76 ティーンエイジャーウヅキ
昨日の分までの書類が片付き、執務机がスッキリした。昨晩まで紙の山だった場所には、ノリ綴じタイプのレポート用紙が1冊とコロッケを作るときに使う角型トレイが2つ置いてある。
その片方のトレイでは牛乳よりも白い液体が波打っている。
「ふんふーん♪ ふふんふーん♪」
執務室に響く楽しげな鼻歌。鼻歌といっても鼻はないけども。ボクちゃんはご機嫌な様子で、終わりかけのレポート用紙からペリペリと紙を剥がした。
剥がした紙は白い液体に浸してから、隣のトレイに移す。先に積んでおいた紙束とズレないよう角を合わせて、濡れた紙のシワを伸ばして丁寧に揃える。昨日は事務仕事を終わらせたあと夜通しこの作業をやっていた。
結構時間がかかる。記憶から再現できたら楽なんだがそう簡単にはいかない。ボクちゃんの経験によると、地球とつながる以前に開発された魔法道具は、そのままでは地球で使えないらしい。地球で使うには作成時に地球の素材を混ぜる必要がある。時間がかかっても一からつくるしかない。我慢や我慢。
「薄まってきたな」
白い液体が少し足りないようだ。トレイの底が少し見えた。亜空間から瓶を取り出して、中身を注ぐ。
瓶には同じ白い液体が詰まっている。これは自作の液体なのだが、ちょっと作りすぎたのかもしれない。この白い液体の材料は、天国に生えた木の樹液から有効成分を抽出して濃縮させたエキス、それにヤギのミルクを混ぜ合わせたものだ。
100枚入りのレポート用紙を全て染め終えたので次の工程に移った。表紙まわり作りだ。表紙には〖強い糸〗製の布を使う。布はページ作りをする前に、白い液体に浸して干しておいた。その布の裏面に接着液を噴射する。用意しておいた厚紙に折り目を付け、その折り目に沿って布を貼り付けていく。
隙間なく完璧に貼り付けなければならない。別にこだわらなくてもいい部分かもしれないが、これは日本に生まれた者として欠けてはならない職人魂だ。数ミリたりとも譲れない。
表紙の角がシワにならないように、少し伸ばしてから布を貼り付ける。余分な布は溶解液で溶かして、触ったときに不快感が生まれないよう厚紙と馴染ませた。
これで表紙まわりの完成だ。あとはトレイに積んだままの紙束から水分を抜き、紙同士を縫い合わせて、接着液で表紙にくっつけるだけだ。
カーペットを占領する木を片付けるためにも早く仕上げて欲しいところだが、その工程に移ろうとしたとき執務室の扉が開いた。
「おはようございます。……くっさ!」
ウヅキさんだ。木が邪魔で顔が見えないけども、朝っぱらからご機嫌斜めなのは間違いない。
「何のニオイですか! それにこれ、木? なんですかこの木は! でかすぎ! どうにかしてください!」
「おはようございます。その木はまだ使うから退かせんぜ」
「果物がなってますけど。なにこれ。黄色い桃?」
「食うと若返る幻の桃や。天国にしか生えない。製本するのにその木が欲しかったっちゃけど、天国に行けないから再現した」
「製本? にゃんで。まずっ。ほんなんて。ゴクッ。つくってるんですか?」
この人、ためらいもなく桃食ったよ。そりゃあ若返るって聞いたら食べたくなるだろうけどさ。少しは食うの迷うやろ。
「あーあ。警告する前に食べちゃったよ」
桃を食べたら外見が若返る。ただし、この木が生えるのは天国だ。霊魂たちにとって、外見とはすなわち前世の姿。生きている人間が桃を食べたなら、魂はそのままでも身体全体が若返る。
「きゃーーッ!!」
当然、脳もだ。
「ば、バケモノォォーーー!」
元が幼い顔立ちだから、どのくらい若返ったのかわからんけど、俺と会う前なのは間違いないな。背がほんの少し縮んだし、高校生くらいか。悲しむなよボクちゃん。
「ひぃ……ひぃ……はぉぅ……助けて……助けてぇ……お願いしますぅ……」
修復は無理だが諦めるな。脳は忘れても、魂は全てを覚えている。魂の金庫を開けさえすれば、記憶だけでも元のウヅキさんに戻せる。
問題があるとするならば、金庫を開けられる人間はウヅキさんだけってところだな。
「黒田ウヅキさんですね?」
「ひぃぃ……こないでぇ……!」
執務室の扉を開けようとして手が滑ってる。自分で鍵をかけたんだけど、それも忘れちゃったよな。
しかし、へっぴり腰のウヅキさんも可愛いな。ティーンエイジャーだからか、より一層可愛い。よく見たら顔にニキビがある。
それと本人には絶対に言えないことだが、若い子が化粧すると老けて見える現象が起きている。
「左手薬指をご覧なさい」
「悪夢ですわ……起きてわたくし」
ダメだ。聞こえてない。自分の頬を叩き始めた。
パシン! パシン!
