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31-1 使者、死徒

────ケーのターン。


 心臓を引き裂かれるような痛みがケーを襲う。

 ムカエルに抱きしめられるだけ。鯖折りするほどの力加減というわけでもない。愛おしむように柔らかく抱きしめている。ただそれだけで心が悲鳴をあげ、涙と鼻水が吹き出して止まない。


 あまりの苦痛に耐えかね、ケーは自分の中で何が起きているのか知ろうとした。とはいえ精神的なものなら状態を知るのは困難である。こういう場合に便利なのが表情というもの。楽しい気分なら明るい顔、悲しい気分なら暗い顔、痛いときは苦しい顔というように表情が精神を写し出す。


 ところがケーの場合は顔の大半が外骨格に覆われており、口もとからしか表情がわからない。


 手代ロミと付き合っていた頃の話。表情が少ない顔を嫌ったケーは、少しでも自身の表情をロミに伝えたいと思った。そのために自らの全身に改造を施した。


 最初は顔を弄ってみたものの、なぜか上手くいかない。発光器の配置は変えられず、複眼を消すことはできず、硬い外骨格には表情筋をつくれない。上手くいったかと思えば、深海魚のような奇形になる。

 試行錯誤したあげく顔の改造は諦め、加工しやすい体内の臓器に表情を付けた。脳みそに浮かぶ猫の顔もその時の改造によるものだ。精神状態が知りたいときは内臓を見ればわかる。


 ケーは号泣の息継ぎにできた一瞬の気の緩みを利用し、自身の胸に片手を突っ込む。臓物を引き抜くと心臓が露わになった。


 手の上で心臓がえんえんと泣いている。心臓に浮かぶのは赤ん坊のような顔。その目と鼻から透明な汁が吹き出していた。

 赤ん坊の表情は顰(しか)めっ面で目に力が入っている。これは痛いときの泣き顔だ。心が痛んでいる。


「うぐぐっ……なんやこの赤ちゃんは! なんで赤ちゃんなんや! 俺になにをした!」


 ムカエルは優しくケーの手に触れ、心臓を元あった場所に戻した。


「『しわよせ』というのはじゃな。完全なる負のエネルギーでできておる。負の感情などという心の揺らぎのことではなく。もっと即物的なものじゃ。

 人やワシらを正のエネルギーで形作られた正の存在としたなら、『しわよせ』は真逆に位置する負の存在。世界の欠陥そのものじゃ。放置しておくと正の存在を吸収し、負の存在へと反転させて指数関数的に成長し続ける。あらゆる生命が飲み込まれ、大地が飲み込まれ、星々が飲み込まれ、最後には宇宙ごと飲み込まれるのじゃ。

 そんな負の存在『しわよせ』は正の感情に弱い。宇宙規模の話をしておきながら、いきなりスケールが小さくなって驚くかもしれん。しかし本当の話じゃ。そよ風も起こせないほど小さな正の感情が『しわよせ』を倒す切り札となる」


 根拠がなく突拍子もない話だ。だが今の話が真実であることをケーは痛みで理解した。痛みのもとにあるのは母親が赤ん坊をあやすような温かい愛情だと、心臓が教えてくれた。


 それもただの愛情ではない。記憶にある中で一番強い愛情だと感じて苦しんでいる。


 育ててくれた家族、教えをくれた教師、競い合った友人、片想いしたモンスター、命の恩人たち、婚約者、顔も知らないネット民、応援してくれる国民、主人、弟子たち、最近仲良くなったエルフの王女まで含めても……ダントツで一番の愛情だった。


 正の感情が弱点ならば、ケー自身の真心で『しわよせ』が滅んでいないのは矛盾している。ケーは『しわよせ』を滅ぼし、吸収してしまうほど純粋な真心を持っているからだ。


 ゼロサムゲームな世の中で勝負を破棄し、敗者でいることを選んだり。貧困層の所得底上げのために惜しげなく財産を使ったり。全ては救えずとも弱者のために働いた。ケーはずっと自分の身のまわりの幸福よりも他者の幸福を優先してきた。そうすることで、いつか自分に幸福が巡ってくると信じて。


