74 もしかして、このトンネルの地縛霊?
たった一つの呟きでトンネル内の生命が全て息絶えた。復活させたばかりの天とウヅキまで死んでしまった。2度しか死んでいないウヅキはともかく、ナギと天はもう二度と生き返らないかもしれない。それを悟ったであろうケーは、仮面越しにわかるほど落ち込んでいた。
いったい何が起きたのか。それは唯一死なずに立っている正体不明の女に訊ねるしかないだろう。
「おめぇか? 今、『死ね』っつったのは」
「…………」
シワついた白いワンピースを着たその女は、小柄ながら異様な存在感がある。胸まである銀髪から覗いた顔は、ノーメイクなのに病的に白く、目元の大きな隈が三白眼を強調している。ホラー映画のクリーチャーがスクリーンから飛び出してきたら、こんな登場シーンしかないという妙な説得力すらあった。
「もしかして、このトンネルの地縛霊?」
「…………」
女の身体は透けていない。裸足ではあるが二本足で立っている。だがしかし確かに感じるプレッシャー。ラスボスよりも遥かに強い。
「はいはい。ステータス測定不能ね。遠路はるばるマナガスからお越しになったようで。なんていう女神様かな?」
「…………」
ケーの無礼な言葉を受けても、女は表情をひとつも変えない。出てきた時と同じ、大きく見開いた三白眼でケーを捉えたままだ。
「他のマナガス神は種族のところに役職を書いてたぜ。おめぇはそういうの嫌いなんか? それともガイドラインが変わったのか?」
「『死ね』」
女を発生源として、色の無い不気味な波がふわりと流れた。波はトンネルの外まで広がり、波が届いたところには死がもたらされた。木も、鳥も、獣も、モンスターも、微生物に至るまで死んだ。即死だ。自分に何が起きたのか意識する間もなく死んだ。
その波の中で立ち続けているのは女だけだ。ケーは地面にあぐらをかいていた。
「……なんで死なないのさ」
「喋れるんなら返事くらいしてくれよな。聞こえていないかと思ったぜ」
あー、そっか。神ってのはそういう奴らだったな。と小さく呟く。
「お嬢ちゃん、成り立てかな? お嬢ちゃんは知らんかもしれんがね。分裂神って簡単には死なないのよ。俺もその仲間だから死なないわけ。わかったかい?」
「わっちなら殺せる。だから兄に頼まれたのさ。ぬしを殺す仕事をな」
「なんだ、先輩か。ほんじゃあ、その力でお嬢ちゃんも殺せるのかな? ん?」
「さぁね」
「ほーん。なら、『死ね』」
ケーを発生源として、色の無い不気味な波がふわりと流れた。波は女を通り過ぎたところで消えた。神をも殺せると言った女は、依然変わらずそこに立っていた。
「死なんやんけ」
「当たり前さ。自分の力で死ぬほどマヌケじゃない」
「これじゃあ黒紫のオーラの下位互換じゃねえか。お兄ちゃんの買い被りだな」
「買い被りだって……?」
「ステータスも技も、俺のプロフィールは公開されてんだぜ。本気で勝つ気なら俺の力を測り間違えとるやろ。これならおめぇのお兄ちゃんも大したことなさそうやな」
「兄を愚弄するやつは許さない……」
ケーの嘘くさい挑発に乗せられ、女は怒りを隠すこともせずに亜空間に手を突っ込む。手を引き抜くと、長さが自身の身丈と変わらない二叉の槍が出てきた。
「おめぇ。その槍……」
「死ね」
「【ゼノン・エスケープ】」
次の瞬間、ソニックブームがセダンの窓を破壊した。女の姿は見えない。音よりも速く動いている。遅れて轟音が響いた。ワゴンの炎が刹那で鎮火し、ひび割れた天井が粉を吹く。トンネルが口から唸り声を上げた。女の動きが噴流を生成し、トンネルの外に空気を押し出したせいだ。
