エプロン姿の黒髪の美少女
その晩、ケイキは夕食を食べることもなく寝てしまった。
次の日、朝食の時間になってもケイキは起きてこなかった。こんなこと初めてだ。ケイキの部屋の扉をノックしても物音ひとつ聞こえない。ひょっとして、ケイキはもとの異世界に帰ってしまったのではないだろうか。ふとそんなことを思ったら、急に恐くてどうしようもなくなった。
ケイキの部屋には『勝手に入ったら殺す』という小さな看板がぶら下げられている。いつも本当に殺されかねないと思って決して入らないのだが、今回ばかりは殺されてもいいからケイキがちゃんといることを確認したい。
「ケイキ、入るよ」
ゆっくりとドアを開けると、ベッドの中にケイキが寝ていた。いてくれたんだ、良かった。夜もずっと泣いていたのか目の周りが赤く腫れてはいるものの、すやすやと寝ているケイキの顔は本当に美しかった。
美しいショートカットの黒髪に、薄ピンク色をした頬に長い睫。少し開いた唇がかわいらしい。いつもは気恥ずかしくてじっくり見ることが出来ないケイキの顔を、近くでゆっくり見られて嬉しい。寝ているときが一番かわいいのではないだろうか。
ケイキが起きた時のために、サンドウィッチをサランラップに包んでちゃぶ台の上に置いておく。学校には今日休むことを伝えておくこと、ゆっくり休むようにと手紙を残しておく。
ひとりで学校に行くと、全校中が僕に腫れ物に触るような雰囲気を感じる。最近は妙にとげとげしい感じだったが、今日の雰囲気の居心地悪さったらありゃしない。昼休みは逃げるように部室に行くと、桜井先輩がいた。すでに盤面の駒は僕の分まで並べられていた。
「昨日は大変だった……ようだな。華宮君はどうしている」
「はい、今日は起きてこなかったので学校は休ませています。昨日のことでさすがのケイキも疲れているんだと思います」
「そうか、それがいい。華宮君は、昨日お前がボコられているというのを聞いて、校舎の三階の窓からグラウンドまで飛び降りて駆けつけたらしいぞ」
「さ、三階から!?」
「そうだ、三階からだ。なかなか出来ることではない。そこまでしてお前のもとに駆けつけたかったということだ。これがどういうことかわかるな、乙浜」
「……」
桜井先輩は、駒を持つ手を高々と上げ、盤上に振り下ろした。
「そろそろ自分から逃げることをやめて、きちんと向き合う時が来たのではないか」
盤上では、僕の王将に必死(どこにも逃げられないこと)が見事にかかっていた。
◇ ◇ ◇
学校が終わるとすぐに家へと向かった。夕食はケイキが好きな料理を作ろうと、食材を買いにスーパーに寄ろうと思ったが、何となくやめて家路へと急いだ。昨日はあんな悲しい顔をさせてしまって、僕に嫌気がさしてケイキが異世界に帰ってしまっていたらどうしよう。
ついこの前まで一人で生活し、一人で夕食を作って食べていた日常だったから、ケイキがいなくなっても元に戻るだけだ。でも、もう戻れない。ケイキがいないなんて嫌だ。ケイキがいない日常なんて考えられない。ケイキがいなかったときにどう過ごしていたかなんて忘れてしまった。ケイキがいなくなったら、もうどうやって生きていけばよいのかわからない。気が付けば僕は走り出していた。ケイキ、お願いだから僕の前からいなくならないで!
遠くから見えた家の門の前に、黒髪の少女がエプロン姿で箒を持って立っていた。ケイキだ。ケイキがいてくれた。嬉しい。嬉しくてさらに早く駆け出した。
「おかえりなさい、むっちゃん。何を急いでるの?」
「はあ、はあ……別に。それより箒なんて持って何してるの?」
「え……今日は学校お休みしちゃったから、少しはむっちゃんの役に立つことでもしようと思って玄関をおそうじしていたの」
かわいすぎる! エプロン姿で箒を持っている姿がかわいすぎる!
掃除していたわりには全然綺麗になっていなかったけど、そんなことはどうでもいい。ケイキが僕のために掃除してくれていたということが重要なのだ。
それから僕らは一緒にスーパーに食材を買い出しに行き、夕食を作って食べた。
でも、いつもはもりもり食べるケイキが、今日はあまり食べない。ケイキが大好きなハンバーグをけっこう焼いたのに、まだひとつの半分も食べていない。急に黙ったケイキは、ちゃぶ台の脇に座り直し、僕に三つ指ついて頭を下げて言った。
「昨日は主様の命令に背いて申し訳ありませんでした。命令違反は本来なら軍法会議。どんな罰でもお受けします。わたしに罰をお与えください」
そうか、騎士であるケイキにとって、命令違反というのはそんなに重たいものなのか。
「命令違反なんかじゃないよ。昨日は守ってくれてありがとう。嬉しかったよ。ケイキが来てくれなかったら、もっと酷い怪我をさせられていたよ。しかも治してくれて本当にありがとう」
「ご……ごめんなさい……わたし、気が動転していて……本当にごめんなさい。二度と主様の命令に背きません」
「主様とかやめてよ。すごく感謝してるよ。僕は君がいてくれるだけで嬉しいよ」
「い……いるだけで?」
想いが溢れて止まらなくなる。
「そうだよ。君が突然この家にやってきて以来、毎日がとっても楽しいよ。世界の色彩が変わった感じがするよ。同じ庭や外の景色でも、君が来てから生き生きと鮮やかになったよ。僕はケイキ、君が好きだよ」
「わ……わたしのこと……すき……」
「ああ、好きだ。大好きだ。君のことが大好きだ。ずっと一緒にいてほしい」
ケイキがびっくりした顔で僕のことを見つめる。
ひょっとして撃沈だったか! あ~もう恥ずかしい、死にたい!
と思った瞬間、ケイキは僕の首に手をまわして抱き着いて来た。泣きじゃくりながら。
◇ ◇ ◇
その晩、お風呂に入った後、お休みを言ってそれぞれの部屋で寝た。と思ったら、僕の部屋の扉が開いて、枕を抱えたパジャマ姿のケイキが立っていた。
「むっちゃん、お願い。今日はくっついていたいの」




