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3-2 ニート、やっぱり休まない

 やがて下り坂の傾斜がなくなり、道が平らになった。降りられるとこまで降りられたとニートは直感した。


 進めば進むほど通路が広くなっていったが、しばらく歩くと一定の広さから変わらなくなっていた。軽くジャンプしても天井には届かず、壁から壁までプロ野球の塁間ほど離れていた。


 天井には巨大蛍の群れがいるものの、もう光が地面まで届かない。天井までの高さは約5メートル。実物で例えるなら信号機と同じくらいの高さだ。


 ニートが準備運動を始めた。天井をしきりに眺めている。

 どうやら念のために天井の蛍を補充できるか全力のジャンプで試してみるようだ。

 これで届いたら垂直跳びのギネス世界記録が大幅に更新される。身長170センチにも満たない中身長のニートが天井に手をつくためには、3メートル以上ジャンプしないと届かない。


 ニートは屈伸運動をして軽く助走する。小ジャンプから勢いをつけて深く腰を落とし、アキレス腱のバネを伸張させ、肩甲骨を羽根のように持ち上げて高く飛んだ。


 ニートの垂直跳びはギネス世界記録を遥かに塗り替えた。塗り替えすぎた。

 予想以上に飛んだニートは天井に顔面を打ちつけ、チカチカと星が飛ぶ景色を見ながら落下していく。

 落下を察した巨大蛍たちがニートから飛び立ち、彼はなんのクッションも無いまま背中を地面に打ちつけた。


「ごほっごほっ! いでぇええええ! いでぇええええ! 折れたああああ!」


 残念ながら骨は無事だ。ニートの体は魔石との適合で身体組成にケイ素と未観測のダークマターが結合されて強靭になっていた。摂取した魔石の量が足りず、まだギリギリ人間である。


 強靭な体とはいえ皮膚はまだ弱く、砂利が突き刺さって全身の至るところから血が流れている。裂傷箇所多数、打撲はその倍以上ある。あまりの負傷に体操着が血で濃くなっていた。

 

 背中の負傷が酷すぎてニートはうつ伏せになった。

 軽度の潔癖症持ちのニートが顔を土につけるほどの痛みだ。一般家庭の床が比較的綺麗な日本という国で、拭き掃除したばかりでも寝転がらない。そんな彼がうつ伏せになるほどの激しい痛みだった。


 土の上に寝転がるのはニートの人生でこれが二度目となる。

 一度目は小学生の頃。鬼ごっこの最中に後ろ向きで逃げていたらつまずいて後頭部を打った。頭が変形するほど強打して脳震盪を起こしたという。地べたに転がり、自力で立ち上がったものの保健室の手前で気を失った。


 脳震盪を起こしても気合で立ち上がったニートが今回は立ち上がれないそうだ。


 このまま気を失ったらどうなるのか。彼はこれまで好戦的なモンスターと遭遇しなかったため油断しているが、出会うときには出会うものだ。


 地面と耳が接しているから破滅の足音がよく聞き取れる。

 餌を探しにきた偵察アリが血の匂いに誘われてニートのもとに近づいてきていた。


 自分で勝手に重傷を負ったニートはただ単にダンジョンへ餌を提供しに来ただけという結末になりそうだ。興味本位で足を踏み入れた代償が今まさに支払われようとしていた。


 近づく足音と次第に強まるギ酸の匂いでアリの存在を感じているが、ニートはまだその姿を目視できていない。なにせ頭に張り付いたヘッドホタル以外は飛び立ってしまったから光が届かなくなっているのだ。


 飛び立った巨大蛍たちは今もニートの近くを飛び回っていたり、地面で待機したりなど低い位置を維持している。

 自由に行動する蛍たちのおかげで、ニートは黒い光沢を持つ偵察アリの全体像をたまたま視界にとらえることができた。


 でかい。アリにしては巨大なサイズだ。ニートが直立した状態なら腰まで牙が届くほど大きい。倒れた今なら頭を噛み砕くのも容易いほど大きな牙を持っている。


 敵の数は一匹だ。ここを乗り切れば助かる。ニートはゆっくりと静かに呼吸をして存在感を薄めていく。


 アリは自慢の嗅覚を頼りに血の匂いが強いところをジグザグに辿る。


 まだ見つかってないと悟ったニートは地面を這って備中鍬を探す。なにせ暗闇なのでなかなか見つからない。

 ヘッドホタルの位置を調整して周辺を見まわすと離れたところで備中鍬が見つかった。


 見つかったのは備中鍬だけではない。偵察アリにも見つかった。


 偵察アリはパシパシと触角でニートの背中を叩く。

 彼が息を殺してジッと動かずにいると、偵察アリは興味を失ったかのように背を向けて来た道を戻りはじめた。道しるべにした自身のフェロモンを辿りながらゆっくりと、確実に戻ろうと頑張っている。


