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3-3 ニート、やっぱり休まない

【戦闘開始】


 先にゲジが構えた。長い身体を起こして頭部を高く保つ。鞭のように長い脚を広げて狙いを定めた。


 対するニートのターン。反応せず。両手で備中鍬を持ち、胸の前で構えて棒立ちの姿勢を保つ。


 ゲジの速攻。構えたら即、抱きつき攻撃。それが黄金パターンの基本戦術。長い全身を鞭のようにしならせて、目標に向かって振り下ろしていく。


 対するニートのターン。反応せず。というかゲジの動きが速すぎて反応できない。ゲジの捕食方法を知っている彼はこうなることが最初からわかっていた。わかっていて冒険する覚悟だ。長い脚による抱きつきを無抵抗で受け入れた。


 ゲジの勝利パターンに入った。長い脚で捕らえた獲物は逃げられない。あとは顎肢(がくし)から毒を注入して終わりだ。


 対するニートのターン。反応せず。トラウマを植え付けられたあとゲジについて調べていた彼はゲジが人間に効く毒を持っていないと知っていた。あえて噛み付かせてから備中鍬を突き刺して倒せばいいと考えている。


 彼は思い違いをしている。サイズが違えば毒性も変わるのだ。もしも顎肢を刺されて毒を入れられたらジュクジュクのスープにされて頭からバリバリと食われてしまうぞ。


 ゲジの噛みつき攻撃。顎肢を大きく広げ、ニートの肩に向けて抱きついた。だが寸前のところで牙が止められる。巨大蛍の鎧が防いだ。ゲジの顎肢より蛍の甲殻のほうが硬度を上回っていた。ゲジは手探りで隙間を探すも蛍の甲殻に邪魔される。


 対するニートのターン。ついに動いた。噛み付かれたと感じた彼がやっと動いた。彼のカウンターが始まる。片手でゲジの触角をガシッと掴み、胸部近くで構えた備中鍬をゲジの口器にグリグリねじ込んだ。


「しにゃっせえええ! おらあああああ!」


 ゲジは苦しみだして抱きつき攻撃を緩めた。虫にも痛覚はあるのだ。傷ついた口内を慰めるように顎肢を突っ込み、奥に刺さったままの備中鍬をつつく。


 対するニートのターン。抱きつきが緩んだにも関わらず触角を掴んだまま脱出しようとしない。

 ここで確実に仕留める覚悟で肉薄した。ゲジから離れないために備中鍬を下顎に引っかけ、刃を深く刺して全体重を農具に預ける。ついでとばかりに片手で握っていた触角を引っこ抜き、両手で備中鍬を握った。

 攻めにつぐ攻めの応酬、妥協をしないノーガード戦法が上手く噛み合った。後先考えずに命懸けの特攻、これがニートの生存戦略。


 ゲジはあまりの緊急事態に撤退を考えた。歩脚を自切して辺り一面にばら撒いた。築いたばかりのテリトリーを失うのは惜しいが、逃避して生き残ることが最優先。生存本能においてはニートより遥かに合理的で利口だ。

 ゲジは苦肉の策を決行するも、なぜかニートが離れない。他の生物は囮に引っかかるのにこの生物はずっと食らいついてくる。

 口器に刺さった異物は無くならず、痛みは次第に強まるばかり、さらには触角を失ったことで右も左もわからず混乱する。

 こんなに小さくて死にかけの生物がとんでもない猛毒を持っていた。死にかけの生物が放つ捨て身の殺意に、ゲジは生まれて初めて恐怖を抱いた。

 

 もはやゲジに残された手はない。ゲジに有利な勝負が一転、形勢がニートに傾いてしまった。

 追い詰められたゲジは手段を選ばずがむしゃらに暴れ回る。この生物に対しては自分も同じくらい捨て身で挑まないとダメだと本能で感じた。

 ニートを倒すだけのために全ての脚を自切する勢いで全身を振り回した。


 ダンジョンに嵐が起きた。全身が筋肉の塊でできた巨体が死ぬ気で暴れまわったとき、単独で実力以上の力を発揮する奇跡が起きた。局地的に発生した自然災害が自他共に猛烈に襲いかかる。


 砂嵐が巻き起こり、千切れたゲジの脚と散乱した虫の死骸が部屋の中央に集まっていく。天井の巨大蛍も風に巻き込まれ、渦の中心でミキサーされた。


 散々暴れまわったゲジは自身が生きていることを実感して安堵した。幸せを感じた。

 ただの巨大な虫が心を得た瞬間だった。その奇跡的な瞬間は世界の記憶庫に記録される。


 もはやゲジは全ての脚を失った。触角を片方失い、備中鍬が刺さったままの顎は二度と食事ができないほどボロボロにされた。


 けれどもゲジに後悔はない。


 このまま衰弱して死ぬかもしれないが今じゃない。

 痛みはあれど心は満たされていた。




「殺すぅぅ。殺すぅぅぅ。ゲジゲジぃ」




 痛みはあれどゲジの心は満たされていた。あの生物が起き上がるまでは。


 もう一度、奇跡の嵐を起こしてやる。ゲジは全身を起こそうとする。しかし強烈な痛みが頭の先から曳航肢(えいこうし)の先まで走り、筋肉が痙攣(けいれん)する以上の働きをしてくれなかった。


