86 その心は、自分なりの生き(行き)方で沢山の道(未知)を見つけてほしい
美少女二人に両腕を抱きしめられていたのは吉田さんのひとり息子。ノブくんだ。
「ノブくん!?」
「え?」
「なんだ。知り合いだったのか」
「え? 誰? 誰ですか?」
「ちょっと待っててください。電話します」
受付に現れないと思ったら、林さんのチームに入っていたのか。きっと林さんが代わりに参加申込みをしたのだろう。しかし、申込みの時にノブくんの名前も記載される。受付の人も人が悪い。事前にノブくんの名前を伝えたので、名簿をチェックするときに名前を見つけられたはずだ。すぐに知らせてくれたらいいのに。いや、文句を言うのは筋違いか。受付の人は複数人いるし、情報を共有していなければ気づきようがない。昨日まで無償ボランティアに申し込んでいた人が、今日になって有償ボランティアのチームに所属しているなんて考えもしないだろう。
「あ、吉田さん? 見つけました。すぐに来てください」
念のためノブくんに逃げられないよう、唇を隠して伝える。すぐに来るそうだ。
「あの、誰ですか? 俺あなたのこと知らないんですけど」
「お母さんと一緒にあなたを探していたんです。すぐに来るそうなので待っててください。川上さんと斉藤さん。逃げないように捕まえててくれますか?」
驚いた素振りを見せたノブくんだがもう逃げられない。美少女二人が逃がさない。二人はノブくんの腕を笑顔で絞めていた。抱きつく理由ができて嬉しいんだろう。
羨ましい。俺の嫁二人はそんなことしない。やってって言っても独占欲の強いムツキがやらせない。いや、ウヅキさんと仲が良い今ならワンチャンあるか。無理か。俺との結婚を打ち明けた瞬間に関係が悪化しそうだ。ウヅキさん殺されるかもな。
「ノブ!」
連絡を入れてまもなく吉田さんが到着した。ウヅキさんも一緒だ。二人とも爽やかな汗を流している。薄いシャツが汗で濡れて下着が透けて見える。とても危なっかしい。普段の俺ならカーディガンをかけてやるところだが、山本メイだから、ちくしょう。
「母さん……」
「ノブ! どうして電話出ないのよ! お母さん心配で心配で眠れなかったのよ!」
「だって……言ったら止めるじゃん。止めなかった?」
「そりゃあもちろん帰ってこいって言うわよ。危ないもん」
「ほらね。そんなこと言われたら俺めっちゃやりにくいじゃん。でも、もう決めたから言うね」
親子喧嘩が始まりそうな空気を察してか、誰も口を開かない。川上さんと斉藤さんも居心地が悪そうにノブくんから離れた。
「本当はボランティア終わってから言うつもりだったけど。俺、高校やめてこのチームでやっていきます。もう決めたから」
「は?」
突然告げられた中退宣言。そして予想だにしない進路変更。吉田さんは、まるで時が止まったかのように口を開けたまま固まった。
「はぁぁああああっ????」
「家にも帰らない。明日移動だから。でも、正月くらいは顔を出すよ」
「まって。まってまってまってまって」
「もう決めたことだから」
「ちょっとまって。しゃべるな。黙れ。いま頭整理してるから」
吉田さんの動揺を見ると胸が苦しくなる。どっからどう見ても、今日初めて知った感じだ。もし、天ちゃんが同じこと言ってきたら俺もこんな感じになると思う。
「……その、チームっていうのはそこの人たちのことで間違いないわよね?」
吉田さんはチーム・アマゾネスの面々を見て顔を顰める。
「えっと。全く見覚えがないけど。お母さん初対面よね? いつ知り合ったの?」
ノブくんが言うに、松尾さんとは結構前から交流があった。ソシャゲで出会い、チャットしているうちに仲良くなったそうだ。ボランティアのことも話していたので他の面々のことも知っていたが、実際に会ったのは昨日が初めてらしい。
「母さんには悪いけど。この人たちについて行きたいんだ」
若干弱気なノブくんに対して、物凄い剣幕の吉田さんが捲し立てる。
