56-4 トラ、お前ならできる
「なぜ俺が小畠くんの名前を知っているかなんて、そんなことは考えなくていい。今小畠くんが考えなければならないのはそんなことじゃないはずだ。
俺を倒す方法。この場を切り抜ける方法。仲間に遺言を託すのもいい。復讐という動機だけでどこまでやれるか見せてくれ」
トラジはスマートフォンの位置を調整する。SP仲間の不穏な動きを察知してから、念のため動画配信サイトのチャンネルで生配信していた。
プリインストールされたカメラアプリの録画では、使用中のデバイスからデータを完全に消せるため、撮影中にスマートフォンを盗られた場合のリスクが大きい。
その点、生配信ならばインターネット上にデータを保存できる。自分のチャンネルにログインすれば、録画したデータをいつでも見れるわけだ。
相手は国家権力であるため、撮影中のスマートフォンを盗られたあと、不正ログインされてデータを消される可能性がある。それを防ぐために、さらに別のアカウントで生配信を録画している。
職業柄、緊急時の現場を記録する場面が多く、自宅のパソコンをリモート操作可能な状態で常に稼働させていた。パソコン側で録画したデータはネットワーク上とクラウド上に分けて自動保存される設定だ。
つまり、ケーとのやり取りは全て安全な場所に保存されるわけだ。
カメラの位置を調整するまではスーツの中にスマートフォンを入れていたため、映像は暗くて物音しかない謎配信だっただろう。
そんな退屈極まりない配信なのに、チラリと見てみると、視聴者数が2桁で表示されている。
物好きな者もいるもんだ。だがトラジにとって証人が増えるのは好都合。復讐は既に始まっている。
「ケー侍従長。あなたは小畠ミツキを覚えていますか?」
「知っとるぜ。小畠くんの双子の兄弟やな」
「そうです。博多ダンジョン管理センターであなたの帰還を歓迎したとき、ミツキはあなたに殺されました」
「彼は自分の銃で自分を撃った。いきなりのことで俺も驚いたぜ」
「誤魔化してますがケー侍従長。あなたはさっき、俺の動機が『復讐』だと言った。
確かに復讐です。弟の敵討ちが目的でした。そのために山本カンタ先輩と共謀してあなたを襲いました。
でもその先輩も仲間たちも俺の復讐を『逆恨み』だと言った。
あなたが『復讐』と言ってくれたとき、俺は初めて自分のやっていることが正当な復讐だと確信しましたよ。
だって、俺の復讐を期待するってことは、ケー侍従長ご自身が復讐に値する人物であると認めたわけですよね。つまりあなたは今、自分がミツキを殺したと自白したんです」
トラジは勝ち誇った顔でケーを見た。全国民に知れ渡るかは不明だが、今この瞬間は世界中のどこからでも視聴可能だ。世論がケーの横暴を知れば、大勢の力でケーを排除できるかもしれない。
「小畠くんが復讐に燃えていると知ったのは山本くんが教えてくれたからよ」
「嘘だっ! そんな余裕はなかったはずだ!」
「今の小畠くんのように、世の中には不自然な死を俺のせいにしたがるヤツがごまんといる。そう思いたい気持ちはわからんでもない。俺も一時期は理不尽な行いに怒り、正体不明の犯人に復讐することばかり考えとった。
復讐を遂げるために国を滅ぼしてやろうと、そんな浅はかな考えも浮かんだ。でもその場の勢いで実行しなくてよかったと思っとる。焦って実行していれば、無実の人間を殺すことになっていたからな」
「今更はぐらかすんじゃあないぞ!
冤罪なら『八つ当たり』だの『逆恨み』だの、他の言葉があったはず!
なのにあなたは復讐と言い切った!