そんなに強く叩いたらニキビが潰れちゃうぞ。しょうがない子だよ全く。
「起きてッッ……! 起きなさいッッ……!」
パシンッ! パシンッ!
「そんな音を立てたら、オフィスで淫らなことヤッちゃってるって誤解されるやろ。やめなさい」
「来ないで。来ないでくださいましぃ……!」
声が張り始めたな。念のため〖結界士〗と『静寂』をかけておこう。庁内でバケモノ呼ばわりされるのは良くあることだから、先の悲鳴を気にする人はいないだろう。だが、立て続けに同じ人の悲鳴が聞こえれば事件を疑われそうだ。
「誰かーッッ! 助けてーッッ! 誰かあああ!!」
あっぶね。危機一髪や。かけてて良かった静寂保険。おっと、桃を潰すところだった。拾っとけ。
「薬指をご覧なさい。俺の指に同じ形の指輪があるやろ。俺とウヅキさんは夫婦なんや」
「薬指ですって……?」
信じられないって顔だな。まだ夢だと思っとる。ダンジョンの無い時代からやってきたわけだし無理もないが。とにかく、今は彼女を落ち着かせるのが先決だ。桃を見せたら少しは納得するか?
「この食べかけの桃は若返りの実なんよ。ウヅキさんはこれを食べたばっかりに、脳まで若返ってしまった」
「夢……これは夢ですわ……」
「ほら、自分の姿を見なさい。あなたは今、スーツを着ているね。未来のあなたは俺の秘書みたいなもんで、ここが仕事場だ。右ポケットにスマートフォンがある。あなたが知ってる物よりも進んだ技術のスマホだ」
「文明の利器にお詳しいのですね」
受け答えができるくらいにはなったらしい。少し落ち着いてきたみたいだ。逃亡することなく、俺の言う通りに動いてくれた。
ポケットからスマホを取り出したが、電源の入れ方がわからないようで少し戸惑っている。しかし、ウヅキさんは昔から賢い。しばらく触ったらコツを掴んだようだ。電源を入れ、生体認証を軽々と突破したあとの一言は自信に満ち溢れていた。
「それほど変化しておりませんことよ」
あまりにも自然な動作で調べ物をしている。いろんなサイトの日付とか自分の経歴とかを調べているんだろう。人の言葉を簡単に信用しないところは、さすが若くともウヅキさんと言ったところか。
「わたくしは未来の日本に迷い込んでしまったのでしょうか。あなたのおっしゃる通りでしたら、若返ったという認識になりますが。やはり信じられませんわ」
ちゅーか、お嬢様口調可愛すぎだろ。大学で浮くからって、やめなくても良かったのにな。
「ウヅキさんをよく知っているからこそ、簡単に信じてくれんのはわかっとる。でも俺にとってはこれが現実なんや。そこは理解してくれるよな?」
「ええ、ええ、そうですわね。あなたが夢の住人だとしても、夢の中で立派に生きていらっしゃるんですもの。わたくし、大変失礼なことを言ってしまいましたわ。申し訳ありませんでした」
「謝るのはこっちの方だ。忠告が遅れたばっかりに、あなたを困らせてしまった。本当にすまないと思っている」
頭を下げたのが効果テキメンだったらしい。ウヅキさんの緊張がほぐれていく音を肌で感じる。
「そのことを反省して、先に現実的な話をさせてもらいたいんだが、いいかな? 今もまだ混乱しているあなたに追い討ちをかけるようで悪いが」
「よろしくてよ」
「ウヅキさん。あなたは選ばなければならない。今のまま暮らすか、記憶を取り戻すか」
「そんなどちらかなんて……きっと夢ですから……でももし目が覚めなかったなら……」
迷ってるみたいやな。そりゃそうだ。記憶を取り戻すというのは、ティーンウヅキさんからしてみれば自分を失うのと同じこと。若返ったばかりの状態で決めさせるのは酷だな。
「俺としては元のウヅキさんに戻って欲しい。だけど、決断を急がなくていい。今日一日過ごしてみて、夜になったらもう一度聞く。それまでは自由にしてくれ」
「自由でよろしいんですの?」
