67 ここで無理なら、本土に行ってやり直せ
汚れたビニール袋を手に、聞き込み調査を終えたウヅキとサキが疲れた様子で帰ってきた。助手席のドアが開くと同時に、ウェットティッシュが二人に手渡された。
「収穫は?」
「タマネギを貰いました」
ビニール袋を覗き込む。握り拳二つ分の大きなタマネギが満帆に詰め込まれていた。
「今晩はカレーにするか」
エンジンをかけて発進する。行き先も聞かないまま車を走らせた。まるでピクニックでも行くかのように、暴動収まらぬ街を横目に見ながら進む。
「ニンジン売ってそうなお店探してくれ」
「いや、カレー優先かい! 窓の外を見な!」
『娘の仇ィィーーッッ!』
『家族を返せェェーーーッ!』
「テロリスト見つけるよりも難しいよ!」
「あっはっはっはっ」
しばらく笑った後、聞き込み調査の報告を聞いた。競技場には徳島県民だけでなく、淡路島に向かうまでの休憩場所として宿泊する愛媛・香川・高知県民も少なからずおり、怪しい集団の情報を数多く入手できたと言う。しかし、怪しい集団の発見数が多すぎてキエフ公国の特定が困難という悲しい結果だった。
やはり手がかりとなるのは港に残った痕跡。光センサーによる追跡が可能であれば一気に距離を縮められる。故に、最初の港でエンジンが止まった。目的地に到着したと同時にウヅキからプリントが渡される。プリントには特捜班が調べた港周辺の詳しい状況がまとめられていた。その図をもとにケー、ケーイチ、ケーゾウが地面を舐めるようにして追跡を開始する。
痕跡は途切れ途切れに残っていた。コンテナを移動させるためのクレーンだったり、倉庫から引っ張り出したトラックの跡だったり。追跡ののち、3つのセンサーは一つの場所に集合した。それはタイヤ痕の残る場所。タイヤ痕はさっきから往復している道に繋がっていた。
「奴らは大型トラックで移動したはずやんな」
「はい。コンテナを載せたトラックの情報をもとに追跡したと書かれてあります」
「しかし見つからないわけよな。とりあえず同じ経路で走ってみるか」
「ナビゲーションしますね」
「みんな車に乗ってくれ!」
再び港を出る。ウヅキのナビゲーションのもと、来た時と同じ道を走った。
さっきから同じ道を行ったり来たりする黒いバン。それを路上の乞食が怪しく見つめる。ナンバープレートの番号を押さえ、車が見えなくなるまで待ったのち、トランシーバーをつける。そして、どこかの誰かに報告した──。
報告が終わると、黒いバンがバックで逆走してきたではないか。道が空いているとはいえ乱暴すぎる。嫌な予感がした乞食は急いで立ち上がった。棒切れのような足を必死に動かして路地裏へ逃げ込む。パイプの影から道路を見ると、嫌な予感が的中した。乞食の居た場所に黒いバンが止まっている。
「おーい、おっちゃん。逃さねえぞー」
黒いバンから降りてきたのは絶望の権化だった。
逃げないと。捕まったら殺される。家の間を通り、庭のフェンスを乗り越え、伸びっぱなしの雑草を掻き分け、開きっぱなしの倉庫に身を隠す。もう疲れた。もう足が動かない。息を潜めて奴が通り過ぎるのを待つ。
静かな倉庫は外の音がよく響く。カランカランと鉄パイプが倒れる音。ガリガリと壁を削る音。カシャンカシャンと金網フェンスが揺れる音。突然、音が消えた。
ドンドンドドン! ドドンドドン!
楽器みたいに倉庫の壁が叩かれた。乞食は手で口を塞いで呼吸を止める。無駄とわかっても息を殺す。きっともう助からないと思うと目の端から涙が流れた。
『急にどうしたんですか?』
『怪しい奴を見つけてな。もしかしたら何か知ってんじゃねぇかと思って追っかけてみたのよ』
『怪しい奴?』
『なんかでっけえ電波を飛ばしてたんよ。こいつがよっ』
ドンドンドドドン! ドンドドン!
『おーい、でてこーい。ホラー』
ドン! ドドン! ドドドドン!