 対するニートのターン。ボロボロの姿にされたものの嵐の中でなんとか生き残った。

 体操着をボロ切れにしたのはほとんど巨大蛍の爪によるものだが、その巨大蛍に強いストレスを与えたのは紛れもなくゲジだ。ニートが嵐の中を生き延びられたのは、ひとえに巨大蛍の鎧のおかげだから彼は蛍のことを責めはしない。

 であればニートが何を欲するか。彼の脳裏にあるのは蛍への恩返しでもなく、ゲジへの報復でもない。

 ニートが欲するのは一貫して集合体恐怖症克服のための生贄だ。自分のためにゲジを殺したい。ただそれだけの理由で殺す。


 ニートのターン。無事だったウエストポーチから包丁入りの袋を取り出す。

 防刃加工された収納袋のファスナーを開けると、中から牛刀包丁がギラリと鏡面を光らせた。10年もの長い期間を共にした母親のお気に入りが今ここにある。ニートの血を吸ったばかりというのにもう新しい血を欲しがっている。


 ゲジは心の底から恐怖した。これから行われるえげつない行為を全身が動かせない状態で受けなければならない。

 これまでゲジが捕食してきた餌たちでさえ意識を失う最後まで抵抗していた。なのにゲジは抵抗を許してもらえない。生殺与奪の権利を自分より小さい存在に握らせるのがこれほど恐ろしいこととは思わなかった。

 いや、まだ動かせる部分がひとつだけある。これをつかって最後まで抵抗してやる。


 ニートのターン。唯一動いているゲジの触角を包丁で切り落とし、頭部と胴部の隙間に刃を入れて一気に剥がす。ブチィと気持ちのいい音と共に下顎と頭部が分離された。

 剥がれた頭部の裏側に脳味噌がひっついてきて汚い。


「喉は乾くし腹は減るしで仕方がないんよ。蜜団子をおくれ」


 ニートはゲジの脳みそに手を突っ込んで奥にある魔石を引っこ抜く。そして味噌まみれの魔石を躊躇(ためら)いもせずに飲み込んだ。


 口内で何度か咀嚼(そしゃく)するとシリコン状の魔石が液状化する。

 口の中でジュワーと樹液の甘みが広がって、パチパチと弾けた泡が口の中で暴れ回った。

 食感はわらび餅、味はメープルシロップ、喉ごしは炭酸飲料。

 そして、歯に挟まったゲジの脳神経を舌で絡めとって飲み込む。濃厚でクリーミーな口当たりの苦味がニートの食欲をかき立てた。

 彼は軽度の潔癖症ではなかったのか。集合体恐怖症は克服したのか。


【戦闘終了】



「うめぇーーー。ゴム手袋が無かったら餓死してたぜ」


 彼の感性は狂ってる。何が汚いか清潔かの基準がブレすぎていて境界線がわからない。


「なかなかやばかったなぁ。蛍がいなきゃ死んでたぜ。あ、そうだ。蛍!」


 ヘッドホタルだけがニートの視界を確保してくれた。そのおかげでゲジにトドメを刺せたのだ。


 ニートはヘッドホタルを剥がして感謝する。手を合わせながら「いただきます」と。


 彼は非常に空腹だった。恩義がある蛍の首を跳ね、頭部から魔石を取り出すと丸呑みにした。

 しかしまだまだ満たされず、散乱した蛍の死骸から魔石を剥ぎ取っては食べていく。


 空腹で仕方がないのに光源が少ないせいで地面に転がった蛍の死骸を探すのに苦労していた。そこでかろうじて生き残っていた蛍を二代目ヘッドホタルに任命し、剥ぎ取り作業の効率を上げる。

 暗くて地面が見えないのなら初代ヘッドホタルを生かしておけば良かったものを、それを選択肢に入れないところが歪んでいる。恩義があろうが気分次第で取り替える、生命を替えの効く部品としか思っていない。モンスターにかける優しさはないようだ。


 巨大蛍の死骸はまだまだ残っているが、飽きたところで剥ぎ取り作業を中断した。


「アイテムボックスがありゃーなぁ。こんだけあるのに命がもったいない。明日も食えるかなあ。ふぁあ……ねみぃ」


 疲労困憊(ひろうこんぱい)の身体を両手でマッサージして(いた)わる。

 手の届く所をもみほぐし終える頃、なにかに気づいた。腰を回したり、首を伸ばしたりして全身を見回している。


 いつのまにか全身の傷が消えていることに気づいたのか。いや、どうやらそのことじゃない。ニートが感心を持ったのは自然治癒力の向上ではなかった。

 彼の全身から漂う新鮮な生臭さ、つんとした刺激のある酸っぱい香りがベットリと付着していた。ゴム手袋をしたままマッサージしたせいに違いない。汚れてしまったことに気づいて狂乱した。