「電話は取れるようにしといてくれ。スマホの連絡先を見るんだ。天道ケーってのが俺だ」
「て、て、たちつて……ありませんことよ」
なんでやねん。ほんじゃあ、いつもどっから電話してんのよ。
「ダーリンとか、夫とか、変わった名前は?」
「変わったお名前ですわね……な、に、ぬ……は、バ……ございましたわ。
バカニート。あら、とてもお下品ですこと。本当にわたくしのスマホですの?」
「ああ、それや。間違いない。もし出かけるんなら、その番号を覚えておくんや。居場所を教えてくれたら駆けつける。外は危険でいっぱいやから、電話帳に甘えずに暗記するんやぞ」
「ええ、もう覚えましたわ」
「ほんじゃあ、あとは好きにしてくれ。財布にある魔法のカードを使えばなんでも買える。幾らでも使っていい。天道ウヅキは大金持ちなんだぜ。8割税金で取られても一生遊んで暮らせるほどにな」
「ご親切にどうもありがとうございました」
最初のビビり具合が嘘かのようにお辞儀したな。本当にクールだぜ。そういうところが尊敬できる。
ガチャリと鍵の開く音が鳴る。
この仕事は強い心臓がなきゃ務まらない。ウヅキさんの代わりなんて見つからないかもしれない。いなくなるのは寂しいし、頼れるパートナーを失うのは不安だ。本当に行って欲しくない。だけど、無理矢理引き止めるのはカッコ良くない。ティーンウヅキさんの新たなる旅立ちを祝おうじゃないか。
バタンッ……
そのまま部屋を出て行くかと思ったが、ティーンウヅキさんは扉を閉めた。
「もう少しだけ、こちらに居てもよろしいかしら?」
「許可なんていらないぜ。ここはウヅキさんの部屋だ」
ちょっと嬉しいな。俺の姿を見ておいて逃げずに引き返してくれるなんてよ。
「あの、そういうことでしたら質問させてもらってもよろしいですこと? どうしてわたくしのお部屋に木が」
「ああ、それは……ほら、これや。このノートを作ってた。その木を材料にしてね」
こっちに興味が向いているうちに完成させるか。せっかくだからスキルの力を見てもらいたい。今のまま暮らすことを選択したとき、スキルを知っているのと知らないのとでは生きやすさに差が出る。
「もうすぐ完成だぜ。あとは水分を抜いてノリづけするだけ。さあ、仕上げをしよう」
濡れた用紙を〖浮遊〗と『重力操作』で上昇させる。それから、用紙がズレないよう上下左右前後から『重力操作』を重ねがけして押しつぶす。上下のプレスは強力にしつつ、前後左右は弱めに設定。なにごともバランスが大事だ。
ダラダラと染み出た臭い液がカーペットを濡らす、その前に念力の桶でキャッチ。
「お用紙が宙に浮かんでおりますわ……」
見てる見てる。紙に釘付け。完成したらもっと驚くぞー。
「こき使うようで悪いが、そこの机に置いてある表紙を持ってきてもらえるか?」
でかい執務机の端っこを指差す。重力操作の重ねがけと念力を同時に使うのは初めてだから集中したい。自力で操作する念力と違って、重力操作は選択した物自体にかけられるから便利だし、どんどん使って慣れていきたいところ。
「こちらの白い布にございまして?」
「そうそうそれそれ。あとは糸だけやな」
このノートを作るにあたって、用紙を結ぶ糸の調達がもっとも難しい。ただの糸では効力を発揮しないのだ。桃の葉を蝕んだ芋虫の繭から採った糸でなければノートは完成しない。
時間がかかる作業だから、桃の木から樹液を採る前に仕込んでおいた。
さて、どの辺に居るかな。出ておいで。
来た来た。俺の分身がゾロゾロとカーペットを這ってきた。
「ひぃぃぃ! む、虫ぃぃ! 虫ですわァァ!」
ぷっくりと太ってやがる。たんまりと糸を溜め込んでるぜ。こりゃあゴミが増えそうだ。
長くて丈夫な針を用意する。紙を結ぶだけなんで、わざわざリールに糸を巻く作業はいらない。糸の製造と縫合は同時に行う。
ビュッ!
