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105 カメーの切り札

 ボクシングのインターバルくらい待った。さっきのハイライトも終わってしまった。


 それなのに、カメーは金網に背中を預けたまま起き上がらない。呼吸があるのは確かだ。ドス黒い血の泡が口の端で膨らんだり縮んだりしている。


 決闘は始まったばかりで、決着にはまだ早すぎる。まだまだ戦い足りないが、対戦相手が期待外れだったからしょうがない。終わらせよう。


「ウォーミングアップは終わってないんですが、これ以上引き延ばすと興が冷めますし。残念ですがトドメといきましょうか」


 亜空間から『冥府送り』を出す。槍の柄を2本指でつまみ、タバコでも捨てるみたく雑に放った。


 ガキン!


「おや?」


 テラス席から安堵の息が漏れる。


 槍が外れた。雑に放ったからといって、狙いを外したわけじゃない。ちゃんと真っ直ぐ飛ばしたし、殺せるだけの勢いもつけた。


 槍が貫いたのは幻だ。幻は霧散し、リング上からカメーの姿が消えた。


「リング内にいるんでしょう? いなきゃ俺の勝ちですからね。約束しましたよね。場外は認めても逃亡は認めません。その違いがわからないあなたではないでしょう?」


 姿は見えないが、リングのどこかにカメーがいるはず。光センサーを欺くとはなかなかの腕前だ。存在消失でもないし、光学迷彩でもない。まさかここまで完璧に姿を隠すとは思わなかった。少し侮っていたかもしれない。


 金網に刺さっていた『冥府送り』を手元に戻し、亜空間に収納する。こいつはトドメでしか使わない。


 リングは狭い。こんな相手、姿を消そうが槍を振るったらすぐに終わる。


 ただ、それでも『冥府送り』は使えない。困ったことに、俺は槍を使うのが上手すぎる。というか、ボクちゃんが上手かった。


 俺と戦ったとき、ボクちゃんは世界を壊さないギリギリの速度で槍を振り、精密にコントロールしていた。


 ボクちゃんの魂と融合した俺も同じ技を使える。というか、出てしまう。癖が。


 リングが狭いとはいえ、槍で殺すなら本気でやらなきゃならない。でも、本気で振るえば癖が出てしまう。カメーやテラス席の冥界神は、その癖に気づくだろう。今日死ぬカメーはまだしも、他の冥界神に知られると面倒だ。

 なぜボクちゃんと同じ癖があるのかと聞かれたとき、誰もが納得する説明をできる気がしない。

 下手したら、目的を果たす前に全員を殺すことになるかもしれない。逆に殺されるかも。


 そうならないようにウォーミングアップを装う。できれば、全力を隠したまま決闘をやり遂げたい。


「いつまで隠れるおつもりですか?」


 消えたカメーに語りかける。煽るような口調で。


 すると、挑発が効いたのか。いきなり俺の胸から鉤爪が生えた。いつの間にか背後を取られていたらしい。攻撃の瞬間に鉤爪が現れたんで、神器までは隠せないようだ。


 鉤爪が引き抜かれた次の瞬間、俺の身体が爆散する。熱々のミートボールと粘着液のソースがリングを彩った。ファミレスの店内みたいに食欲をそそる良い匂いがする。


 テラス席から悲鳴が上がり、オーディエンスはどよめく。誰もが俺の敗北を頭に浮かべただろう。


 カメーもそう思っているに違いない。金網まで吹き飛んだカメーを見てみると、口もとが嬉しそうに歪んでいた。

 緊張が解けたのか、カメーは血を吐く。吐血の量が激しい。とはいえ、大量出血で死ぬことはない。血の量から測れるのはダメージの深さくらいなものだ。見た感じ、致命傷にはならなかったらしい。至近距離で爆発を受けたのに、まったく丈夫なやつだ。