(ひぃぃいいいいっっ)
乞食は口の中で悲鳴を上げた。怪物の目的が情報なら助かる道もあるかもしれない。だが、その後を考えると怖い。怪物も怖いが、本当に怖いのは人間だ。だから出るに出られない。
ドドドン! ドドドン! ドドドンドン!
(消えてくれぇぇ消えないならもう出してくれぇぇ)
無理矢理引っ張り出してくれたらどれだけ幸せだろう。自分から出ていくよりは「抵抗した」と言えたほうが依頼人に好印象を与えられるはずだ。嘘はダメだ。嘘をついたことがバレたらおしまいだ。
(出してくれぇぇ頼むぅぅ)
トタン板を太鼓にしての演奏が続くなか、乞食は神に祈り続ける。まるで牢屋に閉じ込められ、扉に重たい南京錠でもかかっているかのような祈り具合だ。
ドン………
太鼓の音が鳴り止んだ。飽きたのか。それとも諦めたのか。カシャンカシャンと金網フェンスの音が聞こえる。音が遠ざかっていく。
扉を少し開けると光が差し込んだ。乞食は片目だけで外の様子を見る。音を立てないよう、徐々に扉をスライドさせる。顔を出して見渡すが、やはり怪物は外にいない。
「帰った……?」
まだ安心できない。破裂しそうなほど心臓が脈打っている。いったん落ち着こう。倉庫で一休みしようとした瞬間。
「コッチダヨ」
体操座りした怪物がいた。倉庫の中だ。
「ひぎゃぁぁあアアああアああああッッ!」
白目をむいてぶっ倒れる。トタンにぶつかった衝撃でポケットからトランシーバーが落ちた。
「おっと。死なれちゃ困るんだよな」
そう言ってケーは枯れ木のような乞食を抱くと、トランシーバーを拾って倉庫の外に出た。乞食が目を覚まさない。光を当てるとケーは頷く。雑草を切り裂いて簡易ベッドを作り、その上に乞食を寝かせた。
「死んだんですか?」
存在を消していたウヅキが姿を現した。乞食の顔を覗いている。
「気絶しただけみたいや。でも、このままだと栄養失調で死ぬやろな。点滴しといてやろう」
先っちょが注射針状の触手を伸ばした。それを乞食の腕に突き刺す。続いて、太い管状の触手が背中から伸びた。それを乞食の口に侵入させると、なんらかの液体を流し始める。その作業をドン引きした目でウヅキが見ていた。
「あなた医療経験は?」
「なんだよ。心配だってか?」
ウヅキは無言で頷く。
「はぁ……安心しろって。点滴くらい受けたことある」
「それなら私もありますけど?! その程度の経験でやろうとしませんよ普通!」
「まあまあ落ち着けって。このままほっといて死なれるよりはよかろうもん」
「それはそうですけど……」
夕焼け空の下で点滴。血色が良くなったのかもわからない。目を開けたままで、口の管をしゃぶりもしない乞食を見ていると、ウヅキもなんだか不安になってくる。
「よーし。そろそろ電気流すか」
「えっ!?」
「起きろー」
突如、全身を震わせる乞食。管を強く噛んで痛みに耐えようとするが、歯にも電流が走って痺れる。強制的な起床に驚く間もなく、目から大量の火花を散らした。
「アビャビャビャビャビャァァぁぁ!!」
口から太い管が抜かれる。歯をガチガチと鳴らし、乞食は悪魔を見る目でケーを見た。
「アクゅマ〜! アクゅマゃ〜ッッ!」
「よーし。目ぇ覚ましたな」
「はぁ……頭が痛いです」
「治そうか?」
「お願いします」
「前髪上げな」
痺れる乞食の目の前でイチャイチャし出す新婚夫婦。
今がチャンス。這って離れる乞食だが、両手両足が痺れて言うことを聞かない。
「治った? ついでに胃も治したんやけど」
「はい。だいぶ良くなりました。そのかわりすごくツッコミづらくなりましたけど」
蔦のように伸びた触手が逃げる乞食を雑草ベッドに引き戻した。
「おっちゃん、体の調子はどうや?」