分身が口から糸を飛ばす。飛んできた糸をそのまま針穴に通した。乾ききった紙束に素早く針を刺し、マシーンほどの精密さで綴り合わせる。
その華麗なる糸捌きをティーンウヅキさんが感心したように見ていた。裁縫が得意な子だったし、自分よりも上手となると見惚れちゃったかもな。
もう用済みだし、作りすぎた分身達を〖黒紫のオーラ〗で取り込んでおこう。それと一緒に木やゴミも黒紫食いして片付ける。
「表紙をくれ」
「あ、はい」
受け取った表紙を開き、背表紙の内側に狙いをつける。はみ出さないように気をつけて、気持ち少なめに接着液を噴射した。あとはこの紙束をくっつけて、完成だ。
「良い出来だ。今までで一番かもしれん」
どうやら、ボクちゃんが惚れ惚れするほどの出来だったみたいやな。
「さっそく試してみよう」
執務机の上にノートを開いて、ペンを取る。おいおい、ウヅキさんを置いてけぼりにするんじゃないぞ。お楽しみに参加させてやるんだ。
「さあ、ペンを取ってくれ。魔法が当たり前になったこの世界で、最高級の魔法をお見せしよう」
取ったペンを眺めて、ゴクリと音を鳴らすウヅキさん。その好奇心の強さが伺える。興味を持ったら納得のいくまで追求してしまう性格は昔からなんだな。
「このペンをどうしたらよろしいのでしょうか?」
「願い事を頭に浮かべて強く祈るんだ」
「ふむむぅぅ……」
彼女はペンを握りしめて目を瞑った。踏ん張っている様子が可憐だ。普段、他人の言葉を信じないウヅキさんがこんなにも素直に従うなんてあり得ない。素直に信じるのは親の言葉くらいだ。出会ってまだそれほど時が経っていないというのに、そこまで信頼してくれていることが嬉しい。
「すまん嘘や。それはただのペンで魔法の杖じゃない」
「もう! からかわないでくださいまし!」
「悪い悪い。あ、ちょっと、ペン先を向けないでくれ。先端恐怖症なんや」
「えい! わたくしに意地悪した罰ですわ!」
「粗末に扱うな。2万円のペンだぞ」
「わたくしがそんな言葉に怯むと思って?」
「ペン先こわい!」
本当は先端恐怖症じゃないけど過剰に反応しとけ。これに味を占めてくれたら、ウヅキさんはペンを手放せなくなる。GPS付きのペンをな。
「うふふっ。かわいそうですから、これくらいにして差し上げますわ。ところで、最高級の魔法はいつ披露してくださるのかしら」
「怖い女やで全く。……そうだな。まず、日本で一番偉い人を頭に浮かべてくれ」
「むぅ! あまりわたくしを舐めないでくださいまし!」
騙されたと思ったんか、またペン先を向けてきた。膨れっ面のウヅキさん可愛すぎだろ。
「今度は本当だって。ペンを向けないでくれ。とにかく人の顔を思い浮かべて、ノートにその人の名前を書いてみるんだ」
「あいにく、わたくし勉強のことで頭がいっぱいでして、政治に関心を持つだけの余裕がありませんの。総理大臣の名前くらいは浮かびますけれど、本当の意味で偉大なお方とはバッジをひけらかすようなお人ではありませんわ」
「ほんじゃあ、時の人でええわ。ほら、こいつが今の日本国大統領」
高橋のプロフィールを見せてやったら、目ん玉ひん剥いて驚いた。
「大統領!? やっぱりわたくしは夢を見ているのですわ!」
「俺も認めたくないが、総理大臣がトップの時代は終わったんや」
「そうなのですね。もはやわたくしの知る日本とは完全に別世界ですけれど、こちらの高橋ケンシというお方は存じ上げておりますわ。今は防衛大臣ですけれど、次期総理大臣と持ち上げられていました」
「それが今は初代大統領よ」
「良く国民の皆様がお認めになりましたね」
「いいや。投票などは行われていない。それよりも、このノートにこいつの名前を書いてみてくれ」
テレビを点けておこうか。生放送はないが、今ごろ大阪の会議場で主要各国の首脳と挨拶を交わしているところだろう。
【高橋ケンシ】
「書きましたわ」
「ほんじゃあ、次は俺が書くぜ」
【高橋ケンシ】->【地獄】
「地獄!? なんてお下劣な言葉をお使いなさるの!」
「よし。テレビを見てみよう」
会議場にいる面子で、中国を除く全ての首脳がパトロン・ケーを所有している。倒れた高橋を起こそうとして蘇生措置を試みるはずだ。そして、高橋が生き返らないことに驚く。
生放送が無くとも、現場には記者が招待されている。事態はすぐに報道本部に伝わって速報が出るはずだ。
俺の仕業であることは彼らも直感でわかるだろう。だが、目的はわからず対処法も得られないまま、あたふたとして死に怯えるのだ。パトロン・ケーの限界を知り、恐れ慄くがいい。
「ロシアにドラゴンが出現ですって……? こちらは何というタイトルの映画を再生なさっているの?」
ロミさんは【ズミー】と名付けられたのか。ずいぶんと大暴れしているみたいやな。果たしてロミさんは意識を保っているのか、はたまた単に暴走しているだけなのか。
『ニュース速報 高橋ケンシ初代日本国大統領が心肺停止 原因不明』
大統領の暗殺成功。見よ。
「これが魔法の力ってやつや」




