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情報の過剰摂取

作者: 雉白書屋

 最近、田村はどうも体調が優れなかった。頭の芯に靄がかかったような鈍い感覚が続き、かと思えば時折、突然針で刺されたような鋭い頭痛が走る。肩こりは慢性的にひどく、目は霞み、物が二重に見えることすらあった。

 最初は、寝不足やストレスのせいだろうと軽く考えていた。ネットで症状を調べてサプリメントを買い漁ったり、一人でできる頭のマッサージや青汁など、あれこれ試してみた。

 けれど、どれも効き目はなく、やむを得ず田村は病院へ足を運んだ。


「これは……情報の過剰摂取ですね」


「……え、何ですか、それ?」


 診察室で医者が口にした言葉に、田村は目を瞬かせた。

 医者は眉間にしわを寄せ、机の上のタブレット端末を指さした。


「田村さん、あなたは一日にどれだけの情報を目にしているか、自覚がありますか? スマートフォンでニュース、SNS、動画。それに仕事の資料やメール……そうした情報が容赦なく脳に流れ込み、負荷をかけているんです」


「そんな、まさか……ん? でもそれって、現代人なら誰だって同じじゃないですか? なんでおれだけ……」


「病気というのは、そういうものです。他の人が同じことをして平気でも、あなたの体は違ったんです」


 医者は渋い表情で頷き、タブレットを操作した。


「こちら、MRI画像をご覧ください。あっ、あまり見ないで! 脳が!」


「どっちなんですか……」


「サッと見るだけにしてください。情報を控えないと……。それで、これが平均的な若い人の脳。そしてこれが、お年寄りの脳です。ご覧のとおり、年齢を重ねると脳は萎縮し、黒い隙間ができます。わかりますね? ここです。ところが、あなたの脳は――」


 医者がスライドして画像を切り替えると、そこにはパンパンに膨張した脳が映し出された。皮質のひだは密に詰まり、隙間が一切ない。


「このとおり、みっちり詰まっていて、頭蓋骨を内側から圧迫しています。これでは痛みが出て当然です――あっ、見過ぎないでください!」


「いや、声が大きいですよ……それで、治すにはどうすれば?」


「情報を減らすしかありません。このままでは、脳が耐えきれずに壊れてしまいますよ」


「はあ……」


 田村は半信半疑――少なくとも、別の病院にも行くべきだと考えていた――だったが、自宅に戻ってあらためてネットで調べてみると、似たような症状を訴える人が増えていることがわかった。そして、調べている最中にもズキンと鋭い痛みが頭を突き抜けた。

 どうやら医者の言っていたことはあながち間違いでもないらしい。これは本当にまずいのかもしれない……。田村はそう感じ、意識的に情報を制限する生活を試みることにした。

 それまでは、朝起きるや否やスマホを確認し、朝食中もニュースやSNSを流し見するのが日課だったが、その習慣をやめ、触れる頻度をぐっと減らした。代わりに、窓を開けて空を眺めたり、風の音に耳を傾けたりする時間を意識的に作った。

 ニュースの確認も一日数回に留め、SNSも通知をオフにした。

 最初のうちは、それなりに快適だった。これが“健康的な生活”というものかと、ちょっとした清々しさまで感じた。

 だが、すぐに手持無沙汰になり、気づけばまたスマホに手が伸びていた。

 それに、業務中にパソコンを使わないわけにはいかなかった。メールの確認や会議資料の作成、チャットアプリでのやり取り。どれも仕事の一部で、避けては通れない。休日にデジタルデトックスを試みるも、この社会において、完全にデバイスから離れるのは不可能だった。

 そうして、症状は日を追うごとに悪化していった。頭の内側がじわじわ押し広げられていくような圧迫感。その何かが膨らみ続けている異様な感覚に田村は苛まれた。

 そしてある日。ついに限界が訪れた。

 会社で、いつものようにパソコンの前に座っていたとき、突然、頭の中でバリバリバリと何かが裂けるような音が響いた。今のはなんだ、と疑問を抱く間もなく、これまで経験したことのない、すさまじい激痛が田村を襲った。

 田村は「うっ」と短く声を漏らし、両手で頭を押さえた。そして――。 


「情報が……見える」


 田村の目の前には、かつて見たことのない光景が広がっていた。

 空中に、魚のようなものが無数に泳いでいる。それは、この世界に満ちた情報だった。田村の目には、今やそれが可視化されていたのだ。

 SNSの通知は光る小さなクラゲのように漂い、ニュースサイトの見出しはトビウオのように空を跳ねる。小さなコメントは寄り集まり、一つの群れとなり、巨大な魚の姿を模してうねりながらそれを追っていた。


