セティアスの口が動いた。だが低過ぎる声に呼吸が重なり、掠れてまったく聞こえない。何かを尋ねられた空気はあったけれど。そうする間も、セティアスは少しも涙をとどめようとさえしない。
「……あー、うー、……んあーっ、もう!」
何とかしてこのただならぬ状況を脱しようと、ミラは大きくドスドスとその場で足踏みをした。
そして数分前には気後れして触れられなかったセティアスの顔を、傷にも構わず無遠慮に、両手のひらでバチンッと挟み込んだ。痛かったかもしれない。すまないとは思うがそれどころではないのだ。
「何泣いてんだ! ちゃんと聞くから言ってみろ!」
濡れた瞳にできるだけ近付こうと、ミラは足を目一杯伸ばして爪先立ちになった。また聞き逃さないよう真っ直ぐに見つめて、……だって何とかしなければと必死だったから。
ふにゃ、とセティアスの眉が下がった。
うわ、これも当然ながら初め見る顔だ。
そのままの情けない眉毛で、セティアスはキュッと唇を噛んだ。まるで子供のようだった。
「…………キっ、キス、したから、……怒ったのか……?」
ひっく、と小さくしゃく上げる息が途中に混じり、その問いはあまりにも幼く聞こえた。
「キス?」
「……な、何回も、した……。……嫌がっていた、ミラ……、……なのに……」
セティアスが目を伏せた。それでも尚流れる涙に、ミラはますます混乱するばかりだった。
確かに、何故キスをしたのかと何度も憤慨したのは事実だ。だがそれは、行為そのものを責めたわけではなく、理由を伝えて欲しかったからだ。
……ということを正直に言ってしまうと、キス自体は嫌ではなかったとバレてしまう。
が、今はキスの話ではない。何故泣いているのかを知りたいのだが、こんな状態ではまともに話が通じそうもない。
セティアスは短く引き攣れる呼吸を挟み、さらに続けた。
「……っ、……分からっ……。最近、上手く……抑え込め、ない……。……の、せいで、ミラを……怒らせ……っ……」
分からない、と言ったのだろうか。何一つ分からないのはどう考えてもこちらのほうなのだが、それでもミラは根気強くセティアスの言葉に耳を傾けた。
「……ミラ、……」
「ん、何だ?」
重く水分を含んだ睫毛が持ち上がり、光を宿した黒い瞳が、再びミラに向けられた。
「……コナー様のことが、……好きなのか……?」
「へっ??」
思わず喉から飛び出た素っ頓狂な声が、我ながら間抜けだった。コナー? 何故突然コナーの名が?
質問に質問で返そうとミラが首を傾げたとき、扉を叩く音とオンサの声が聞こえてきた。
「失礼いたします。お茶のご用意が整いました」
ギクンと全身を大きく跳ね上げて、ミラはセティアスの顔から急いで手を離した。ヤバイヤバイヤバイ、何がヤバイのかも分からないが、セティアスのこの姿は誰にも見せないほうが多分おそらくいい。
ドタバタと意味無くのたうつミラ。だが当のセティアスはスッと背筋を伸ばすと、破れたマントの端で雑に顔を拭い、何事も無かったかのように扉を振り返った。
扉のすぐ前に2人が立っていたため、オンサが一瞬怯んだのが分かった。だがオンサのほうも平静を装い型通りの所作で入室してくる。手足をバタつかせてむやみに動揺しているのは、ミラ1人だ。
「大変お待たせして申し訳ございません」
「…………不要だ。もう引き上げる」
「左様でしたか。失礼いたしました」
オンサへのその言葉のみで、ミラを見ようともせずにセティアスは歩き出した。慌ててミラはマントを掴もうと手を伸ばす。
「ま、待てよ! さっきの話がまだ……!」
「…………」
扉の先を向いたまま、セティアスは低い声で答えた。
「…………、……また来る」
「おい! 待てって!」
だが引き留めようとするミラの声に、もう一度返事は無かった。ミラは力無く手を下ろす。暗い廊下を進むカツカツという靴音が、段々小さくなっていった。
◇ ◇ ◇
翌日、シュレイン家は上を下への大騒ぎになっていた。のどかに迎えた朝、使者からの急ぎの伝達により、午後からセティアスとコナーの2人の訪問があることが判明したのだ。
何故2人同時に? という疑問もさることながら、父グアロなどは、ヴァルディール家とリイナシオン家のどちらを優先してもてなすべきなのかと、頭を悩ませ過ぎてパンク寸前になっている。また、今度こそコナーと優秀な息子たちを引き合わせなければということ、さらにミラ1人に上級貴族2家の子息の相手などできるはずもないということから、5人の兄たちを緊急に呼び戻すことにも必死だった。
「おいメイド共! 応接室の準備はまだか!」
「ハイグアロ様! ただいま進めております!」
「早くしろ! おいオンサ! ミラは着替えさせたのか!」
「ハイグアロ様! 今すぐに!」
「早くしろ! 息子たちは皆揃ったのか!」
「今しばらく!」
「早くしろおおーー!!」
何もせずに屋敷の中央で喚き散らすだけのグアロは大変邪魔であった。呆れつつもミラは、オンサの用意した嵩張るフリルのリボンタイ付きブラウスに嫌々袖を通す。
昨日の今日でまたセティアスがやって来るということは、婚約破棄についてだろうか。また来ると本人も言っていた。こんなに早いとは予想していなかったけれど。あの涙のことだって気になってたまらないままでいる。
しかしそこへコナーも同席するのはどういうわけなのか。昨夜セティアスがコナーの名を出したことを忘れているわけではない。ミラは眉間にシワを寄せて唸るばかりであった。