それはあなたに罪の意識があるからですよね!」
「小畠くんはどうしても俺が殺したことにしたいらしい。でもな、揚げ足取りで得た言葉だけじゃ殺人の証拠にはならんのよ。もしも俺が間違えたことを言って、それを公開したところで小畠くんの思うような展開にはならない。他の手札を見せてくれ」
トラジはスマートフォンに触れる。隠し撮りがバレていた。最初から隠し撮りがわかっていたとしたら、ケーが口を滑らせるわけがない。
早く次の手を考えなければ復讐が失敗に終わる。ケーが待ってくれている今のうちに打開策を──。
「こっちは人を待たせてんだ。おめぇみたいな小物に構ってやってんのも山本くんに敬意を払ってのことなんだぜ。早くなんか出せ。山本くんに申し訳ないと思わんのか」
ケーが煽ってきた。カンタの名前まで出してトラジを侮辱している。
「殺してやる……」
心の奥底からふつふつと怒りが湧き上がってきた。まるで歯が立たない。何を言われても言い返せない。自分の弱さに腹が立つ。
今はまだ敵わない。だがカンタの犠牲でケーの弱点が見えた。この場を切り抜ければ、必ずケー攻略の材料を集められる。
「ほう。殺すとな。警察官がずいぶんと汚い言葉を使うやんけ。やれるものならぜひやってみてほしいところやが、処刑される小畠くんにそんな余裕があるのかな」
「処刑って……」
「国家元首の殺人未遂だ。これは立派な反乱だぞ小畠くん。死刑だ死刑」
「それは裁判所が決めることですよね。独断で手を出すのは例え天皇や大統領でも──」
「俺が指定モンスターの代表であることも忘れるなよ。謀反人を裁くのは俺の仕事だぜ。そろそろ処刑しちゃおっかなー」
息をするたびに処刑をちらつかせてくる。すぐに実行するかと思えば、ただ言うだけでケーは刑を執行せず、何かを待つかのようにトコトコとトラジの周りを歩き回った。
シルエットは二足で歩く猫なので、遠目から見れば可愛らしい面白映像だ。だが真の姿は羽が生えた脳みそで、耳に見えるのは穴のないツノ。ピントを合わせればおぞましいホラー映像だった。
「取引をしてください」
「ずいぶん急な心境の変化やな。いいよ。聞こうか」
「これは勝手な想像ですが、ケー侍従長は攫われた如月ユーキのために俺を生かしている。だとしたらがっかりされるかもしれませんね。さきほど現れたテロリスト集団と俺は無関係です。だから脅したところで話せることはありません」
「ユーキちゃんを取り戻したいっちゅー推察は当たっとる。それで?」
「テロリストの車に発信器を付けておきました。俺ならテロリストを追えます。検問を素通りしてきた車ですから、警察が追うのは難しいでしょう。車を乗り換える可能性まで考慮すると、今すぐ追わなければテロリストたちの足取りが掴めなくなるはずです。だから俺が如月ユーキを取り戻すまで俺を見逃して、取り戻したら改めて取引するってのはどうでしょうか?」
「面白い話やな。
だが欠けている。取引において守らなければならない最低条件が欠けている。取引において重要なのは揺るぎない信頼関係だ。俺たちの間に信頼関係はない。むしろ破綻していると言っていい。
ただ、魅力的な取引ではある。突っぱねるには惜しい話だ。だから信頼関係を補うために、ひとつ条件を付け加えさせてもらう」
トラジはゴクリと唾を飲み込んだ。資料には、ケーの欠点の一つにコミュニケーションが苦手とあった。交渉なら有利に運べると思っていたが、思っていた以上に隙がない。
「なんでしょうか?」
「この発信器を飲み込め」
そう言ってケーは小さな右手を突き出した。その手には1匹のドス黒いミミズが乗っていた。渦巻き模様の肉球の上で小さなミミズが踊ってる。
これが最新式の発信器なのか。トラジにはおよそ見当もつかないが、製品化されていても買わないだろうと深く思った。
「もしもユーキちゃんを見つけられなかったか、探しもせずに逃げた場合、発信器を辿れば小畠くんの居場所がわかる。この条件を飲んでくれたら、今は見逃してあげよう」
見逃す? むしろ一生ケーから逃げられなくなる気がした。それでも今は生き残ることが最優先。必ずチャンスは巡ってくる。
「それだけですか?」