 存在消失を解き、俺の無事を見せつける。


「分身はあなたの専売特許ではありませんよ。隠密術もね」


 金網を握り潰しながら、カメーが立ち上がった。


「おやおや。ずいぶんとボロボロじゃないですか。そのくらいの傷、あなたならすぐに治せるでしょう。あ、でも、背中の飾りはもう直せないみたいですね」


 カメーの背面から赤い血が流れ落ちる。モヤモヤになった女たちの魂がリング内を駆け巡り、金網を抜けてどこかへ飛んでいってしまった。


「……どうやったである。どうやって、私に傷をつけた?」


 大事にしていた生首の飾りが壊れても、カメーは表情ひとつ変えない。どうやら、これ以上彼を怒らせることはできないらしい。


「どうやったと思います?」


「決闘相手にこんなこと聞くのは野暮であるな。忘れてくれ。貴様を殺した後でじっくり考えるとしよう」


「いえいえ。ちょっとからかっただけです。少々期待外れだったので、早めにネタバラシさせてもらいますよ。テラス席の方々も気になって集中できないでしょうしね」


 回復しきったカメーに向けて指鉄砲を放つ。

 とっさに回避行動を取るカメー。だが、指から弾なんて発射されていない。


 直後、カメーの腹に陥没ができた。大きく、深い陥没だ。


「ごほっ……ッッ!」


 新鮮な血を吐き出すカメー。冥界神たちの驚く顔が面白い。


「攻撃の瞬間が見えなかったでしょう?」


「貴様……ァ!」


「あなたが今着ているその腹掛けなんですがね。そうそう。それね。俺の神器です」


「なにっ……」


 テラス席からもカメーと同じ反応が得られた。


「極娯楽神から貰ったんですよ。大したもんじゃありません。薄っぺらい紙みたいなものでしてね。めいいっぱい広げてもエプロンくらいにしか使えない。その布をめくってみてください。よく隠れているでしょう」


 カメーは赤い布を破り捨てる。すると、カメーの肌とピッタリくっ付いた魔法金属のエプロンがライトの下に晒された。


「吹けば飛んでいくような薄さ。薄すぎて防具にもなりません」


 カメーは首の後ろに手を回して紐を解こうとする。


「おっと、脱ごうとしても無駄ですよ。それに結び目はありません。着付けの時に繋いでおきましたから。きゅうきゅうにね。それでも脱ぐとおっしゃるのなら、己の首をちょん切るとよろしい」


