プロローグ
だいぶ前に投稿したものを改変したものです。スマホで書いたので、パソコンの方には不都合があるかもしれないです。まだまだ拙いものではありますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
カーテン越しに差し込む朝の光が、まぶたを突き抜ける。
加藤千春は目を細め、枕に顔を押しつけながらうめいた。
時計の針はすでに9時を指している。両親はとっくに仕事に出かけ、家の中は静まり返っていた。起きなきゃ。そう思うのに、身体はベッドに沈んだまま動こうとしない。
ゴロンと寝返りを打ち、天井を見上げる。今日も天井は変わらない。昨日と同じ。先月と同じ。
千春の生活は、一ヶ月前から完全に昼夜逆転していた。夜遅くまでゲームをして、昼まで寝る。誰とも会わず、誰からも連絡はこない。そんな毎日。
千春は高校一年生。一応、県内では進学校に入学していたが、いまでは完全に不登校だった。
べッドの脇にある姿見に、自分の顔がぼんやり映っている。目を背けたくなるほど疲れ切った顔。パサついた髪、青白い肌、目の下の濃いクマ。どんなにケアしてもすぐにボロボロになる。肌にはそばかすが点在し、顔はどこかむくんでいる。鏡を見るたび、現実を突きつけられるようで息苦しくなる。
中学時代から容姿をからかわれ、陰口を叩かれる日々。それでも誰も行かない高校に入ればまた一からやり直せると思っていた。
だが、それは幻想だった。
入学した中高一貫の進学校では、すでに出来上がったグループに入る隙はなく、千春は最初から存在していなかったかのように扱われた。話しかけられない。視線さえ合わない。まるで教室に透明人間がいるようだった。気づけば、千春は完全に孤立していた。
「……なんで、私だけ……」
声にならない独白が、乾いた空気に消えていく。孤独は次第に卑屈へと変化していった。
――どうせ私は、誰にも必要とされていない。
――どれだけ頑張っても、誰も振り向いてくれない。
千春はその思いに囚われ、ついには教室で吐いてしまった。
教室の中の唖然とした空気。当然だ。授業中にいきなり吐いたんだから。その空気はだんだんと迷惑そうなものに変わっていく。もうここに居たくない。私は「いてもいなくても変わらない存在」から「いるだけで迷惑な存在」になってしまったのだ。
そう思ったらもう学校に行くのが怖くて怖くてたまらなくなってしまった。
私は不登校になった。
だからと言って気にかけてくれる人なんて両親以外にいない。
それでも、何度も登校しようと思った。明日こそは、と思った。けれど、玄関のドアを開けるたび、足がすくんだ。教室で一人きりになる光景が、ありありと浮かんでしまう。
それに、今はもう5月の中旬。ゴールデンウィークも終わった。クラスのグループは完全に固まっている。もう戻る場所なんて、どこにもない。
「……あーあ、人生って、つまんないな」
ぼそりとつぶやいた声は、自分でも驚くほど乾いていた。
* * *
気がつけば、もう昼を過ぎていた。昼食を取る気にもなれなくて、ベッドの脇にあるノートパソコンに手を伸ばす。これが、千春の命綱だった。
電源を入れると、すぐに画面には今プレイしているやりかけの乙女ゲームが表示された。
架空の王国で、平凡なヒロインが5人の王子と出会い、数々の困難を乗り越えて愛を手に入れる――そんな王道のシンデレラストーリーだ。
けれど、千春にとってはただのゲームじゃない。
この世界の中では、自分は可愛くて、誰からも必要とされていて、愛されている。現実では決してなれない『理想の自分』がそこにはいた。
現実は不公平だ。生まれつき可愛い子、スタイルがいい子、勉強も運動もできる子。そんな子たちが、何もしなくても周囲から好かれる。自分は、そうじゃない。
せめてゲームの中だけでも、自分が誰かの『特別』でいたかった。気づけば、一ヶ月で10本以上の乙女ゲームをプレイしていた。
どのゲームでも、ヒロインは皆、千春がなりたかった自分だ。
「なれるはず、ないんだけどな」
自嘲して、乙女ゲームの画面を閉じると、そこには、起動中のウィンドウが残っていた。
――『私を取り巻く世界』
それは、千春が作った自作の乙女ゲームだった。舞台は、架空の名門学園「ロゼリア学院」。
主人公は、才能を見出され、地方から入学してきた明るく、天真爛漫な少女。