 そんな自己犠牲の塊のような精神を持っていたからこそ『しわよせ』を食べても無事だったのだが、ケーの中の『しわよせ』が正の感情に強い理由とは無関係な話だ。


 『しわよせ』部分がケー自身の正の感情で滅ぼされていない理由。

 それはケーの真心が『しわよせ』を守るバリアになっていたとしたら辻褄が合う。


 つまり、ケーが弱者を思う以上の真心をぶつけて、バリアを破れば『しわよせ』にダメージが通る。そのような道理ならば『しわよせ』が今まで無事だった理由と矛盾しない。


 不滅のケーを倒す方法。それは愛情を込めて純粋な真心で接すること。

 ところが『しわよせ』を吸収してから、今まで一度もバリアが破られていない。それはつまり、強い愛情を誰からも受けられなかったことと同じ意味になる。



 ムカエルはバリアを破り、ダメージを与えた。これはムカエルが本当にケーを愛している証明だ。そのことをわからされて苦しんでいる。



 過去の記憶を辿っても、ケーはこれほど温かい愛情を受けていない。『しわよせ』としての弱点とは別に、人間部分まで同時に痛めつけられていた。


「ぐおおっ! せ、正の感情やと? 俺を殺すつもりやろうがっ……」


「無論、こちら側に来たら他の神々から命を狙われるじゃろう。じゃが、そんな真似はワシがさせん。二つ世界を敵に回しても、ずっとウヌのそばに寄り添うからの」


「うぐおおおおおおおおおお!」


 優しい言葉をかけられるたびに苦痛は増した。強く抱きしめられるほど反抗心が弱くなる。愛情が濃くなるほどケーの意識が薄れていく。


 ムカエルの温かい愛が心のバリアを溶かして抵抗力を低下させた。

 だがまだ滅ぶには至らない。それだけ強力な『しわよせ』に成長していたのだろう。



 どれほど大きくなろうとも『しわよせ』は愛する者を慈しむ。ケーの中でムカエルが最愛の相手と位置づけられたのは事実。故郷の仇で憎悪がありながらも、愛をくれる者を慈しみたいという狂気的な二律背反が生まれている。


「くそっ! わけがわからん! なんやこの気持ち悪さ!

 俺はコイツを傷つけたくねぇのか!」


 触手のゼンマイを巻き直し、いつでも発射可能な状態まで持ち直した。にもかかわらず発射されない。発射できない。発射したいと思わない。


 慈しみの心がムカエルを守っている。状況を変えるにはムカエルの裏切りを待つ以外に方法が無くなっていた。



 ムカエルのターン。正の感情を浴びせることで順調に『しわよせ』の力を削いでいる。ムカエルの経験上、こうなった『しわよせ』はムカエルを攻撃しなくなるため身の安全は確保できている。


 問題があるとすれば外部からの妨害だ。『しわよせ』の気がムカエルに向くうちは戦闘不能状態が継続される。

 しかし、何者かが『しわよせ』に敵意を向けたときに拘束を脱する可能性がある。


(何も起こるな。あとは邪魔さえなければ滅ぼせる。久しぶりじゃのう。ワシが天に祈るのは……)


 次の瞬間、何者かが集団で飛来してくるのが感知された。


「助太刀いたします! ムカエル様!」


 飛んできたのはムカエルが侍らせていた天使たち。ケー攻略のための切り札だった。


(しまった!)

「来るな! あっちいけ!」


 天に祈ったばかりに不運を引き込んでしまった。

 遠くでムカエルを見守っていた天使たちがこぞってやってきた。戦闘の膠着(こうちゃく)状態をチャンスと捉えたのだろう。到着した天使たちはケーへ敵意を向けている。


 ムカエルの命令が届く前に、先頭にいた天使の頭部が無くなった。一切の容赦がない無慈悲な暴力は、ムカエルの反応を遥かに上回る速度で行われた。


 手元に意識を戻したムカエルだが、そこにケーの姿はない。頭を無くした天使の後ろにケーがいた。バリバリと音を立てながら採れたての頭を食べている。



 その瞬間、苛立ちと恐怖を表情に出すムカエル。



 一瞬だけムカエルにできた心の隙間。隙の出現をわざわざ煽ったケーが見逃すはずもなく、音に次ぐ速さで触手が放たれた。


 まっすぐと放たれた触手がムカエルの眼前で曲がり、顔の横をすり抜けていった。


 ムカエルの額に冷や汗が滲む。ケーが第二の触手を構えたまま止まっていた。


 音よりも速く思考し、頭が貫かれる寸前にムカエルは心を切り替えていた。切り替えが少しでも遅れていれば、ムカエルの頭は今頃地面に転がっていただろう。限界を超えた切り替えの速さにムカエル自身が驚いている。


 既にケーの移動・攻撃速度はムカエルの目では追えない速度まで上達していた。

 運動能力ではケーと互角以上の速度を出せるムカエルだが、全神経の伝達速度は最大でも運動能力未満。不穏な動作を察知してから、肉体が動き出すまでにわずかな遅延がある。そのわずかな空白に触手が入り込んでくる。


 ケーの攻撃を未然に躱すには狙いを読むか、直感で事前に動くか、又はその両方が求められる。


 力量が上の相手に直接対決を挑むのは分の悪い賭けだ。そんな賭けに出るほどムカエルは愚かではなく、正の感情の維持に神経を注いでいる。


(初対面した時とは別物じゃ。凄まじい成長速度……感動さえ覚える)