「悪魔、ああ悪魔が、たしゅけて神しゃま! たしゅけてくだしゃい!」
電気の痺れが抜けて滑舌が良くなった。元から歯が抜けているからか、歯の間から息が漏れて発音は悪い。
「ほんの少し聞きたいことがあるだけや」
話せる状態になったのを見てケーが動く。枕元でしゃがみ、トランシーバーを見せつけた。何者かと連絡を取っていた証拠だ。
「これはおめぇのやるべき仕事か?」
「うー……」
何も答えない。乞食はケーを恐れている。ケーだけじゃない。依頼人に迷惑をかけることも恐れた。
「黙秘か。ほんじゃあ、いったんこれは置いとこう。おめぇ、路上で物乞いしてたな。それ犯罪だぜ。な、ウヅキさん?」
「軽犯罪法一条二十二号。こじきをし、又はこじきをさせた者を勾留または科料に処する」
「悪事を働いた自覚はあるか?」
何も見ずにスラスラと法律を読み上げるウヅキを見て、乞食の目が鋭くなった。
「あんたら、国のモンか?」
「そうや」
「だったら何も話しゅことは無ぇ。それ渡してきた奴にゃ握り飯くれた恩があんだ。政府にゃ何の恩も無ぇ。帰ってくれ」
「そんなカリカリすんなよ。俺ら国を脅かすテロリストを追ってんだ。それでも協力を拒むか?」
乞食は黙秘した。だが、それが答えになっていた。もし依頼人がテロに加担する者だったとしても、乞食は何も明かさない気だ。
「そうか。残念だ。国のためよりも、ようわからん仕事のほうを優先するんやな」
乞食の決意は固い。政府への恨みと一飯の恩がケーの頼みを拒んでいる。
記憶を読めるケーにとって、乞食の黙秘は意味のないもの。犯罪者相手なら躊躇なく使える。だが、ケーは深くため息を吐いた。乞食の記憶にキエフ公国と繋がる決定的な情報は無かったらしい。橋渡し役の依頼人の顔は浮浪者そのもの。トランシーバーと一緒に渡したおにぎりはひと口欠けていた。それを嬉しそうに食べる乞食の記憶を見て、ため息を吐いたのだろう。
「このトランシーバーは貰っていく。いいな?」
乞食は「フンッ」と首を捻った。トランシーバーを返してもらえなければ、依頼人の背後にある組織に処分される危険もあるが、ケーと敵対して取り返せるわけもない。
「迷惑かけたお礼と言っちゃなんだが、このタマネギを受け取ってくれ。おめぇはただ怪しい仕事を受けただけで、誰のことも傷つけちゃいない。だから間に合う。まだ引き返せる。これで食いつないで淡路島の役所を訪ねろ。保護を申請すればこんなところで餓死しなくて済む。社会復帰の手助けも受けられる。人生まだまだ先は長いぜ。本土に行ってやり直せ」
無言を貫き、顔を背けていた乞食が目でチラチラとビニール袋を見る。顔は抵抗の意志を示すが、手は正直にタマネギを欲していた。
トランシーバーを得た二人は黒いバンに戻る。見張りに立たせておいたハナマルが手を振って二人を迎えた。隣にはサキもいるが、ハナマルのように手を振ったりはしない。腕組みしたままピッと指を立てて「おかえり」のサインを送った。
黒いバンの周りを見ると、ケー達が乞食を追っていたときにはいなかった人間が複数倒れていた。
「見張りご苦労さん」
「遅いよ。日が暮れちゃったじゃないかい」
「情報を引き出すのに手間取っちまってな。でも手がかりみてぇなモンは手に入った」
サキとハナマルにトランシーバーを見せつける。何らかの連絡を取っていたと示す証拠品だ。
「こいつで車の外観をどっかの誰かに伝えたらしい。その相手がキエフ公国かはわからんが、逆探知を繰り返せば大元がはっきりする」
「トランシーバーって逆探知できるのかい?」
「通常無理や。ただ、相手が電波を発信してくれりゃあ、その波紋を辿って発信場所を特定できる」
「それってできるんですか?」
