5-1 ニート、心までは怪物になるな
現在地の貯蔵器官内にある全ての魔石とニートが融合した。それによって彼は糞となって脱出する手段を取れるようになったのだった。
「よっしゃ! 待ってろ肛門! 今行くからなー!」
意気込んだは良いものの、突如ヒルミミズが暴れ始めた。経験したことのない大地震がニートを襲い、泥とヘドロに足を取られて盛大にずっ転けた。
ヒルミミズは暴れるに留まらず走り始めた。その勢いは暴走列車。なだらかな坂道を急加速で駆け上がっていく。
どんどん帰り道から遠ざかっていく。早く肛門を目指したいニートだが、ヒルミミズの巨躯が傾いたことで泥とヘドロに溺れていた。
光が届かない暗闇の中で泥とヘドロをかき分けて下へ下へと沈むニート。まだ泳ぐ感覚が掴めていないようだ。
沈んでいくと底に触手が当たった。そこに貯蔵器官の弁があるはず。彼は精一杯触手を伸ばして探すが簡単には見つからない。
なにせ3つある貯蔵器官の中で最も広い第二嗉嚢に位置しているのだ。目隠しの状態で銭湯の栓を探すようなものだ。
それにヒルミミズはクネクネと体を左右に揺らして進むため、泥とヘドロにさらわれて触手が思うところに届かない。
ニートが門探しに手こずる間もヒルミミズの暴走は止まらない。どこまで走るのか、そしてどこまで上り坂が続くのか。
泥とヘドロにさらわれながらも、ついに彼は次のエリアに続く門を探し当てた。
閉じた肉の門の隙間に触手を差し込み、弁のしわに指をひっかける。
だが次の瞬間!
わずかに傾き始めた貯蔵器官内部。泥とヘドロから茶色く汚れたハゲが出る。頭の発光器が室内を少しだけ明るくした。
徐々に、徐々に、室内が明るくなり、泥とヘドロに浸かっていたはずの足首が見えた。
「ごほっ! おえ! これで見えやすくなったな!」
両手の触手を差し込んで門を開く準備をしていた。触手を広げると頭を潜り込ませるくらいの隙間ができた。ニートは試しに頭を突っ込んで踏み込むが思うように入っていけない。
「うはー! 足がっ、足がすべるっ! ちょっと傾きすぎやないか」
傾きによって泥とヘドロはニートの後ろに溜まりつつあった。
貯蔵器官はまだまだ傾く。ついにほぼ垂直まで傾いた。踏ん張りが効かないどころか、足が内壁から離れて宙吊りの状態になっている。
「どういう状態!?」
融合で手に入れた怪力、28本の手指、14本の足指、長くて太い尻尾を全て使って体重約50キロを持ち上げる。
そして狭い弁の隙間を無理やり広げて肩を入り込ませていく。肩まで入ると体をねじりながら上へ進む。
肉壁に押しつぶされながらも不滅の骨のお陰でなんとか弁を抜け出し、次のエリアへと移れた。
全身を肉壁に揉み洗いされたことでヘドロは綺麗さっぱりなくなった。
しかし抜けた先のエリアが粘液のプールだったため、ドロドロの姿がぬるぬるの姿に変わったという違いしかない。
移動先の入り口に溜まった粘液プールから顔を出した。
「ヘドロよりマシやな。酸っぱい魚みてーなにおいやけど」
全身の発光器を起動して強めに光らせる。発光器のひとつひとつが野球場の照明ほどの光を放ち、あまりの眩しさにニートは目を閉じた。
光センサーで室内を調べたところ、どうやらヒルミミズの腸に来たらしい。とても長い臓器だ。
肉壁の凹凸は多いものの滑りやすい粘液が表面を覆っている。これを登るのは骨が折れそうだ。
彼はまだ登る様子を見せない。魔石を見つけたようだ。溜まった腸液に潜って拾い集める。なんなら腸液の中で魔石を食ってるみたいだ。とても潔癖症を演じた人間とは思えない食い方だ。