ただ、それだけ速く動いてもケーに追いつくことはできない。槍を突き刺したと思ったら、反発するようにワープしていた。女はその力の謎を解明するために、何度も槍を突き出すが、正体の一片も掴めない。諦めて別の手段に切り替えることにした。
その一瞬の判断の切り替わりが隙となる。逃げのワープで避けるだけだったケーが攻めに転じた。ケーの姿が消える。
女は探す間もなく頭を掴まれ、地面に強く叩きつけられた。
当然ながら、物理的な手段では分裂神の身体に傷ひとつ付けられず、女は怪我ひとつ負っていない。
ただ、逆にそれが不思議でもある。今のタイミングで〖黒紫のオーラ〗を使っていれば決着していた。ケーの能力を知っているからこそ、女も同様の疑問が浮かぶ。そして、手加減されたことに気づいて怒りが湧いた。
砂埃が晴れる。いつしか二人はトンネルを出て、採石場に場所を移していた。ここには人っこひとりいない。どれだけ暴れても、死ぬのは虫や植物だけだ。ショベルカーの上で眠っていた鳥たちは飛び立ち、虫たちは土に潜って身を隠す。翼も足もない植物たちは、土から養分を吸い取って種子作りを急いだ。
「うおおぉォォぉおッッッ!!」
地面に這いつくばった女は、全身の力を振り絞るように勇ましい叫びを上げる。未だ頭を掴み続けるケーを貫かんと、下から槍を突き出した。しかし空振り。逃げのワープで避けられた。
「その槍を知っているぞ。記憶にある。触れたものの魂を剥離する伝説の槍『冥府送り』。それを扱うのは冥界神ボクヴォロス。天国と地獄を管理する神の一人で、現世に姿を見せることは滅多にない謎多き女神。主に北半球で信仰される神であり、兄に天空神ダジストリ、弟に海洋神ベロクパーラがいる。ダジストリの妹と言うが、ダジストリが兄弟を求めたときに片方の睾丸が割れて出てきたのがボクヴォロスであり、厳密には娘とも位置付けられる。ずっと天国に引きこもって集会に顔を出さないため、他の神々は陰ながら陰金姫と呼んでいる」
「なんだって?」
「冥界神ボクヴォロス。おめぇに訊きたいことがある」
「待て。今、聞き捨てならない言葉があった。陰金姫とはなんなのさ」
「もうひとつ知ってるぞ。上級神3人のうち2人が怠惰な日々を送っているため、その怠惰が伝染してか北半球の神は暇な神が多い。栄光あるベロクパーラにぶら下がる腰巾着とも云われる2人は、どちらも睾丸に纏わる伝説があることから、ダジストリは片金王子と呼ばれている。2人合わせて金玉兄妹だ」
兄のダジストリが片金王子と呼ばれていることはボクヴォロスも知っていた。自分が陰金姫と呼ばれているかは不明だが、真実が混ざっているのは間違いない。
「ぬしは地球生まれの神だと聞いた。なんでそんな内緒話まで知ってるのさ」
槍を構え直したボクヴォロスは再び突撃した。今度は遅い。人の目で追える速さだ。ワープが自動発動ならば、その方向性を探らなければ永遠に当たらない。全速力で無理ならば、緩急をつけるしかないという判断だ。
だがしかし、ケーはワープしなかった。だからといって槍が当たったわけではない。どれだけ技を繰り出しても当たらない。音速を超えた突きも突く前に躱され、フェイントを織り交ぜても引っかからない。まるで心を読まれているかのように全て躱される。時折り、カウンターまで喰らった。
突き出した槍を戻す瞬間、背後に回られ、髪を触られるのだ。カウンターを喰らうたびに髪を触る回数が増える。
おちょくられている。どんどん手加減されている。ボクヴォロスのレベルに合わせてくる。心底それに腹が立った。ケーの動きから伝わってくるのだ。勝てないから諦めろ、死なれちゃ困る、少し話そうと。
「運命の導きを感じないか?」