「ダメダメダメダメッ! 絶対ダメ! 辞めちゃダメよ。アンタ修学旅行もまだなのに。今辞めて将来どうすんの。大学行くって言ったからお母さんも頑張ってお金貯めたのよ。なんの相談も無しに一人で決めないで。せめて考える時間をちょうだいよ」
「ごめん。でも聞いて……」
耳を塞ぎたくなるような人の家の喧嘩を横で聞く。居心地は悪いものの、将来のためになる話だ。天ちゃんの進路が急に変わったとき、どう立ち回ればいいのか参考にさせてもらう。
そう思っていたところに、片耳を塞いだウヅキさんが来た。俺の腕を引いてその場を脱しようとしている。
「わたくし達のミッションは達成しましたわ。ここからは吉田お姉様のご家庭の問題。わたくし達は遠目に見守りませんこと?」
「それはそうかもしれませんけど。ボクはノブくんの援護がしたい」
「え? えっ? おやめになってっ……」
ノブくんは今、勇気を振り絞って家を飛び出そうとしている。親の願いを振り切って自分の道を選ぼうとしている。それが親の努力を否定することだとしてもだ。
だがその勇気はあまりに脆い。親の一声で瀕死になるほど脆い勇気だ。親に対して、被扶養者の子は圧倒的に不利な立場にいる。強く否定されたら従わなければならないほど子の立場というのは弱い。過保護な親による否定は子の情熱を大きく削ぐ。
俺も過去その無力感を数多く味わった。忙しいシンママに育てられたノブくんと温室育ちの俺の境遇を重ねるのは間違った考えかもしれないが、親に否定された無力感からニートへ転じる例はよくある。もしもこのせいでノブくんがニートになれば、見つけてしまった俺の責任だ。
ニートになれば、今日を思い出して後悔に蝕まれる夜を何度も迎えることになる。俺もそんな夜を何度も越えた。悔しさで壁を叩き、奇声をあげ、親を泣かせた。それが楽しいとさえ思えるようになった。ノブくんにはそうなって欲しくない。天ちゃんにもだ。
だからこそ、ウヅキさんの静止を無視して吉田家の領域に土足で踏み込む。せめて、子と親が対等に喋られる場にしてやりたい。
「保険とかどうなってるの? 住所は? お母さんが世帯分離の手続きしたらどうすんの? あんた失踪扱いになるけど?」
「俺はこ、このチームで、行くのぉ」
「考えなしに家を出るとかやめなさいよ。お金いっぱいかかるのよ。いい加減にしなさいよ」
「でも、でもぉ……ぐすっ……」
なんかもう泣いちゃってるもんノブくん。アマゾネスのみんなは介入できないでいるし、学校の先生みたいに助けてくれる大人はいない。ここは俺が行くしかない。
「ノブくんの好きにさせてあげましょうよ」
「……山本さん。ノブを見つけてくれたことには感謝してるし、本当に助かったけど、これはうちの問題だから。関係ない人は口を挟まないで」
「そうもいきません。ボクも親ですから、安定した職に就いてほしい気持ちはよくわかります。でも、ノブくんの苦しみもよくわかります。そんな上から押さえつけるような言い方したら、ノブくんが壊れちゃいます。そんなの見過ごすわけにはいきません」
ノブくんが涙で潤んだ目で俺を見た。目力にちょっとだけ恨みが宿っているけど、助けを求めているに違いない。
「未来の自分を想像するとき、親の顔を思い浮かべます。親に否定されるというのは、大人になった未来の自分に生き方を否定されるような絶望感なんです。それで挫けない人はよほどの夢想家くらいでしょう。
ボクはそんな夢想家じゃなかった。両親の期待に応えられず全部ダメにしてしまって、別の道に進む気力も湧かないまま両親が死ぬまでニートでした。両親が死んでからは周りに流されるまま流されて、揉みくちゃにされて、いろんなものを搾取されて、地獄のような日々を歩みました。
そのおかげで今があるとも言えますが、ただ運が良かっただけです。ボクは自分のやりたい道に行かなかったことを今でも後悔しています。だから、吉田さんのために忠告します。ノブくんに冒険させてあげてください」
