僕が生きた夏を、君と生きた夏に
七月六日。
天気は晴れ。なのに、心はなんとなく曇り空。
「はぁ……インターン、めんどくせ……」
俺の名前は悠真。
大学三年、平凡な文系男子。世の中は就活モード突入中だけど、俺はといえば、なーんにも決まってない。
夢? 目標? そんなの、小学生のときに野球選手って言ってた頃から更新してないわ。
そんな感じでダラけた気持ちのまま、大学の帰り道。駅前の人混みにうんざりして、脇道へそれた。
で、ふらふら歩いてたら……見つけたんだよな。あの古本屋を。
正直、最初は完全にノリだった。
「なんか古っる〜い感じで雰囲気あるな」とか思いながら、ドア開けたら、風鈴がチリーンって鳴ってさ。ちょっとビビったのは秘密だ。
中は思ってたより広くて、静かだった。
棚の奥の方でしゃがんで本を探してたとき、偶然、足元に落ちてた一冊のノートを見つけたんだ。
見た目は、なんてことない普通の革ノート。だけど、表紙にボールペンで「7/6」ってだけ書いてあって、逆に気になった。
……で、まあ、気になったら開いちゃうじゃん?
最初のページに、こう書いてあった。
「七月六日。君の横顔が、夏を連れてきた。」
……え、何これ、ポエム? いやいや、でもなんか……良くない?
じんわり、胸に染みてきた。
で、ページをめくる手が止まらなくなった。
「七月八日。君は青いシャツを着ていた。あれは空の色だったのかもしれない。」
「七月十三日。君の声が風になった。私はそれを掴めなかった。」
……って、何このセンス。好きなんだが。
まるで誰かに宛てた恋文。
でも、日付ごとに書かれてるから、日記っぽくもある。
そんな感じの言葉たちが、びっしりと一ヶ月分くらい綴られてた。
「……このノート、持ち主誰なんだろ」
気になって、レジの店主に聞いたら、
「ああ、それね。忘れ物さ。だいぶ前のもんだけど、誰も取りに来なくてね。気に入ったなら持ってってもいいよ」
というわけで、俺の手元にやってきたこのノート。
そこから、俺の夏は変わり始めた。
* * *
それからというもの、毎日ノートを読んだ。
もう完全に取り憑かれてた。
恋文を書いた誰か――仮に「彼女」と呼ぼう。
その彼女の想いが、言葉のひとつひとつからにじみ出てて、まじでヤバかった。
だってさ、こっちは顔も名前も知らないのに、なんか惹かれていくんだよ。
会ったこともないのに、感情が共鳴してくるってどういうこと?
で、ある日、そのノートの中に、こんな一文があった。
「七月十五日、カフェ『Sora』で君を待った。
来なかったけど、君を想う時間は、生きているって感じがした。」
カフェ『Sora』。ググってみたら、うちの大学の近く、国立駅の北口にあるって出てきた。
「……行くしかないっしょ」
そのときの俺の動機は、正直ほとんど好奇心だった。
でも、あの言葉に惹かれた気持ちは、本物だった。
カフェ『Sora』は、めっちゃオシャレな古民家風。
雰囲気最高、BGMはジャズ、木の香りまでしてテンション上がった。
で、勇気出して店員さんに声かけたんだよね。
「あの、このノート……見覚えありますか?」
「……それ、もしかして結菜ちゃんの……?」
出た、手がかり。
その店員さん――ミサキさんっていうんだけど、彼女の話によると、「結菜」って子が数週間前までよく来てたらしい。
よく詩を書いたり、日記を綴ったりしてたって。
「でも、急に来なくなっちゃって……気になってたの」
そんなわけで、ミサキさんの案内で、次の日、俺は病院の屋上へ向かうことになった。
* * *
屋上には、車椅子の少女がいた。
風に揺れる髪、儚げな横顔、静かな笑み。
そして、彼女の手には、あのノートと同じ表紙の別のノートがあった。
「……あなたが、ノートを読んでくれた人?」
その声は、すごく優しかった。
それでいて、どこか遠くを見ているような響きがあった。
彼女が**結菜**だった。
淡々と語られる話に、思わず聞き入った。
去年の夏、駅前でたまたま目にした青年。たった数回しか見かけてない。でも、その一瞬で恋に落ちた。
会話はほとんどしていない。それでも、恋は始まってしまった。
「だからね、私は言葉でしか彼に近づけなかった。……けど、それでよかったの」
彼女は、心臓の難病を患っていて、長くは生きられないことを話してくれた。
それでも、あの夏の一瞬を永遠にしようと、ノートに想いを綴ったという。
……正直、泣きそうだった。
* * *
その後、何度も病院へ通った。
結菜と一緒に屋上で本を読んだり、ノートの続きを書いたり、くだらないことで笑ったり。
彼女は、穏やかで聡明で、まるで光みたいな存在だった。
だけど、それと同時に、いつかこの時間が終わってしまうことも分かっていた。
八月の終わり。
結菜はノートを俺に差し出した。
「このノートは、あなたに託したいの」
「でも、それって……結菜の想いじゃないの?」
「ううん。もう私のじゃないの。私の想いを、次に繋いでくれる人のもの」
ページの最後には、こう書かれていた。
「ありがとう。君に出会えて、私はもう一度、恋を信じられた。」
それが、彼女の最後の言葉だった。
* * *
九月。
ミサキさんから届いた一通のLINE。
「結菜ちゃん、静かに眠りました」
俺はただ、空を見上げて立ち尽くした。
風が吹いて、空が青くて。
まるで、あの日と同じだった。
それから一年後。
俺は、作家になった。
デビュー作のタイトルは――『君がいない夏を、君と生きた夏に』
君がいない夏を、
君と確かに、生きたから。