いつまで経っても急ぐ様子を見せない。腸液の底に溜まった魔石を食べ尽くしても落ち着いている。腸液の底で坐禅を組むくらい余裕だ。
おそらく彼は勘付いたのだろう。ヒルミミズが眠りについたということに。それも地中で。
ヒルミミズからの脱出の算段はついた。ただし脱出のタイミングがヒルミミズに依存している。
仮に今の状態でヒルミミズの肛門から脱出したとしよう。まずヒルミミズに気づかれて再戦闘になる。よしんば眠っていても土の中だ。ヒルミミズが通ってきた道は土で埋まっているはず。運良く土が埋まっていなかったとしても崩れやすい土の穴をクライミングしていくのは困難。
今の選択肢で選べるのは体力の温存。そして魔石との融合。変化次第では更なる選択肢が生まれるかもしれない。
おそらく彼は坐禅を組んで集中することで変化の方向性を誘導したいのだろう。非科学的な妄想だ。彼は背中に翼を生やそうとしている。
腸で拾った魔石は貯蔵器官で拾った数に比べればごく少数。いったいヒルミミズの中に入ってからどれだけ変身しただろうか。
そして今、また変身した。今度は両足の甲から触手が7本ずつ伸びた。
これで指の数が合計56本になった。もう冬でもサンダルしか履けない。
それに続けて新たに毒袋なる臓器が増えた。触手、八重歯、尻尾など尖った部位に毒腺となる器官が繋がっている。毒性の分類は溶解液だ。彼はこのことをまだ知らない。
これで終わりか、と思いきや。最後の変身から一時間も坐禅を組み続けたあとに変化が起きた。
ニートの肩甲骨あたりがもぞもぞしている。
これはすごい。まさか坐禅に変化の秘訣があると誰が想像しただろう。坐禅なんて代物は人間が作り出した単なる思い込みだ。足の血流を悪くした上で内面の調整を行うだけの宗教的修行法にすぎない。
そんな非合理的な行動がニートの変化を助けている。彼のイメージ通りに背中が変化し始めた。
変化に伴って内側と外側の不滅の骨量が増えた。肩甲骨あたりから骨が皮膚を突き破り、内骨格と外骨格が結合した。これで彼の骨の総数は一本となった。
不滅の骨は背中で左右に分かれて二本の長い触手となった。翼の骨組みはこれでいいとしても翼膜が足りないんじゃ空を飛べない。
ニートもそれをわかっていた。坐禅を組んで皮膚を伸ばすイメージ、広がるイメージを背中に流していく。
すると背中の皮膚が増えた。皮膚は大触手を這って広がっていく。
そして皮膚が大触手をくるりと包み込み、毒腺を通した。
翼にはならなかったようだ。そのかわり背中の大触手から毒が出せる。
ニートは新しくできた大触手を使って腸液から飛び出した!
「ああああああああ! とべええええ!」
ニート吠える!
「うわあああああああ!」
しかし健闘虚しく腸の半ばで力尽き、粘液プールへ落下していく。
思ったようにはいかなかったが単純な膂力だけで水中からイルカのように高くジャンプしたのだから新たな大触手を讃えるべきだろう。帰ったら水族館で雇ってもらえるかもしれない。
ばしゃーん、と水面に叩きつけられて腸液の底に沈んでいく。
一方、ヒルミミズはニートがまだ生きていることを知らなかった。今は安全な場所で麻痺した神経を回復させることが最優先。
やはり小さな生物は恐ろしい。どいつもこいつも猛毒を持っている。
体内は毒物に耐性があっても体表はそうでもない。これまでに経験したことのない痛みをヒルミミズは味わっている。
もう、このまま死ぬかもしれない。少しでも痛みを和らげるためにヒルミミズは眠りについた──────。