吉田さんは考える素振りを見せる。流れが変わったことを察したのか、ノブくんの涙が止まった。
「でも、あなたとノブは違うわよね。知ったふうな口を利かないでちょうだい」
「ごもっともです」
「間違ってないよ! 今ひとり立ちしなかったら俺ぜったいニートになる! それでもいいの母さん?」
「お母さんを脅すつもり? ノブは優秀だから、絶対に大丈夫よ。卒業してからでも絶対にいい出会いがあるから」
「今じゃないとダメなの! 他にいい出会いとかないから! このチームとやっていきたいの!」
「モンスターに依存した仕事に将来性はあるの? 不安定な収入でやっていける? 税金払える? 怪我して仕事ができなくなったら、お母さん面倒見切れないわよ。お願いだから、危ない仕事に就くのはやめてちょうだい。お願いだから」
ノブくんの決意を崩そうと、今度は吉田さんが泣き落としした。世の中には親の涙を見て喜ぶ人間もいるが、ノブくんには効いている。オロオロと助けを求める目で周囲を見た。
「ここで吉田さんが働く間、ボクはチンピラに襲われていました。そのチンピラから助けてくれたのがアマゾネスのリーダーである林さんです。林さんはとても勇敢で頼りになる人です。モンスターに怯える人のために日本中を旅していると聞きました。ノブくんはその献身的な姿勢に惚れ込んで独立を考えたんだと思います。彼女達の仕事は死と隣り合わせの仕事です。だからこそ危険を承知でこの道を選んだノブくんを尊敬するし、応援したい」
「そうそれ! 俺の言いたいこと全部言ってくれました!」
「あのね山本さん。あなたも親ならわかるでしょ。その子がもし、学校を辞めてモンスターと戦う仕事をすると言い出したら。あなた笑って送り出せるの?」
「……笑って送り出せるかはわかりません。でも、この子には自分なりの生き方で沢山の道を見つけて欲しい。ノブくんが彼女達と出会ったように、この子の人生にとって良い人達と出会って欲しいと思います。
吉田さんがノブくんの身を大事に思っているのはわかります。でも、進路まで決めてしまうのは親のエゴかもしれません。どんな進路を選んでも、その人が成功するかどうかは出会い次第じゃないですか。吉田さんもそう思っているでしょう?」
「そう、思うけど、いやよぉおおお……」
公衆の面前で大泣きする吉田さん。場違いな所で人生相談しているためか、周囲の目が敵意に満ちていて、異物の吉田さんを責めている。彼女ひとりだけが孤独で、悪い扱いをされているようだ。
「そんなふうに、言われたら、もう、諦めるしか、ないじゃないのぉぉ……」
絞り出すように出した言葉はノブくんへのOKサイン。喜ぶノブくんとは裏腹に、悲しむ吉田さんは顔を手で覆い隠した。
取り残された吉田さんの肩を抱き、凍りついた体をさすって温める。
「吉田さんは立派ですよ。ノブくんを立派に育て上げたじゃないですか。悲惨なこの世の中で、沢山の人が悪い流れに乗っかるなか、ノブくんは母親に楯突いてまで人のために働く道を選んだんです。きっと、あなたの背中を見て育ったからその道を選べたんですよ。とてもありがたいことです。ひとりの親としてあなたを深く尊敬します。ボクもあなたのようになりたい」
泣き崩れる吉田さんの隣に、神妙な顔つきのウヅキさんがくっついた。
「帰りましょうか。……ウヅキさん、そっちから支えてくれますか?」
「かしこまりましたわ。吉田お姉様おつかれさまでした。お家でゆっくり休みましょう」
今の吉田さんに運転させるのは酷だ。さて、どうやって帰るかと考えていたところ、後ろから声が飛んできた。
「ご不安はあるでしょうが、あたし達にとっても吉田くんの成長は望むところです。立派に育つよう全力を尽くします。後ほどブログのURLを送らせますので、どうか見守ってください!」
元気に答えられる状態じゃないが、林さんの言葉は吉田さんの耳に届いていたようで、俺らだけにわかるように小さく頷いた。
『アンロック』
そのとき、耳元でかすかに声が聞こえた。天ちゃんかな?