だが、学院で出会う7人の攻略対象たちは、誰もが心に傷や秘密を抱えていて、彼女との出会いを通して少しずつ変わっていく――。
現実では誰にも必要とされなかった自分が、この世界では「誰かの救い」になれる。
このゲームを作り始めたのは、ただの気まぐれだった。
どうしても気に食わないシナリオがあって、自分ならこうするのにってイライラして。
その日にたまたまお母さんにゲームなんてくだらない物だと貶されてむかついて。
プレイするだけじゃ満たされなくって。
「自分の居場所を、自分で作るしかない」と思って。
だったら作ってやろうじゃないかと思って自分のや好みを詰め込んで、シナリオを書いてみた。
結局疲れて飽きて放っておいたけど、ここまで作ったのだ。
「……このままじゃ、ダメだよね」
その呟きが、本気の始まりだった。
* * *
いつしか、夢中になっていた。
シナリオ、キャラクター、背景設定、セリフ回し……すべて自分で考えた。プロのゲームを研究して、ストーリー構成を分析し、何度もやり直しては書き直した。
投稿型のゲーム企画サイトに、試しに一部のシナリオを載せてみた。
最初は見向きもされなかった。でも、毎日少しずつ更新していくうちに、少しずつ『いいね』が増えていった。
「こんな設定、胸が苦しくなるけど大好き」
「ヒロインのセリフに泣いた」
「このゲーム、やってみたい!」
見ず知らずの人たちが、自分の世界を求めてくれている。それが、どれほど嬉しかったか。
そして、ある日。
――『ゲーム化を検討させていただきたい。ぜひ一度、お話をお聞かせください』。
受信ボックスに届いたその一文を、千春は10回以上読み返した。夢みたいだった。現実じゃないかと頬をつねった。
でも、ちゃんと痛かった。
それは、千春の人生が『動いた』最初の瞬間だった。それからの数ヶ月は、めまぐるしかった。
ゲーム会社との打ち合わせ。ヒロインや攻略対象のデザイン調整。プロの声優によるボイス収録。バグチェックやUIの最終確認――。
忙しかったけど、楽しかった。
誰かと協力して、一つの世界を作るという体験は、千春にとって初めての「本当の居場所」だった。
学校には行けなかった。でも、ここには自分がいた。 「加藤千春」として、ちゃんと必要とされていた。
そして、迎えた今日。
ついに――『私を取り巻く世界』が完成した。USBに焼かれた完成データを受け取り、開発会社を出た帰り道。
夕暮れ前の空は眩しくて、風が心地よかった。
駅へ向かう途中、千春はふと、歩道橋に立ち寄った。
少しだけ、寄り道がしたかった。帰りたくなかった。
高い場所から街を見下ろすと、夕日に染まった景色が広がっていた。
まるで、あのゲームのエンディングのように。
「……やっと、ここまで来たんだなあ」
ポツリと呟いたその声に、自分の震えが混じっていることに気づいた。思わず、涙がこぼれる。
誰にも相手にされなかった自分が、自分の力で物語を作り、それが形になった。
報われない日々も、ひとりぼっちの時間も、全部がこの瞬間につながっていた。 ポケットの中には、完成版データの入ったUSBメモリ。
これが、自分のすべてだ。
まだプレイヤーはこの物語を知らない。
だけど、この世界が誰かの心に届いたなら。
誰かが、孤独の中で「このゲームに救われた」と思ってくれたなら。
それだけで、もう充分だった。
「……私、やっと……」
やっと、『私』として、生きられる気がした人生が報われたような気がした。
そう思った、その瞬間だった。
――ドンッ
歩道橋の真ん中で立ち止まっていたのが悪かったのか、人とぶつかった。
その拍子に、手から『自分のすべて』――USBメモリがこぼれ落ちた。
「あっ……!」
反射的に手を伸ばす。
ぐらり、と体が傾く。
千春の身体が、ふわりと宙に放り出された。
世界がぐるりと回る。
重力に引きずられ、視界が傾いていく。
心臓が凍りつくような恐怖が、全身を包み込む。
「あ……」
声にならない声を漏らしながら、千春は歩道橋から転落した。
――ドンッッ!!
アスファルトが身体を受け止める。ようやく夢を手にしかけた、この体が。
視界が、真っ白に染まっていく。
――まるで、すべてをリセットするように。
鳴り響くクラクションの中で、千春は意識を手放した。
最後まで読んでいただきありがとうございました。次は転生したところです。また遅めの投稿になってしまうかも知れないですが、できるだけ速く投稿しようと思っています。次も読んでいただけたら幸いです。