「条件はこれだけだ」
この取引には期限が設けられていない。しめしめと思ったトラジは、ケーの手からミミズをひったくり、目を瞑って口もとに運ぶ。
魚市場に置いてある天然ゴムのような匂いが鼻に飛び込んできた。息を止め、ミミズを口に含む。そして舌の裏にミミズを隠した。
素直にケーの言うことを聞くわけがない。見えないところまで離れたらミミズを吐き出すつもりだった。
だが、その考えは甘かった。
「あががっ……ひたっ……舌がっ……」
ミミズはトラジの舌に穴を開け、そこから体内に侵入した。ムズムズとした感触が顎の下から喉の横を通り、首の後ろでいきなり消えた。
舌の痛みも喉の違和感もミミズの存在と共に消えた。残っているのは生臭いゴムの味だけだ。
「制限時間は午後5時だ。それまでにユーキちゃんを取り戻せ。時間を過ぎたら逃亡したと見なす」
「おえっ……条件が増えたようですが……ひとつじゃなかったんですか?」
「これは条件じゃない。我慢の限界よ。5時を過ぎたらおめぇとの約束を破棄して追いかける。夕方のチャイムが鳴ったら覚悟しておけ」
そう言ってケーは屋上から飛び降りた。思わず追いかけて下を見ると、金の翼を広げて棘の森へと飛んでいくところが見えた。
トラジは腕時計を見る。ちょうど正午のチャイムが鳴った。タイムリミットまであと5時間。
「『ロック解除』」
バックグラウンドで撮影中のスマートフォンを開き、テロリストの車に取り付けた発信器の位置を確認した。
ユーキの居場所を見つけるために、殺してからスマートフォンを取られると思ったが、そんなことにはならなかった。その点についてはただただケーの知能に畏怖した。これは本部から支給されたスマートフォンであり、トラジはパスワードを知らず、生体認証でしか開かない。
考えなしに処刑していれば、ユーキの居場所を突き止めるのは困難になっていたはず。死んだ後にささやかな嫌がらせができただろう。
このまま逃亡してもささやかな嫌がらせはできる。ただ、そんな小さなことのために命を投げ出すつもりはない。狙うは大穴。ユーキを交渉材料にして恩赦を貰い、必ずやケーを倒すための材料を揃える。カンタの犠牲でトラジの復讐心は更に燃え上がっていた。
車に戻ったトラジは車載用スマホホルダーにスマートフォンを取り付けた。画面の点は三重県の桑名方面へ向かっている。シートベルトを装着し、エンジンキーを回した。電気自動車のエンジン始動音が高鳴る。
「山本先輩、ほったらかしにしてすみません。必ずお線香あげに戻ってきます」
ギアをドライブに入れるとアクセルを踏んだ。静かなモーター駆動を掻き消すように擬似モーター音が車内に響いた。
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聞こえてくるのは波の音。鼻に入るのは潮の香り。視界は分厚い袋で遮られ、差し込む光すら見えない。肌の感触から下着以外の服が脱がされているとわかる。鋼鉄のワイヤーで椅子に縛りつけられていて身動きが取れない。椅子から伝わる振動と三半規管の働きから、床が縦横に揺れていると感じた。ここは船の中、海の上なのか。
「あなたは誰の差し金でありますか?」
トラジは捕まった。
相手はカンタの潜入にも気づけなかった間抜けなテロリストだ。尾行にも気づかないだろうとたかを括ってヘマをした。無計画に突っ込み過ぎた。
高速道路に乗るまではよかった。ミスを犯したのは降りる時だ。出口で黒いバンに囲まれてしまい、伊勢湾沿岸の倉庫があるところまで誘導された。
そこから先の記憶がない。全身の痛みから推理すると、戦闘になったあと負けて捕まったのだとわかる。そのあと船に運ばれたのだろう。
「今、何時ですか?」
「《てめぇ! こっちが質問してんだよ!》」
腹に1発ぶん殴られた。トラジは限界到達者なので、殴られた程度じゃ表面が痛いだけで傷つきもしないはず。そのはずだが、しっかりと内臓がダメージを負っている。相手は相当な手練れだ。
「マーティ。あなたは入り口で見張ってなさい」
注意を受けたマーティは舌打ちをして部屋から出ていった。