『大雨警戒――』

『オンラインカジノ依存が深刻化――』

『買収阻止――』

『システム障害――』

『追放された俺が――』

『途中棄権し涙――』


 それら情報の魚群は、会社のパソコン、同僚のスマホ、窓の向こうのビルのスクリーン、電光掲示板など、あらゆる媒体から絶え間なく噴き出していた。

 田村の周囲を取り巻く情報の渦は、どんどん密度を増し、互いに衝突し、振動し、狂ったように膨張と圧縮を繰り返した。それらが発する耳をつんざくノイズが、田村の脳を容赦なく叩きつけた。


「やめろ! もうやめてくれ!」


 田村は叫んだ。しかし、情報は濁流の如く田村に襲いかかった。田村は呼吸さえ許されず、よろめき、床へと崩れ落ちた。


 ――もう、いい……もう、終わりでいい……。


 息苦しさに胸をひくつかせながら、田村は静かに目を閉じた。頭を貫く激痛の彼方で、諦めに似た安堵が静かに芽吹いていた。


 ――カサッ。


 ふいに、田村の指先が何かに触れた。乾いた紙の感触。それは、一枚の白紙――何も印刷されていない、真っ白なコピー用紙だった。

 ただの白紙。しかし今の田村にとって、その“何もない”ということが、たまらなく優しく、心地よく感じられた。脳を締めつけていた有刺鉄線が、ふっと緩んだ気がした。

 田村は壊れ物を扱うかのように、両手でそっと白紙を持ち上げた。

 そのときだった。空中を漂っていた、メダカのような小さな情報の一片が、吸い寄せられるように白紙へと飛び込んだ。 

 田村は目を見開いた。そして、衝動に突き動かされ、白紙を頭上に高く掲げて叫んだ。


「来い! ここに全部書き込めええええええ!」


 その瞬間、田村の周囲に渦巻いていた情報の群れが一斉に、白紙へと飛び込んだ!


 ズゴオオオオオオオオオオ! バシュウン! シュビビビビシュビシュビ! ズオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ! ブロロロロロロロラララララララララララアアアアアアア!


 田村の脳内で! すさまじい轟音が炸裂する! 目の前では雷の如き激しい光が迸る!


 ズガガガガアアアアアアアアアン! ドロドオオオオオオオオオオオオティウンティウンティウンピコンバババババババババババババババラインヌガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアペイペイキュウウウウウウウウウドロロロロッロロロロブアアシャアア!


「うおおおおおおおおおお! おさまれええええええ!」


 田村も負けじと絶叫した! 紙を握る手に力を込める! 指は震え、腕は軋む。だが離さない! 離すものか! 絶対に!


 ドゴシュウウウウウウウウウウブウブブブブブビビビピーーーピーーーーーズアアアアッシャアアアアアンンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキン! キンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキン! ピュルルルルルルルルルブアッパポオオバアアアアアア!


 紙は瞬く間に情報で埋め尽くされた! 田村は! すぐさまもう一枚の白紙を掲げた! 両手に! 


「おらおらおらおらおらおらあああああ!」


 ズアアアアアアアアアアアア! ブシュウウウウウウウウウウウ! ズインズインズインゴピュウウウウルルルルルルルルル! ババババババババン! ババババババババババババババン! ズアッガシャアアアアアアアン! キュインキュインキュインキュインペチペチペチペチ!


 白紙が! ひたすら! 情報を吸収していく! 


「いいぞ、田村くん!」

「頑張って! 田村さん!」

「田村さん……素敵……!」


 周囲のみんなも応援してくれてる! みんなもまた、情報の渦に呑まれて苦しんでいたのだ!!!


「くそっ! 田村の野郎ができるなら俺だって……ぐわ!? む、無理だあ!」

「余計なことをするな! 貴様は追放だ!」


 ズキュイイイイイイイイイイン! ドムドムドムドム!


「みんな下がってろ! ……死ぬぞ?」


 ブブブブボオオオオオオオオオオ! ズワンワンズワンジュシュウウウウバアアアアアアア!


「田村さん! 頼む!」

「田村、いっけええええええええ!」

「田村さん……いや、田村様……」

「ううん、ご主人様……!」


 ズボボボボボボボ! グイイイイイイドドドドドドドドドドドドドドドドドドキュアアアアアアアグシャアアアアアアアアズインズインズインキュロロロロロロロロロ!


「これで、おわりだあああああ!」


 田村が叫んだ! 両手で最後の一枚の白紙を高く掲げる! 世界は震え、そして――白紙はすべての情報を吸い込んだ……!





「……ということが、この前あったんですよ。おかげで今は、なんだか頭が軽いです」


 診察室。田村は晴れやかな顔で、医者に一部始終を語った。

 話を聞き終えた医者は、しばし黙り込んだあと、哀れむような、それでいてどこか蔑むような目をして、静かに言った。


「田村さん……あなたの脳はスカスカですね」

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