「話し合う気、ない!」
「なぜテロリストの車から冥界神が出てくるのか。たまたまにしてはおかしいと思わないか?」
「うるさい!」
「来るタイミングがもう少し早ければ、俺はやられていた。だとしたら、神様は俺を殺したくないのか?」
「わっちが殺してやるさ!」
「無理だ。おめぇと俺とでは戦いのステージが違う。自分の髪型を見てみろ。いつでも歌って踊れるくらいに、可愛く仕上がってんじゃねーか」
空中に大きな鏡が現れた。鏡に映るのは星空と人影、それと暗闇くらい。髪型なんて判別しようもない。しかし、そこは特別な視力を持つ者同士。昼間のごとく視認できる。
ボクヴォロスは鏡を見て驚いた。いつのまにか鬱陶しい前髪が斜めにぱっつんと切られ、巻き髪ツインテールにされている。ケーは嫌がらせで髪を撫でていたわけではなく、しっかりヘアセットをしていたのだ。ストレートロングだった髪にアイロンをかけて、丁寧にカールまでされている。動く相手に対して、手間暇かかるヘアセットを行うなんてボクヴォロスにはできない芸当だ。格付けは既に済んだと言っていい。
「まだ終わってない! 勝負はついてないさ!」
「自分の意志で戦っているつもりだろうが、それは違う。おめぇは餌だ。俺を育てるために神様が用意した餌だ」
「世迷言を!」
ボクヴォロスは技の方向性を変えた。魔法で複数の分身を作り出し、周りを囲んで攻撃する。結局のところケーを倒す手段が本物の『冥府送り』を当てる以外に無いのは痛いところだが、古典的な包囲作戦が上手くハマり、一撃必殺の穂先が掠った。
ガキンッ!
金属同士が連結する音。槍を見るとケーがしっかり柄を掴んでいる。掠っただけでも魂を奪う『冥府送り』を片手で完全ホールドしていた。
(この槍はダジストリに刃向かった神を何柱も屠ってきた。絶命したに違いない)
喜びと蔑みが入り混じった顔で槍を引いた。しかし抜けない。びくともしない。どれだけ力を込めても手の平の皮の方が剥けてしまう。魔法金属武器のデメリットだ。力負けすれば使い手にすら牙を剥く。
死んだあとですら力で敵わないのかと劣等感が生まれる。落ち込んでいられない。落ち込むよりも槍の回収が先だ。魔法金属武器のメリットを使えば回収も可能だろう。
「細くなれ」
スタンダードな魔法金属武器は念じるだけで変形させられる。しかし、世界改変能力を組み込んだ物となるとそう簡単にいかない。武器固有の能力が所有者のイメージで上書きされないように、安全装置として音声認識機能が搭載されている。変形させる場合は、発声した上で念じなければならない。
「細くなれ」
一度小さくした程度では抜けなかった。槍先の方から細くしていく。スルスルと抜けると思いきや抜けない。締めつけが強くなっていた。
「なんで生きてるのさ!」
「魂とはなんだ?」
「魂の無いモノは動けないのに!」
ボクヴォロスの目にはケーの魂が失われたように見えていた。空っぽなのに動くケーが不思議でならない。
「たしかにこの槍はすごい。触れるだけで魂が離れていくのを感じる。だけども、こういうのは対策済みだ。魂の複製術を応用して体に繋ぎ止めれば離れることもない」
ケーの魂は黒い。夜の闇に紛れてわかりづらかったが、ケーの話を聞いてボクヴォロスは魂を見つけた。見つけたというよりも、夜目を解くことで気づいた。自分が泡立てた石鹸の中にいることに。泡の一つ一つがケーの魂であることに気づいた。
「狂ってる……自分の魂を増やすなんて……狂ってる! どうして自我を保てるのさ!?」
「急におしゃべりになったやん」
「答えろ! どうやって意識を保っているのさ!」
「そもそも自我ってなんだ? 意識とは?