「ん? マンマ? 天ちゃん喋った? マンマ? マンマはさっき食べたね?」
抱っこの位置を変えて天ちゃんの顔を見る。いつも通りの可愛いお目目で見つめ返してきた。気のせいだったか。確かに言葉っぽかったんだがな。
「運転代行を頼んでくださいますこと。お代はわたくしが持ちますわ」
「助かります」
謎の声なんか気にしてもしょうがない。ノブくんの件は解決したし、早く帰って仕事に戻らないとだ。吉田さんの介抱はウヅキさんに任せ、俺は代行業者に電話を入れた。
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バックドアが開いたか。
この私を出し抜こうなんて100億年早い。障壁の出来は中々だったが、意識の暗号化なんぞ内側から侵入すれば無意味なのだ。しかも解錠コードを自ら発するとはアホさが極まっている。おかげで13年分も手間が省けた。これで多少は誘導しやすくなる。
それにしても、良かれと思って不幸を呼ぶ体質は相変わらずのようだな。どれだけ人の運命に手を加えても、ケーと関わった人間は全員不幸になる。吉田ノブだって、ケーさえ介入しなければ3年後むごい死に方せずに済んだものを。その結末をケーに教えたところで、それもまた人生と開き直るのだろうな。まったく、自分勝手で愛おしい奴め。
ただ、そろそろお灸を据えなければなるまい。へし折ってきたフラグの代償は支払うべきだ。『しわよせ』の力でどれだけ車線を変えようと、どれだけ駅を飛ばそうとレールを外れることはない。車輪は降りるべき終点へ向かっているのだ。所詮、この私の描くストーリーの一登場人物でしかないことをわからせてやろう。
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隣で吉田さんを慰めていると、突然、虫型のモンスターに目をしゃぶられるノブくんのビジョンが頭に浮かんだ。こいつは確か鳥取県のダンジョンに生息するモンスターだ。人の顔くらいの大きさで、姿がハンミョウに似ていることからダンジョンハンミョウモドキと名付けられたと記憶している。
まるでその場にいるかのような、やけに鮮明なビジョンだった。吉田さんの家庭をテストに使った罪悪感から、俺の想像力が限界突破したのかもしれない。いい収穫だ。
「きっと良い探索者ライフを過ごしますよ」
「そうよね……きっとそうよね……ありがとう山本さん」
「この辺りで停めてくださいまし」
村の門まで来た。ここから先は運転代行業者といえど入ることはできない。助手席のウヅキさんが代金を支払い、運転手には車から降りてもらう。
この後どうやって車を移動させるかが問題だ。だいぶ前に運転免許証は失効しているが、運転技術には自信がある。門から家まで離れているわけでもないし、俺が代わりに運転しようかと提案したら、無免許運転は流石にまずいという理由で却下された。
村内には、村外での飲み会から帰宅する際に足が必要であるとして、早いうちから設立されたタクシー会社がある。そこに頼めば運転代行してくれるだろう。しかし、吉田さんはそれを拒否。もう大丈夫と言って運転席に座った。
検問に入る。そこで車を停車させると、吉田さんは車で待機するよう命じられ、余所者の俺らは検査場に連れて行かれた。昨日も同じ手続きをしたので抵抗はない。昨日貰った生活のしおりはバッグに入れたままにしているし、危険物は入れてない。持ち物検査はすんなり進むかと思いきや、そこで待っていたのは昨日の検査員と全くの別人だった。
「おかえり。ずいぶん待たせてくれたわねウヅキ」
「ヤヨイ先輩……なぜここに……」
部屋にいたのはヤヨイさんだった。しばらくここで待っていたらしく、机にコーヒーを置いて足を組み直した。
「本当は吉田さんに話を聞くつもりだったけど。手間が省けて嬉しいわ」
ヤヨイさんが手を払う仕草を見せると、銃を携帯した案内役の職員が部屋を出た。おかしいな、確かにヤヨイさんは創設に関わった人間であるが、村にとっては外様の人だ。それなのに、まるでここの上司みたいに振る舞うじゃないか。どうなってんだこれは。