疑問符を浮かべるハナマルに、ケーは不敵な笑みで返した。
「こうするんや」
ケーは自身の喉に指を当てる。
「『あ゛ー あ゛ー。どうやウヅキしゃん。しゃっきのおっちゃんやが、この声であってる?』」
「気持ち悪っ! あってますけど気持ち悪っ!」
「……普通に傷つくぜ」
「あらごめんなさい」
「ほんじゃあ始めるぜ。みんな静かに」
口の前で指を立てる。そして、トランシーバーの送信ボタンを押した。
「『報告しましゅ。黒いバンがもう一台来ますぃた。ドウゾョー』」
送信ボタンを離して待つ。しかし応答がない。
「『報告しましゅ。黒いバンがもう一台来ますぃた。ドウゾョー』」
もう一度試す。しかし応答がない。応答が無ければ特定は不可能。ケーはニヤつくが他三人は不安そうな顔をした。
「『報告しましゅ。黒いバンがもう一台来ますぃた。ドウゾョー』」
「『報告しましゅ。黒いバンがもう一台来ますぃた。ドウゾョー』」
「『報告しましゅ。黒いバンがもう一台来ますぃた。ドウゾョー』」
「『報告しましゅ。黒いバンがもう一台来ますぃた。ドウゾョー』」
「『報告しましゅ。黒いバンがもう一台来ますぃた。ドウゾョー』」
応答があるまで繰り返す。そしたら、ケーのトランシーバーにノイズが走った。
《うっせえなあ! 聞こえてんだよバカヤロー! 何度も何度もかけてくんじゃねえ!》
にこやかにOKサインを作るケー。他三人は無言で良好な反応を示した。しかし、簡単には居場所を特定できない。特定が完了する前にトランシーバーからノイズが消えたようだ。
「『はい! すいまっしぇん! 黒いバンがもう一台来ましたので! 報告しました! ドウゾョー!』」
指をアンテナのようにして腕を高くあげる。特定の準備に入った。
《だからもう! 何回も同じこと繰り返してんじゃねえよ!》
「『はいすいまっしぇん! 何回も言った方がお得かと思いまして!』」
《わけわかんねえよ! どんな価値観してんだお前はよお! あれ? 結局何台来たんだ? わかんなくなっちゃったじゃねえかバカヤロー!》
「『はい! 結局車は2台でしゅドウゾョー!』」
《2台かよ! まぎらわしい言い方すんじゃねえバカヤロー!!》
「『はい! わかりました! ドウゾョー!』」
《あとその喋り方どうにかしろ! 聞いててイライラするんだよ! 次までに直しとけバカヤロー!》
「『はい! わかりました! ドウゾョー!』」
《次なにかあるまでかけてくんじゃねえぞ! じゃあな!》
「『はい! わかりました! ドウゾョー!』」
《うっせえバカヤロー!》
役目を終えたトランシーバーをウヅキに渡す。車の鍵を開けてケーが運転席に座った。
「よし。みんな車に乗れ。出発だ」
ナビゲーションはまた今度。波紋を割いて車が走る。この機種のトランシーバーは通話距離が短い。最高でも5km以下。数分もあれば通話相手の発信源に着くはずだ。
脇道に停められたタクシーの扉を叩く。運転席に人は居ない。だが、中をよく見ると驚いた。
本来、快適な移動を提供するタクシーにあるべき座席が外されていた。代わりにあったのは快適に暮らせる空間。
屋根に取り付けられたソーラーパネル。それと繋がるポータブル電源がひとつ。
ポータブルブルーレイプレーヤーを前に、ヘッドホンを装着した男が寝たままの状態でコンビニおにぎりを食べている。髭を剃らず、もう何ヶ月も服を洗わずに着回しているようで、男の見た目は完全に浮浪者そのものだ。
男は小型冷蔵庫から缶ジュースを取り出してゴクゴクと飲んだ。隅の方では乞食が持っていたのと同じ機種のトランシーバーをいくつも充電している。通信本部ではなさそうだが、中継地と見て間違いない。
バギバキバキィッッ!!!