「イヒヒヒヒヒッッ……!」


 カメーの笑い声に続いて、テラス席から失望したようなため息が聞こえてきた。


「発想は良かったぞ天道。だが、ネタバラシは悪手だったな。神器の法則を知らんようである」


 カメーは自らの首に鉤爪を近づけ、その切先を紐に引っ掛ける。そして、自らの首の皮を抉りながら、鉤爪を下に引いた。


「グゥおおおおああッッ!!!!」


 カメーは叫び、首の後ろが半分切れたところで鉤爪を戻した。


「いひひひひひひひっ! 失礼。お下品な声が出てしまいました。どうぞ、続けてください」


「私の首がッッ!」


「ああ、一つ言い忘れておりました。その神器には能力があります。そっちは秘密ですがね」


 あれは『刈払う貝』の複製だ。今は『なんでも切れる能力』を部分的にオンにしている。カメーが鉤爪に力を入れれば、紐を切る前に己の首を切ることとなるだろう。


「ほら、あと半分ですよ。頑張って」


 カメーは首の紐を切るのを諦め、今度は胸元を鉤爪で引っ掻いた。

 腹掛けはひらりと捲れ、ふんどしみたいに垂れ下がった。


「どうだ。これで……」


 ふんどしになった腹掛けへ念じる。すると、股下に追い風が吹いたように布が捲り上がり、元の腹掛けへと戻った。


「ふんゥッッ!」


 再びカメーは胸元を引っ掻き、腹掛けが捲れた瞬間、乱れたように鉤爪を振り回した。


 散らばった布の切れ端へ念じる。すると、布の切れ端が宙に浮き、逆再生するみたいに元の腹掛けへと戻った。


 腹掛けと奮闘するカメーを尻目に、俺はテラス席へと身体を向け、肩をすくめる。


「彼は何と戦ってるんでしょう?」


 大爆笑。テラス席も、オーディエンスも、腹を抱えて笑っていた。涙や鼻水を流す者たちもいる。よく見ると、見知った顔もいる。その中にアリルレもいた。


「笑うなァァッッ! 何も知らんお前らがッッ! 顔を覚えたからなッッ! 笑ったヤツら全員オブジェに変えてやるッッ!」


「皆さんご安心を。この決闘が終わるまでは手出しさせません」


「天道ッッ!」


「降伏ならいつでも受け入れますよ。ただし、降伏したらその首を刎ねます。生首のオブジェが好きみたいですし、俺が勝ったら、あなたをそのように作り変えて玄関に飾ってあげましょう」


「これを脱がせッッ! 正々堂々と戦えッッ!」


「戦いに清さを求めるな。これは試合じゃねぇーんだぜ先輩」


「オオ゛オオオォォ゛ッッ!!!」


 己を鼓舞するように雄叫びを上げるカメー。ようやく負けに気づいたのだろう。あの腹掛けを付けたあと、俺はカメーをいつでも殺せた。カメーが決闘を考えた時には、既に勝負が終わっていたわけだ。あとは、どう見せ場を作るかだ。


 布を切り裂くのを諦めたカメーは、テラス席へと身体を向ける。


「この天道は! 卑怯にも私の首に爆弾をつけた!

 あろうことか決闘の前にだ! 開会式の時には仕掛けられていた! 初めから私を殺す気だったのである!」


 カメーは、俺がショーを演じ続けていることに気づいたはずだ。だから、最後の手段に出たのだろう。そう。最後の手段とは、冥界神たちへの嘆願だ。


「決闘で私がこいつを追い詰めたら、こいつはこの紐に念を飛ばすであろう!

 そして! いとも簡単に私の首を刎ね飛ばす! 躊躇いもなく! 保身のために!

 そうしたらお前ら! 笑ってくれ! 臆病者の天道を! この決闘は茶番であったと! つまらないショーを作った天道を非難してくれ!」


 悲痛な叫びが虚しく響く。会場の反応は冷めたものだった。


 積み上げてきたものが違う。ここは俺が用意した舞台だ。それを楽しむ冥界神からの支持は固いはず。たった一つの嘆願で俺の地盤が崩れるわけがない。


 しかしだ。この悲痛な叫びを聞き、心が揺らいだ冥界神もいるだろう。冥界のあぶれ者とはいえ、カメーは長い年月を冥界で過ごした仲間だ。新人の催した祭り事に心を奪われていたとしても、仲間の言葉には深みがあるはず。