「セティアス様とコナー様のお着きです!」
従僕の声が響く。セティアスの名を先に呼ばせたのはグアロの采配だ。付き合いが長いとか婚約破棄を避けたいとか色々とウダウダ言っていたようだったが、心底どちらでもいいとうんざりしてしまう。
今回はミラの部屋ではなく、シュレイン家の屋敷でもっとも広く調度品も豪華な応接室へと2人のゲストを案内させた。そこには現当主とその妻である父母、5人の兄たち、メイドや従僕約20名余りが、隊列でも組むかのようにズラリと立ち並んでセティアスとコナーを出迎えていた。後ろの端のほうにひっそりと、ミラとオンサも一応いる。
「ようこそおいでくださいましたお2人様とも! まさかヴァルディール家とリイナシオン家のご子息様が我が屋敷にお揃いになるなどと、他家のやっかみを受けるかもしれませんなあ! いっそパーティでも催すべきでした、準備の時間さえあれば盛大に、いやハハハハ!」
グアロの歓迎の挨拶はまだ長々と続いていたが、キョロキョロと周囲を見渡したコナーは、端に追いやられているミラを見つけると手を振って笑った。セティアスはとっくにこちらを向いてミラをにらみ付けている。
過剰に装飾された華美なティーセットに、コッテリとクリームとジャムの添えられた大きなケーキが、メイドたちの手によって次々と用意されている。柔らか過ぎるソファに腰を下ろしているのは、セティアスとコナー、そして父母と上の兄2人。残りの兄たちとミラは後ろへ立ったままで、まだ尚グアロの長話は終わりそうにもなかった。
話は主に、自身の武勇伝に兄たちの自慢話だ。周りの貴族たちにシュレイン家がいかに評価されたか、どこの誰が何と言って讃えたか、そんなことばかりを繰り返している。そしてことあるごとに、ヴァルディール家とリイナシオン家の家柄を褒めちぎるのだ。ミラはうっかり手も添えずに大あくびをしてしまった。
「アハハハハ!」
話の途中で突然笑い出すコナーに、グアロは面食らって言葉を詰まらせた。コナーは軽く頭を下げながらまだ笑っている。
「ゴメンなさい、ミラの顔が面白くてつい。アハハ!」
振り返った父の怒りの形相は強烈だった。ミラは慌てて目を反らして知らん顔をする。だがその流れでようやく、コナーはグアロのお喋りを制するべくニッコリと笑顔を湛えた。
「ところで今日は、ミラの婚約の件で伺いました」
ガッターン!と飛び上がったのは、グアロだ。セティアスの口から婚約破棄を宣言されてしまわぬよう、グアロは先回り先回りしてとにかく関係の無い話題を提供していた。だがまさか、コナーに横から先制されてしまうとは。
コナーは席を立った。そのまま軽快な足取りでテーブルをグルリと迂回し、ミラのほうへと向かう。父母も兄たちもただコナーを目で追うことしかできない。
ミラの前でコナーは己れの左胸を押さえた。
「ミラ、もう一度言うね。……僕と結婚しませんか?」
「え」
「「「「え!!!!!」」」」
ミラの声に覆い被せるように、シュレイン家の人間たちは一斉に叫んだ。
「コ、ココッ、ココココ、コ……」
これは鶏の鳴き声ではない。痙攣するグアロのダミ声だ。コナー様どういうことでしょうか、と聞いているつもりなのだろう。母も兄たちも目を丸くして口を開いている。
「……コナー様」
時が止まったような空気の中、低い声でコナーを威嚇したのはセティアスだった。ソファに座ったまま、凄まじい殺気を放っている。目だけで魔物をも退けられそうなほどに。
パッと顔を上げたコナーは、セティアスに向けて目を眇めて笑った。一見ふざけているようでもあるが、2人の間にはどこか一触即発な緊張が生まれている。
「……コナー様、どういうことでしょうか」
父の言いたかったセリフを肩代わりしたのは、1番上の兄だ。父はまだ鶏のまま口をパクパクさせるばかり。コナーはミラのすぐ隣に立ち、その肩に手を置いた。
「失礼しました。実は僕、前にもミラにプロポーズして断られているんです。ねえミラ? でももう1回お願いしたら別の答えがもらえたりしないかなー、なんて。アハハハ!」
「「「「はあ??」」」」
またしても一家全員で声が揃ってしまう。ミラ以外のだ。ミラは気まずそうに斜め下に視線を落とした。
するとゆらりと大きな黒い影が、もといセティアスが、体を揺らしながら腰を上げた。その迫力はシュレイン家の誰もが声を出せなくなるほどで、コナーと同じルートでミラへ近付くセティアスを、一同はまたしてもただ目だけで追いかけるばかりだった。
ミラとコナーよりも2回りほど背の高いセティアスが、上から2人を見下ろしている。相当怒っているのは分かる。だがセティアスの目はミラもコナーも見ていない。不思議に思い目線の先を確かめると、セティアスが凝視しているのはミラの肩に乗せられたコナーの手であった。それを知ってか知らずか、コナーはますますミラに体も顔も近付ける。
「すみませんでしたセティアス様。でもやっぱり諦めきれなくて、ミラのこと」
「…………」
セティアスの目はもはや、最強のドラゴンさえ倒してしまいそうなほど凶悪に据わっていた。渦巻くドス黒いオーラすら視認できる気がする。
「……あ、あのー……、リイナシオン家のご子息が、何故うちのミラに……?」
この奇っ怪な状況にあって、どうにか理性的な質問を投げてよこした長兄には、皆が感謝すべきであろう。
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