俺はその問いに答えられない。魂の状態で思考できた時点で常識が壊れた。だから神の御業とでも言うしかない。おめぇらの神様じゃなく、俺らのな」
「そんな言葉では誤魔化せない!」
ボクヴォロスは焦っていた。出鼻から得意技を潰され、早めに切った切り札すらも通じない。挙げ句の果てに大事な切り札を盗られそうになっている。
本気を出せば神の中で最強だと自負していたが、相性最悪の相手と初めて出会ったことに人生ならぬ神生最大の危機を感じている。この危機を最小限のダメージで脱するために、一旦落ち着いて、ケーのペースに乗っかることにした。
「たしかに理論上、複数の魂を繋げれば『冥府送り』を無効化できるさ。だからといって、どんな神も無闇に自分の魂を増やしたりしない。意識が少しでもズレたら、合わせ鏡のように同じ思考を繰り返して精神崩壊を起こすからさ。
だからこそぬしはおかしい! こんなに魂を増やしたら必ず意識がズレるはずさ! 多重人格とは訳が違う! 立ってることが既に奇跡さ! わっちでもこんな例外は知らない!」
「自分が二人や三人に増えても思想はブレないやろ」
「いいや、ブレるさ! 複数の魂が同じものを感じることは決して無い!」
「わっかんねーな。じゃあもうブレたまんま生きてんのかもな」
「馬鹿な……テキトーすぎる……」
「言語化できねーけど、おめぇもすぐにわかるさ」
その言葉の意味を理解するよりも先にボクヴォロスの身体が動いた。『冥府送り』を手放してしまうのは惜しいが、ケーの攻撃を避けるためなら仕方ない。
ボクヴォロスの予想通り、ケーの背中から触手が襲いかかってきた。
採石場を駆け回り、伸びる触手を回避し続ける。『冥府送り』を盗られたせいで、ケーが諦めるまで続けるしかない。このまま遠くへ逃げたいところだが、採石場を出ようとすると、地中から大量の触手が飛び出してくる。まるで道を遮るかのようだ。仕方なく方向転換して逃げ道を見つけようとするも、触手が壁になってついてくる。地中から出た触手は天空に伸びてドーム状に広がり、星明かりの入る隙間もないほど採石場を覆った。
「ライトアップ」
ケーの言葉と共に、ドームの内側が発光した。その手に『冥府送り』を持っている。それだけならまだ納得いくが、細くしたはずの先端が元に戻っていた。
「その武器はわっちにしか使えない! どうやって変形させた! どうやって所有権を奪ったのさ!」
「所有権? 権利とか知らんが、食べたら使えるようになった。でも所有権があるとするならば、多分、俺がおめぇの所有物になったんかな。なんだか、おめぇの言うことを聞かなきゃなんない気がするし」
「く、狂ってる……」
「ということで、決着つけようやお嬢様」
所有物が主人に歯向かうことは歴史上良くあることだ。しかし、所有物になった途端に反逆する奴隷など誰も欲しがらないだろう。ボクヴォロスもその一人だった。
「わっちの『冥府送り』を返せ!」
「ああ! 今行くよー」
ドームの端へ追いやるようにケーが接近してきた。槍の効果を試してみようと言わんばかりにクルクル振り回している。ケーの反対側に逃げようとしても、ボクヴォロスよりも速く正面を取られた。
「く、来るな!」
フェイントをかけてもついてくる。いよいよ壁際まで追い詰められ、槍の穂先を突き立てられた。ケーは槍の柄を逆手持ちで、まるで杭を打つかのように短く持っている。本来持ち手となる部分が遠く見えた。
「離れろ!」
ボクヴォロスが叫ぶと、額に突きつけられた穂先が寸前で止まった。穂先はびくともしないが、ケーが後退し始めた。ボクヴォロスの所有物だから命令を聞いたのだ。