 だから、カメーの言葉を無視することはできない。からかうこともしない。敬意は欠かず、正面から向き合う。


「素晴らしい演説です。これまでの攻撃で一番威力を感じました。

 保身のためにあなたの首を刎ねる、ですか。確かに、その結末はつまらない。

 もしも最後の手段でその首の紐を使った時には、甘んじて笑い者になる罰を受けましょう。どうぞ追い詰めてみてください」


 意地でも保険は外さない。いざとなったら首を刎ねる。そのせいで信頼を失うことになったとしても、決闘で負けるよりは取り返しが付く。


「言ったであるな?」


 さっきの発言はカメーに希望を与えたらしい。仙人みたいなヒゲ面が嬉しそうに歪んだ。


「貴様は最後の手段で紐を使用すると言った。中途半端な場面で使うなど、無粋な真似はしないであるな?」


「ええ。それと、オーディエンスに危害が及ばない限りは」


「そうか。おしゃべりに付き合ってくれて感謝するであるぞ。天道」


 カメーは構えを変えた。足を肩幅に開き、鉤爪同士を交差させ、両手の小指を組む。


 急にテラス席の方が慌ただしくなった。


「カメーの切り札だど! みんな気をつけろ!」


「オーディエンスに危害は加えんわッ! 黙っとれッッ!!」


 なるほど、さっきまでのやり取りは術を練るための時間稼ぎだったわけか。これはしてやられた。


「【アーティスティック・タイムライン】ッッッッ!!」


 カメーを中心に、歪んだ空間が広がるのを感じた。

 なんだこれは。ボクちゃんはこんな技知らんぞ。


 オーディエンスに危害を加えないという発言を信じるならば、技の範囲は広くないだろう。リングから逃げられない俺は巻き込まれるしかないが。


「決着である。天道ッ!」


 突如、どこからともなく鉤爪が振り下ろされた。

 見えているが、反応できない。反応したらまずい。世界が壊れる。


 だが避けなければ頭が割られる。世界が壊れるレベルのスピードで、体を少しズラす。空間にヒビが入る波動が聞こえた。これ以上動くのは不味い。


 直後、肩が切り裂かれる。痛みが来る前に身体が吹っ飛んだ。


「無様であるなぁ! 天道ォ!」


 凹んだ金網を掴んで立ち上がる。半分に切れた肩をすぐに修復した。


 速い。速すぎる。こんなに速いと世界が壊れるはずだ。


 吹き飛ぶ速度も世界の速度限界を超えていた。なのに、金網は凹む程度で済んでいる。リングも少し移動しただけだ。

 金網に触れる瞬間、何もしていないのに身体が急ブレーキした。水面に背中を叩きつけるような減速だった。まるで、リング内だけ別の空間になったみたいだ。


 カメーが追撃にやってくる。スピードは世界を壊せるほどじゃない。以前と同じだ。


 避けるよりも攻撃だ。この訳の分からない空間の中で下手に動き回るのは危ない。


 試しに世界が壊れる速度で蹴りを放ってみる。やはり、初動でヒビの入る波動が聞こえた。

 蹴りの途中で減速し、後ろ蹴りの体勢で足を止める。速すぎたため、カメーは未到着。


 何かあると感じ取ったのか、カメーは減速し、鉤爪を伸ばしてきた。


 遅い。今度は遅い。これならカウンターが間に合う。


 蹴りの体勢を維持したまま、ふくらはぎから先だけを急速に伸ばす。槍を突くように伸びた足は、鈍く伸びる鉤爪とすれ違い、カメーの土手っ腹につま先を突き刺した。


 つま先が腹を貫通しても、足は伸び続け、カメーを金網に叩きつけた。

 対して、鉤爪も伸び続け、遅れて俺の胸を刺した。


 相打ち。そう見える構図だが、まだ勝負は終わらない。


 鉤爪が俺の体に潜り込み、体内から頭を狙ってきた。


 負けじと足を伸ばし、カメーを天井に突き上げる。その反動で体内から鉤爪が引き抜かれた瞬間、両腕を伸ばしてその場を離れた。


 直後、カメーが再び小指を組む。


 再び、どこからともなく鉤爪が現れた。今度は形状が違う。鞭のようにしなっていた。


 鞭のような8本の鉤爪は、伸びた足を切り刻み、伸びた両腕まで切り落とした。だが、命までは届かない。鉤爪は狙っているような動きではなく、乱雑に振るわれた。

 そして、その後すぐに鉤爪が消えた。


 この鉤爪の動きには見覚えがある。消える瞬間、全ての鉤爪が後ろに引かれていた。あれは、前に俺がパンチをぶち込んだ時の鉤爪と同じ動きだ。


 トリックのタネがわかった。


 おそらく、ここにいれば次の攻撃は当たらない。当然、カメーもそれを知っている。回復次第仕掛けてくるだろう。俺もその間に回復する。

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