声の反響と開いたドアの音から察するに、トラジを監禁した部屋はそれほど広くない。とはいえ個室がある時点で大型の船であることは確定。
トラジは思った。この船といい、仲間のSPと通じていたことといい、このテロリスト集団には巨大な後ろ盾があるに違いない。
「今、何時ですか?」
「あなたが誰の差し金か、それに答えてくれたなら教えてあげるであります」
「俺は単独でここに来た。俺だけの意志で」
「リン?」
「嘘です」
「彼女は嘘を見抜きます。こちらに嘘は通じないものと思ってください。もう一度聞きます。あなたは誰の差し金ですか?」
ロミの隣にはモリ・リンがいる。リンは〖暗殺者〗というスキルを持ち、〖暗殺者〗には嘘を見破る力がある。
〖暗殺者〗[小さな武器使用時の威力と耐久性を増加する。対象を見続けることで嘘を見破る]
「俺はひとりで来ました。その嘘発見器、性能が悪いんじゃないですか?」
「あなたは確かにひとりで来てマス。ですが仲間がいるはずデスネ。あなたの車を調べマシタ。そしたら、あなたとは別のDNAを車内で見つけマシタ。トランクにあったライフル銃にも同じDNAが付いてマス。コイツ絶対に単独行動はしてませんヨ、ロミ姉さん」
「答えなさい。我々を追ったのはあなたの意志だけじゃない。そうでありますね?」
「答エロ無礼者」
ロミとリンは低い声で威圧した。しかし甲高い声なので可愛さが勝る。怖がらせてやろうという意思が伝わってくるのがまた可愛い。トラジにとってテロリスト達は敵の敵みたいなもので、このような状態でも味方と接するような安心感があった。少なくともケーと対面したときほどの恐怖はない。
「そんなに凄まなくとも隠すことじゃないので話しますよ。その前にひとつ言わせてください。さっき嘘を言ったと責められましたが、本当に嘘は言ってません。ただ語弊があったのかもしれない。
今はひとりですが、俺は先輩と二人でケー侍従長を暗殺するために行動していました。先輩のことはあなた方も見覚えがあると思います。会議場の3号館を出たとき、ケー侍従長に飛びかかったのが俺の先輩です。そして途中まで見ていたかと思いますが、俺たちは暗殺に失敗し、先輩は死にました。そのとき俺は先輩の意志も一緒に背負って生きていくと決めたんです。だから俺の意志はひとり分じゃない」
「リン」
「本当のことを言ってマス」
「なるほどね。性能が良すぎて細かい間違いまで気づいてしまうわけですか。逆にこれはポンコツですね。常に百点満点の答えを出せる人間なんていませんから」
「姉さん、コイツ生意気じゃないデスカ?」
「小畠トラジさん。あなたはご自分の状況を理解してください。それ以上軽口を叩いたら拷問コースに変えるでありますよ」
「楽しみダナー!」
それを聞いてトラジは笑った。笑いを堪えるようにクスクスと。笑っちゃいけない局面なのだと理解しているが、どれだけ凄んでも明らかに幼女の声なので、日頃推している3DCG配信者を思い出して笑ってしまった。
「アーッ! コイツ! 今ワタシ達のこと馬鹿にシター!」
「リン。ペンチを取ってください」
「ハイっ!」
「あ、すみませんすみません。馬鹿にしたわけじゃないんです。お二人の声が可愛くて、つい。そういえば時間を教えてくれる約束でしたよね」
「ダメです。確かにそんな約束をしました。でもダメです。あなたは我々を怒らせてしまった。誠意を持って接する我々を嘲笑った。その行いは許しがたい。罰として利き手の爪を剥がすであります」
「いきなりハードすぎる! ちょっと待ってくださいよ! 謝ったじゃないですか!」
「リン。しっかり掴んでおいてください」
「ハイっ!」
「せめて質問しましょうよ! なんでもお答えしますから!」
「……ん? これは、ちょっと話が変わってきましたよ。では聞かせてもらいましょうか。なんで我々を追ってきたのでありますか?」
「ケー侍従長と取引するためです。今、何時ですか?」
「16時05分。取引の内容は?」
「今すぐ俺を解放して如月ユーキを渡してください。そしてできるだけ遠くに離れてください」
「取引の内容は?」
トラジの指先をペンチがソフトタッチする。爪をパクパクと挟みながら、もう一度質問が繰り返された。