「なんてな」
二叉の穂先がガバッと開き、槍の柄が八叉に割れた。金属の蜘蛛がボクヴォロスの首に食らいつき、触手の壁に八本足を固定した。触れれば魂を持っていかれる蜘蛛だ。終わったと思ったボクヴォロスだが、触れないギリギリで止まった。なぜか生かされている。
「魂の専門家に訊きたい。弱った魂の回復方法を知っているか?」
その質問からケーの目的が汲み取れた。蘇生制限を超えた死者を蘇らせたいのだ。その方法を聞き出すためにボクヴォロスを生かしたのだろう。
「誰が話すもんか!」
「素直に話してくれよ。息子の命がかかってんだ。話してくれないなら拷問するぜ」
「ハハハハハッ! わっちは拷問を知り尽くした冥界の神さ。痛みや苦しみで口を割ることは絶対にない!」
「だよなぁ〜。参ったなぁ〜。記憶も読めんし……こうなったらもう選択肢がひとつしかねぇよ」
腰に手を当て、仮面の眉間を擦り、見るからに困った素振りをする。見かけじゃなく本気で悩んでいる様子だ。
ボクヴォロスの目には別の光景も映っていた。複数あったケーの魂が弾けてひとつに混ざっていく。何か恐ろしいことが起きると予感して震えた。
「な、何をするつもりさ!」
ケーは自分の胸に手を当てる。すると、ズブズブとその手が飲み込まれていった。
「【サクリファイス・ソウルリリース】」
「それはッ……! それは古の禁術じゃないか! どうしてぬしがそんな術を使えるのさ?!」
「身をもって学んだ」
「身をもって、だって……? それに奇妙さ。代価をいつ支払った? 生け贄は?」
冥界神の矜持として、魂に関連する魔法はひと通り習得している。研究の一環で【サクリファイス・ソウルリリース】も使ったことがあった。しかし、使用のために要求される代価が重すぎる。自身に忠実で親しい相手というのは簡単には作れない生け贄であり、効果が『冥府送り』と似ていることから、実戦では絶対に使わないと思っていた。
「まさか、自分の魂を生け贄に……? ありえない……異常だ! 異常者!」
おかしいのはそれだけじゃない。ケーは自分の魂を掴んでいる。本来、この禁術は相手の魂を取り出すために使うものであり、捕縛した敵の前で自害するための技ではない。
「ハハハハハッ! しかし使い方を誤ったようさな! バーカバーカ! 自分の魂を解放してどうすんのさバーカ!」
「今からおめぇに俺の魂を入れる」
「ふえ?」
ボクヴォロスの魂を汚染する。ケーはそう言ったのだ。
他人の体に無理矢理別の魂を混ぜるとどうなるか。それは冥界神ゆえに知っている。実験台に使った魔法は【サクリファイス・ソウルリリース】ではない、もっと手軽で安定した術であったが、結果は同じこと。
複数の魂が混ざった者が現世で死ぬと、魂が混ざったまま冥界にやってくる。そして二度と元には戻せず、転生できず、冥界から出ることもできずに不浄を撒き散らすだけの魂となる。消すと『しわよせ』が生まれる可能性もあり、処分しようにも処分できず、地獄の底に封じられた。
永遠に忌み嫌われる存在だ。今からそれと同じ存在になると思うと怖気が走る。
冥界を管理する神々の魂は他の神と比べて特殊であり、現世で死んでも記憶を失わない。冥界で役割を全うするためだ。正確には、冥界神として生まれたら特殊になるわけではなく、長く冥界に身を置くことで不思議と特殊な魂になる。それが極娯楽神の定めたルールだ。
つまり冥界神は、器を作るのに長い時間を要するものの、全く同じ姿で復活可能ということである。しかし、魂が穢されてしまえばそれも不可能。完全なる死だ。