突如、後部座席のドアが剥がされた。つづいて中にいた男が引っ張り出される。男は驚く間もなく喉におにぎりを詰まらせ、地面に落下した反動で呼吸を取り戻した。
「な、なんだいったいッ……!?」
「『なんだいったい!』」
全く同じ問答が返ってくる。男はその声の主を見て肝を冷やした。ケーだ。
「あ、あ、あんたなんでこんなところに……」
「『あ、あ、あんたなんでこんなところに……』」
「真似すんじゃねえッッ!」
「『真似すんじゃねえ!』」
ニコニコの笑顔を見せるケー。「どうや?」と首をウヅキに向けて、声の調子を確かめた。
「ばっちりキモいです」
「おめぇの声がお気に召さないみたいや。嫌われたらどうしてくれんだオイ」
「ひぃぃいいいい」
シャツの襟を掴んで持ち上げられた。直しようもない部分を責められ、男は涙目になっていた。
「いきなり来てこんなのヒデぇよお……ワイが何したってんだよお……」
「ああ? 何したか? それを訊きに来たんだぜ。知ってることを全部話せ」
「は、話すったって……何を話したらいいんだよお……今観てる映画のあらすじでも話したらいいのかあ?」
ケーはニッコリと笑みを深めて、宙に浮かせた男を左右に揺らした。
「ずいぶんと余裕そうやなぁ。んー? これ盗難車だろうが。こんなに改造しやがって。ソーラーパネルに、パラボラアンテナ? 立派な秘密基地じゃねえか。ドアまで派手に壊してよぉ」
「いや、ドアはあんたが……」
「あ゛ぁん? 口ごたえすんのか盗人がよ」
「ひぃぃぃえぇん」
運転席を覗いていたウヅキがタクシーの屋根から頭を出した。
「やっぱり間違いありません。このタクシーに見覚えがあります。運転手が殺されたタクシーです」
「オイオイオイ。曰く付きのタクシーで寝泊まりしてたみたいだぜオイ。さてはおめぇが犯人だなぁ?」
「ひぃぃいいいい」
男は様々な恐怖で頭がどうにかなりそうだった。目の前の怪物、将来的不安、冤罪。言い逃れできるほどの知恵もない。絶望的な状況だ。
「知らへん! 知らへん! こんなの知らへん! 犯人違う! ワイのじゃない!」
「違わん 違わん タクシー違わん 彼女が証人 キミ犯人」
「違うー! 違うー! 犯人違うー! 頼まれただけ! これ渡されて! 仕事しただけ! 金渡されて! ここに居ただけ! ただ待たされて! 騙されただけ! ワイ無関係!」
「いかんね いかんね やっちまったね 馬鹿げた仕事のしょっぺえ給料 それ受け取ったら人生終了 釈明しなけりゃ犯人確定 黙ってんならこのまま極刑」
「ひぃやぁぁあああああ!」
「バカなことやってないでさっさと情報を引き出してください。このタクシーは絶対に怪しいんですから」
男が地面に下ろされる。だが解放されない。金色の縄で拘束された。男は盗難車を所有している。しかも元の持ち主が殺されたとあっては解放される理由が無い。こうなるのは男も覚悟していた。
「実はな。運転手を殺した犯人がおめぇじゃないのはわかっとる。
なぜなら、そこにいる綺麗なお姉さんの目の前で殺人が行われたからや。犯人が大柄の外国人ということまでははっきりしとるのよ。だからおめぇは殺人に関与してない。……と言いたいところだが、犯人には仲間が二人いたらしい。おめぇがその一人だなぁ?」
「違うー! 違うー! 知らない知らない!」
「証明できるんかー?」
何を話せば身の潔白を証明できるかわからない。だから喋った。
路上で物乞いしていたところ、改造済みのタクシーとトランシーバーを渡された。徳島県の治安を良くするため、怪しい人物を見かけたら報せる仕事を与えられた。その報酬として、毎日食料が支給される。仲間を増やすたびに追加報酬が得られるらしく、身の回りの道具などは追加報酬で得たものだった。
「信じられんなぁ」
「本当だって! 信じてくれよお! ワイは正義のためにやったんだよお!」
「正義だとぉ〜? いま正義と言ったかぁ〜? 偉そうな言葉使いやがってこのチンチクリンが! 正義の味方はなぁ! 欠けたおにぎり一個で人を支配しねぇんだよ!」
「ひぎぃぃいいいい!」
ケーはアイアンクローで男の顔面を歪ませた。手の甲から触手が伸び、男の髭を一本ずつ抜いている。