「天使たちよ! この者の相手はワシがする! 決して敵意を向けてはならん!」


 再び拘束するために詰め寄るムカエル。しかし同じ速さでケーが遠のく。


 だんだんと互いの速度が上がっていく。二人は追いかけっこをするように大通りを駆け回り、ついには天守まで戻ってきた。いや、ケーが天守に誘い込んだと言ったところか。


「色々考えたけどよ。やっぱ俺におめぇは倒せねぇわ」

「潔いのう。ワシと幸せに暮らす決心はついたか?」


「ダメージダメージ。話すだけでこんなに痛ぇのに一緒にいられるわけねぇよな。まあ、そんなことは置いといて。準備できたぜ」


 地響きが鳴り、天守の床に亀裂が入った。ひびの出どころは床に刺さった尻尾だ。


 ミシミシと音を立て、割れた床の穴から尻尾が引き抜かれる。

 床から出てきたのは大きな球体だった。天守地下に保管されたダンジョンコアだ。およそ人力では持ち上がらない重さのダンジョンコアを尻尾一本の力で持ち上げ、さらには各階層の天井を壊しながら保管庫から運んできたらしい。


 ケーは急いでダンジョンコアを操作し始めた。ムカエルは作業の邪魔しないようにゆっくりと近づく。ケーが何か大事なことをしている最中ならば、追いかけっこの時と同じスピードで迫るのは危険だ。作業を阻止しようと少しでも敵意を見せればケーは反応するだろう。


 内心ではケーの不気味な仕草を止めたいムカエルだが、無理やりコアから引き剥がそうとすれば不審に思われる。ムカエルは危険な賭けをしないタイプだ。


(慎重に近づくだけでいい。奴はワシを攻撃できない)


 ムカエルがたどり着く前にダンジョンコアの操作が終わった。ケーは手を止めて不敵な笑みを浮かべている。


「博多ダンジョンのラスボスを俺に再設定した。俺を倒さない限り城から出られないぜ」


「なるほどのう。ワシを城に縛りつけるか。確かにダンジョンのルールにはワシらも縛られる。逃走不可の条件下で、ボスを倒さずに抜け出す方法は少ない。

 だからといってウヌを倒そうとは思わんよ。出られなくなるのはウヌも同じ。死が二人を分つまで、ここに住めばよいだけのことじゃ」


 ルール上、天守から出るにはケーを倒すしかない。けれども敵意剥き出しで戦えば敗れるのはムカエルの方だ。

 そんな危険を冒す必要はない。ムカエルはただケーのそばにいるだけで勝てるのだ。


 むしろケーが自分から追い込まれているように思える。ボスとなれば移動が制限され、ボスバトルエリアから原則出られない状態になる。例えば、エリア内に侵入者がいる場合などにボスはエリア内から出られなくなる。ムカエルは侵入者だ。


「抜け出す方法が少ない……か。ほんじゃあ極複製神の宮殿だ!」


 突如、天守が全壊して一瞬のうちに魔法金属製の宮殿と入れ替わった。


 その宮殿はまるで思い出のダンジョンで見つけた黄金宮殿。それとそっくりな造形をしている。あの宮殿と違って、天井には巨大ホタルの代わりに永続的に点灯する照明アイテムが設置されていた。

 宮殿にはトロールが通れるほど大きな出入り口がいくつもあり、魔王城天守よりも風の通り道が多くなっている。一見どこからでも出られそうに見えるが、宮殿がボスバトルエリアと認識されれば逃走不可のバリアが機能して出られなくなる。


 バリアを抜け出す方法は脱出の条件を満たすか、ボスバトルエリアそのものを破壊するか。


 その他にもボスバトルエリアを脱出する荒技はある。しかし、その荒技を使うには事前にボスバトルエリア外で準備しておかなければならない。既にボスバトルエリア内にいる二人に逃げるという選択肢はなくなった。


「これでラストダンジョンは破壊できないぜ」

「もとより出るつもりはないぞ」


 ケーは本殿の台座にダンジョンコアを置いて床に座り込んだ。


「セレクトマジック

〖猫の爪〗×〖電撃〗=【電猫牢】」


 歩いて近づくムカエルを遮るように触手の檻がケーを囲む。


「ウヌを幸せにできるのはワシだけじゃと何故わからん。どうしてそうまでして拒むのじゃ。人への未練なぞ捨ててしまえば楽になれるというのに」


「おめぇの思い通りになるつもりはねぇってわけよ。俺はおめぇを痛い目にあわせたい。ただそれだけよ」


 お互いに距離が開いており、どちらも手が出せない膠着した状態にある。


 【電猫牢】の範囲は広く、檻の外から手を伸ばしてもムカエルの手は届かない。檻を触ってみたところ、魔法金属製の格子から流れる電撃に傷つけられた。どうやら【電猫牢】の電撃は魔法金属と同じ性質を持つらしい。


 安心したのかケーは坐禅を組み、ひたすら沈黙した。

 それと真逆に【電猫牢】のまわりをうろちょろしてムカエルは優しい言葉を投げかけ続ける。


 いくら言葉を投げかけてもケーからの返答はなく、ついに諦めてスマートフォンを弄り出した。

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