「うわああああああ! やったー! やらかしたー! くっさ! やべ! うわ! くっさー! どうすんのこれ!」


 彼は軽度の潔癖症だ。ニートになってからは確実に軽度の潔癖症だった。しかし今の彼が本当に潔癖症なのか疑いがある。

 行動の節々から最低限の衛生管理が見られない。環境がニートを変えたのか、それとも軽度の潔癖症を演じていたのか、定かではないが少なくともダンジョンに突入してから彼の行動は現代人の範疇を外れていた。


 ダンジョンに入る前の彼は社会人失格ではあったが少なくとも現代人だった。しかし今の彼の姿はどうだ。

 ほぼ全裸の状態でゴム手袋と長靴とウエストポーチをした全身虫の血だらけニート。

 いまどき田舎でもこんな現代人は存在しない。もはや人かどうかすら怪しい。人語を操り、現代の道具を使える人型の生物と例えたほうが的確だ。ニートに自覚はないが、精神構造はもとより身体構造についても人類とは似て非なる物に変わってしまった。


 彼はゴム手袋を外し、綺麗な手で全身の虫の血を掻き集めて落とそうとする。けれど今度はその手が汚れる。汚れた手で全身に虫の血を塗りたくる形になってしまい、またもや泣き叫んで暴れ回った。


「うわあああああああ! ティッシュうううううう!」


 ニートが不思議な踊りを踊るあいだにも、体内で魔石の融合が進む。今朝は魔石の適合で死にかけたが、一度適合が成功すれば起きている間にも魔石と身体組成の融合が進む。


 敵を倒して能力が上がるとなればロールプレイングゲームでいうところのレベルアップと考えがちだが実体は異なる。魔石との融合はどちらかといえばランクアップだ。

 例えるなら、敵を倒してステータスが上昇するのと同じ感覚で指が一本増える感じだ。

 指が増えることをステータスの上昇と捉えるかどうかは人によって答えが異なるだろう。けれども一般的にレベルアップでステータスが上昇したとあれば、筋肉が肥大化した姿はイメージできても指が一本増えた姿はイメージしないはずだ。


 もしも今後レベルアップの概念が可視化されたら、彼の変化とは乖離(かいり)した普遍的な別物になるだろう。


 魔石を適合させるというのはそれだけ限定的で特殊なのだ。魔石に適合するための条件をクリアし、復活するための手順を踏まなければ確実に死に至る。魔石は虫も食わない猛毒物質なのだ。

 ニートが甘くて水々しい蜜団子と表現する魔石。それをほとんどの生物は危険な毒物と認識して吐き出す。


 彼が異常なだけで、祖母が魔石を拒否したのは生き物として当たり前の反応なのだ。


「まぁいっか。この血が毒なら肌が痺れるはずやし、それより寝たい。帰りてえけど眠いぃ」


 開き直ったのか自身が軽度の潔癖症であることを一時的に忘れて寝る準備を始めた。

 ただし地面には寝ない。巨大ゲジから剥ぎ取った皮を巨大蛍の死骸に被せた。

 これで簡易的な寝具の出来上がりらしい。(はね)をもいだ蛍の柔らかい部分を枕にして、湿ったゲジの皮を体に巻き付けた。


 もはや潔癖症とは思えないほど野性味あふれる就寝方法。現代人が思いついても衛生面を考えて避けたがる手法をニートは平気でやってのけてしまう。そんな彼の豪胆さを目の当たりにして、人が彼から離れていく理由が垣間(かいま)見えた。


 ニートの異常とも思える不可解な行動から一つの推論が導き出される。それは脳の機能障害。おそらく彼は危険や障害などから回避しようとする機能が壊れている。

 過去の事故から前頭葉の一部が損傷し、回復したものの回復期間中に受けたいじめのストレスと熱中症によって画像検査では検出できない後遺症が残ったものと思われる。

 それを裏付ける要素として彼は大学を四年生の夏まで通学したものの、ストレスでうつ病になり卒業単位を満たした状態で退学した過去がある。精神病院に通い、モノアミンを増加させる薬を長期間投与することで生活習慣を元に戻せたものの、彼は現在も社会不適合者である。

 ニートが一切の就職活動をせず、親のすねをかじりながら平気で暮らしている理由のひとつには脳の機能障害があるかもしれないし、ないかもしれない。


 だがしかしこれらの不幸の積み重ねがニートを生かし、人外なる存在へと変化させた。その個性は今後のダンジョン騒動でプラスに働くのかもしれない。

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