「ひぎぃぃいいいい! 痛いぃぃ!」
触手が動くたびに悲鳴が上がる。別の触手が手のひらの内側で何かしているので、きっと鼻毛も抜いているんだなぁとウヅキは思った。
「ちょっと熱くなりすぎじゃないですか?」
「俺はなぁ。中間搾取で生きてる奴が一番許せんのよ。そいつの性根を叩き直したくなるわけ。人をこき使っておきながら、善人面してるのが余計気に障るんじゃ」
「それ自己嫌悪ってやつですよ」
「え! そうなの!?」
「いや、ちょっと違うかも。ごめんなさい。私の勘違いでした」
「よかった。これで心置きなく顔面崩壊させられますわ」
「ひぎぃぃいいい」
髭は全抜き。鼻毛も全抜き。眉毛まで綺麗に整える。スチームミストで顔の毛穴を高熱洗浄。男が呼吸困難になっても続けられ、地獄の苦しみを味わったあと、汚い顔が美顔に変えられた。
整形が終了したら、壊れたドアの上にポイと投げ捨てられる。
息も絶え絶えにサイドミラーを見たら、男は驚愕した。縄文人みたいだった顔が大変身。映画のイケメン俳優みたいだ。ただ、お腹がぽっこりと出ている。腕も太もももぜい肉だらけ。せっかく顔が良くなったのに、これでは恥ずかしくて人前に出られない。みっともない顔だった以前の方がまだマシに思えてくる。
「痩せろ。働け。体を動かせ。食生活を改善しろ。こんなところでくすぶるな。理想の体を手に入れろ。ここで無理なら、本土に行ってやり直せ」
苦しめばいいのか、怒ればいいのか、喜べばいいのか、感情をぐちゃぐちゃにされた男はもう涙を流すしかなかった。ケーがいることも忘れて大声で泣き始めた。
「あ゛ぁあああああああッッあーー!」
ピピピピピッ。男の泣き声にかき消されるほど小さな電子音が鳴る。だがケーならその音を拾えた。泣く男の襟元を掴み、その頬にビンタをかました。
「おい、定期連絡とかあるか?」
「あひっあひますう」
襟を掴む力を緩めると男の縄を解いた。それからタクシーへ向かうと、ケーは音の鳴るトランシーバーを手に取る。
「『すいません。定期連絡します』」
《なんデスー。今日は妙に丁寧デスネー》
トランシーバーから女の声がした。聞き覚えのある声だ。正確には、小畠トラジの耳に残っていた声だ。
彼女はキエフ公国のモリ・リン。当たりだ。男はキエフ公国に雇われた人間だった。このチャンスを逃すわけにはいかない。ケーは腕をアンテナにして逆探知を始めた。
「『今見てた映画に影響されちゃって! てへ☆』」
《……今日の合言葉は?》
合言葉があるなんて男は一言も言わなかった。だが今さら聞き出す時間もない。はぐらかしたくとも、すぐに答えなければ疑われるだろう。居場所の特定が終わっていない今、通話を切られるわけにはいかない。ケーはタクシーの中を探した。
「『えーと、ちょっとだけ待ってくださいねー』」
《10……9……8……》
泣き止んだ男が目を見開いた。定期連絡の合言葉は毎日変わる。絶対に当てられるわけがない。散々な目に遭わされたが、男はケーに借りができた。お先真っ暗な人生に光を与えてくれたのだ。今こそこの恩を返す時!
「しs!」
「『しそ昆布』」
「こんぶぅ……」
毎日支給されるおにぎりの具。それが定期連絡の合言葉だ。ケーはタクシーの中を見ただけでそれを当てた。男はただただ驚くしかなかった。
《今日は何か変なことありマシタカ?》
「『はい。怪しい黒いバンが通ったとのことです。なんでも、港と街を何度も往復していたとか……』」
《車のナンバーは?》
「『それがちょっと…… 報告してきたやつの目が悪いようでして……』」
《ソウデスカ。車はその後どの方面へ行きマシタカ?》
「『徳島市方面にまっすぐ』」
《お手柄デス。明日はおにぎりの他に何が欲しいデスカ?》
「『明日……? 明日が来ると思ってんですか?』」
《はい? それはどういう意味デスカ?》
ケーはニッコリとウヅキに笑いかけた。指で作ったOKサインから笑顔の理由が読み取れる。
それから低く咳払いした。死をもたらすために地底から噴き出すマグマのような音だった。
「明日には全員お陀仏だろうが」
若い女の悲鳴と一緒にトランシーバーの通話が切れた。