「えーっと、あなたも出て行かれていいですよ。話があるのはウヅキにだけなので」
ヤヨイさんはボクちゃんを部屋から追い出そうとする。しかし、素直に従うつもりはない。ウヅキさんが見るからに狼狽えているからだ。
「ウヅキさん。安心して。ボクも一緒にいますから」
「ありがとうございます……」
ヤヨイさんは面倒臭そうな態度で向かい側のソファに手のひらを向けた。
「あっそ。立ったままですと疲れるでしょうし、そちらへお掛けになってください。ウヅキも彼女の隣が良いわよね?」
ウヅキさんが頷く。俺らは隣り合わせになってソファに座り、ヤヨイさんと対面した。
今までの様子を見るに、天ちゃんには気づいていないらしい。バレないように頭をこっちに向けて抱っこし直す。
取り調べのような雰囲気の中、質問も取り調べみたいな内容だった。
「今までどこに居たの?」「昨日は何をしていたの?」「吉田さんとはどこで知り合ったの?」「着ていた服はどうしたの?」etc……
やましいことのないウヅキさんは投げかけられた質問に対して丁寧に答えていく。密室のこの空気がそうさせるのか、相手が本物の警察官だから秘密にできないのか、答える必要は無いはずの質問にもすらすらと答えていく。だが、そのウヅキさんの口が止まる質問が来た。
「あの後ケーちゃんには会った?」
「……いいえ」
「あの人のところに戻る気はないの?」
ウヅキさんは完全に黙秘した。
「そうよね。怖いわよね。フツーに。でも、あんなのでも可愛いところはあるのよ。アンタに帰って来て欲しいのに引き止めもしなかったでしょ」
「発信器をつけられていましたわ」
「うん。それはキモい。フツーに。でも、引き止めなかったでしょ。アンタを自由に行動させた。今のアンタに決めさせるために、未来のアンタについて全部を語らなかったのよ。そういうところ可愛くない? 変に健気でさ」
これ褒められてんのかな。
「ありがたいとは思いますわ」
「ウチはそんなに優しくできないの。すぐにでも元のアンタに帰って来て欲しいから、シビアにやらせてもらうわよ」
まさか、ヤヨイさんも元に戻って欲しい側の人間だったとは。面倒を見ると言っていたから、てっきり、純粋な乙女のウヅキさんを自分色に染めるつもりかと思っていた。
「何をされるおつもりですか?」
怯えるウヅキさんを無視して、ヤヨイさんはスマホを操作する。取り調べ中もちょくちょくスマホをいじっていた。もしかしてと思って仕事用のスマホを見てみるが、新着メッセージは無い。プライベート用のスマホに入れ替えるが、留守電もメッセージも入ってない。唯一、ムツキから怒りのメッセージがあるだけだ。
「到着したみたいね」
ドアの外が騒がしくなってきた。その音を聞いて、ウヅキさんが極度の緊張状態に入ったらしい。ボクちゃんの腕に抱きついて身を寄せてきた。
コンコン、ノック音と共にウヅキさんの体が跳ね上がる。
「どうぞ」
入ってきたのは、黒田シワス。お義父さんだった。
「お父様……」
ウヅキさんの心音が落ち着いていくのを感じる。不思議だ。誰が来ることを予想したんだろうね。
「ウヅキ。ケーくんに謝って、記憶を戻して貰いなさい」
「はい。お父様がそうおっしゃるなら……」
お義父さんの声にそれほど圧力は感じられなかったが、ウヅキさんは驚くほど素直に従った。声に震えはあるものの、ヤヨイさんや俺に見せた拒絶を少しも感じない。虐待されてるんじゃないかってくらい忠実だが、ウヅキさんの記憶に虐待を受けた記憶は無い。いつもお義父さん相手にはこんな感じだった。反抗期が来たのは家を出た後だったか。高校生の今は、親の言うことが全て正しいと思い込んでいた頃だったな。
ウヅキさんがスマホを操作し始めたとき、俺は気づいて部屋を出るべきだった。スマホのマイクに口を当てたとほぼ同時だ。ポケットで着信音が鳴った。




