1-2 ニートとかけまして怪物と解く、その心は?
「ステータス、オープン!」
静かな倉庫内で発した声が大穴を通って反響した。
ニートは文学が苦手でプロの小説はほぼ読まないが、作家志望者応援サイトで現代ダンジョンの作品を好んで読む。ファンタジーが大好きな大人だ。
現代ダンジョンにおいて、自身のステータスを知っているか否かは生死を分けるほど重要な情報である。
現実でこういった緊急事態になった場合は、常に発するようにニートは心がけている。地震速報のときも大雨警報のときも台風が逸れたときにさえ、家族の前でも構わずステータスオープンと唱える。
彼の羞恥心は壊れてしまっていた。
今回は特に特殊な状況なため、世界初のダンジョン先駆者になれると期待して、ニートの口元がすこし緩んだ。
「ステータス! ステータスウィンドウ!」
「コンフィグ! コンフィグオープン! コンフィグ……」
残念ながら空中に画面が開くことも、脳内にメッセージが届くこともなく、ただただ時間が流れるだけだった。この間にも玉ねぎがダンゴムシによって消費されているというのに。
ポジティブなニートはステータスの有無で人と人が比較される機会が減ったと喜んでいるようだった。
試すだけ試して準備完了。いざ出陣か、というところで彼は備中鍬を置いてダッシュで倉庫から出た。いったいどこへ向かうというのか。逃げる気か。いきなりどうした。
こいつは本当に行動が遅い。前もって準備するのは大切だが、ニートの場合は思いつきでやってるからタチが悪い。
ようやくニートが倉庫に戻ってきた。農薬散布のときに使うゴーグルとマスクをつけて戻ってきた。それに加えてウエストポーチをパンパンに膨らませている。ひみつ道具でも入れてきたのか。
なにやら家で装備を揃えてきたようだ。重量を増やし、視界を悪くして帰ってきた。
てっきり買ってきたばかりの週刊誌を体に巻きつけて身の守りを固めるのかと思いきや、防御力は一切上昇していない。ニートにチェーホフの銃は通用しなかった。思わせぶりで無駄な行動が多すぎる。なんの伏線も回収しない。
分厚いゴム手袋を装着し、備中鍬を装備し、解けた長靴の紐を再度固く締めて、いよいよリベンジ開始。
かと思いきや、ウエストポーチからキンキンに冷えたペットボトルのお茶を取り出して飲み始めた。こいつ、身内とはいえ他所の家の冷蔵庫を勝手に開けて物を頂戴してきたようだ。とはいえ水分補給は大事。
さあ再出発だ。ここまで長かった。グダグタやってるうちに自転車の音が聞こえてきた。祖母がいつも乗っている自転車の音だ。
その音に背中を押されるように、ニートは大穴へ飛び込んでいった。
大穴の中は暗い。ゴーグルのせいで余計に暗い。そんな状態でも怪我なく目的地に到着した。緩やかな道が一直線に続いていたからか、視界不良はそれほど障害にならなかったようだ。
初回は野菜を拾いつつ、重たいカゴに入れる作業を繰り返しながらの移動だった。今回はその作業がないため、短時間でダンジョンの入り口まで到着できたというわけだ。
「マジか。やべーな」
ニートの視線の先では、4匹に増えた巨大ダンゴムシがカゴの野菜をむさぼっていた。仲間を呼んだのか、それとも玉ねぎの臭いに誘われたのか増えた理由は定かではない。ただ、これ以上増えるのはマズいことを彼は理解していた。
「これ以上増えたら気持ち悪い」
ニートは集合体恐怖症である。よくそんな雑魚メンタルで農作業を続けられるものだ。畑では集合体との出会いが沢山ある。アブラムシであったり、アリんこであったり、野菜そのものにも集合体が潜んでいる。もしかしたら畑仕事をすることで、ニートは集合体恐怖症を克服しようとしているのかもしれない。
備中鍬を構えたニートは恐る恐るダンゴムシに近づく。ダンゴムシは野菜に夢中でニートの接近に気づいていない。あるいは気づいたうえで無視している。
カゴを傷つけないように気をつけながら、ダンゴムシだけを狙って備中鍬を振り下ろす。
バキィ! と殻が割れる音がして、青みがかった透明な液体が周囲に飛び散った。
酷いニオイがする。そのニオイでニートは持病の慢性鼻炎が発症した。鼻の粘膜が腫れてニオイがわからなくなる。
仲間がやられたというのに、他のダンゴムシは野菜を食い続けていた。
「こんにゃろう」
突き刺さったままのダンゴムシごと備中鍬を振り上げ、次のダンゴムシに向けて振り下ろした。
再びバキィと音が鳴り、備中鍬の刃が肉で埋まる。
ダンゴ串のようになった備中鍬から、ダンゴムシを足で剥がして残りの2匹も同様に始末する。
「ふぅ……雑魚が。玉ねぎは美味かったか?」
死にかけのダンゴムシに語りかけ、裏返った無数の歩脚を見て怯んだ。集合体恐怖症が発症したようだ。
「あああああああああ!」