「あははは、いや、帰らせてたまるか」


 痛みを我慢して全身の力を振り絞る。ここで立たなきゃ人生終わりだ。偵察アリの彼女が餌の情報を持ち帰る前に立ち上がって、彼女を殺さないとニートは死ぬ。


「うおおおおおお! いでえええええ! いでええええよおおおおお!」


 ニートの叫びに応えるように散開していた巨大蛍たちが集まってきた。次々と彼の体操着に張り付き、ちうちうと赤い水分を補給し始める。以前より爪を強く皮膚に食い込ませてしがみついた。

 痛みに痛みが重なる。逆に動きやすくなったと彼は喜んだ。


「飲め飲め! 戦の前の栄養補給じゃ! しっかり働いてくれよぉ!」


 ニートは備中鍬を拾い、震える脚を励まして歩く。ジグザグに帰る彼女の尻を追うのではなく、帰り道を先回りするように最短の進路をとる。


「動けええええ動け俺の足いいいい! 働け大腿四頭筋んんんん!」


 棒のような足をプルプル震わせて確実に最短距離を行く。偵察アリの彼女はジグザグに遠回りしてでも帰り道を丁寧に歩く。


 ゆっくりとした競争が始まった。優勢なのは五体満足の偵察アリ。最短距離を行くニートは痛みが収まらず歩みが重い。


 通路の先で広い空間に出た。その部屋の端には蛍の死骸と見られるゴミが散乱しており、その中にうごめく巨大な何かがいた。


 偵察アリが可愛く見えるほどの巨大さ。シマシマ模様の胴体から生えた脚の一本一本は成人男性の身長ほど長い。その長さの脚が数えるのもアホらしくなるほどびっしりと生えている。


 後ろ姿からわかる気持ち悪さ。ニートは既にその正体を掴んでいた。


「ゲジゲジだ…」


 ニートとゲジには深い因縁がある。

 彼がゲジとはじめて出会ったのはキャンパスライフを送っていた時代。友達が多かった当時、遊びに行ったキャンプ地でテント内にゲジがこっそり入り込んできた。

 寝袋で寝ていたニートの顔の上をゲジが横切り、長くて多い脚を使って身の毛がよだつ感触を彼に味合わせた。最悪の目覚めを味わったニートは泣き叫んで暴れまわり、バラバラにしたゲジの脚を見て再び叫び、一緒にいた友達をドン引きさせた過去がある。

 彼にとって『友達が多かった当時』は優しく繕い過ぎた。正しくは『沢山の人におもちゃにされていた当時』と修正しておく。


「殺さんとな…」


 ゲジはニートに集合体恐怖症を植え付けた張本人である。生涯の宿敵だ。ゲジとの戦闘は避けることができない宿命なのだ。


 ニートがゲジに気を取られる間にも偵察アリは着々と歩を進めていた。偵察アリを逃せば必ず後悔することになる。

 偵察アリが巣に帰った後、標的になった獲物がどういう結末を辿るのか。それを昆虫たちが知っていたら助かった命が数多くあっただろう。


 彼はアリの生態についても少しは知識がある。偵察アリを逃した時のリスクの大きさはもちろん知っている。

 しかし、彼の頭の中を覗いてみると『偵察アリを殺す』か『ゲジゲジを殺すか』で拮抗していた。

 二つの選択肢のあいだにはニートなりの策が複数あがっていて、その中には先に偵察アリを殺してからゲジを殺すという選択肢もあった。

 一貫して楽観主義。勝つことを前提とした策しかない。半身負傷のハンデを背負いながら選ぶ側の立場で考える愚か者。彼が思いついた策は全て失敗するだろう。


 ただひとつだけ擁護すると彼は楽観的で愚か者に違いないが臆病者ではない。いくつもあるニートの選択肢に撤退の二文字はなかった。一歩も引かないという覚悟の強さが感じ取れる。


 何かを決意したニートはゲジのほうに歩いた。偵察アリを無視する方向で決めたようだ。


 一方、偵察アリは速度を上げて最短でゲジのテリトリーを抜けた。


 ニートが無視しようがしまいが無駄だったようだ。どっちみち偵察アリには追いつけなかった。


「これで心置きなくゲジゲジやれるぜ…」


 視力が高いゲジはテリトリーに入った2つの餌の存在を感知していた。そのうち片方の動きが鈍いのもわかっていた。

 ゲジはゲジで動きの鈍いニートが背中を見せた瞬間に襲いかかって喰らう気でいた。


 どっちみちゲジとの戦闘は避けられなかったのだ。ニートが取れた選択肢は正面から食われに行くか背後から食われるかのどっちかだ。

 ニートは正面から食われに行く方を選択をした。ならばとゲジは正面を向く。一対一のガチンコ勝負だ。


 ニートとゲジは向かい合う。互いに油断なく、見合って。見合って……。

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