「や、やめろ……! 来るなッッ!」
「俺にとってもかなりリスクの高い賭けなんだぜ。お嬢様は人生の大先輩だ。昔食った天使ほどじゃないが、俺より1万年も長生きしてる。逆に俺が食われるかもしれん」
「頭おかしいさ! 絶対にやめろ! 魂が穢れる! 二度と元に戻せなくなるんだぞ!」
「今日、好きだった人を手にかけたんだ。あいつの覚悟は本物だった。俺も負けちゃいられん」
ケーの決意は固いらしく、魂を掴んだ手をボクヴォロスに近づけた。
「ひぃぃいい〜〜ッッ! し、死んだほうがマシさ!」
急いで『冥府送り』の穂先に首を擦りつけた。だがしかし、魂が冥界に送られない。変形したこの槍は『冥府送り』じゃなかったのだ。
「ふぇ、フェイクだとォォーーッ!」
「ひとつになろう」
「話す! 手取り足取り教えるさ! 冥界神の名にかけて! だからやめろ!」
顔を背けて必死に壁を押す。どうにか死ねないか槍の穂先に首を押し付ける。だがしかし、死ねない。事前に刃引きされていた。
「わっちに触れるなァァァーーーッッ!」
ケーの動きが止まった。もしかして説得が通じたのか。しばらく待っても触れられた感じがしないので、恐る恐る目だけ動かして状況を確かめる。体に触れる前にケーの手が止まっていた。
「ふ、ふぅ……助かった……」
安堵の息を漏らす。苦痛を伴う拷問に屈しないはずの冥界神でも、心が折れる境遇というのは記憶にあったらしい。
「さっさとこれを外せ。実際に見せて教えてあげるのさ」
「…………」
「おいっ! 聞こえてるのか! さっさと外すさ! 神は一度した約束を絶対に破らない! ぬしも神なら信用しろ!」
「…………」
長いことケーは無言で、手を突き出したまま固まっていた。それが不気味でならない。考えごとをするにしてもこの格好で固まる理由がない。
「おい? なんとか言うさ!」
恐怖が著しく高まった。冗談でおどかしているだけなら時間が解決する。拘束時間が長くなって困るのはケーの方だからジッと待っていればいい。ただ、これが冗談でもなんでもない本気の状態だったなら、自覚していないだけでもう始まっているのかもしれない。そう思うと怖くて堪らなくなった。
ボクヴォロスは伸ばされたままのケーの手を見る。ケーの黒き魂を探した。
「無い……無い無い無いッ! ど、どこ!?」
どこを探してもケーの魂が見つからない。どんどん不安が募る。
「……やだ! やだやだやだ! ふざけんな! どこさっ! どこにいる!」
懇願するように目を動かす。どうか冗談であってくれと。意識的に自分を見ないようにしていた。もしも自分のところにソレがあったら、発狂してしまうかもしれない。
自我を失うのはまずい。しっかり気を保たないと、もしも魂が混ざっていたときに主導権争いで負けてしまう。
「……大丈夫。わっちは強い。わっちが勝つ。わっちはわっち。全然ヘーキ。よし。よし。なーんだ。怖がることなかったさ。全然怖くないさ」
強がりで自分を誤魔化す。しかし、この強がりはあながち間違いでもないかもしれない。魂が混ざっていたとして、今のところ全く変化を感じない。実験台の経過を観察していたときには、すぐに変化が現れたのを覚えている。ケーが沈黙してから割と時間が経った。変化が現れていてもおかしくない。
これだけ経って大丈夫なら、冗談よりも本気だった時の方が気が楽だ。ケーは負けた。ボクヴォロスに飲み込まれたと考えられる。緊張が解けたボクヴォロスは、勇気を出して胸を見た。
なにやら黒いモノがはみ出ていた。
よーし、潜り込めたぜ。