やたら滅多に備中鍬を振り下ろし、死にかけのダンゴムシを切り刻んでいく。肉片と青い血が散乱して生臭い香りが充満した。
そしてニートはウエストポーチから包丁を取り出し、無残な姿になったダンゴムシを解体し始めた。パニックが治らないものの、思考はギリギリ働くようだ。
ダンゴムシの胴体を割って中を探ると、消化中の玉ねぎが出てきた。強烈なニオイに顔をしかめるも、慢性鼻炎のおかげで刺激は低く抑えられている。
ニートはダンゴムシの頭をさらに切り刻む。驚くべきは、この包丁が今日の夕飯にも使われるということだ。
無言でダンゴムシを捌いていくと、ファンタジーの定番『魔石』の発見だ。それは神秘的な漆黒の玉。天井の虫の光に照らされ、透き通った輝きを見せている。透明で柔らかみのある魔石は、発酵した果実のように甘く刺激的な香りを出していた。
鼻炎で薄まった甘い香りに、ニートはいてもたっていられず魔石を口に放り込む。
うそだろ。こいつは軽度の潔癖症だったはず。そんな奴が昆虫から摘出された謎の物体を食べた。精神と行動が合致していない。このニートはイカれてる。潔癖症なのに汚物を食べる二律背反。
「わらび餅やん、食感。うん。美味い。玉ねぎの分は取り返せたかもしれんね」
狂気ともとれる等価交換。残りの3匹も同様に捌いて2つの魔石を食べた。残りの1つはウエストポーチに入れて祖母に渡す用に残したようだ。
食べ終わるとカゴの中を調べた。玉ねぎはほぼ全滅。残ったじゃがいもは青い血と肉片で汚れている。するとニートはカゴをひっくり返して空にした。
どうやら、全ての野菜はここに置いていくようだ。昆虫の脳みそから取り出した魔石は食えるくせに、血で汚れたじゃがいもは食えないらしい。
ニートはウエストポーチのチャックを開く。中からゴミ袋を取り出してダンゴムシの死骸を詰めはじめた。どうやら死骸を持って帰るようだ。
ついでとばかりに天井で発光する虫を3匹ほど備中鍬で剥がして、包丁でトドメを刺していく。これらも解体して魔石を取り出すと、そのうち2つを食べ、1つは残した。
「んまい。んまい」
発光虫の死骸もゴミ袋に詰め込み、カゴにのせて帰路に着く。
倉庫を出るとニートは直射日光に怯んだ。暗くて寒い場所にいたせいでダメージが大きい。彼はつたない足取りで裏庭へ向かうと、お縁の掃き出し窓から祖母を呼んだ。
「ばあちゃーん! すごいことなっとるぜ!」
「来とったのかい。えらい揺れたねぇ。大丈夫やった? わぁ!?」
祖母が嬉しそうに駆け寄ると、全身を青い血で濡らした変人の佇まいに驚いた。
「ほら、見てみぃ。こんなんとれたぜ」
ニートは手に持ったゴミ袋を掲げてみせた。死にたての巨大昆虫と砂と青い血が袋の底に溜まっている。
「なんねこりゃ」
「わからん。巨大なダンゴムシとホタルっぽい。たぶん新種の虫やと思う。それとさ。捌いたらこげな玉ば取れたんよ。食べてん。美味しいぜ」
ニートはウエストポーチから魔石をひとつ取り出して祖母に突きつけた。
この魔石は揮発性が高く、臭気が祖母にまで届く。酢を温めたときのツンとした酸味のある香りにガソリンをぶち込んだような刺激臭が加わって危険物としか思えない。微かに果実の匂いはするものの、それでも腐った桃のような渋味と苦味のある香りだ。
ケーにとっては美味しい香りらしい。祖母からしてみれば毒物の香りとしか思えなかった。
「いらーん。そんなん食べたら腹壊すよー?」
祖母は魔石を受け取らずに突き返す。これが正常な反応だ。
拒否された魔石を即座に食べてしまうこのニートの頭がおかしいのだ。
「あんたそんなもん食べるけん、いつも体壊すっちゃろーが。やめとき」
「いやこれ絶対食べられるように作られてるから。ほら、食べてん」
ニートはウエストポーチからもうひとつの魔石を差し出す。理由は話せないが、どうしても魔石を食べさせたいようだ。
だが祖母はこれを突き返す。これが正常な反応だ。
「体を強くするやつやん絶対。こんないい匂いしてたら、もうそれ以外に考えられんやん絶対」
祖母の目の前で独り言ち、ニートは最後の魔石を飲み込んだ。
それからやっと本題に入る。倉庫の中に大穴が空いていたこと、その先で玉ねぎとじゃがいもを失ったこと、そこで新種の昆虫を討伐したこと。
妄言のようなニートの話を祖母はすんなりと受け入れた。それもそのはず、ファンタジーが吹き飛ぶほどの狂人が目の前にいるのだから。こいつが実在する事実に比べれば大穴など大した事件ではない。
「とりあえず着替えんさい。上がってきたらいかん。外でシャワー浴びんさい」
「これどうしたらいいかいな」
虫の死骸が入ったゴミ袋を掲げた。死骸から出たガスのせいで袋がパンパンに膨れている。
「燃やそうかね」
こんな大きな生ものはゴミ出しできない。